最期の記憶(四)
「姫巫女様! 姫っ! ツクスナならここにおります。死んでなどおりません。しっかりなさってください! 姫!」
切羽詰まった声が聞こえてくるが、それが理解に結びつかない。身体が狭苦しい場所に押し込められているようで、身動きが取れなかった。
ぼんやりと眼を開くと、大きな木組みの軒先に半分切り取られた青い空が見えた。
「……姫!」
距離のない場所から聞こえた苦しげな男の声に、はっとする。
「……姫、私は……生きております」
この声は……ツクスナ?
自分が彼に抱きしめられているのだと、一瞬で理解して、あまりのことに全身に火がついた気がした。
「ち、ちょっ……と! ツクスナ!」
自由になる両足をばたつかせ全力でもがくと、上半身の強い拘束が緩められ、間近から彼に顔を覗き込まれた。
「……ルイカ?」
辛そうな微笑を浮かべた砂の文様が刻まれた顔が、なぜか、ひどく懐かしくて、切なくて、愛おしくて、悲しくて……胸が締め付けられるように苦しい。
イヨ姫の記憶と想い、自分の感情が混ざり合って、どうしていいのか分からない。
自分が誰なのかすらあやふやになっていき、理由が分からない涙がはらはらとこぼれ落ちる。
「ルイカ……どうしたのですか。大丈夫ですか? どこか、怪我でも……」
ツクスナが慌てた様子でルイカの身体を起こすと、自分の膝から下ろした。そして、流れる涙を拭おうと、そっと頬に触れてきた。
「や……っ!」
記憶の中の彼は、左頬だけに砂の文様を刻んでいた。だけど、目の前の男は両頬に文様がある。美豆良に結った髪も記憶とは違う。
彼のようで彼でない、この人は……誰?
混乱したルイカは彼の手を乱暴に振り払うと、衝動的に美豆良の片方に手をかけた。
「痛っ! たたた……っ。どうしたのですか!」
ツクスナの声は耳に入らない。
彼の小さくまとめられた髪を上下左右にむちゃくちゃに引っ張ると、髪が解けてぱさりと落ちた。癖がついてうねる髪を、彼の肩の後ろに払いのけると、もう片方の美豆良に手を伸ばす。
ルイカの、涙を流しながらの無言の行為に、ツクスナはもう抵抗しなかった。強引に髪を引っ張られる痛みで、僅かに顔をしかめつつも、彼女のなすがままだった。
もう一方の髪も解いて、肩の後ろに追い払うと、彼は記憶の中の姿に近くなった。
「これで……いいのですか?」
困惑したような様子の彼と目が合うと、ルイカは恐る恐る両手を伸ばして、彼の頬に触れた。
掌に伝わってくる確かな感触と温もり。
彼が生きていることは、頭では分かり切っているのに、確かめずにはいられなかった。
良かった。この人は生きている。
もはや、誰のものか区別できなくなった想いを、自分の中に留めておくことができなくなった。
決壊したように流れ出した感情に一気に押し流され、彼の衣を震える手で握ると、見た目通りの小さな子どものように、大声を上げて泣きついた。
目の前で、大切な人が血の海に沈んでいく。
なのに、見ていることしかできなかった。
泣き叫ぶことしかできなかった。
駆け寄ることさえ許されなかった。
——死なないで。お願い、死なないで!
姫の記憶はあまりにも凄惨な場面で、引きちぎられるように途切れている。
金色の炎の力であの場から弾き飛ばされてしまった魂は、彼が生き延びたことを知らないのだ。
泣かないで、イヨ姫。ツクスナは生きている。
あなたのすぐそばにいる。
だからもう……泣かないで。
砂の文様を刻んだ逞しい二本の腕が、泣きじゃくる小さな身体を守るように包み込んだ。
「私は、ここにおります。姫」
今度こそ、この人を守ってみせる。
ツクスナはそう心に誓い、抱きしめる腕に力を込めた。




