炎の彼方に消えた姫巫女(二)
弐徒は即座に大刀に手をかけ、怒りの形相で参徒に向き直った。
「貴様!」
その瞬間、激しい衝撃と激痛が右の脇腹を深々と裂いていった。
参徒が振るう大刀に伴って、血しぶきが大きく弧を描いて飛び散る。
「ツクスナっ!」
姫巫女が、砂の壁に両手をついて悲鳴を上げた。
「ぐ……」
弐徒の足元に、赤いしずくがボタボタと音を立てて落ちた。しかし、それには構わず一歩踏み込むと、大刀を抜きざま横薙ぎに鋭く払う。
相手は避けきれず、鎖骨辺りに一本の傷を負ってよろめいた。
二人の男が、間合いをとって睨み合う。
弐徒は苦痛に顔を歪め、左手で脇腹を押さえている。指の間から、次々と血が滴り落ち、床に血だまりを作っていく。
参徒はいまいましげに顔を歪め、左手で傷を押さえた。
この二人は砂徒の序列では一つしか違わないが、歴然とした実力の差がある。普段なら、弐徒はこの相手に、かすり傷一つ負わされることはないだろう。
しかし、砂徒は守るべきものがある時は、どうしても自分の防御や攻撃が遅れる。このような不意打ちのときは特にそうだ。同じ砂徒である参徒は、その弱点をよく分かっていた。
「弐徒とも呼ばれる男が、いいざまだな」
参徒がにたりと笑った。
「なぜ、裏切る」
「もっと、面白いことがあるからさ。いいかげん、女のお守りも飽き飽きだ。なぁ、弐徒、お前もそう思わないか?」
「……それが理由か?」
弐徒は静かに息を吐いた。右肘を開いて大刀を顔の前で斜めに構え、両足を開いて半身の姿勢を取る。血に染まった砂の文様の左手は軽く握り、左胸の前。
参徒も同じような構えを取って睨み合う。
「はっ!」
鋭い気合いで、弐徒が疾風のごとく切り込んでいく。左腕で強固な砂の盾を巧みに作り出し、右腕で正確に大刀を振るう。
深手を負っているとは到底思えない、俊敏な動き。鋭い大刀筋。
相手の男は気迫の攻めの前に、防戦もままならなかった。
どちらのものか分からない血が、周囲に飛び散る。
高い金属音が響いて、参徒の大刀が弾き飛ばされた。
弐徒はあっという間に相手を壁に追いつめ、その頸に刃をあてがった。
「誰の差し金だ。その右腕の文様は何だ!」
「……」
「答えろ!」
脇腹の痛みの感覚など、もう、とうになかった。しかし突然、何か焼けるように熱い塊が身体の中をせり上がってきた。
「が……はっ!」
弐徒は身体をくの字に折り、大量の血を吐いた。
足元に、赤い色が音を立てて跳ねる。
全身の血が引いていき、視界が急激に狭くなる。手にした大刀が音を立てて床に落ちた。両足から力が抜け、もはや、立ってはいられなかった。
弐徒は血だまりの上に、膝から崩れ落ちた。
「いやぁぁぁ! やめて! もうやめて!」
姫巫女が砂の壁の向こう側から、泣き叫ぶ。
「お願い! ツクスナを殺さないで!」
銀色の壁を両手で叩きながら、必死に懇願する。しかし、どれだけ叩いても、弐徒が全力で築いた砂の壁はびくともしなかった。
「ほう。ようやく限界か」
命拾いした参徒が、口角をつり上げた残忍な表情で、弐徒の大刀を拾い上げた。大刀の環に結ばれた鮮やかな紺青の紐を一瞥し、唾を吐く。
「ふん。昔から、お前は目障りだった。さっさと、俺の目の前から消え失せろ!」
そう叫ぶなり、力任せに弐徒の首に大刀を振り下ろした。
が、しかし、その刃は何か硬いものに弾かれる。
「なにっ!」
見下ろすと、弐徒が左腕を上げ、自分の身体を取り囲む砂の盾を作り上げていた。この盾は、普通の大刀では貫く事などできない。
「まだこんな力が残っておったか。しぶとい奴だ。だが、この腕ならどうかな」
参徒はにやりと笑うと、大刀を床に突き立て、蛇の鱗の文様を刻んだ右手をかざした。
彼の掌から流れ出した得体の知れない不気味な力が、蛇の姿に変化する。
「いやぁぁぁぁー! やめて!」
突然、姫巫女の両の掌が、眩い光を発した。
その光は金色の火となり、音をたてて銀色の砂の壁に燃え広がる。そして、瞬くうちに姫巫女を中心とした巨大な炎の塊となった。
あまりの眩しさに参徒が振り向いたが、絶句する間すらなかった。その場から一歩も動けぬまま、迫り来る炎の中に飲み込まれていく。
「ひ……め……」
弐徒の身体も炎に包まれた。彼のかすんだ眼の端に、金色の光が映った。
嵐のような炎の渦は、轟音を響かせて祭殿を埋め尽くし、あらゆるものを飲み込んだ。
眼のくらむ強烈な輝き。
とてつもない圧力。
建物に閉じ込められ、行き場を無くした炎の力は、爆音を上げて入り口側の壁を吹き飛ばし、そして、霧のように消え失せた。
駆けつけた宮の人々は、あまりの惨状に言葉を失った。
祭殿の手前に血まみれの砂徒が二人、奥に姫巫女と四人の侍婢が倒れていた。しかし、不思議な事に、誰一人、火傷を負っている者はいなかった。室内も、物が散乱してめちゃくちゃになっているだけで、焼け跡一つ残っていない。
凶暴なまでに猛り狂う黄金の炎は、多くの人々が目にしたというのに——。