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時の狭間(四)

 ——暗い。

 いや、眩しすぎて見えないのか分からない。どっちが上で、下なのか。自分がどこを向いているのか。自分がそこに存在しているのかすら、よく分からなかった。

 何も見えない。何も、ない。

 ここは、一体……?

 ただ一人、無限の空間にぷかりと浮かんでいるようで、留以花は急に心細くなった。

「ツクスナ、どこ?」

 呼んでみたが、声が出ているかどうかも、よく分からない。それでも、必死で叫んでいると、すぐ近くに彼の気配が現れた。

「……ルイカ?」

「ツクスナ! よかった……」

 皓太とは全く違う、低く響く大人の男の声だったが、不思議と彼だと疑わなかった。

 そして、気配を感じた方向に手を伸ばそうとして、自分に確かなものが存在していないことに気づく。

 身体が……ない?

「ツクスナ……これは、どうなってるの? もしかしてわたし、死んじゃったの?」

「死んでなんかいませんよ」

 彼の姿は見えなかったが、いつもの穏やかな瞳で、見つめてくれているのだと感じた。

 だから、少しほっとする。

「じゃあ……ここは?」

「そうですね。よく分かりませんが、時の狭間といったところでしょうか。私はルイカの時代に行くときに、一度通ったことがあります」

「時の……?」

「さあ、戻りましょう。きっと、家族が心配していますよ。あの炎の力で、あなたの家は大変なことになっていそうですが」

「…………」

「ルイカ? どうしました?」

 急に黙り込むと、ツクスナが気遣うように声をかけてきた。

 時の狭間が、どういう場所なのかは分からない。けれども、弥生時代から来たという彼が以前通ったのなら。そして、今までいた時間に戻れるのなら。

「……もしかして、ここから弥生時代にも行けるの?」

「えっ? 弥生時代に?」

 全く予想していなかった留以花の問いに、ツクスナは当惑した。

「行けるの?」

「……そうですね。行けそうな気がします」

「そう。だったら、わたしは戻らない。ツクスナの時代に行くわ」

「ルイカ! どうしてそんな!」

 ツクスナの時代に行く——。

 紗季が犠牲になった後から、ずっと考えていたことだった。

 自分はこの時代にいてはいけない。壱与として生きる運命なのではないか……。

 そう思いながらも、ずっと迷っていた。

 どうすることが正しいのか、自分はどうしたいのか。

 しかし、この瞬間、決意した。

「もう、嫌なの! このまま元の世界に戻っても、きっと同じことの繰り返しになる。わたしは……あの世界にはいない方がいいのよ。もう、これ以上、犠牲者を出したくないの。だから、弥生時代に行く! そして、ヨウダヒを倒す」

 何も見えないはずの世界に、ツクスナは激しく強い輝きを見た。

「……そうですか。そんな、辛い決心を」

 ツクスナは、そういう決断をせざるを得なかった留以花に、やり切れなさを感じていた。そして、自分があまりにも無力であることを思い知った。

「いいの。自分で決めたことよ」

 留以花の言葉には、きっぱりとした潔さがあった。

「強い人……だ。あなたなら、どんな道を選んでも、真っすぐ歩いていけるでしょう。大丈夫、ルイカならきっと」

 彼の落ち着いた声が、留以花に届いた。

「あの国では、大巫女様を頼ると良いでしょう。何十年も邪馬台国と倭国を治めてきた偉大な女王です。大巫女様の弟君のオシヒコ様も力になって下さるでしょう。あなたの守りは、砂徒長が体制を整えてくださるはずです。何の心配もありません」

 彼の言葉に、留以花は何かひっかかるものを感じた。

 いつもと同じ優しい口調なのに、いつもと違う距離を感じる。彼の言葉の中に、彼の存在が見えないのだ。

 これでは、まるで……。

 留以花の胸がざわついた。

「わたしには、ツクスナがついていてくれるんじゃないの?」

「…………」

 彼の無言が怖い。

「ねぇ……」

「…………」

「答えてよ! ツクスナ」

 必死に手を伸ばしたが、自分が手を伸ばしたかどうかも分からなかった。彼は確かにそばにいるのに、触れられない。そこには、何もない。そこに、いるはずなのに……。

「違う……の? どうして? 守るって……ずっとそばにいるって言ったじゃない!」

「私は、ずっとあなたのそばにいます」

 ようやく、無理に押し出したような、苦しげな言葉が返ってきた。

「だったら、どうして!」

「あの時代に戻ったら、あなたはおそらく、イヨ姫の身体に目覚めるでしょう。しかし、私には、戻る身体がありません。私は、姫が襲われたあの日……死んだのです」

「死……ん……だ?」

 留以花は一瞬、彼の言葉の意味が理解できなかった。

 言葉の音だけが頭の中に反響し、残酷な意味は、少し遅れて胸に深々と突き刺さる。

「うそ……。そんな……死んだ、なんて」

「ですから、むこうの時代では、今までのようには一緒にいられません。けれども、私はずっとあなたのおそばにいます」

「そんな……」

「すみません。今まで黙っていて……。どうしても、言えなかったのです」

 二人が黙り込むと、そこには恐ろしいほどの静けさしかなかった。どれくらい、そうしていたのか、時間の感覚もない。

「ツクスナ。コウの身体に……戻って」

 留以花がようやく口を開いた。涙まじりの、かすれた声しか出てこなかった。

 自分は現代に戻れない。彼は弥生時代に戻れない。

 だったら、別々の道に進むしかないのだ。

「それは、困ります。それでは、あなたのそばにいられません」

 ツクスナが静かに答えた。

「それでもいいから! そばにいなくてもいいから、遠くにいてもいいから、生きていて! このまま弥生時代に戻ったら、本当に死んでしまうのと、同じじゃない!」

 本当は、ずっと一緒にいたい。そばにいてほしい。

 だけどそれは、彼を死なせることに等しい。

「一人であなたの時代に取り残されても、私には生きている意味がありません。お願いです。私を連れて行ってください。あなたのそばにいさせてください。ルイカ」

「わたしのために死ぬのは嫌だって、言ったじゃない!」

「私はずっとあなたのそばにいると誓いました。それに、死ぬ訳ではありません。どんなかたちであっても、必ずあなたのそばにいます。決してあなたを一人にはしません」

「嫌だ……ツクスナ。そんなんじゃ、嫌なの!」

「泣かないでください。私は、そばにいます。ずっと、あなたのそばにいます」


 ——そばにいる。


 何度も何度も、優しい声で同じ言葉を繰り返す。

 もう、手で触れることはかなわないから、心で心に触れる。

 髪を撫でるように。そっと、抱きしめるように。

 何度も……何度も。


 いつしか二人は、何もない空間にとけるように消えていった。

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