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時の狭間(三)

 留以花の悲鳴が頭の中に響いてきた。

 しかし今、目の前に立ちはだかっている鱗の檻は、以前より遥かに強大で、禍々しい妖気も桁違いに強い。

「くそっ! どうしたら……」

 万一のために留以花の家に仕掛けてきた砂は、檻に阻まれ、外からは動かせそうもなかった。

 やはり、力づくて、この檻をこじ開けるしかない。

 両手を前に伸ばし、眼を閉じて精神を集中させる。全身から砂の力が噴き上がり、白銀の光の流れとなって掌に集まってくる。

 檻に手を触れようとした、まさにその時。檻の内部に、自分の力の波動と全く同質の、大きな力が生じた。

「これ……は」

 彼女の家に仕掛けた砂が、銀色の矢のように次々と天に放たれていく。鱗の檻を突き通すかというほど激しく衝突したそれは、檻の妖力を大きく歪ませた。

「今だ!」

 力を集めた両手を檻にかけると、全身を貫く激痛にも全くひるむことなく、力任せに檻を引き裂いた。そして、裂けた隙間に倒れ込むようにして身体を押し込むと、すぐさま地面に小さく砂を放って、その上に左手を置いた。

 檻の内側でバラバラに暴れ回っていた銀色の砂が、ツクスナの意思に従って空中に集まり始める。ツクスナの全身からも砂の力が噴き上がって合流し、全ての力が強い圧力で凝縮された塊となる。

「はっ!」

 ツクスナの気合いで、一塊になった砂が大きく破裂した。すでに綻びが生じていた鱗の檻は、無数の銀色の礫の衝撃に耐えきれず、ばらばらに引きちぎられた。

「助けて! ツクスナ!」

 留以花の悲鳴が、今度は直接耳を貫いた。

 はっと、二階の窓を見上げると、その向こうに、彼女の気配に重なるとてつもない邪気を感じ取った。

「ルイカ!」

 ツクスナは弾かれたように駆け出すと、壁を蹴上がって、ウッドデッキの日よけの上に登った。そして左腕に作り出した強固な砂の盾を前に構え、窓に突っ込んでいった。

 割れたガラスの破片とともに、ツクスナが部屋に転がり込む。

「ツク……ス……ナ」

 眼に飛び込んできたのは、青く妖しい炎に包まれた、留以花と彼女の母親の姿。母親の両手は留以花の首に掛けられ、彼女は苦痛に喘ぎながらも、首を締め上げる手に必死に抗っていた。

 憎々しげにツクスナを振り返った母親の左頬に、おぞましい鱗の模様。

「ヨウダヒ! その手を放せ!」

「おのれ……砂徒め!」

 ツクスナがヨウダヒの操る母親の片手を、右手で掴んでねじり上げる。同時に左手で砂を放って、自分たち三人を半球状の砂の壁の内側に閉じ込めた。

 母親を支配していた邪な力が砂の力で遮られ、意識のない身体が留以花の上に崩れ落ちる。青い禍々しい炎も同時に消え失せた。

 しかし、桁外れの妖気は衰える事なく、家の外に渦巻いていた。そして、バラバラに破壊したはずの鱗の檻が寄り集まり、別の形を取り始めた。


「ツクスナ、外に……」

 留以花も外の変化に気づいていた。

「ルイカ、私の後ろに!」

 ツクスナが留以花と母親を背でかばい、両手を砂の壁につけて構えた。

 窓からのぞいた黒い大蛇が、大きく顎を開き牙を剥く。

「来る!」

 蛇は恐ろしい威嚇の咆哮を上げながら、猛烈なスピードで銀色の壁に体当たりしてきた。強烈な衝撃。空気が激しく振動し、家全体が大きく揺さぶられる。

「くっ!」

 ツクスナが歯を食いしばって耐えた。

 二度、三度と、巨大な蛇の頭がツクスナの壁を脅かす。

 彼の全身から立ち上る砂の力が、壁の内側に充満していく。

「しぶとい奴よ。じゃが、どこまで耐えられるかな」

 蛇の胴体が、ずるずると窓から中に入ってきた。部屋に納まり切らないほどの巨大な蛇が、銀色の壁を内側に抱いてとぐろを巻いていく。

 壁の向こうに、黒い蛇の鱗が不気味にうねっている。壁の表面がしゅうしゅうと音を立てて煙を上げはじめた。砂の結界の力が徐々に削り取られているのか、壁を通して伝わる蛇の妖気が強まってくる。

「くそ……っ。な……んて、力……だ」

 砂徒の力は守りだけに特化したもので、攻撃力を持たない。ひたすら相手の攻撃に耐えるしかないのだ。

 しかし、ツクスナの力は極限に近かった。留以花の目にも、それは明らかだった。

 それでも、必死に耐え続ける彼の後ろ姿。

 膝の上に力なく倒れている、最愛の母親。

 このままでは全員が、あの黒い蛇に捻り潰されてしまうだろう。

 自分のことで、もう誰も傷つけたくなかったのに。犠牲にしたくなかったのに。

 わたしは……わたしの力は。

 本当に必要なときに現れると彼が言った、わたしの力は、どこにあるというの。

 何もできずにただ見ているだけなんて、そんなの、嫌だ!

「ツクスナ!」

 彼の背中にしがみつき、後ろから必死に両手を伸ばす。

 お願い……。本当にわたしに力があるのなら、どうか助けて!

 ツクスナの手に、留以花の手が重なる。

 その瞬間、二人の目の前が、まばゆい金色に染まった。

「これ……は」

 直視できないほどの煌めきは金色の炎に変化し、あっという間に砂の壁に燃え広がり周囲を取り囲む。さらに、壁の外側にとぐろを巻く黒い蛇に一気に燃え移り、猛り狂う猛火となった。

 あまりの眩しさに、目を開けていられなかった。

 ヨウダヒの悲鳴が、炎の轟音の向こうから、微かに聞こえた気がした。

 蛇の妖気が完全にかき消されても、炎の力は際限なく膨張する。部屋の中が金色の炎で埋め尽くされていく。固く目を閉じていても感じる、その眩しさ。凄まじさ。

「止まらないわ! どうしたらいいの!」

「ルイカ、伏せて!」

 ツクスナがとっさに身体をねじると、留以花に覆い被さった。

 凄まじい爆音。めちゃくちゃに吹き荒れる、炎の嵐——。


 そして、二人の意識は暗転した。

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