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蛇の鱗の文様(二)

 ツクスナは、砂の文様が浮かび上がった左手を鱗の檻にかけ、強引にこじ開けようとしていた。

「ぐ……ぁっ!」

 檻に触れた瞬間、鋭利な刃物で、ずたずたに斬りつけられるような衝撃が、全身を貫いた。息ができないほどの激痛と、弾き飛ばそうとする強い力に抗おうと、左手首をもう一方の手で押さえた。

 そして、そこに思いがけないものを見た。

「こ……れは?」

 苦痛にかすむ眼に映ったのは、濃紺の砂の文様。左腕にしかないはずの文様が、右手の甲にもくっきりと浮かび上がっていた。

 なぜ、右手に? これは、もしや……。

 かっと目を見開き、両手を鱗の檻にかけた。持てる力のすべてを両手に集める。

「うおおぉぉぉ——」

 砂の力は両手ではなく、全身から大きく吹き上がった。そして、その銀色の輝きは、檻にかけた両手に凝縮されていく。

 そのとき、檻の内側の圧力が突然変化した。

 中で何かが膨れ上がり、檻を形作っていた禍々しい力が、均衡を崩して大きくたわむ。

 それを察したツクスナが、力のすべてを叩き付けた。

 亀裂が走るような衝撃が両手に伝わり、鱗の檻に裂け目ができた。

 ツクスナはその隙間から内部に転がり込むと、檻の内側に三人を囲む砂の壁を築き、それを渾身の力で大きく外側に広げる。

 かっ——と、眩しい輝きに目がくらむと同時に、鱗の檻は木っ端みじんに吹き飛ばされた。禍々しい気配が、風に流されるように遠ざかっていく。

「……くっ」

 アスファルトに倒れたツクスナは、力の入らない腕でなんとか上体を起こした。

「ルイ……カ……?」

 その眼に、金色の炎をまとった少女の姿が映った。

 まばゆい炎は一瞬の残像を残し、幻のように消えていく。

 ツクスナはその姿に絶句した。



 自分の首をスカーフで締め付けていた紗季が、糸の切れた操り人形のように、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。

「おのれ……小娘め。ふん、まぁ良いわ。返事は、次まで待ってやろう」

 女の捨て台詞が留以花の頭の中に響くと同時に、立ちこめていた強烈な妖気が消える。

「紗季、しっかりして。紗季!」

 はっと我に帰った留以花は、アスファルトの上に倒れた紗季を助け起こした。首に巻き付いているスカーフを慌てて外し、身体をゆさぶりながら呼びかけるが、彼女はぐったりしたまま、ぴくりとも動かない。

 首には、赤黒い痣がぐるりと取り囲んでいた。

「ツクスナ! 紗季が」

 彼に助けを求めようとして振り返り、はっと息を飲む。

「ツ、ツクスナ。その顔……は」

 彼の両頬に、教室でヨウダキに襲われたときに見たものと同じ、風に吹かれたような砂の文様がくっきりと浮かび上がっていた。

「あぁ……これは……気に、しないで……ください。すぐ、消えます」

 膝と両手を地面につき、肩で荒い息をしていた彼は、文様を隠すように右手で顔を覆った。しかし、その手の甲にも同じ砂紋が刻まれていた。

 彼は這うようにして二人に近づくと、紗季の呼吸を確認した。

「大丈……夫。おそらく、気を失っているだけ……です」

「よかった……。ツクスナは、大丈夫なの? ずいぶん……苦しそう」

 心配そうな眼を向けられた彼は、平気だというように、乱れる呼吸の下から軽く笑顔を作った。

 留以花は意識が戻らない紗季と、苦しそうに喘ぐツクスナを、代わる代わる見た。

 私のせいだ——。

 みんな、私に巻き込まれて、こんな目に遭ったのだ。紗季もツクスナも、そしてコウも……。

 ヨウダヒは、わたしを壱与姫と呼んだ。わたしに来いと言った。

 あの女の元に行くなんて、絶対に嫌だ。でも、このままでは、みんなが犠牲になる。もう誰も、巻き込みたくない。

 どうしたらいいの? どうしたら……。

 留以花の頬を、つぎつぎと涙が伝っていく。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、何の答えも出せないまま、すべて無責任な涙になって滑り落ちる。

「ルイカの……せいでは……ありませんよ」

「あの女の狙いはわたし一人なのよ! なのに紗季まで、こんな目に……」

「そんな……に、泣かないでくだ……さい」

「だって、わたしのせいで……」

「いいえ。違い……ます」

 ツクスナがゆっくりと身体を起こし、立てた右ひざを両腕で抱え込んで座ると、うつむいたまま、大きく息を吐いた。

「しいて言えば、私のせい……です。こんなに近くにいた……のに、防げなかった」

 彼の言葉はまだ、途切れ途切れだった。息をする度に、肩が大きく動く。

「そんな。ツクスナが助けてくれたのよ! ツクスナがいなかったら……わたしも紗季も、今頃どうなっていたか」

「あれは……私だけの力では、ありません」

 ツクスナが顔を上げ、留以花の目を見つめた。

「どういうこと?」

「あなたの力です。ルイカ。あなたの……金色の炎の力」

 思いがけない言葉に、留以花が息を飲んだ。

 金色の炎の……力?

 しかし、そう言われても、留以花には全く身に覚えがなかった。

「うそ! そんな力、知らない。わたしは紗季を助けたくて、どうにかしたくて、でも、できなくて、悔しくて……」

「無意識だったのですね」

「わたしは、ただ、叫んでいただけで……。わたし、何をしたの?」

 あの時、苦しむ紗季を目の前にし、究極の選択を迫られた。

 激しく動揺し、強い憤りを感じて、無我夢中で叫んで……。

 そこまでしか、はっきりと覚えていない。

 気がつくと、周囲を囲んでいた鱗の檻が消えていて、紗季が倒れていたのだ。

「あの強力な鱗の檻を、内側から揺さぶったのはあなたです。それがなければ、私はあの檻を破ることはできなかった」

 彼が留以花の目をじっと見つめたまま、静かに、しかしきっぱりと告げた。

「信じられない……」

 それきり、留以花は言葉を失った。


「……う……ん」

「紗季! 気がついた?」

「……え?」

 ようやく意識を取り戻した紗季が、驚いた顔で辺りを見回しながら、ゆっくり身体を起こした。顔色はまだ青白く、首にぐるりとついた痣が痛々しい。

「わたし、どうしたの? なんで、倒れていたの?」

「……えっと……貧血じゃないかな。急に倒れて……ね」

 さすがに、本当のことは話せなかった。

「貧血なんて、紗季らしくねーな」

 皓太の表情に戻ったツクスナも、極度の消耗を押し隠し、からかうような口調で話を合わせてくれた。

「わたしが、貧血?」

 紗季は半信半疑の様子だったが、他に理由も思い当たらないので、信じるしか無かったようだ。だけど、鏡を見たら、首についた赤黒い痣に気づくかもしれない。

 ごめん……ごめんね。紗季。こんな危ない目に遭わせてしまって。

 留以花は心の中で、何度も詫びた。

「また倒れると大変だから、家まで送るね」

 留以花とツクスナは、紗季を気遣って、家まで送っていった。



 紗季と別れた後、二人は同じ道を無言で戻ってきた。

 頭の中に響く不気味な女の声。自分の首をスカーフで締めつける紗季の姿。苦痛に喘ぐツクスナ。黒い鱗の檻。銀色の砂。

 そして金色の……何?

 いろんなことが次々に頭に浮かんでも、それは霞のようにぼんやりしていて、あやふやで、何もかもが嘘のようで……。

 目の前の見慣れた景色にすら現実感がないまま、留以花は放心したように歩いていた。並んで歩くツクスナが、気遣うような視線を何度か向けていたが、そのことにも気付かなかった。

 彼が立ち止まったことで、留以花は自分の家の前まで来たことにようやく気づいた。

「じゃあ……ね」

 母親は仕事をしているから、昼間家には誰もいない。彼と別れてしまうと、独りぼっちになってしまう。

 一人は怖い。そばにいてほしい——。

 そんなことを言えるはずもなく、俯いたまま彼に背を向けた。

 けれども、瞳に強い不安の色を浮かべ、今にも泣き出しそうに顔を歪めていることに、ツクスナが気付かないはずがなかった。

「ルイカのお母さんは、今日も仕事なのですか?」

 玄関扉の前でバッグの中の鍵を探っていると、唐突な言葉に呼び止められる。

「そうだけど……?」

「スマホを貸してください」

「え? う、うん」

 よく分からない話の展開を訝りながら、バッグからスマホを取り出した。

「待って。パスワード……を」

 留以花がパスワードを入れる前に、ツクスナがスマホを取り上げた。彼はさっさとロックを解除して、さらに操作を続ける。

「なんで、パスワード知ってるの?」

「誕生日をパスワードにすると危ないと、コウに言われませんでしたか? 結局、あれから変更していないのですね」

 彼が苦笑まじりにスマホを耳に当てた。


 あれから——。

 皓太に、パスワードの変更をするように言われたのは、確か夏休みに入ったばかりの頃だった。こんな未来が訪れるとは夢にも思わなかった、平和な日々。

 まだ数ヶ月しか経っていないのに、ずっとずっと遠い過去のような気がする。


 今、目の前にいる皓太の姿をした彼は、全く別人であるにも関わらず、同じ記憶を共有している。そんな彼の存在は、あやふやに思える現実の中で、くっきりと際立って見えた。

「……あ、母さん? 俺、コウだけど」

 電話の相手はすぐに出たようだった。

 これまでのツクスナの口調から、皓太のそれに一瞬で変化する。

「これから、ルイカんち寄るから。——うん。————英語、さっぱり分からなくってさぁ、ルイカに教えてもらおうと思って。————うん。じゃ」

 彼の会話の内容に、留以花が驚いて目を見開いた。

「これで、あなたのお母さんが戻るまで一緒にいられます」

 自分の口調に戻ったツクスナが、スマホを留以花の手に戻した。温かな指先が、掌に触れる。

「ツクスナ……なんで?」

「そんな顔をしているあなたを、一人で置いておくことはできませんよ。私相手に強がらなくてもいいのです。遠慮もいりません。私はあなたを守るためにいるのですから」

 彼は切ないほどの優しい瞳で見つめると、留以花の頭に軽く手を置いた。

 自分より小さいくらいの皓太の手がやけに大きく感じられて、心強かった。

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