月の砂(五)
姫——。
彼がそう呼ぶ少女の魂は、今、自分に生まれ変わっているのだという。
信じられないような話だったが、留以花はもうそれを疑っていなかった。否定するにはあまりにもいろいろなことが起きすぎた。
留以花はウッドデッキに腰を下ろした。促すように見上げると、彼も隣に座った。
「ねぇ、姫って、どんな人だったの?」
「そうですね……」
彼が言葉を続けるまでに、少し時間がかかった。
「私が姫の守りの任に就いたのは、姫が五歳の時。私は十四で……あぁ、ちょうどコウと同じ年ですね。それから六年間、姫の近くに仕えていました」
「六年って……。ツクスナって年いくつ?」
「二十歳です」
「えーっ!」
彼のまとっている雰囲気から、多分、年上なのだろうとは思っていたが、予想以上だった。小柄で童顔の、いかにも元気な男子中学生といった皓太の見た目と、妙に落ち着いた中身のアンバランスさ。その理由に納得する。
「そっか。二十歳だったんだ」
「そんなに驚かなくても。……今はこの姿ですから、仕方ありませんが」
ツクスナが皓太の両手を見ながら苦笑した。
それから彼は、姫との出会いから、ゆっくりと話し始めた。
彼は俯き加減で、淡々と話す。隣の留以花の方を見ることもなく、固まったように身動きもせず、ほとんど抑揚のない声で話す彼の様子に、留以花は強い違和感を覚えた。口を挟むことも、相づちを打つこともはばかれるような、硬い雰囲気。
なぜ、この人は、こんなに人ごとのような話し方をするのだろう。
真上を過ぎた位置から射す月の光で、彼の顔は影になり、表情は分からない。しかし、彼の膝に置かれた指先に強い力が入り、白くなっているのに気づいてはっとした。
——耐えている?
彼は、姫の魂を探しに来たと言っていた。六年もの長い間仕えてきた大切な姫だから、特別な想いがあるに違いない。
その姫は、彼の目の前で敵に襲われたのだ。
彼女との記憶の中には、身を切られるような苦しみがある。その痛みに耐えながら、話をしているのだ。不自然なほど淡々と話すのは、きっと、感情を表に出さないようにするためだろう。
どうしよう。
聞いてはいけない残酷なことを、聞いてしまった。
どうしたらいい? どうしたら……。
「ツクスナ!」
留以花が、開いた右の掌を、いきなりツクスナの目の前に突き出した。
彼がゆっくりと顔を上げる。
「砂を、出して!」
「……え?」
「いいから早く」
彼は訝しげな顔をしながらも、言われるまま、軽く握った左手から砂を流した。
きらきらと輝く光の粒が、留以花の掌に小さな銀の山を作った。
「これで、いいでしょうか」
そう言いながら自分の膝に戻そうとした左手を、留以花が掴んで強引に引き寄せる。
細かな光の粒が、ぱっと飛び散った。
「な……にを?」
彼は、不意を突かれたような顔になった。
「その砂、にぎってて!」
「は?」
彼は、手に無理矢理押し付けられた僅かな銀色の砂の粒と、必死な顔をしている留以花を交互に見た。
「ほら、心が落ちつくでしょ?」
「…………」
「だから……、あの……」
「——くっ、……はははは……」
突然、声を立てて笑い出した彼に、今度は留以花が驚く番だった。
「な、なんで笑うのっ!」
「はは……あなたが、いきなり突拍子も無いことをするからですよ」
彼の肩が、笑いをこらえてまだ震えていた。
意外だった。
皓太の表情をしていないときの彼は、いつも穏やかな笑みを浮かべているが、こんな風に笑うところは見たことがなかった。こんな姿は、想像もできなかった。
「……ツクスナも、笑うんだ」
留以花が思わず呟いた。
「私だって笑うくらい、しますよ」
その声に気づいたツクスナが、怪訝な顔で返した。そして、少し考えるように視線を足元に落とした。
「あぁ、でも……あの日から、こんな風に笑ったことはなかったかもしれません」
そう言って留以花に笑顔を向けると、左手に渡された砂を高く投げ上げた。
繊細な粒は、月の光を弾きながらふわりと落ちてきて、目の前までくると、空気に溶けるように消えていく。
「わぁ、きれい」
砂に見とれる留以花の横顔を、彼が穏やかな瞳で見つめていた。
「ありがとうございます。ルイカ」
「え?」
彼の視線に気づいて、留以花は戸惑う。
「もう、部屋に戻って休んだ方がいいですよ。明日も学校がありますから」
「ツクスナはどうするの? このままここにいるの?」
「はい。ですから安心して、お休みください」
「う、うん。でも、もう少し……」
そばにいたい……と言ってしまいそうになって、留以花は驚いて口をつぐんだ。
どうして?
痛みに耐える姿を、見てしまったから?
笑っている顔を、知ってしまったから?
「どうかしましたか?」
「あ……ごめん、なんでもない。おやすみなさい」
留以花は慌てて立ち上がろうとして、自分が抱きかかえていたものに気づいた。外にいるであろうツクスナのために、部屋から持ってきたものだ。
「そうだ、これ」
留以花は彼の膝に膝掛けを広げると、逃げるように家の中に戻っていった。
ツクスナは呆気にとられて、彼女の後ろ姿を見送った。
そして一人でまた、笑った。




