月の砂(二)
留以花の視線を真っ正面から受け止めたツクスナは、静かに言葉を続ける。
「あなたがその手に握っているものは、本当は砂ではありません。私の力が砂の形状を取っているだけです。その砂は、普通の人には見ることも触れることもできません。あなたの目にこの砂が見えるのは、あなたが力を持っている証拠なのです」
「え?」
留以花が目を瞬かせた。
右手の指を閉じると、ひんやりとした砂の感触があった。ぎゅっと握れば、砂が軋んで微かな音を立てるのも感じられる。掌には確かに、砂がある。
これが、見ることも触ることもできない……?
もう一度掌を開き、銀色の細かな粒をじっと見つめた。
そういえば、トラックが突っ込んできたとき、自分の目にははっきりと、立ち上がる大きな銀色の壁が視えた。その壁に阻まれて、暴走したトラックは向きを変えて横転したのだ。
しかし、周囲の人たちは誰一人、そんな話をしていなかった。あの壁は、誰にも視えていなかったのか。
「あなたの本当の力は、おそらくまだ、目覚めていないのです」
彼が厳かな口調で、静かに告げた。
留以花は握っていた右手を左の掌で包み、額に押し当てた。
「……どうしていいか、分からない」
苦悩する留以花を前に、ツクスナも彼女に知られないほどのため息をついた。
ツクスナにもどうして良いか分からなかったのだ。
イヨ姫だと思った少女は、姫と同じ魂を持つ別人だった。それなのに、姫と同じ脅威に直面している。まさか、こんな事態になっているとは思いもしなかった。
しかし、ただ一つだけ確かなことがあった。
「私が、あなたを守ります」
彼はそのために、遥か時を超えてこの少女のもとに導かれたのだ。
しばらくの間、無言で掌の砂を見つめていた留以花が、何かを思いついたように席を立った。すぐに戻ってくると、手にガラスの小瓶を持っていた。
テーブルに瓶を置くとコルクの栓を外し、右手に握っていた砂を移し始める。
「わ……ちょっと、無理」
口の小さな瓶に、砂をこぼさずに入れるのは難しく、半分近くは瓶の外に散らばった。それをツクスナが視線だけですくいあげ、一粒残さず瓶におさめた。
「せっかくですから、いっぱいにしておきましょう。お守り代わりに持っていてください」
彼は瓶の上に軽く握った左手を伸ばし、銀色の砂を瓶の口いっぱいにまで流し入れた。
留以花は、その砂の流れに見入っていた。
「これが他の人には視えないなんて、信じられない。でも……きれい。銀色の、まるで月の光のような……。だから、ツクスナっていう名前なの?」
留以花の問いかけに、彼の瞳が一瞬揺れた。
玄関で物音が聞こえた。玄関ドアが閉まる大きな音がして、焦ったような小走りの足音が近づいてくる。
「留以花! 留以花、帰ってるの?」
乱暴にドアが開いたかと思うと、息を切らし青ざめた顔をした母親が立っていた。
「え? お母さん? どうしたの」
「どうしたのじゃないわよ……」
母親は娘に駆け寄ると、両肩に手を置いて、ほっと息をついた。
「学校から、爆発事故があったって連絡をもらって……。留以花が無事だってことは聞いたけど、あなたに何度電話してもつながらないし、心配になって、慌てて帰って来たのよ」
「そうだったの。ごめん。わたしのスマホ、多分、教室に置いたままになってる」
「大丈夫なの? 本当に怪我はないの?」
「うん、平気。わたしは怪我しなかっ……た」
狙われたのは自分だったのに、自分だけが傷ひとつ負わなかった。
クラス全員を巻き込んでしまったことを思い出し、留以花がうつむいた。
「おばさん」
母娘の会話に割り込んで来た声に、振り向いた留以花が絶句した。
「あ……」
そこにいたのは皓太だった。表情も口調も、まぎれもなく皓太だ。
「あら、コウ君もいたのね。コウ君は大丈夫だった?」
母親が、友人の息子の姿に気づいて声をかけた。
「うん。俺らのクラスは被害がなかったから。でも、事故の後、学校は休校になったんだ」
「そう。あぁ、ほっとしたら喉が渇いちゃった。あなたたちも何か飲む? 留以花、取りに来てくれる?」
「あ、じゃあ、俺が」
目を見開いたまま、動けなくなってしまった留以花にかわって、皓太が腰を上げた。
留以花はキッチンに向かう彼を、思わず目で追った。まるで自分の家かのように遠慮なく振る舞う様子も、言葉遣いも、軽い感じの歩き方も、皓太そのものだ。
けれども、ふと振り向いた彼の瞳に痛みの色が浮かんでいるのに気づき、思わず顔を背けた。
やっぱり、コウじゃ……ない。
皓太の顔をしたツクスナが、麦茶の入ったグラスを二つ運んできて、一つを留以花の前に置いた。
「すみません。私がコウでいると、辛いですよね」
ツクスナの表情で気遣うように囁いて、彼はまた、皓太の顔に戻った。
その後三日間、中学校は休校になった。あの説明のつかない惨事は、謎の爆発事故ということで収まりそうだった。
留以花の教室は修理に時間がかかり、代替の教室で授業が始まったが、最初のうちは、精神的なショックで学校を休む生徒や、包帯姿の生徒も多かった。それでも日を追うにつれ、以前のような学校風景に戻っていった。
留以花と皓太も、傍目には以前と変わらなかった。しかし、人目がないときは、留以花は彼をコウとは呼ばなかったし、彼も皓太の表情をしなかった。
皓太の表情をしていないときの彼は、皓太とは全く別人だった。同じ顔、同じ身体のはずなのに、まとっている雰囲気が違えば、こうも違うものか。彼は、童顔の少年の姿と不釣り合いに、穏やかに落ち着いて見えた。




