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魔女 ③

 玄関を開けながら、小さな声で「ただいま」と、誰にも聞こえないように声を漏らした。

 しかし、それと同時にドタドタという音を立てながら、妹である真美が階段を急いで駆け下りてくる。

「おっ……お姉ちゃん、今日学校行ってないでしょ?」

 必死な表情を見せながら、妹は私にそう言った。私にしてみれば、そんな事はどうだって良い。

「お姉ちゃん私服だし……何? 何かあったの? お母さんカンカンだよ?」

「別に。何でもない」

 私はそれだけを言って靴を脱ぎ、家の中へと入って行った。素っ気無くされていると言うのに「何かあったんでしょ? 変だよお姉ちゃん」と言いながら、私の腕を掴む。

 今更、私が変になっている事に気がつくなんて、遅すぎる。遅すぎて、思わず「ふっ」と含み笑いが出てしまう。もう少し早く気づいていれば、私は契約なんて、しなかっただろうに。

「ねぇ……男の人なの……? その服も男の人の家にあったヤツとか……」

「うるさいな。何でもないって言ってるでしょ」

「あ、お姉ちゃんリビングは……お母さん怒って待ってるから……」

「うるさい」

 私はいつもの通り、リビングのドアを開く。そこには、ソファーに座りながらテレビを見ている、母親の後姿があった。いつもの通りに、私は小さく「ただいま」とだけ発し、台所へと向かって手を洗う。

「なつめ、ちょっとこっちにいらっしゃい」

「嫌」

 私は覇気無く、ほぼノータイムでそうつぶやいた。小さな声だったと思うのだが、どうやら私の声は届いていたようだ。私の背後から「なつめっ!」という大きな声が聞こえてきた。

 母親は、本当に分かりやすい人間だ。己の感情にはどこまでも従順。私がこれまで、どれほど自分を殺して生きてきたかなんて、この女には理解できないんだろう。

 一切の反抗をせず、ただひたすらに従ってきたと言うのに、妹よりも不遇にされてきた、私の事なんて、この女には理解出来る訳が無い。

「なつめ! 今日どうして学校に」

「うるさい」

 私は奴の右足を見つめ、アキレス腱が切れる所を想像する。すると、そのイメージの通りに、母親はブチッという音の後に、その場へとうずくまった。

「いっ……! あぁっ……!」

 その様子をドアの影から見ていた妹が「お母さん!」という声を上げて近寄ってきた。

「あああっ! あぁぁっ!」

 うるさく、汚い声が私の耳に届いてくる。とてもとても、耳障りだ。

 私のお腹の辺りで、黒いモヤモヤがグルグルと回っているのを感じた。グルグルと回って、黒いモヤモヤは、感情と変わって行く。

 それは、明らかに負の感情。作り出された感情は、全身へと駆け巡り、私を支配する。ローラの首を折った時も。ローラの目を潰した時も。同じ感情が私を支配していた。

「あは」

 私は、更に念じた。歯よ、抜けろ、と。喋れなくなるように、抜けてしまえ、と。

「ひぎいぃっ? いぃぃいっ!」

「いやぁ! 母さん! お母さん!」

 母親の口から、白い固形物が、赤みを帯びて、ボロボロと抜けていく。面白そうだから、八重歯だけは残しておこう。

「おっ……お姉ちゃん! お母さんがっ! お母さんが……ぁ」

 妹が私の顔を見て言葉を詰まらせた。流していた涙を一瞬のうちに止め、顔色を一気に青ざめさせる。

「いやっ……お姉ちゃん……何で笑顔なの……」

「何よ」

「なんでぇっ……? いやぁあっ! いやっ! 悪魔ぁっ!」

 本物の悪魔を見た事も無いくせに、私を悪魔と呼ぶなんて、無知にも程がある。本物の恐怖を、知らないのだろうな。姉として教えてあげなければいけない。

「悪魔? 私が?」

「悪魔ぁっ! いやぁ来ないで!」

 私は笑顔のまま、妹へと近寄った。それに連動するかのように、妹はあとずさる。

 妹へと近寄る途中に「うーうー」という、汚いうめき声を上げている母親が居たので、思い切り踏んづけた。それと同時に「うぐっ」という、更に汚い声を漏らす。

「私は別に、何もしてないじゃない。母さんに少しでも手を触れた?」

「いやっ……いやぁあっ! カズくんっ! カズくんっ!」

 カズくん。山本和義。それは妹の彼氏の名前。

 高校二年生の、サッカー部に所属している、雰囲気は大人しめで礼儀正しい、男前な男子。

 妹は、容姿が良いという訳では無い。成績だって、中の下で、私の遥か下。確かに明るい性格をしているが、決して社交的という訳でも無いと思う。

 それなのにコイツは、中学生の分際で彼氏が居る。週に一度は彼氏を家へと招きいれ、母親と妹とで談話をしていた。

 その間私は、三人の笑い声を聞きながら、自分の部屋で勉強をしているフリをしていた。

 何故、コイツはこんなに恵まれているのだろうか。

 何故、私はこんなに恵まれていないのだろうか。

 何故。

 そう思うと、許せなくなった。

「アンタ、私を見てて何を感じてた?」

「やだぁっ! 来ないで! 嫌だよぉっ!」

「聞いてるの。何を感じてたの?」

「怖いよぉっ! カズくっ……うっ……かはっ……」

 妹は恐怖を、表情と声で表していた。

 確かに、映画やドラマでは、ヒロインが恐怖に怯えた時、引きつった表情を作り、ヒステリックな声を発する。しかしそれは、本物の恐怖ではない事を、私は知っていた。本当に恐ろしい時は、声を発さない。息をする時に漏れる「ひっ」という音と、小便と、ただただ震える体。それだけしか、無くなってしまう。少し前に、私自身が体験した事だから、それが真実だと知っている。

 妹は、私という外観を見ているから、心のどこかで安心しているに違いない。だから私は、妹の気管を火傷させた。

「あっ……あっ……くる……し……」

 妹は両手で喉をおさえ、ガクッと膝をついた。

 目からは大量の涙を流す。

「おね……ちゃん……くるしい……くる……」

 妹が息をするたび「ひゅう」という音が私の耳に届く。

「ねぇ、私を見て、何を感じてたの?」

 私は妹の前でしゃがみこみ、頭にポンと手を置いた。

「教えてくれないかな」

「はっ……あ……私……お姉ちゃんの事……き」

「え? 何?」

「好き……だから……けい……さつにも……言わない……から」

 私は母親へと視線を移し、イメージの中で心臓を鷲掴みにする。すると母親は、一瞬だけ汚い叫び声を上げて、足と手をビクンビクンと跳ね上がらせた。

 妹は母親のその姿を見て、小さく「あ……」と声を漏らす。震える左手を前に伸ばし、目を大きく見開き、大量に涙を流した。

「好き? 何言ってんの。そんな事聞いてない」

「はっ……はっ……! ほっ……ホントにぃ! ホント……だからっ! やめてっ……!」

「やめるって、何を?」

 私は、より強く心臓を掴む。すると母親は、激しく痙攣するのをやめ、小さく、小刻みに体を震わせた。

 声は、もう聞こえてこない。

「かっ……母さん……っ! あぁぁっ……」

「嘘なんでしょ?」

「はっ……はっ……」

 妹は、私の目を見た。

 私も、妹の目を見た。

「私の事が好きなんて、嘘なんでしょ?」


 親も、妹も。クラスの皆も、学校の先生も。

 私に興味なんか無い。

 死を間近に感じるようになったここ最近、その事を急激に理解してしまった。

 つまり私は、これから二年三ヶ月、生きたとしても、死の直前まで、誰からも興味を持たれる事なんて、無かったのだろう。

 いや、もしかしたら、たとえ死んだとしても、興味を持たれないかも知れない。

 だって、ローラに見せられていた誰かの死に対して、私自身が、親身になれていなかったから。人は、誰かの死に対してすら、無関心だって事は、自分自身で、証明済みだ。

 それでも「生きていたい」って。そう願っていたような気がする。何故だろう。

 いつか誰かに興味を持たれて、理解される事を望んでいたのだろうか。

 ……きっと、そうなんだろう。

 私は、寂しかったんだ。嘘でもいいから、興味を持って欲しかった。構って欲しかった。

 ローラは、私に言った「本当に詰まらない人間」と。詰まらない人間に、興味を持つ人間なんて、居るハズが無い。だけど、どんなに努力しても、私は、詰まらない人間。どうすればいいのか、私には分からない。

 だから、私以上に詰まらない人間である筈なのに、何故か恵まれているこの子を妬んでいる。

 私が持っていないものを持っている妹が、どうやら私は、嫌いらしい。

「もぉ、いいや」

 私はため息交じりに落胆の表情を浮かべながら、妹の頭から手をどけた。

「え……」

「死んじゃえ」

 私のその声と同時に妹の瞳は光を失い、ゴトッという音を立ててフローリングに頭を落とした。


 私は携帯電話……いわゆるスマホを持った事がない。特にこれと言って必要が無かったから。

 だけど、何故、妹には与えて私には与えなかったのだろうと、いつも疑問に思っていた。いや、疑問というより、やはりこれも嫉妬なのだろう。愛されている妹に、腹を立てていた。

「……さって」

 私は妹のジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。使った事が無いので操作に戸惑う。

「カズ……カズくん……と」

 私は独り言をつぶやきながらアプリを開き、メッセージ送信画面を開く。

「あ、あった」

 カズくんという名前の後に、ハートマークがつけられている。なんて分かりやすい愛情表現だろうか。

「さぁて、どうやっておびき出そうかな」

 私の独り言は続いた。


 家のチャイムが鳴り、私はいそいそと玄関へと向かう。扉を開いたら、そこには妹の彼氏であるカズくんが立っていた。てっきり妹が出てくるものだと思っていたらしく、少し驚いているようだ。

「あ、お姉さんですよね、真美の」

「えぇ。あ、真美に用事?」

「まぁ、はい。急に会いたいってメールが来まして」

 私はクスッと笑った。

「確か貴方のほうが年上よね? どうして敬語なの?」

「あ、はい。そうでした……」

 私は再び笑う。

「だから、敬語じゃなくていいってば。今ちょっと真美は家に居ないんだけど」

 私がそう言うと、カズくんは驚いたように「え?」という声を漏らした。それはそうだろう。呼び出した当人が居ないなんて、そんな馬鹿な話、あってたまるか。

「え……参ったな、部活抜け出して来たのに」

「良かったら、上がって待ってて? すぐに戻ると思うから」

 私は玄関のドアを大きく開け、彼を招き入れた。

 あはは、地獄へようこそ。と、私は心の中で笑う。

「あ、そう……だね。待たせてもらうよ」

 彼は少し戸惑いながらもドアをくぐり、ゆっくりと靴を脱いでいる。

「リビング散らかってるから、真美の部屋に居てくれる?」

 これが終わったら、明日は学校だ。

「え? あ、はい」

 その次は国会議事堂か?

「また敬語っ。私って年上に見える?」

 その次はホワイトハウスだろうか。

「え? なんて言うか……」

 とにかく、寂しい思いのまま、死にたくは無い。

「なんだか、落ち着いてますよね、雰囲気が」

 知らしめてやりたい。この世界に、私の存在を。

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