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悪魔 ①

挿絵(By みてみん)

 いつだかに知り合った、背が低いくせに体格が良く、整った顔立ちのイケメン男から教えてもらった方法を試してみようと思い、俺は大量の粗塩と、鉄で出来た十字架、そしてとても長い鉄の鎖を購入し、カーテンが締め切られた薄暗く渇いた部屋の中で椅子に縛り付けられている彼女の前に立ち、向き合った。

「何……するの?」

 彼女のその台詞を無視し、俺は部屋のあちこちに設置しておいたロウソクに火を付けて、部屋の電気を消した。オレンジ色の光が彼女の顔を照らし、影を作らせる。

 その影の作り方によって悪魔に取り憑かれているかどうかが分かると言われたのだが、正直、ほぼ素人の俺には普段との違いが分からない。

 次に俺は彼女を中心に山盛りの塩を撒いていく。これが彼女の中に巣食う悪魔を閉じ込めるサークルとなるらしい。このサークルを作っておかないと悪魔は犬にでも猫にでも憑依をし、彼女の体から追い出した俺を、必ず殺しにくると言われた。だから塩は、必ず事前に撒けと言われている。

 そこまでの作業を終わらせた俺は部屋を出て、洗面所へ向かってバケツを取り出し、その中へと水を貯める。

 バケツに水が貯まる音を聞きながら洗面所にある鏡へと視線を向けると、とても切羽詰った表情をした俺の顔が見えた。

「大丈夫……」

 病院も教会も「お気の毒ですが」と匙を投げた彼女を救えるのは、俺だけ。俺がやらなくてはいけない。

 そう思い直し、俺は流れる水を手ですくい、顔にあて、気合を込めた。


 バケツを持って、彼女を縛り付けている部屋へと戻る。すると彼女は「怖いよっ! なんなのっ!」という、不安とも恐怖とも、そして怒りとも取れる声を俺へとぶつけてきた。

 その声に反応し、俺は彼女の顔へと視線を向ける。すると彼女の顔は、笑っていた。

 口の両端がグイと引き上げられ、目をこれ以上ないほどにひん剥き、まるで俺の事を馬鹿にしているかのような表情で、笑っているように、見える。普段の彼女とはまるで別人。今の彼女はまさしく悪魔。

 全身の毛が逆立ち、心から恐怖と弱気が湧き出てくるのを感じる。足はわずかに震えだし、逃げ出したくなる。その思いを押さえ込もうと、自身の歯を食いしばった。

 俺は目をつぶり、視界を遮る。そうするとわずかに心が落ち着いていくのが分かった。そしてゆっくりと目を開き、再び彼女の顔を見つめる。すると彼女の顔は眉毛を垂れ下げた、普段の彼女のモノへと戻っていた。俺はその現象に驚き、頭を二度振り、もう一度目を閉じて、彼女の顔を見つめる。

 しかし彼女の表情は、もう変わる事は無い。普段通りの、俺に対して怯えている、彼女の顔そのままだった。


 バケツの中の水に、祈りを込める。次にその中に十字架を入れ、塩を少量入れる。そしてまた、祈りを込めた。どうやらこれで、聖水の出来上がりらしい。

 教会に行けば聖水を分けてはくれるのだが、ほんの少量だ。だから俺は聖水の作り方を教えてくれた男に「そんな事で聖水が出来るなら苦労は無い」と突っかかったのだが、ネットで調べたら同じような方法で精製したと書き込まれていたのを発見した。何に使ったかは、不明であったが……。

 俺はバケツを手に持ち、彼女の前に立つ。彼女は俺の顔を見て、今までにないほどに、表情を強張らせた。

「おねがいぃ……殺さないでぇっ」

 俺はその言葉を無視し、バケツへと手を入れ、聖水を彼女の顔にかける。

 すると直ぐ様、彼女の顔から白い煙が立ち、ジュワァという音と共に、まるで皮膚が焦げたかのようなニオイが彼女から漂っていた。とはいえ、皮膚がただれたりはせず、見た目に変化はない。

「うぎゃああぁぁっ!」

 本当に聖水が出来ている……と、俺は少し、関心した。

「貴様ぁっ! 誰の入知恵だっ! 何故用意周到に準備をしているっ!」

「うるせーんだよ」

 彼女の怒りに満ちた表情に対して、俺は嘲笑を向ける。

「その体から出ていけ、汚れた魂を持つ、醜悪な悪魔め」

 俺はバケツの中に再び手を入れ、彼女の顔に聖水を浴びせた。彼女は大きな声を上げ、苦しんだ。

 首を高速にブンブンと振り、もがいている。口からはとても粘度の高いヨダレを、大量に垂らしていた。


 そのような行為が数時間ほど続き、俺は疲れたので椅子に座り込む。そしてグッタリとうなだれている彼女に憑依している悪魔に視線を向け、お茶を一口飲んだ。

「うっ……うっ……ふふっ……ふふふふふっ」

 苦しんでいた筈の彼女は小さく肩を上下に揺らし、笑い声を上げ始める。

 悪魔は嘘をつき、騙し、掻き乱し、貶める。故に出来る限り悪魔とは会話をするな。と言われているので、俺はその様子をただ眺め、椅子へと体をもたれかける。

 ふと、ロウソクへと視線を向けると、そろそろ全て溶けてしまいそうに見え、俺は疲れた体に鞭を打ち、再び立ち上がって新しいロウソクを取り出し、設置しなおす。

「俺が苦しむという事は、中の女も一緒に苦しんでいるという事なんだぞ。それなのに良くもまぁ、こんな事が出来るもんだ」

 悪魔の言葉を無視しながら、俺は全てのロウソクを点け直した。そして再び椅子へと座り直し、お茶を飲んで、背もたれへと体重の全てを預ける。

「俺とこの女はなぁ、同じ体を共有しているだけじゃないんだよ。魂すらも混ざり合って、ひとつの存在になってんだ。俺の叫びは女の叫び。いいやむしろ、俺より女のほうが遥かに弱い。俺以上の苦しみを味わっているぞ」

 俺は悪魔の言葉を、無視する。

「……なぁ、普通の人間が悪魔に取り憑かれると思うか? 悪魔はな、罪人にしか取り憑かねぇ。いや、取り憑けねぇんだよ」

 俺は立ち上がるも、悪魔の言葉を無視する。

「罪ってのは、もちろん悪魔召喚だ。地獄の門っつうのは、悪魔には開けないもんでねぇ。呼んで貰ってでしかこっちの世界にこれねぇんだよ。知ってっか? この女がどういった理由で悪魔を召喚したか」

 俺は聖水の入ったバケツを手に持ちつつも、悪魔の言葉を無視する。

「おめぇーみたいなクソ野郎に付き纏われて迷惑してっから、お前をメチャクチャにして欲しかったんだとよ。馬鹿な女だ。魔と触れ合った者は全員地獄に落ちるっつーのになぁ。悪魔に付き合う事自体が罪だって事を知らなかったらしい」

 俺は悪魔の顔に自分の顔を近づけ、睨みつけるも、悪魔の言葉を無視する。

 悪魔は俺の目をまっすぐ見つめ、俺を逆上させるような嫌らしい笑みを浮かべ、大きく口を開いた。

「っつー訳でお前もこの女も死んだら地獄行きだ! 地獄の先輩として可愛がってやっから楽しみにしておけ! 地獄はお前が思っているより、遥かに恐ろしい所だぞ! この世で味わえる痛みや恐怖なんか」

「うるせぇっ!」

 俺はバケツを彼女の頭の上でひっくり返し、中に入っている聖水を全て彼女の体にかけた。

「うがあっ! うぎゃああっ!」

 彼女の全身から気化した聖水が白い湯気となって大量に放出される。

 まるで腐った生ゴミに灯油を掛けて火を点けたようなニオイがこの部屋全体に充満し、あまりの異臭と湯気に俺は思わず部屋の窓を開けて、新鮮な空気を取り入れた。

 俺は窓の外に頭を出し、外の冷たい空気に触れながら、深呼吸する。

「うげえっ……! うえぇっ!」

 俺は息をする度に、嗚咽のような声が漏れた。湯気のような、煙のようなものが目に染みるのか、涙が流れ出ていた。


 洗面所で新しく聖水を作り、彼女の居る部屋へと戻る。すると彼女の体は小刻みに震えており「あっあっあっ」という、うめき声とも喘ぎ声とも取れるような言葉を発していた。

「あっあっ怖いよぉ……痛いよぉ……ストーカーさん、あっ……あっあっどうしてこんな事するのぉ? ねぇ、あっあっあっあっ……私なんでもするから、お家に帰してぇっ」

 俯けている顔を力なく上げ、上目遣いで俺の顔を見つめる。

 俺に退魔の儀式を教えてくれた男は言っていた。悪魔はどんな手を使ってでも難を逃れようとする……と。つまり今は彼女の人格を利用して、俺の情へと訴えかけている状態だ。騙されてはいけない。惑わされてはいけない。彼女の中の悪魔を、取り払わなければ。

 俺は彼女の近くにバケツを置き、塩の入った袋を拾い上げ、彼女の口をこじ開け、大量に詰める。

「んーっ! げほっ……! げほっ!」

 吐き出されようが気にしてはいられない。何度でも何度でも、塩を詰め直す。

「くるじぃっ……! からいっ……! 何するのぉっ!」

「だまれっ」

「いや……だよぉ……帰してっお家にかえしてぇっ……ここどこなのっ? なんでこんな事するのっ?」

「だまれよっ」

 俺は彼女の口いっぱいに塩を詰め込み、そこにテープを巻く。悪魔の侵入経路は口。そして脱出経路も口らしい。そこに塩を入れられるというのは、悪魔にとって地獄の苦しみだと、教わった。

 その上で、聖水に浸した長い鉄の鎖を彼女の体へと巻きつけていく。

「んむぅーっ! むうぅぅーっ! うぅうー!」

 悪魔や悪霊にとって鉄というのは、触れただけで火傷をするほどに苦手なものらしい。結界を引くために作られた鉄道路線があるという都市伝説が流れるほどに、鉄というのは魔に対して強力だ。

「んぐうぅーっ! んぐぅーっ!」

 彼女の体は暴れ出した。今までで一番苦しんでいるかのように見える。

 体を激しく動かし、椅子を倒してもがく。口のテープを剥がそうと、顔を地面にこすりつけている。

 塩の輪から逃げ出そうとしているのか、モゾモゾと移動している。しかし塩の垣根に触れると同時にジュワという音が鳴り、彼女は体をビクンと跳ねらせ、塩から離れていく。

 俺はそんな彼女の頭へと、聖水をゆっくりと垂らした。白い湯気が彼女の頭から立ち上り、彼女の体は更に暴れる。

「……ふはっ」

 彼女の動きに、思わず笑みがこぼれ、笑い声が漏れてきた。

「どうだ悪魔。苦しいか? 苦しいだろ。早くその体から出ていけよ。出ていけるもんなら出て行けよ」

 俺は彼女の服をひん剥き、そこに聖水を垂らす。すると白い湯気が立ち上る。彼女の体がビクンビクンと跳ねる。俺は再び「ふはっ」と笑う。

 楽しい。心が昂ぶっている感じる……俺は退魔に向いているのかも知れない。


 しばらく後、彼女の反応が徐々に薄くなっていった頃。深夜だと言うのにこの部屋のチャイムを鳴らす音が聞こえてくる。

 もしかして、彼女の悲鳴や俺の声を聞き、近隣住民が警察に届け出たのでは……という不安が俺を襲い、俺は恐る恐る玄関へと向かい、のぞき穴を見つめた。

 するとそこには、俺にこの退魔の儀式を教えてくれた背の小さい男と、その男と同じくらいの身長の、右目に眼帯をしている綺麗な女性が、立っていた。

 俺は反射的に部屋の鍵を開け、扉を開き、その男の顔を見つめる。まるで救世主が到着したかのような、気持ちになっていた。

「どうして俺の部屋が分かった?」

 俺がそう言うとほぼ同時に男は扉を手で押さえ、首をクイッと動かし連れていた女性を部屋の中へ入るように促した。

「別に、アンタの部屋が分かった訳じゃないよ。僕が分かってるのは、ここで悪魔が苦しんでいるっていう事だけ」

「なんで、そんな事が分かるんだ……?」

「ユキちゃん……あの女性の右目がさ、悪魔の卵になってて……まぁ説明が難しいんだけど、悪魔が苦しんでたら疼くらしいんだよね」

 そう言いながら男も部屋の中へと足早に入っていき、彼女を監禁している部屋の奥へと向かっていく。

 その淡々とした作業に少々呆気にとられるも、俺は仕方なくその後ろについていく。すると女性の「もうダメだよ」という声が聞こえてきた。

 もうダメ……とは、一体どういう意味なのだろうか? そんな疑問が脳内で産まれるも、二人の会話が続いていく。

「……そっか。この町の神父さんも投げ出してたしね。しょうが無いのかも」

「そうだけどっ……! なんでこの儀式をあの男に教えたの? アイツ、ハルちゃんのストーカーなんでしょ? 度を越して儀式をするって、思わなかった?」

「ごめん……僕のせいだね」

「ケイくんのせいとは言わないけどっ……年端もいかない女の子が死んだって事は、忘れないで」

 死んだ……と、言ったのか? 女の子は、彼女は、死んだと? 動きが鈍いとは言え、まだ動いている。それなのに、彼女はもう死んでいる?

 訳が分からない。どういう意味なのだ……?


 男は彼女の口からテープを剥がし、彼女の背中を激しく叩きながら、塩を吐かせた。血が含まれた塩は彼女の体内から大量に、吐き出されていく。

 彼女はゲホゲホと咳をしながらも、男と女の顔を交互に見つめ「やはりっ……ハンター様の入り知恵だったか」という、憎しみに満ちたかのような声を上げた。

「ふっ……ふふふふ……何故素人に、退魔の儀式なんかさせるかねぇ? 女、死んだぞ」

「……お前も死ねよ」

「殺せるものなら、殺してみな」

 彼女は大きな声で「ふははははは!」と、高笑いを上げた。

 延々と延々と、男と女の顔を見上げながら、高笑いを上げ続けた。

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