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魂のクオリア追加 最終章での水樹のピアノ演奏曲

掲載日:2016/03/23

「ショパン生誕200周年記念コンサート、ただいまを持って始めさせて頂きます。

 それでは簡単ではありますがショパンの人生の紹介をさせて頂きます。

 フレデリック・ショパンは1810年に生まれ、わずか39歳と短い生涯を終えた天才ピアニストでございます。そのうち241曲もの作曲に入り、ほとんどがピアノ曲となっております。

 彼は故郷を愛し、20歳の頃から祖国ポーランドを離れてもマズルカ、ポロネーズといわれるポーランドの舞踊の曲を作り続けました。

 ショパンの名言にポロネーズに始まりマズルカで終わる、という言葉があります。これは7歳の頃にショパンはポロネーズを作曲し、マズルカを絶筆させこの世を立つことから来ています。

 本日の演奏はピアノ協奏曲『第一番』の前に独奏が入ります。演奏者は観音寺水樹、第16回ショパン国際ピアノコンクール一位を取得しました若き天才でございます。

 幼少の頃からショパンを愛した水樹君は同じく第12回ショパン国際ピアノコンクール2位を取得しました母・焔さんの指導を受けてピアニストとしてこの舞台を熱望していました。

 観音寺焔は全日本交響楽団、名誉常任指揮者の肩書きを持つ父・海と共に惜しくも交通事故でこの世を去っております。

 この観音寺海こそが、ショパン生誕190周年記念コンサートで指揮を振るったのでございます。そして今回の生誕200周年記念コンサートでは水樹君の兄・火蓮君が指揮を執ります。

 きっとご両親は天国から暖かい目でご覧になっているかと思います。

 どうぞ皆さん、ご兄弟、いえご家族の演奏を心ゆくまで堪能して下さい。

 それではご登場頂きます。観音寺水樹君、前にどうぞ」

 水樹はスタッフに促されて前に進んだ。

 いよいよ本番だ。もちろん、覚悟はできてる。

 今日の演奏のためにオレは水樹になったのだから。

「では曲の発表に移らせてもらいます。

 観音寺水樹、独奏11曲。

 一、ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53『英雄ポロネーズ』

 二、ノクターン(夜想曲) 第二十番 嬰ハ短調(遺作)『レント・コン・グラン・エスプレッショーネ』

 三、エチュード(練習曲) 作品12番 ハ短調『革命』

 四、即興曲 第4番 嬰ハ短調 作品66『幻想即興曲』

 五、ワルツ 変イ長調 作品69ー1『別れのワルツ』

 六、スケルツォ 第二番 変ロ短調 作品31

 七、プレリュード(前奏曲)15番『雨だれ』

 八、船歌バルカローレ

 九、バラード 第三番 変イ長調 作品47

 十、マズルカ 第49番ヘ短調 作品68ー4(絶筆)

 十一、ピアノソナタ 第二番 変ロ短調 作品35第三楽章『葬送行進曲』

 以上の十一作品を順に演奏します。

 曲順は水樹君が考案したものでございます。先程の説明で申し上げた通り、ショパンの人生に沿って曲順を選考されております。ポロネーズから始め、マズルカで綴り、その後ショパンの追悼を述べるピアノソナタで締めくくらせて頂きます。

 特に『バラード第三番』はコンクールでも非常に評価が高く、水の中に入り込むような感覚を味わうことができると思います。是非、皆様ご注目下さいませ」


一、英雄ポロネーズ


 勇壮で輝かしく、力強いエネルギーに満ちているこの曲はポロネーズの中でも頂点に立つものだ。

 …これを初めて弾いたのは16歳の頃だった。

 水樹は懐かしむように風花との思い出を巡った。

 記憶はなかったが幸せだった。彼女と出会えたことでピアノを弾く素晴しさを知った。彼女と出会えたことで、人をこんなにも愛せることを知った。

 …この思いは決して無駄にはしない―――。

 中間部に入り左手に勢いをつけて弾いた。下降するオクターブの連続は戦士が顔を上げ勇ましく行進する姿を表しているようだ。最後は和音で時を止めるように閉めくくった。

 

 二、レント・コン・グラン・エスプレッショーネ


 繰り返される四小節の序奏の後、嬰ハ短調で孤独なモノローグが奏でられていく。まるでショパンの甘く哀愁に満ちた純粋な恋心を表しているようだ。

 …なぜ私が協奏曲『第二番』を演奏したか、わかりますか?

 不意にヤン・ミンの顔が浮かんだ。どうして彼女が脳裏を過ぎるのかはわからなかったが、それもすぐに消えていった。

 …この曲は風花に届いているだろうか?

 彼女とはもう愛を語り合うことはできない。この気持ちはピアノの音でしか表すことができないのだ。

 水樹は最後の最後までピアニッシモを貫き、風花への思いを表して曲を終えた。


 三、革命


 大きく体を動かし、左手で低音の淀みないメロディを作る。イメージは容易だ。母さんの激しいピアノを想像すればいいだけなのだから。

 右手はメロディに合わせて噛み締めるように音を鳴らした。まるで銃で打ち合っているかのようにだ。

 …もっと強く、もっと激しく。

 火蓮と入れ替わって指揮を行った時、水樹の脳裏にはこの曲が浮かんでいた。大胆で情熱的でそれ以上に悪意を掻き立てる。

 …悪意を持っていたのは自分だった。

 水樹は改めて思い直した。火蓮ではなく自分こそが指揮者だと心が震えていたのだ。あの時からすでに始まっていた。魂が火蓮として生きることを選択していた。

 自分の指が別の生き物のように鍵盤を這いずり回っている。左手は百獣の王に登場したハイエナのように鍵盤を一つ一つ貪り、右手からは父親ライオンが悲痛な叫びを上げるように鳴り響かせた。終幕には少年ライオンが絶望を叫ぶように両手で和音を刻んだ。


 四、幻想即興曲


 両手のリズムの違いが美しい幻想的な霧を作り出していく。メロディを重ねる毎にその霧は濃くなる。このストーンウェイだからこそ甘美な誘惑を作り出すことができると確信する。

 …オレは元々ストーンウェイを弾いていた。

 風花の家にあったビデオを思い返す。彼女はきっと過去を隠蔽し改変することで今の自分を作り上げたに違いない。

 なぜか?

 元の水樹に戻すためだ。

 事故当時のオレはきっとピアノを弾かずヴァイオリンに向かったのだろう。それが本来の姿だからだ。

 …やはりこの体こそ幻想だった。

 火蓮の体に入った時の充足感を思い出す。この体よりも共通点が多く彼の体こそ自分の体だと魂が証明していた。今まで培ってきたものは全て一瞬で崩れ去ってしまったのだ。

 果たして火蓮として生きる頃には、今の価値観はどうなっているのだろうか?オレのクオリアはどうなっているのだろうか?

 二つの人格をまどろみながら、水樹は曲の終わりを告げることにした。

 

 五、別れのワルツ


 優しい風が頬を撫でるように、穏やかな流れから曲が始まっていく。水樹は波に揺られるように徐々にテンポを上げていき波紋を広げていった。

 タイトルは別れをさしているが、やはりこれは告白を表しているように可憐だ。

 …ショパンのようにオレも暖かく彼女を見守ろう。

 これからは火蓮として兄の立場として風花と付き合っていかなければならない。本来の姿に戻るだけのことだ。これでいい。

 静かに恋人へ語りかけ、ハーブの弦を触るように曲を終えた。


 六、スケルツォ第二番


 仄かな情熱を感じさせながらも論理的な作りになっているこの曲は新たな恋を感じさせる。自分にとっては火蓮として生きる未来が待っており、そのキーポイントになっているのは美月だろう。

 …オレが火蓮として戻った時、彼女にはどのように対応したらいいのだろう?

 この独奏が終われば美月とも面と向かうことになる。その時にはどういった態度をとればいいのだろう。それはまだわからない。わかるはずがない。

 …だけど美月には誠意を持って接したい。

 自分の思考を余所に曲は終盤に差し掛かった。最後の締めは考える暇もないくらい激しい和音がくる。

 頭を空にして、ショパンの気持ちを代弁するように和音を叩き付けて締めくくった。

 

 七、雨だれのプレリュード

 

 一貫して淡々と規則正しく奏でられるメロディはまさしく雨そのものだ。病気で研ぎ澄まされたショパンの心が現れるように深い水の底へと雫を垂らしていく。

 優しいメロディの中にショパンの葛藤が含まれており、鍵盤を叩く度に心が押しつぶされそうになる。

 …負けたくない。自分自身に負けたくない。最後のワンフレーズまで自分の意識で指を動かしたい。

 光が見えなくても前に進まなければならない。それがオレの使命なのだから。

 完走すると心の中にも優しい雨が降り始めていた。

 全ての雨を一箇所に溜め込むように、水樹はそっと鍵盤に指を落とした。

 

 八、舟歌


 雨だれを受け継いだ雫はいつしか海へと運ばれていく。流れるメロディは波となり、一つの舟を目的地へと運ばせるようだ。

 繰り返される音の振動と共に―――。

 …父さんが好きだった曲だ。

 水樹はリビングにあったビデオを思い返した。ビデオの中では焔が弾いており、それを海がソファに寝転がって眺めていた。

 父親はいつも火蓮に付きっ切りで、二人でよくヴァイオリンを鳴らしていた。対して母親は水樹にだ。その映像を見る度に憂鬱になっていた。家族全員が音楽を愛しているのに、一つになった所は見たことがない。

 …父さん。オレはこれから父さんと同じ道を進むことになるかもしれない。

 その時は、オレに力を貸してくれ。

 揺れるリズムに体を乗せて息の長い旋律を響かせた。次第にメロディは落ち着いていき、心の中では一隻の船が波の上でゆらゆらと揺らいでいた。

 

 九、バラード第三番

 

 一滴の雫が泉の中に零れ落ち、無音の波紋が広がっていく。ホールに静寂をもたらすのはやはりこの曲だ。会場を海の底にどっぷりと引きずり込んでやろう。

 …ようやくだ。ようやく海の底に潜れる。

 メロディを奏でるに従っていつしかホールは水の中に潜り込んでいく。無音の中に煌く音符は様々な青に染まっている。薄い水甕色から、中間色の縹色、濃い紺色まで様々な青色を見せてくれる。

 水の精が踊っているかのようなメロディの繰り返しは心を穏やかにしていく。自分の耳からは聞こえないが想像の上でも音が鳴るくらいは練習している。

 …オレは諦めない。たとえ火蓮に戻ってもピアノを諦めない。この曲だけはずっと弾いていたいんだ。

 漣が潮の満ち干きによって徐々に大きくなっていくように、ゆったりとテンポを上げていく。波飛沫が飛び散るかのように、自分の指は高音の鍵盤から低音の鍵盤へと移動する。

波が強くなり最高潮に達した時、ふっと息を抜く。後は波の動きに合わせてゆっくりとテンポを落としていくだけだ。

 …水樹になってこの曲に出会えて幸せだった。本当に。これで一度はお別れだ。

 一つの物語を閉じるかのように最後は三回の和音に心を込めた。

 

 十、マズルカ第49番


 微妙な陰影を放ち仄暗いメロディへと移り変わっていくこのメロディは、ショパン最後の執筆となり完成できなかった作品だ。

 寂しげで沈んだ前半部分はショパン自身が過去を回想しているようだ。師匠であるジェヴェンツキの手紙が脳裏を過ぎる。

 …先生。オレはショパンと同じく短命なんです。だけどそのことに関しては何も後悔していません。ただ今までのピアノが全て泡になってしまうのが怖いんです。

 自分の過去を遡り、再びショパンの気持ちを考える。

 彼にとって今までの道のりは納得のいくものだったのだろうか?それとも深く絶望しながら逝ってしまったのだろうか?

 祖国を愛したショパンが最後にマズルカを書いたということがどちらにもとれた。演奏しながら不思議な感覚に陥っていく。転調が多く明るくなったり暗くなったりと不安定なメロディのせいかもしれない。

 最後の主題に入った時、報われるような穏やかな気持ちが自分の体を覆った。目を閉じてショパンの声に耳を傾ける。今ならショパンの気持ちがわかる気がする。

 …彼は最後まで自分の使命を果たしてこの世を去ったのだ。ポーランドの音楽家としての革命を果たすためにピアノに人生を掛け、最後の最後までピアノ曲を考えたのだ。それはやはり納得のいく道のりだったのだろうと確信する。

 …オレ自身にも悔いはない。元の自分に還るだけなのだ。ショパンに出会えたという、別の人生を味わうことができた。それでいい。

 一つの答えを導き、水樹は陰影な雰囲気を残しつつ、曲を終えた。


 十一、葬送行進曲

 

 …いよいよ最後の曲だ。

 水樹は力を振り絞って鍵盤を叩いた。この世の別れは命が尽きる時だけじゃない。だけどそれが運命なのだ。劇で見たヒヒの言葉が再び蘇る。


「過去から逃げず使命を全うする」


 今の水樹を支えるには充分の言葉だった。

 …風花。君は兄さんを選ぶことになるだろう。

 だけどそれでいい。

 近くで見守ることはできないけど、何かあればオレがいる。

 火蓮として君を守ることをここに誓うよ。

 深い闇をピアノから零していく。薄暗い低音が鐘を鳴らしているかのように響いていく。最後まで暗い雰囲気を引きずり、そのまま消え去るようにして終幕を降ろした。

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