クレディアの怪我
「……すげえ……」
クレディアとヴァンのぶつかり合いを見ていた生徒たちはそれぞれに、ため息にも似た感嘆の声を洩らした。
「ヴァンさんも負けてない……!」
二人は右腕と両足だけで戦っていた。どちらも引けを取らず、闘志をみなぎらせながら戦いあい、その気迫は周りにいる生徒たちにも充分伝わっていた。爆発するような空気の弾けた波が次々に襲うので、次第に後ずさりをする生徒もいた。
「ふふ。なかなかやるな!」
クレディアは唇の端を少し上げて笑った。
「まだまだですよ!」
「そう謙遜するな」
クレディアが逆立ちをするように右腕を軸に立ち、身体を一回転させた時、ヴァンの目が光った。
「くっ!」
ヴァンはクレディアの軸となっている右手を蹴り上げた。
「うっ!」
体勢が崩れたクレディアに向かってなおもヴァンが攻撃を仕掛けたので、彼女は咄嗟に左腕を上げガードをした。
「うぁっ!」
左腕の衝撃に思わず出した小さなうめき声を消すかのように、クレディアはヴァンの鼻先に素早い蹴りを見せた。
「「……」」
一瞬、場の空気が止まった。
「ヴァンさん……?」
イースの呟きに、クレディアの足がヴァンの顔の前からゆっくりと下りて、二人の緊張が解かれた。同時に、見守っていた生徒たちの息が戻った。
クレディアはヴァンをじっと見つめた後、他の生徒たちに視線を向けた。
「よろしい。次!」
クレディアの冷淡な言葉に、凄惨な戦いを見せられたばかりの生徒たちの中から、手を挙げるものはいなかった。ヴァンは
「じゃあこれで今日の授業は終わりだ。後は各自、身体を動かしておけ」
と平静の様子で去っていくクレディアの背中を、じっと見つめていた。その頬に、一筋の冷や汗が流れていた。
「ヴァンさん、大丈夫ですか?」
心配げに駆け寄ったイースに、我に返ったように微笑んだヴァンは、そっと拳を挙げてみせた。
「くそっ!」
医務室に入ったクレディアは、ミランに手当てをされながら舌打ちをした。ヴァンの攻撃を受けた左腕が、再び赤く腫れあがっている。
「だから無理するなって言ってるだろう!あんたの腕はねえ――」
「あいつ、分かっててやりやがった!あの時……私の左腕を蹴るあいつの足に、力なんて入ってなかったんだ」
「クレディア……?」
ミランが見つめる前で、クレディアは悔しい表情を見せていた。ミランはひとつ息を吐き、手当てを再開しながら
「隠し通せると思ってるのかい?」
と、呆れた声を出した。その途端、クレディアは黙って視線をそらした。
「クレディア教官、ちょっといいですか?」
教官室で書類に目を通していたクレディアを尋ねたのは、ヴァンだった。クレディアはちらりと視線を送り、小さく息を吐いた後、書類を机の上にそっと置いた。
「なんだ?」
椅子に座ったまま視線を送るクレディアに、ヴァンは少し躊躇しながら視線を泳がせた。
「何か用があったんだろ?」
静かに言うクレディアに、ヴァンはとうとう意を決したように口を開いた。
「クレディア教官、その……左腕の……怪我は、僕のせいじゃ――」
「違う」
ヴァンの言葉を遮って、クレディアは机に視線を落とした。
「勘違いするな。お前が気にすることじゃない」
「でも!きっとあの時……幻獣から守ってくれた時に、負った怪我なんでしょう?」
「違う。これは、私が勝手に……!ぐっ!」
クレディアの言葉は、素早く近づいたヴァンに握られた左腕の激痛によって遮断された。
「うぅっ!何をするっ!」
今度は右腕も握られ、向かい合わされたクレディアは、ヴァンを睨み付けた。冷や汗が頬を伝い、痛みが脳天を貫いていた。ヴァンは真っすぐにクレディアを見つめると
「クレディア教官、正直に言ってください!僕の事が嫌いなのは分かってます。でも……意地を張らないで……本当の事を、教えてください!」
悲痛な顔で見つめるヴァンから視線を外すと、クレディアは力任せに腕を振り払って椅子から立ち上がった。そして素早くヴァンの腕を取るとねじあげ、背中に固めたまま
「いいからもう気にするな!」
と教官室から追い出した。
「クレディア教官!」
ヴァンの声も虚しく、激しく扉は閉められた。
「クレディア教官!ここを開けてください!」
扉を叩く振動とヴァンの叫びを背中に感じながら、クレディアはひとつため息をついた。そして大きく息を吸うと、静かに声を出した。
「ヴァン……私は確かにあの時負傷した。だがそれは、お前のせいじゃない。それは理解しろ。放っておけば良かったものを、勝手に飛び出した私の自業自得だ。お前は何も心配するな。それに、こんな怪我などすぐに治る」
ヴァンはじっと扉を見つめた。
「あれから数日経っているのに、そんなに動かせないほどの痛みがあるんでしょう?本当に、治るんですか?」
「……ああ。疑うなら、ミランに聞け」
「……分かりました」
ヴァンはそれ以上押し切ることが出来ず、少し俯いた後、教官室を離れていった。クレディアはその気配を感じ、左腕にそっと手を当てるとため息を吐いた。
それから数日後のことだった。
「ヴァンさん!大変!」
ヴァンは、勢いでぶつかるかのように駆け寄ってきたイースを受けとめた。
「どうしたんだよ、イース?元気なのは嬉しいけど、あまり勢いつけると転ぶぞ!」
からかい気味に言うヴァンに、イースは噛み付くように言った。
「そんなことどうでも良いんです!クレディア教官が!」
すでに、溢れだしそうに涙をためているイースに、ヴァンの表情が途端に固くなった。




