溢れだす嗚咽
学校に戻り医務室に入ったクレディアのもとに、イースが駆け寄ってきた。
「クレディア教官!ヴァンさんが目を覚ましてくれないんです!何か術を掛けられているみたいで……」
頬を震わせ、今にも泣きそうになっているイースの肩を優しく叩き
「イース、よく頑張ってここまで連れてきてくれた。後は私に任せなさい」
と優しい笑顔を見せた。そして保健医ミランに視線をやった。彼女は察したように
「ただ眠っているだけだ。どこも怪我はない」
と簡潔に答えた。クレディアは黙って頷くと、ベッドに寝かされているヴァンを見下ろした。
「よく眠っているな……人の気も知らないで……」
「クレディア教官!そんな悠長なこと言ってて良いんですか?」
イースが切ない声を上げた。クレディアは二人に振り向くと
「しばらく外にいてくれないか?ヴァンの術を解くから」
「クレディア教官……」
不安そうな表情をするイースの肩を抱いて
「もう大丈夫だ。後はクレディアに任せよう」
とミランが外へと促した。
扉が閉まると、医務室は時が止まったように静まり返った。外で訓練に励む生徒たちの声が遠く小さく聞こえる。
クレディアは一言も発せずにしばらくヴァンを見下ろしていたが、やがて少し息を止め、目を閉じて精神を集中させたあと、彼の耳元に唇を近付けた。
「チャシン・カ・ソン――」
クレディアの頬が一瞬蒼白になり、くらっと首をもたげたが、すぐに意識を戻した。そしてふうっとため息を吐きながら体を起こし、再び見下ろしたクレディアの下で、ヴァンの瞳がゆっくりと開いた。しばらくぼーっと惚けていたが、クレディアに気付くと次第に焦点が合った。
「クレディア教官……?あれ、ここは?」
ヴァンが、自分が何をしていたのかを思い出している間、クレディアは静かに椅子に座って待っていた。さっき唱えた呪文のせいで、クレディアの顔色はあまり良くなかった。それほど、意識を戻すために使った力が大きかったのだ。
「えっと……昨夜リゾーラって人に会って……クレディア教官とアスカル兄さんの事が話に出て……あ……」
ヴァンは、やっと事の全てを思い出して顔を強ばらせた。クレディアはそれを横目に見て
「リゾーラなんかについていくから」
と呆れたように言った。するとヴァンは泣きそうな顔で抗議した。
「だって、クレディア教官に聞いても教えてくれないでしょう?」
「だからって、素性も分からん奴についていくのはどうかと思うけどな!」
クレディアの口調が途端に荒れた。
「どうせ、色っぽい身体に目が眩んで、フラフラとついていったんだろ!」
「違います!僕は純粋にクレディア教官のことを知りたくて――」
ヴァンは急に大きな声を出したことで目眩を起こし、上半身だけがベッドから転がり落ちてしまった。
尻を出っ張らせてみっともない姿を見せているヴァンを冷たく見下ろし、クレディアは小さく息を吐いた。そして椅子から立ち上がり、窓辺に近づくとカーテンを開け、そこに腰を下ろして外を眺めた。外から入ってくる陽の光が、起き抜けのヴァンには眩しかった。
「私は、ただ、嬉しかったんだ……」
「え?」
「アスカルが皇室の警護に選ばれたと聞いたとき、素直に、自分の事のように嬉しかった。それは、アスカルの実力が認められたということだと思ったから。何も彼を止める理由は無かった」
「クレディア教官……」
ヴァンは、遠く思いを馳せるクレディアの、陽の光に溶けそうな横顔を見つめた。
「その当時、生徒が一時でも公務に就くことができるのは一種のステータスでもあったんだ。だから、むしろ私でなくアスカルが選ばれたことに嫉妬さえした。あの時も……」
クレディアは、ディードたち仲間と並んで、遠く小さくなっていくアスカルに手を振り続けていた光景を思い出していた。アスカルもクレディアたちも、この別れに何の不安もなく、笑顔さえ浮かんでいた。
「すぐに戻ってくると思っていた。そしてまた、もとの生活に戻れると信じていた」
クレディアは空を仰いだ。白い鳥が数羽、青い空を横切っていく。
「リゾーラに言われたよ。『あんたがアスカルを殺した』と。『アスカルを引き止めていれば、賊に襲われることもなかったし、行方不明になることもなかった』って」
クレディアは自虐的に笑った。
「考えてみれば、正論だ。いくら人数あわせで選ばれたとはいえ、危険がないわけがない。リゾーラは、そのことに気付いていた。だから、一人だけ猛反対していた。見送りにも来なかった。もしかしたら、どこかから見ていたのかもしれないが、あの時、私たちに姿を見せることはなかった。リゾーラもアスカルのことを愛していたから、余程悔しかったんだろう。私を悪者にすることで、救いが欲しかったんだろうな……」
淡々と語りながら、クレディアはまた遠く景色を眺めた。
「リゾーラはそれから卒業して行き、私は教官になってここに残った。去れば、逃げることになるような気がして」
「おかげで僕は、クレディア教官に会うことが出来た」
ヴァンの穏やかな声に振り返ると、ベッドに座りなおしている彼が優しい笑顔を見せていた。
「クレディア教官、ずっとそんなことを気にしていたんですね」
「そんなことって……!」
「この間、僕は言ったじゃないですか。『アスカル兄さんは、クレディア教官が笑顔を無くしているんじゃないかと心配していた』と」
ヴァンは極めて穏やかな口調で話した。
「あれにはまだ続きがあって、アスカル兄さんの手紙にはこうも綴ってありました。『クレディアは、僕の一番の理解者だった』と」
「く!」
クレディアは思わず口を押さえた。喉から一気に溢れだしそうになる気持ちを、必死で抑えていた。同時に、目の前のヴァンに、アスカルの姿が重なって見えた。
「アスカル兄さんは、決して、クレディア教官のことを恨んではいないし、勿論、自分を責めて欲しくなんてないと思ってます」
と、ヴァンはくったくない笑顔で笑った。クレディアは、肩を震わせながら俯いていた。
「クレディア教官、もう苦しまなくていいんですよ」
「あ…………ぁ」
その言葉に、とうとうクレディアの体は崩れ落ちた。
とめどない涙と嗚咽が、静かな医務室に響き渡った。ヴァンはベッドから下りると跪き、クレディアの肩をそっと抱き締めた。震える小さな肩は、ヴァンに預けるように軽い重さを伝えた。ヴァンは何も言わずに、静かに泣き続けるクレディアを抱き締めていた。




