クレディアの苦悩
「クレディアを追いかけなかったのね」
リゾーラは、静かにヴァンを振り向いた。
彼は少し息を荒げながら、リゾーラから少し離れたところに立っていた。その様子を見てクスリと笑ったリゾーラは
「それにしても、よく私のスピードについてこれたわね、なかなかやるじゃない。これでも、まだ体がなまっているとは思っていなかったけれど」
と微笑んだ。ヴァンは
「まだあなたに心を許したわけじゃありません。ただ僕は、クレディア教官のことを知りたい、それだけです!」
と強い口調で言った。リゾーラは微笑むと、無言できびすを返して歩き始めた。ヴァンはしばらくその後ろ姿を見つめていたが、やがて黙って彼女の後をついていった。
翌日の朝礼後、しばらくすると、イースがクレディアのもとに訪ねた。まだ授業の準備をしているクレディアの周りを、イースは何かを探すように見回した。
「何をやっているんだ?今日はヴァンと一緒じゃないのか?」
「えっ?」
驚いたように言うイースに、クレディアまでもが戸惑った。イースは少し目を伏せて
「朝からヴァンの姿が見当たらないんです。だからクレディア教官のところにいるのだと思って……」
と呟いた。その途端、クレディアの顔色が変わった。
「まさか、あいつ……」
クレディアは窓を開けて遠くを睨むように見ると、風の匂いをかいだ。
「イース、今日の授業は中止すると皆に伝えておいてくれ!」
「えっ?クレディア教官、どこかへ行くんですか?」
クレディアはそれには答えず、足早に部屋を出ようとした。
「え!」
クレディアの歩みが止まった。イースが彼女の腕を掴んでいたのだ。
「待ってください!ヴァンに何かあったんですね?私も行きます!」
「ダメだ!危険すぎる!」
振り払おうとするクレディアに、必死でしがみつくイース。小柄ながら、日々鍛練しているだけあって、ちょっとやそっとでは離れない。クレディアはあきらめたように力を抜いた。
「分かった。だが、何があっても勝手なことはするな。私の言うことを必ず聞くんだ。分かったな?」
イースは深く頷いた。そして、クレディアは他の教官に、急用で授業を中止することを伝えると、イースを連れて学校の敷地を出た。
「あの!どこへ行くんですか?」
全速力で林の中を駆け抜けるクレディアに必死でついていきながら、イースは彼女の背中に尋ねた。だが、クレディアは何も言わずに走り続けた。
『リゾーラ!一体何を考えているんだ!』
学校の裏手にあるカナン山の頂上付近まで来ると、クレディアは突然足を止めた。
「はぁはぁ……」
息を荒げながら、やっとクレディアに追い付いたイースは、頂上にある小さなほこらに頭を押しつけられているヴァンの姿を見つけた。その額に手を当てているのは、リゾーラだった。
「ヴァン!」
驚いて駆け寄ろうとするイースの腕をクレディアがつかみ、引き戻した。
「何故止めるんですか、クレディア教官!」
「私の言うことを聞けと言ったはずだ。勝手に動くな」
そう言うと、クレディアはリゾーラに向かって歩みはじめた。リゾーラはクレディアたちに気付くと、ヴァンの額からゆっくりと手を離した。途端にヴァンの身体は崩れ落ち、その場にへたりこんだ。
「ヴァンに何をした?」
静かに言うクレディアからは、怒りの空気が漂いはじめていた。歩き続けるクレディアの後をゆっくりとついていきながら、イースは彼女から、わずかに恐怖を感じていた。それは、今までのどんな授業や試験にも感じたことのない、深くどす黒い空気だった。
リゾーラはくすりと笑うと
「まだ何もしてないわよ。眠ってもらっただけ」
「ヴァンから離れろ」
有無を言わさぬ口調のクレディアに、リゾーラは肩をすくめるとヴァンから数歩下がった。クレディアはリゾーラから視線を外さずに、後ろのイースに声をかけた。
「イース、ヴァンを連れて帰れるな?」
「はい!でもクレディア教官は……?」
「私はこの女と話がある。心配するな。すぐ戻る」
イースは、リゾーラを睨み続けるクレディアの横顔に少し怖気づきながらも、息を飲んで気丈に小さく頷き、ヴァンへと駆け寄った。
「ヴァン、しっかりして!」
彼の両肩をつかんで顔を覗き込むイースに、ヴァンは俯いたまま力なく眠っていた。
「あなたがイースちゃん?」
リゾーラが微笑みを湛えた顔で、イースを見下ろしていた。
「二人に何かしてみろ。ただじゃおかないからな!」
クレディアが凄むと、リゾーラは肩をすくめて
「分かってるわよ」
と笑った。イースはリゾーラの様子を伺いながら、自分の額に指をあてた。そして目を瞑り
「ウリ・ガンチョウ!」
呟くように唱えると、イースの体が一瞬光に包まれた。すぐに腰をあげると、イースはヴァンの体を軽がると抱き上げ、リゾーラに一瞥を加えると素早くクレディアのもとに戻った。
「では、クレディア教官もお気を付けて」
イースは小さく頭を下げると、ヴァンを抱えたまま学校へと戻っていった。
その姿が木々の中に消えた後、リゾーラは楽しそうに笑いながら
「さすが。伊達に毎日鍛えていないわね。でもあの身体じゃあ、明日はきっと、ひどい筋肉痛ね」
と肩を震わせた。
「そんな覚悟は、当然しているさ」
クレディアは微動だにせずリゾーラを睨み付け
「ヴァンに何をしようとした?」
と尋ねた。答え次第では飛び掛かる雰囲気を漂わせているクレディアに、リゾーラは余裕を込めた憎たらしい笑顔で
「あの子に教えてあげようとしただけよ。あなたのこと、何も知らないみたいだったから。親切でしょう、私?」
とおどけてみせた。
「余計なことはするな!」
「じゃあ、知らないままでいいの?あなたがアスカルに対して何をしたのか、あの子は知らないままであなたを好きで居る。あぁそうか!」
いきなりリゾーラは、これ見よがしに手をポンと叩いた。
「ヴァンに嫌われたくないんだ?クレディアもヴァンのことが好きなのね?アスカルの時と同じね、私たち!」
「違う!」
クレディアは全否定して俯いた。
「……私から言うつもりでいた……あいつは、アスカルからの手紙でしか私たちのことを知らない。アスカルが書ききれなかった本当のことを、ヴァンも知るべきだと分かってはいるんだ、私だって……」
悔しそうに話すクレディアを、腕を組んで見つめていたリゾーラは、ふっと笑った。
「そうねーー、きっと、本人から聞いたほうが信じてもらえるかもね」
とほくそ笑んだ。
「じゃあ、あなたが本当のことを言いなさい。それで嫌われると分かってるならね。私はその後ゆっくりと、ヴァンくんを頂きにくるわ」
そう言い残すと、薄笑いを浮かべながら姿を消した。クスクスとリゾーラの笑い声が風に乗り、彼女の気配は消えた。




