あなたを、貰うわ
数時間後、クレディアが教官室に一人で居るところにヴァンが現れた。
「クレディア教官?」
扉から覗くようにそっと名を呼んだヴァンに気付いた彼女は、長い溜息を吐き、呆れた顔をした。
「お前は、頭が悪いのか?」
「一応、そこそこの成績はキープしてますけど」
「そんなことを聞いてるんじゃないんだよ!私が言ったことを理解したんなら、そこから離れろ!」
睨みつけるクレディアに、ヴァンは少し曇った表情で
「……分かりました」
と扉から手を離すと、部屋の中に入ってきた。
「おいっ!そういうことじゃなくて――」
「さっきのクレディア教官は、いつもと違ってました!いつもの怒ってる口調は、どこか柔らかい雰囲気があった。けれどさっきのクレディア教官からは、そういうのは無くて、どこか切羽詰まったような、必死さがありました」
「そこまで分かってたのなら、私の気持ちが届いたということだな?」
「違います!」
ヴァンは眉をひそめた。
「急にそんな心変わりをするなんて、何かあったからに違いないんです!一体クレディア教官に何があったのか、どうして僕を遠ざけようとするのかが分かるまでは、ここを一歩も動きませんからね!」
ヴァンは、真剣なまなざしで仁王立ちをした。この男、温和で明るい見かけによらず頑固で意地っ張りなところがあるのは、クレディアも薄々分かっていた。だが、ここで屈するわけにもいかない。クレディアはなんとかリゾーラの存在を知られずに説得できないかと考えた。その時
「あら、もしかして彼がアスカルの弟さん?」
色気じみた声とともに、窓がひとりでに開き、吹き込んできた強い風が部屋を舞い踊った。
「え!なんだ?」
ヴァンは思わず腕でガードしながら辺りを伺った。机の上の紙やペンなどがやたらめったら飛び回っている。
「クレディア教官!大丈夫ですかっ?」
ヴァンはクレディアを守ろうと歩み始めたが、その足が不意に止まった。
「あははっ。捕まえたぁ!」
「だ……誰だ?」
ヴァンは、自分の耳元に囁く聞きなれない女の声に驚き、振り向いた。 それと同時に、クレディアの声が飛んだ。
「リゾーラ、貴様っ!」
「クレディアったら、もったいぶっちゃって、なかなかしっぽを出さないんだもの。いい加減に苛々しちゃったわ」
いつの間にか現れていたリゾーラは、ヴァンを後ろからおぶさるように抱き締めていた。
「だ……誰なんですか?」
背中に押しつけられた柔らかな胸の感触に戸惑いながら、ヴァンはリゾーラの顔を見上げた。リゾーラは高いヒールを履いている上、ヴァンよりも背が高いので、彼を包み込むように見下ろす形になっている。リゾーラはヴァンを見つめ、妖しく微笑んだ。
「ヴァン、あなた、可愛らしい顔をしてるのね。アスカルとはまた違った魅力があるわ。気に入った。あなたを貰う!」
「ええっ?貰うって?ていうか、アスカル兄さんのことを知ってるんですか?」
驚くばかりのヴァンに、リゾーラはまた微笑み、クレディアを見た。
「私の紹介、してくれる?クレディア」
「クレディア教官と知り合いなんですか?」
目を丸くして、ただクレディアを見つめるヴァン。クレディアは固まったように自分の両腕を抱き、立ち尽くしていた。それでもリゾーラは艶めいた視線でクレディアを見つめ続けるので、とうとう彼女はふう、とため息を吐いて口を開いた。
「彼女は、リゾーラ・ディング。以前この学校で、私と一緒に学んでいた同級生だ」
「……あら、それだけ?もっと大事なことがあるでしょう?」
目を細めて挑発をするリゾーラに、クレディアは唇を噛んで視線を外した。リゾーラは呆れたように小さくため息を吐くと、ヴァンの肩に顎を乗せて、囁くように言った。
「私とクレディアはね、アスカルを奪い合った仲なのよ」
「えっ?兄さんを?」
驚いてクレディアとリゾーラを交互に見つめるヴァン。それを楽しそうに横目で見ながら、
「でもアスカルは、あたしよりもクレディアを選んだわ。だから今度は、ヴァン、あなたを貰うことにしたわけ」
クスクスと笑うリゾーラに、クレディアが眉をしかめた。
「リゾーラ!彼は、私もお前のことも選ばない。おとなしく手を引くんだ!」
少し憮然とした態度で聞いていたリゾーラが、やがて首を傾げてヴァンの頬に口付けをし、動揺するヴァンに囁いた。
「私はクレディアと違って、胸もあるし、腰もくびれているし、お洒落だって知ってるし、他にもたくさん女の武器を持っているわ」
「ヴァン!惑わされるな!しっかりしろ!」
クレディアの声も虚しく、ヴァンは浮ついた顔でリゾーラの言葉に吸い込まれていた。リゾーラが身体にふっている香水の匂いも、頭の芯にまで届き、酔わせる勢いである。
「あ、そういえば、イースとかいう彼女が居るとか言ってたわよね?ま、私には適わないでしょうから、心配していないし。この勝負、私の――」
「勝手なこと言わないでください!」
突然ヴァンはリゾーラから逃れ、数歩離れると、彼女を見上げた。
「僕の心はひとつだけです!あなたの言いなりにはなりません!」
リゾーラから離れたヴァンにホッとしながら、クレディアが声を上げた。
「ヴァン、ここは私がなんとかするから、お前はもう帰れ!」
「そうはいきません!アスカル兄さんの名前を聞いたからには、黙っていられませんから!」
「ヴァン……」
クレディアは唇を噛んだ。
「リゾーラさんと言いましたね?僕は確かにアスカルの弟です。でも勘違いしないで欲しいのは、僕がクレディア教官を好きなのは、決して兄さんの受け売りじゃないってことです!」
リゾーラは窓枠にもたれ、腕を組んでじっとヴァンを見つめていた。
「リゾーラさんがどれだけアスカル兄さんを好きだったか知りませんけど、僕はアスカル兄さんではありません。弟だからって手ゴマにしようなんて考えること自体おかしいと思います!」
ヴァンは真っすぐにリゾーラを見つめて説得した。するとリゾーラは少し赤らんだ頬に手をあて、目尻を下げて微笑んだ。
「本当にアスカルの弟なのね?とても律儀なところも彼に似てるわ。やっぱりあなたは私のモノになるべきよ!」
「リゾーラ!」
クレディアはついに我慢ができなくなって、リゾーラに近づいた。
「もうよせ!お前はここに戻ってくるべきではなかったんだ。なかったことにしてやるから、この学校から消えてくれ!騒ぎを起こしてほしくないんだ!ヴァンは何も関係がない!」
「ふうん……」
リゾーラは、クレディアを細い目で舐めるように見つめた。心を読み透かすように瞳を揺らしながら
「あなたも大変よね」
と含み笑いをした。そしてヴァンに聞かせるように言い放った。
「アスカルを殺した罪を、抱えて生きているんだもの」
「く!」
クレディアの顔色が蒼白になり、俯いた。
「えっ!」
驚くヴァンの前で、リゾーラはゆっくりとクレディアの肩に手をやり、その頬を長い爪先でつついた。
「そうよ。クレディアはアスカルを殺したの。愛した人の命だって、軽く見るような子なのよ」
「そんな……」
ヴァンの声が震えた。
「クレディア教官、嘘ですよね?アスカル兄さんは、皇族の護衛をしていて、出先で行方不明になったんです!クレディア教官はこの学校に残っていただけで……そうですよね?」
ヴァンの顔が歪んだ。クレディアがそんなことをするわけがないと、必死で心を落ち着かせようとしていた。だが、リゾーラの腕のなかのクレディアは、俯いたまま何も答えようとしなかった。
「そ、そんなわけ、無い……」
震えるヴァンをゆっくりと見上げたクレディアは、突然リゾーラを突き飛ばし、部屋を飛びだして行った。
「クレディア教官!」
追い掛けようとするヴァンの前に素早い動きで立ちはだかったリゾーラは
「無駄よ」
と優しく微笑んだ。
「そこをどいてください!」
睨むヴァンに構わず微笑んでいるリゾーラは、ゆっくりと彼に顔を近付けた。
「じゃあ聞くけど、あなた、クレディアの何を知っているの?」
「えっ?」
言葉に詰まるヴァンから顔を離して背筋を伸ばしたリゾーラは
「彼女のことを知りたかったら、ついてらっしゃい」
と窓辺へと歩いた。そして窓枠に長い足を掛けると、ヴァンを一瞥して外へと飛びだして行った。
「…………」
残されたヴァンは、クレディアが去った扉をちらりと振り返った。




