旅立ちの決意
「クレディア!」
「ん?」
振り返ったクレディアの前に、ディードが駆け寄ってきた。
「なんだ。しばらく顔を見ないから、風邪でもひいたのかと思っていた」
「冷たいなあ、その言い方……もう少し心配してくれよ」
ディードは苦笑した。
夜の集会が終わり、生徒たちは自由時間になる。すると、たいていヴァンがクレディアに言いよってくるので、彼女は隠れるように屋上の貯水槽の裏にいることが多かった。そんな彼女の居場所を知っているのは、ディードだけだ。
「相変わらず、ここから見る夜空は綺麗だな!」
見上げる夜空には、一面に星空が広がり、端の方には申し訳なさそうに細い三日月が浮かんでいた。
「余計な光も無いし、何も邪魔しないからな、ここは……」
クレディアは、穏やかな表情で夜空を見上げた。そんな彼女の横で同じように見上げながら、ディードは呟くように尋ねた。
「なあ、クレディア。お前、ヴァンのことをどう思う?」
思いもよらないことを言われて、クレディアはディードに視線をやった。
「それは、どういう意味だ?」
「もしかしたら、ヴァンを通してアスカルを見たりするのかなぁ、と思ってさ」
ディードは軽くそう言って、ニコリとクレディアを見た。彼女は、暗く遠い山の稜線を見つめながら、答えた。
「それは、無い。私はまだ、ヴァンがアスカルの弟だということに実感が湧かないんだ。彼らは、全然タイプも違うしな。それもあって、ヴァンにアスカルを重ねたことは一度もない」
「そうか」
ディードはひとつ息を吐いて、微笑んだ。
「安心した」
「え?」
「俺が思うに、ヴァンは自分の事を、アスカルの弟として見て欲しくないと思うんだ。だから、今のクレディアの言葉に安心した」
するとクレディアは怪訝な顔をして、身体ごとディードに向いた。
「今日のディードは少しおかしいぞ?何かあったのか?」
ディードの心を読もうかとするように、揺れる瞳で見つめるクレディアに、彼は軽く頭を掻いて苦笑した。そして再び夜空を見上げると、ゆっくりと言った。
「俺さ、行こうと思う」
「行くって、どこへ?」
「ほら、前から声がかかってただろ?皇室の御衛兵」
「あ……」
壁にもたれていたクレディアの背筋が伸び、その目が見開いた。そして目を細めると、優しく言った。
「そうか……決めたのか」
クレディアは目の前のフェンスに肘をつき、腕に顎を沈めると、遠く夜景を眺めた。
実は数年前、ディードは自分の卒業試験が終わった後、スカウターから声がかかっていたのだ。だが当時のディードは、クレディアの傍にいることを選んだ。そして彼女と共に、アスカルとの思い出が残るクリーチャー幻術学校の教官になったのだった。だがスカウターからは、毎年のように誘いの声がかかっていた。それも、ディードの実力を買ってのことだった。皇室の御衛兵といえば、国の最高機関に携わるということ。それだけで名声は上がる。それをディードはずっと断り続けていたのだ。
「俺は、あいつが言うように、お前に何もしてやれなかった。けれど俺は、お前にずっと助けられてきた。お前は、確かに笑うことは少なくなったが、それでも懸命に、過去から抜け出す努力を続けていた。俺はそれを見ながら、いつからか助けられていたんだ」
クレディアは、夜景を見ながら、静かにディードの話を聞いていた。
「でも、それだけじゃいけないと分かってた。分かっていながら、俺は、クレディアやアスカルから離れられずにいたんだ……」
するとクレディアは、そっと顎を離して背筋を伸ばした。
「ディード、その言葉……そっくりそのままお前に返す」
そう彼に言う顔には、穏やかな笑顔が浮かんでいた。
「私もディードには何度も助けてもらった。だがその分、枷を付けてしまっていたのかもしれないな……お互いに」
ディードは彼女の横に立ち、フェンスに肘をついて遠くを見た。
「枷か……俺はそうは思わないが、自分を見直すには最適な時期なんじゃないかと思ってな」
「ディード……」
クレディアは遠くを見つめるディードの横顔を眺めながら、風に吹かれた。長めの前髪が揺れる瞳を見え隠れさせる。少しだけ、潤んでいるように見えた。
「ディードが決めたことなら、反対する理由はないよ」
「そうか」
ディードはクレディアに向かって、満足そうに頷くと、また遠くを見た。
「この景色も最後になるなぁ……」
「しかし、皇室側も、よくあきらめないでディードを誘い続けたよな」
「そりゃあお前、俺にそれだけの力があるからだぜ!」
「調子に乗るなよっ!」
背中をバンと叩かれながら、ディードは楽しそうに笑い、クレディアもそれにつられるように笑った。静かな夜の屋上に、和やかな風が吹いた。
「クレディア教~~官~~っっ!」
朝からけたたましい声が食堂に響いた。
ヴァンは慌ただしく食堂に入ってくると、一瞬でクレディアを見つけて一直線に駆け寄った。
「クレディア教官!何を悠長に朝食なんか食べてるんですかっ!」
ダンッ!とクレディアの前に両手を叩きつけ、テーブルに載ったスープやパンが一瞬浮いた。だが彼女は意に介さず、ゆっくりとパンをちぎって口に入れた。
「クレディア教官!――んがっ!」
耳元で叫ぶヴァンに、クレディアのげんこつが飛んだ。 だがソレはいつものようにヴァンに当たることはなかった。
クレディアがちらりと横目で見ると、顔の前で彼女の拳を手のひらで受けとめているヴァンの目が、ただごとではない真剣みに溢れていた。クレディアは無言で拳を下げると、珈琲を飲み干した。そしてゆっくり立ち上がると、食器を手にしてテーブルを後にした。
「クレディア教官ってば!聞いてるんですかっ?」
後ろからわめきたてながら追うヴァンに振り向くこともなく、クレディアはカウンターに食器を返すと、食堂を後にした。
その後もずっと追いかけ続けるヴァンに振り返ったのは、人通りの少なくなった廊下の端だった。
「ヴァン。お前は、人の迷惑とか考えないのか?」
あきれ顔で言うクレディアに、ヴァンの勢いは止まらなかった。
「だってクレディア教官!ディード教官のこと、知ってるんですかっ?」
大振りで必死な顔をするヴァンに、彼女は軽く
「知っている」
と返した。
「ええっ?クレディア教官、知ってたんですかっ?」
「いちいちうるさい奴だな……」
迷惑そうに耳を塞ぐクレディアの耳に、これでもかと届くように、ヴァンは叫んだ。
「どうして止めなかったんですかっ?ディード教官、遠くに行ってしまうんですよ?もう二度と会えなくなるかもしれないんですよ!」
「それがどうした?」
「えっ?」
ヴァンは驚いて一歩後退りをした。彼女は淡々と言った。
「じゃあ逆に聞くが、、お前はどうなんだ?いつまでもぬくぬくとこの学校で油を売っているつもりか?お前もいつかは卒業し、ここを離れていくだろう?別れは当たり前にあるじゃないか」
「い、いや、僕が言いたいのはそういうことじゃなくて……」
ヴァンは額を押さえて俯いた。そして考えをまとめた様子で顔を上げると
「ディード教官は、止めて欲しかったんですよ!」
と悲痛な顔をした。クレディアの眉が少し動いたが、たいした変化ではなかった。彼女は変わらず淡々と答えた。
「それはない」
「そんなこと、どうして分かるんですか?」
ヴァンは激しくかぶりを振った。
「ディード教官は、クレディア教官のことを好きなんですよっ!」
「良かったじゃないか」
「えっ?」
「ライバルが居なくなるってことだろう?お前にとったら、悪い条件じゃない。むしろ、嬉しい話じゃないか?」
彼女の相変わらず淡々とした受け答えに、ヴァンは目を見開いた。
「く……もういいです!」
ヴァンは俯いて拳を握り、きびすを返すと走り去った。残されたクレディアは、彼の背中を見送りながら、そっと前髪をかきあげて小さく息を吐いた。




