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うたっていたら 4

 夜の食堂は毎晩のように活気付く。

 ここは街道の宿場町。軒を連ねる店は宿屋と娼館が多い。そこでは酒も食事も抱合わせで提供されており、食事だけの客を取らない店がほとんどだった。

 数有る酒を提供する店の中でも、夜まともに食事を摂れるのがここ、カルテットだった。

 料金設定は多少高めだが、ここならば食事だけの料金で済む。それに見合うだけの味付けとボリュームが旅人や街の者の胃袋を満たしていた。

 陶器で作られたジョッキを右手に六本、左手には大皿を二枚担いで客席の間を流れるようにフルーナは動いていく。

「おまたせぇ。

 狩人の気まぐれ煮込みと、カルテットパスタよぉ」

 五人の飢えた男たちの腹を満たすほどの特大のパスタと煮込み料理の大皿が酒とともにドンッと置かれる。

「小皿とかは足りてるぅ?」とフルーナは手際よく食事済みの食器を片付けていく。

「大丈夫だよ、それより今夜は空いてるかいフルーナちゃん」

 下品に笑う男たちの口元から汚れた黄色い歯が恥ずかしげも無く見える。

「今夜も空いてませんよぉ。

 うちよりもそーゆーのにいいお店知ってるでしょぉ、お客さん」

 男たちの豪快な笑い声が響く。軽くあしらったフルーナは軽い足取りで調理場に食器を片付けるとまた新しい注文を取りにいく。

 仕事をしている間は雑念が消えて楽だ。さっきのバイエラの暴言も頭の隅で燻っているが心を荒だてることもない。もともとバイエラがここの言葉に慣れてないので言葉のアヤを間違えたとも言える。

 フルーナが彼女に会ったのは三年前だっただろうか。大分言葉も覚えてきたし、それに明るくなった。

 問題は、会話できるようになって初めてわかった彼女の破壊的天然さなのだが。


 バキリッ


「フ…フルーナちゃん?」

 常連の八百屋の若旦那が、御用聞き用のペンを軽々と真っ二つにしたフルーナに声を震わす。

「あら、失礼。ふふふふふふ…」

 何事も無かったようにフルーナは微笑み、若旦那の注文を的確に伝えにいった。

 今日やってきた少年はバイエラとはどういう関係だったのだろうか。名前すら聞けなかった。

 それに彼女が少年に出会ったのは少なくとも三年以上前。あの少年の年ではせいぜいが当時三、四歳ととれる。バイエラのことなんて覚えているのも怪しいところだ。

 こちらとしてはあの利発そうな少年に多少なりともバイエラのストッパーになってくれれば有難いのだがあまり望めそうにないだろう。

 ともあれ、バイエラの奇行も明日になれば多少は落ち着く。

 明日であの人が帰ってくるのだ。現在唯一、頼りなくもバイエラの首に紐を掛けられる人物が。

「早く帰って来ないかなぁ。トゥラン様」

 フルーナの切実な呟きは、喧騒の中誰の耳にも入ることはなかった。



 ☆



「だからな、精霊にとって名前ってのは最も重要なものなんだ。

 創造時に付けられる名前、真名って言うんだけどな、それは――」

「もうっ、そんなコト言われたって覚えらんない~!

 あばばばばばば」

 洗ったばかりの両手で耳を塞ぎ必死の抵抗をするバイエラ。

「もーう疲れたっ。もうダメ!

 なーんも覚えられません!」

 完全に日も沈み周りも見えなくなったために中庭の片付けは翌朝ということに決めたのだった。

 階段を上り、二人はバイエラの部屋に入る。

 バイエラが入り口の脇にある手提げランプに廊下の照明から取り分けた灯りを燈す。

 仄暗く浮き上がる室内は彼が思っているよりも広かった。

 部屋の隅に整然と積み重ねられた本の山。

 小さな作業机には散乱する布と糸束。その脇には立てかけられた白い反物が存在を主張していた。

 簡素な作りの木製二段ベッドが窓辺にあり、大きなリュックが一つ置いてある。

「二人部屋…? 同居人はフルーナか?」

「ううん、お兄ちゃんだよ」

 バイエラは上段のベッドに登ると服を脱ぎだした。

 慌てて彼はそっぽを向く。目線の先には本の山があり、彼は一番上にあった本をおもむろに手に取った。

 『月蝕が影響を及ぼす精神の考察』と書いてある。他にも、『大小アルカナ研究』、『霊感とタロット』、『占術と魔術と宗教』など、内容は大分傾いているが学術書と言っても過言ではない本ばかりだった。厚さといい文字の小ささもさることながら、使われている言語も二つ三つどころではない。

「お兄ちゃんと二人でこの部屋借りてるの。

 ここ、二階は下宿屋さんだから。

 んでね、お兄ちゃんは、今は何トカって街で働いてるんだ。

 スッゴイ物知りなんだよー」

「お前、この街の人じゃなかったのか?」

「うん、違うよ。旅人だもん。お小遣い稼ぎにここで働いてるだけ。

 えーとね…

 ずっと遠いところから、お兄ちゃんが仕事しながら行ってたらたまたまこの街に来たんだ」

「ここのは魔術関連の本もあるが、お前魔術齧ってんのか?」

「ううん、アキチはぜーんぜん。

 文字あんまし読めないもん。難しいのキライだし」

 結局そうなるのかと、彼は首をガクリと下げた。

「アレだな…お前の兄貴、大変だな」

「え、何か言ったー?」

「……」

 改めて数ある本の中から一冊を取る。他のものとは違い、手作りのノートだった。

 文字がびっしりと書き記された中には個人の名前とタロットカードの配置、詩のような文言が収められている。

 また、その個人の容姿、生い立ちといったものから、心の色とか霊が何とか光とか謎の内容まで書かれていた。

「占い…か? それにしてもすごい情報量だな」

 一人につきおよそ十ページほども振り分けられているためか、一冊でも数名分しか綴じられていなかった。

「あーっ! それお兄ちゃんの商売道具なんだからいじっちゃいけないんだよー」

 部屋着に着替えたバイエラがベッドから飛び降りる。

「こんな人目につく場所に置いてあるのが悪い」

 一通りノートに目を通すと元の場所に置いて次の本を手に取る。

「それにしたって、兄貴は秀才か天才だな。占いに関する考察は相当なもんだそ。

 下手したら魔術者かもしれない勢いだ。

 お前、兄貴に付いていて何も教わってないのかよ」

「う~、色々教えてくれてはいたんだけど…つまんなくてね」

 えへへへ、とバイエラは頭をかいた。

「アキチはお兄ちゃんに付いて行って、刺繍と歌が歌えたらそれで充分なのです」

 臆面もなくバイエラはそう言い切った。なんて勿体ないのかと彼は心の中で思わず嘆いてしまった。

「明日はお兄ちゃん帰ってくるの。

 とっても格好いいし、優しいから、ホタルたんもきっと好きになるよ」

「確かに、お前よりは話が合いそ――」

 はてと、彼はページをめくる手を止める。


「ホタル…たん?」


 振り向く彼に花畑のように満開の笑顔を咲かせる少女。

「うん、ホタルたん。ボクの名前。

 さっき名前は何でもいいって言ったじゃん。

 だから、“ホタル”」

「…なっ…んで………っ」

 ランプに浮かび上がる少女は暗がりでも光る春の妖精かと思うような可憐さと無邪気さで笑っている。

 彼の動揺に気付くことなく、問われたことを答える。

「何でって、う~。

 前に立ち寄った村でね、ホタルって虫を見たんだ。

 あっでもね、虫だけどすっごく綺麗なんだよ!

 夏のちょっとの間しか見えないんだけど、捕まえると臭いんだけどね、夜のホタルは光るの!

 ふわふわ~って、雪みたいに飛んでいて、光っていて、その光がね――」

「ボクの瞳の色にとっても似ているんだ」と、目の前の少女が笑った。


 彼女が知っているはずがないのに、重なる。

 雪原のように静かで、孤独で、やさしく微笑んでくれた女神。その彼女が彼の瞳の色を喩えて付けた呼名もまた、


 “ホタル”


 どうしてだろうか。目の前にいるあどけない少女が、百八十年前のことなど知る由もない。彼の創造主のことも、ましてや彼自身のことも、知るはずはないのに。

「う~、虫の名前じゃ嫌だったかなぁ?

 ホント綺麗で似合ってると思うんだけど」

 似てもいない面影が、思い出が重なって見えてしまうのは気のせいだろうか。

 彼を創った創造主と、バイエラが一瞬同じに見えた。

 彼に笑ってくれた。

「…良いんじゃねぇか、“ホタル”で。

 お前が悪い意味で付けた呼名じゃなければ、それでいい」

 ホタルは視線をそらし、そっと本を閉じた。

「やったー!

 んじゃ改めてよろしくね、ホタルたん!」

 あかぎれとささくれ立った手が差し出される。痛みも有るだろうに、そんなことなど気にするでもなく、バイエラは花のような笑顔を見せる。

 それがこの少女の一番綺麗な姿なのだとホタルは思った。

「ああ、よろしくなバイエラ」

 バイエラの手を握り返す、幼いホタルの手。

 今は亡きホタルの創造主が、彼のこの情けない姿を見たらどう思っただろうか。

 この世界に舞い戻ってしまったことを、新たな主を見つけてしまったことを、どう思っただろうか。

 もう一度、彼女の笑顔を見たいと思ってしまった。

 ホタルの創造主、雪原の女神。

 青い瞳の孤高の歌姫の笑顔を――


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