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うたっていたら 2

 「泥だらけでしょ、ほら、洗ってあげるから脱いで脱いで」

 「ふざけんな、放せ、バカ女!」

 「もう~、バカなんて言っちゃいけません!」

 がばりと、バイエラは強引に彼の服を脱がせると、手馴れた手つきで洗濯桶に入れてしまった。

 屈辱だ。こっちに召喚された途端にこんな辱めを受けるとは思ってもいなかった。

 自分に恥をかかせた当の本人は、能天気な鼻歌を歌いながら井戸から桶に水を移している。しかも、生まれたままの姿で。

 しくしくと泣いている彼のことなど、まるで眼中に無いらしい。


 「バイエラ、バイエラー!」

 建物の奥からドタドタと重い足取りで誰かがこっちにやって来た。

 年は四十はいっているだろうか。恰幅のいいエプロン姿の女が中庭に下りてくる。

 「バイエラ、あんた食堂ちょっと手伝ってくれるかい?

 珍しく今日混んじゃって――」

 「あ、女将~」

 中庭に慌しくやってきた女将に、生まれたままの姿で満面の笑みと手を振るバイエラ。


 女将の時が止まった。


 バイエラの姿に一時女将は言葉を失ったみたいだ。

 が、

 「バイエラさん、洗濯物は後でいいでございますからまず着替えてきなさい」

 停止しそうな頭で懸命に事の収拾を図ってくれた。

 バイエラは靴だけ履くと軽快な足取りで建物の中に消えていった。

 女将さん、ありがとう。

 「全くあの子ときたら、ホンット分からない!」

 バイエラの行動にいつも手を焼いているのだろうか、女将は深くため息を吐くと彼のほうに向き直った。

 「おやまぁ、小さなお客さまだねぇ。

 あの子のお友達かい?」

 ふわりと、自身の前掛けを女将は彼に掛ける。彼女は彼のたんこぶにも気付き建物の中に案内した。


 彼が案内されたのは建物の隅に当たる部屋だった。正面に美しい刺繍のシーツが掛けられたソファーとローテーブルが配置され、壁際には書類が軽く纏められている作業机と大きな棚が控えめに存在を主張していた。

 女将は棚の引き戸から薬箱を持ってくると、ソファーに座らせた彼の傷に湿布をする。

 沁みるような痛みに一瞬彼は顔を歪めたが、抵抗することも無くじっとしていた。

 「あんた偉いねぇ、結構沁みるだろこの薬」

 「別に、大したことねぇよ」

 「ふふ、そうかい、そうかい。大した子だねぇ。

 ところで、何をしたらこんなこぶが出来んだい?」

 女将は立ち上がって薬箱をしまうと続き部屋である隣の部屋から服を持ってきてくれた。

 女将さん、ありがとう。

 「それは不可抗力っていうか……い、言わなきゃだめなんか?」

 正直言いたくない。落下した洗濯桶に脳天直撃したとは、恥ずかしすぎて言いたくない。

 彼は自分の耳が異様に熱を帯びているのを感じていた。

 「まぁ、聞きたいっちゃ、聞きたいね。

 これでもこの建物の責任者なんだしさ。

 中庭もなんだか嵐が通り過ぎたみたいに散らかってるしねぇ。

 これから片付けるとなったら、気が重くて…」

 ほうっ、と遠い目をして女将は中庭のほうを見つめた。が、すぐに立ち上がると廊下に出て二階のバイエラに声を掛けた。

 「バイエラ、着替え終わったら食堂手伝っておくれ!

 私とフルーナだけじゃ追いつかないよ!」

 「アイアーイ!」と階上から能天気な声が降りてくるや、バイエラが吹っ飛んできた。

 どんっ、と絨毯の敷かれた廊下から悲鳴が上がる。

 「あんたねぇ、廊下に穴を開けるつもりかい?

 ちゃんと階段使っておくれよ」

 「えへへへっ」

 バイエラの行動に手を焼いているのはいつものことらしい。

 もっとも、彼女とバイエラの関係は彼ほど短いものでは無いだろうから多少の馴れ合いがありそうだ。

 女将はバイエラの格好を確認し「よし、じゃ行くか」とバイエラを食堂に促す。

 廊下から彼に向かって、

 「あんた、怪我してんだからここでちょっと休んでおいき。

 後でしっかり話を聞かせてもらうからね!」

 と、にこやかにも凄みのある声で言うと、扉を開けたままバイエラ同様食堂の方へ行ってしまった。


 一人きりになった部屋で彼は気が抜けたようにソファに寝転んだ。

 食堂の方からだろうか、香ばしい香りと人の喧噪に混じってバイエラの高くて間の抜けた声が聞こえる。

 「逃げるなら、今の内か…」

 子供だからって甘く見られたものだ。鍵も掛けずに得体の知れない人物を、しかも建物に損害を与えた相手を放っておくとは。

 左手の小指を見る。

 彼の瞳と同じ、萌黄色の光る糸が結わえられ食堂の方に伸びていく。

 契約の証。

 彼とその召喚者を最短距離で結びつける糸。普段見えることはなく、彼とその相手のどちらかが念じたとき二人にだけ見える糸。

 彼を召喚したのはバイエラで間違いなさそうだ。

 たとえここから逃げ出したところで、バイエラが一度彼をイメージしてしまえば何処にいるかなんてすぐに分かってしまう。だったらここで大人しくしてた方が女将の心象も悪くならないだろう。

 糸から彼女の感情が微かに流れ込んでくる。

 イメージは深い森に囲まれた花畑。いかにも能天気な彼女らしい感情だ。

 バイエラが新しい主、ということになる。

 重いため息が出る。

 バイエラがというわけではない。自分に新しい主が現れたことに問題があった。

 自分にとって主はただ一人だけ、そう心に決めていた。

 なのに、どうして――

 彼は思い出す。

 自分を作り出した主のことを。

 雪原のように静かで、孤独で、やさしく微笑んでくれたあの女神を。


 ☆


 二度ほど時を告げる鐘が鳴った頃だった。

 女将と中年の痩せて筋張った男、それとバイエラが部屋に入ってきた。

 「ご飯まだだったろ?

 まかないで悪いけど、召し上がれ」

 ソファーの前のローテーブルへ、大皿に盛られた色とりどりのサンドイッチが豪快に置かれる。

 バイエラが暖かいお茶をそれぞれに配る。

 皆ソファーに座ると彼を除いて食前の祈りを捧げた。

 「…アイ? ボクはお祈りしないの?」

 彼が祈っていないことに首を傾げるバイエラ。

 「感謝はしてる」

 はてなと茶色の大きな瞳がまん丸になる。バイエラだけでなく、向かいに座る中年の二人も顔に疑問符が浮かんでいるのが見て取れた。

 「折角用意してくれてありがたいが、俺は物を食べん。

 茶を飲むこともしない。

 俺は――」

 彼は人とは似て異なるもの。

 人と交わることは出来ても、人と生きることは出来ない存在。

 創られたが最後、死ぬことを許されない永遠に現を漂う人形。

 

 「精霊だ」


 しばし、ぽかんとした彼以外の3人。

 が、

 「精…霊…だって?」

 女将が小さな目をこれでもかと見開いた。そして、

 「精霊って、あの人っぽくて人でない精霊かい!?」

 「あ、ああ」

 「火を噴いたり、土を宝石に変えたり出来るって、あれかい!?」

 「ま、そっ、そんな奴もいるな」

 たじろぐ彼などお構いなしに、女将が彼に目をランランに輝かせてまくし立てる。

 ばしばしと興奮した女将の手が、隣に座った中年男の背中を襲う。

 「あんた、すごいよ、すごい!

 精霊様だって、精霊様!

 ヤダどうしましょう、サインいただいちゃおうかねぇ!」

 どうやら女将は精霊が好きなようだ。

 だが女将よ、多少は疑う心を持ち合わせるべきでは?

 「精霊様を従えるなんて、さぞご立派な能力者様が主様なんでしょうね。

 この街にいらしゃっただなんて!

 ぜひ家でおもてなししたいわぁ!

 ご来館の記念に是非宝石の一つでも頂けるんでしょうね」

 「いや…あのな、それが」

 思わずやましい心の声が出る女将。

 「ご馳走作っておきやすか」

 ぼぞっと、頬を赤らめて男がつぶやいた。かなり寡黙な男らしい。

 「そうだよ、あんた!

 今から市場で良い肉仕入れておいで!

 極上だよ、極上!

 あたしゃ精霊様の主様をご案内しにいきますよ。

 精霊様、主様はどちらにいらっしゃるので?」

 ここは嘘で誤魔化すべきだったのだろうか。だが、生憎と彼にはそんな性分も持ち合わせていない。

 気まずそうに彼はゆっくりとした動作で人差し指を隣に座る人物へ指し示した。

 そう、いまだ目を丸く開いている少女に。

 浮き足立っていた女将の時が止まった。

 「アイ? 何、セーレーダさん?」

 「…お前、今までの話聞いてたか?」

 「う~ん、聞いてたけど…

 えへへへへ」

 絶対理解していない。この少女に限っては三倍増しで説明しなければ理解してもらえない。

 「冗談言っちゃいけませんよ、精霊様?

 そんな、この子に精霊様を呼び出すなんて芸当できると言うんですかい?

 バイエラが主様だなんて?」

 「事実だ」

 わなわなと女将が椅子に崩れ落ちる。

 「アキチ、偉いの?」

 「さあな。

 お前の歌は俺を導いただけだし、ここに出てきたのは俺の力がほとんどだ。

 霊体を物質化するところでお前が集中切らしたせいでこの姿だし、お前に大した力は無いと見た。

 また、精霊召喚自体も初めての経験だろうから俺を引っ込めることも、再び召喚することも出来ない。

 当然赤の他人様から敬われるような主様でも何でもない。ただの能天気なガキだ」

 「う~、よくわかんない。最後の一言は余計だよ、ボク」

 涙目を浮かべて頭をかきむしるバイエラが彼に懇願する。

 「現実、事実、客観的にそう言ったまでだ。

 俺に反論したけりゃ力をつけるこったな」

 「ひぎゃぁあ!」とけったいな悲鳴を上げてバイエラも撃沈。

 もくもくと昼飯を食べていた男が重い腰を持ち上げる。

 「極上肉、買ってくる」

 「無しだよ!! いつもの安肉に決まってんでしょっ!」

 女将のヒステリックな呼び止めに「極上肉…」とつぶやき男は肩を落とした。

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