うたっていたら 1
不定期投稿ですが、よろしくお願いします。
雲一つない晴天の昼下がり。
春の陽気に照らされて白い蝶がひらひらと辺りを飛んでいる。
髪をくすぐる風が涼しくて心地よい。
こんな日は洗濯物がよく乾く。
大きな業務用の洗濯桶にたまった水はかなり冷たいが、それでも気分は悪くない。
ばしゃばしゃと足元のシーツを踏みつけてすずいでいく。
ステップは祭りで行う踊りを思いだし、本番の予行練習よろしくクルリとスカートをはためかす。
祭りは夏。それまでに新しいドレスを作るのも良いかもしれない。あと出店でも開いて得意な刺繍をあしらった小物とか売るのも楽しそうだ。
冬の間にコツコツと作りためた雑貨も結構ある。女将たちに相談して店先に置いてもらって今の内に小遣い稼ぎをはじめれば、あの人の分の服も新調できるかもしれない。
楽しいことが一杯でバイエラ・ルーンニコフは自分が歌っていることも気づかずにベッドシーツを踊りながらすすいでいた。
この洗濯物が終わったら、後は二階の宿舎を掃除して女将たちと遅い昼食だ。今日のまかないは何だろう。青菜と卵を沢山仕入れていたみたいだからそこからご飯を作るのだろうか。今の時期は魚の遡上もあるから脂の乗った魚も出るかもしれない。
お昼を食べたら一階の食堂を片付ければ今日の仕事は終わりだ。
布も糸もまだストックが部屋にあったはずだから、今日は一日部屋でお裁縫に精を出そう。
「ちっくん、ちくちく、刺っ繍、刺繍~~~! 仕事終わったら、縫い付けて~~」
一際高い旋律。はたと、自分が高音を目いっぱい伸ばしていることに気づく。
ああ、悪い癖だ。
無意識で歌ってしまう。気を付けているつもりなのに、ちょっと考え事をしてれば心の声が支離滅裂にメロディーにだた漏れだ。女将や同僚のフルーナにすぐ突っ込まれ、恥ずかしい思いをいつもしてるというのに。
誰もいないのが不幸中の幸いとしとこ――
「キャッ!」
脱水のために洗濯桶から出た瞬間だった。
強い風が吹いた。いや、吹いている。
庭の植木が突風に大きくしなり地面から土ぼこりが盛大に舞い上がる。
洗濯物が入った桶すら、この突風に天高く飛んでいってしまうほどだ。
まるで嵐。バイエラを中心として小さな、それでいて強力な風が荒れ狂う。
大気の乱れに息が出来ない。土煙と風で視界も霞む。
苦しい。
いきなり何が起こったのだろう。
雲一つない晴天の昼下がり。
春の陽気に照らされて白い蝶がひらひらと辺りを飛んでた。
髪をくすぐる風が涼しくて心地よかったはずなのに――
今ではその全てが覆されてしまっている。
まさかこれも魔物の仕業なのだろうか。
ここは森を開いて造られた街道の宿場町。
森には人に危害を加える魔物が潜んでいる。自警団をつくり年に数回討伐隊を組んでいるほどだ。彼女も何回か討伐隊が倒した魔物を目にしたことはあった。
魔物には魔法を使えるものもいると聞く。
これは、風を使って襲い掛かる魔物なのだろうか。
ここにいては危険だ。
早く逃げて、女将たちも避難させなきゃ危ない。でも、足が動かない。
暴風の中踏ん張ることで精一杯だからか、
それとも――
霞んだ視界で前方を睨む。塵で痛んだ瞳から涙がこぼれる。
相手を睨みつける。この突風が自然と発生しているとは考えられない。
何か、人為的な何かがこの風を巻き起こしているのは確かだ。
おそらくは、魔物。そうバイエラは狙いをつける。
唸りを上げる暴風の中、その一際強く吹きすさぶ所を凝視する。
「!?」
吹き荒れる暴風をものともせずに彼はいた。
少し緑がかった長い銀の髪はこの風の中でも美しい流線を描いて舞踊り、布をふんだんに使った見たこともない服も気品を失わずに白い輝きを放っていた。
透き通った透明の肌は、白磁を思わせるきめ細やかに白く淡い光を放っているよう。
年は20歳は越えているのだろうか。閉じられた瞳は切れ長に、目元に化粧が施されている。それでも、この人物の整った顔立ちは群を抜いている。
神がかった美しさとは、彼のような人を言うのだろうか。
いや、むしろ彼はここに舞い降りた風の神なのかもしれない。
閉じられていた切れ長の瞼が開かれる。
宝石のようにきらめく瞳は、まるで春先に芽吹く萌黄色。
その瞳が捉えたのは、
「…え?」
懐かしい友人に巡り合えたように彼はバイエラに微笑みかける。
風に身動きできないバイエラに、白磁の手を伸ばす彼。
彼の動きに呼応して、荒れ狂う風もいつしか消えていった。
土ぼこりで霞んでいた視界も鮮明さを取り戻す。
笑みをたたえていた彼の表情が一変する。
差し出された右手はそのままに、バイエラを見つめて眉間に皺を寄せる。
「お前…誰だ?」
彼がそう言った途端のことだった。
ポンッ、と小気味よい破裂音がするや否や彼から白い煙が噴き出し包み込む。
煙が晴れた頃には、彼の姿が一変していた。
透き通った透明の肌は、白磁を思わせるきめ細やかに白く淡い光を放っているように見える。
少し緑がかった長い銀の髪もそのままである。布をふんだんに使った見たこともない服も気品を失わずに白い輝きを放っていた。
ただし、その全てが幼児化していたが。
差し出された右手も、すっきりとした綺麗な顔立ちも、バイエラを見下ろすほどあった身長も七、八歳の子供のそれに全て変わっていた。
予想外の出来事が起きるとお互いに言葉を失ってしまうものらしい。
凝り固まった頭がフル回転しようとしたときだった。
ごんっ!
暴風によって宙に跳ね上げられていた洗濯桶が彼の頭に直撃した。
尻尾を踏まれた猫のように短くも大きな悲鳴を上げる彼に、慌てて駆け寄ろうとするバイエラ。
その彼女にも災難は等しく訪れた。
桶にたまった大量の水とともに、脱水されていないベッドシーツの山が彼女を襲う。
滝に打たれたような衝撃と真っ白な視界に驚き、布に足をもつれさせた彼女は顔面から盛大に転倒する。
じたばたともがいてシーツの森から脱出するバイエラ。
その先に小さくなった彼が足を広げ仁王立ちをしていた。
「よくもふざけた歌で俺を呼んでくれたな。一体全体何の用だ、ガキんちょ」
幼く変化した彼のこめかみには幾本かの筋が浮き上がっている。そしてそんな彼の脳天にはぷっくりと膨らんだ大きなたんこぶが神々しいまでに鎮座ましましていた。
「…えへへへっ。すっごく大きいね、たんこぶ」
ぶちりっ、と自分の中で何かが切れる音を彼は聞いた。
「何がたんこぶだ!
お前のせいだろが、バカ女!
能無しのクセして途中で集中切ってんじゃねぇ!
お陰で俺はこんな惨めな姿になってんじゃねぇか、さっさとやり直せ!」
「え~、君かわいいよ? ほら、こんなに大きなたんこぶ普通出来ないって。
うん、ステキ。とっても似合ってる」
彼の剣幕などお構いなしに、バイエラはニコニコと濡れた手でつんつんたんこぶをつつく。
「痛ぇっ! 触んな、能無し能天気バカ女!」
「えへへへっ、よく言われる~
でもねボク、初めて会った人にいきなり悪口はいけませんよ~」
彼の言葉などまるで意に介さないで満面に笑顔のバイエラ。
幼児にしか見えないこの体型のせいなのだろうか。
元来持つ彼の威厳はことごとくあらぬ方に捻じ曲がってバイエラには届いてしまっているらしい。
もう怒る気も失せてしまう。
「…あのな、お前俺の本来の姿見てたよな。 その上でこの俺をボク扱いしてんのか?」
「ほんらいのすがた…?」
バイエラのまん丸で大きな瞳がじっと彼を見つめる。そして――
「おっきなお兄さん、ドコ行ったの?」
「俺だよ! オ・レ!
目の前でチビになっちまったの見ただろが!」
前言撤回。
ずぶ濡れになったこの少女のボケかました天然さに、彼の怒りは治まることがないらしい。
クリッとした大きな茶色の瞳に、あどけないそれでいて少し大人びた感じも伺える少女。
雫が垂れている長い髪はクセっ毛なのか波うち、バイエラの華奢な体にぴったりとくっ付いている。
水圧のせいなのか、ボタンの外れた白いシャツからは成長過程の少女のなだらかな―― 「バ、バカ! なんて格好してんだ!」
「アイ?」
慌てて彼は回れ右をした。
「上! 胸! 丸見え!
さっさと隠せ! バカヤロ!」
「……あれまぁ」とのんびりとした声を上げるバイエラ。
「ボク、おマセさんなんだねぇ~。
ねぇボクはどっから来たの~?」
「ど、ドコからって精霊界だよ」
「セーレーカイ? ふぅん、遠いとこから来たんだねぇ~」
「まぁな。 けど俺を呼んだのはお前だぞ。
お前の歌が俺をここまで導いたんだからな」
「またまたぁ、歌にそんなこと出来ませんってば」
「変なヤツだな、精霊界は信じてるのに歌の力を信じてねぇのか?」
「信じるも何も、セーレーカイって聞いたことないし」
「……は?」
さっき遠いとこから来たねと、この少女は言った。確かに言った。
なのに、聞いたことがない?
「え? だからアキチの知らないくらい遠いところにあるってことだよね?
そのセーレーカイって街? ここ、旅人さんたちがよく来る街だからフツーだよ?」
「……………」
だめだ。後ろにいるこの能天気な少女には非常識というものが通用しないらしい。
荒れ狂う暴風の中から突然人が現れたのに、しかもその人物がいきなり幼児化したにもかかわらずその現実を消化する気が全く無い。
「とりゃ!」
がばっ、とバイエラが彼の服を掴みかかる。
「うわっ!」と暴れる彼だったが、対格差もあってか彼女の腕から逃れられず上着を取られてしまう。
思わず振り返った彼の目には
「服脱いでんじゃねぇぇぇーーー!」
びしょ濡れになった服を全部洗濯桶に脱ぎ捨てたバイエラが「えへへへへっ」と能天気な笑顔をしていた。