THC。
目が覚めると、睦月はソファーの上に寝ていた。
起き上がらずに目で辺りを見渡すと、部屋には黒いビジネスソファーと机しかなく、壁には古い賞状や写真等が飾られてる。
全く見知らぬ部屋・・・いくら思い返しても、この部屋に入った記憶などなかった。
「ここは、一体・・・?」
「お、目が覚めたのか!一体いつまで寝てるのかと思ったよ。」
急に後ろから女性の声がした。
後ろを向くと、そこには身長160cm位のいかにも活発そうな明るい茶髪の女性がいた。彼女は女性なのに、なぜだか男性物の黒いスーツを着ている。
そして、その後ろには身長178cm位と背は高めで、茶髪がかった長髪を後ろで結んでいるスーツ姿の男性が笑顔を立っていた。
「なぁお前、灼夜さんの跳び膝蹴りをモロ食らったんだって?痛かっただろー?あの人は手加減を知らないからなー。俺も去年は(もご!?もごもご)」
近づいてきたと思ったら色々と喋りだす短髪の女性。
あまりの勢いに睦月が気押されていると、それを見かねてか、後ろの男性が近づいてきて女性の口を覆った。
「こら夢斗、いきなり喋り過ぎだ。新人君は困っているじゃないか。言いたい事は色々有るとは思うが、まずは自己紹介するのが礼儀じゃないかな?・・・で、睦月君だったかな?まずは初めましてだね。僕は姫島 飛鳥。気軽に姫島さんと呼んでくれればいいよ、よろしくね。」
「・・・はぁ・・・」
よくわからないが、この営業スマイルの得意そうな姫島さんは空気の読める人だという事だけはわかった。
「(もご)っぷはぁ!!で、俺は夢斗だ。お前の大先輩になる。しっかり敬えよ!・・・ってか俺の事は女扱いするなよ、こんな姿だが俺は一応おと(もご!?またかよ!?もごモゴ)」
「だから、一気に喋り過ぎだって。いきなりこんな所に連れてこられて混乱しているはずなのに、そんな一気に喋られても更に混乱するだけだろう?・・・違うかい、睦月君?」
応接室のような部屋の中、唯一あるドアの前で騒ぐ二人。睦月は戸惑いながら姫島の問いに返事した。
「・・・え、えぇ、そうですね・・・ここはどこなんですか?」
「モゴもご(俺にも喋らせろー!)」
姫島は女性の口を強く抑え、暴れている事も気にしない様子で睦月の質問に答えた。
「ここは『THC』と呼ばれる会社内だ。君を失神させた灼夜さんや僕や夢斗が働いてる所だよ。」
「・・・失神させて僕を此処に連れ込んだってことですか。」
睦月も姫島同様、夢斗と名乗る女性を無視して会話を続けた。・・・女性はかなり暴れている。
「モゴモゴ(早くはーなーせー!)」
「不本意ながらそういう事になるね。とりあえずその事については、これから会う部長が説明してくれると思うよ。・・・あー、もう、うっとしいな。」
コキッ!
姫島が暴れている夢斗の首を軽くひねると、異様な音とともに夢斗は静かになり、倒れた。
「・・・ふぅ。あ、コイツはこういう事には慣れてる奴だから気にしないで。じゃ、ついて来て。」
そう言って姫島と名乗る男はドアを開け、歩き出した。
遅れて睦月も倒れている夢斗を避け、姫島さんに連いて部屋を出る。
「今さっき灼夜さんに説教を終えたばかりのはずだから、部長は部長室にいるはずさ。・・・さぁ着いた。」
先ほど居た部屋を出て、通路を突き当たりまで歩くと部長室だった。
コンコンとノックして姫島さんは「部長、入ります。」とドアを開ける。
ドアを開けると、その部屋はいかにも部長室!という間取りの部屋だった。
二つの対になったソファー、その真ん中に低い机、奥にはガラス張りの壁を背に部長の机があり、そこに部長と思しきお爺さんが座っている。
しかしお爺さんは取込中の様で、電話をしている最中だった。
お爺さんはこちらに気づくと、電話機を押さえ小声で言った。
「おぉ睦月君、目覚めていたのか。少し待っていてくれ、直に終わる。」
「・・・」
「えぇ、ではまた色々分かり次第連絡させていただきます。・・・ぇえ、ではまた後日、失礼します。」
――カシャン。
電話は無事終わった様だ。
電話を終えるとお爺さんははこちらにゆっくり歩いて来ながら
「・・急に連れて来てしまってすまないね。とりあえず座ってくれたまえ。」
と、睦月に座ることを勧めた。
小柄で白髪、おでこが広く眼鏡を掛けている60代位のお歳であろうお爺さん。
やはりこのお爺さんが部長の様だ。
睦月が言われるままソファーに腰掛けると姫島は部長さんに、「今のはやっぱり社長ですか?」と質問した。
姫島の予想は当たったらしく「うむ。昨日飲み過ぎたらしく、二日酔いだから後日にしてくれと言われてしまったよ」と苦笑いした。
それを聞き姫島は「フッ、社長もお酒が好きですね。」と笑いながら答え、「では、失礼します。」と部長室から出て行った。
「えー、まず私はTHC、日本支部特別連行営業部の部長の風切だ。まずは睦月君に謝罪を言わなければならない。うちの灼夜が君に暴力を働いたと聞いている。本当に申し訳なかった。彼女には私からよぉーく言っておいたから許してほしい。」
睦月の対面の椅子に座り、話を始めるお爺さん。申し訳なさそうに謝罪を述べて少し頭を下げた。
「・・・はぁ。別に良いですけど・・・。(あれも・・・見えたし・・・。)」
睦月はその時の事を思い出し少し赤面した。
「そうか、ありがとう。ちなみに彼女が言っていたスカウトの話は本当だ。私は君にこの会社で働いてほしいと考えている。その理由を話す前に、こちらからも質問をさせてほしい。君は先日、突然衝撃に襲われはしなかったかね?」
「衝撃?・・・確かに昨日すごい衝撃を感じましたね。」
「その衝撃、こちらの調べではキミに雷が直撃したのが原因だと思われる。しかしそこで疑問が生まれないかね?なぜ直撃したら死んでしまう様な物を喰らっても君が生きているのだろうか?」
「・・・?」
「信じられないとは思うがこの世界には、認知されていない『力』が存在するのだ。その力は、時に魔力や霊力、浄化力等とも呼ばれ、様々な種類がある。この力には、数ある種類の中に少し例外も存在するが、君の住む世界では殆どの者が持っていない事がわかっている。つまり、極一部の者しか力を宿していないと言う事だ。力を持つ者は、生まれた時から力を持って生まれ『覚醒』、つまりは使える様になる時期は人により様々となっている。生まれながら力が使える者もいれば何かのきっかけで使える様になる者もいるという事だ。例えば・・・、雷の直撃を受けるとかね。」
「・・・その『覚醒』のおかげで僕は今生きているという事ですか?」
「そういう事だ。」
余りにぶっ飛んだ話しだったが、睦月はとりあえず話を最後まで聞いてみる事にした。
「・・・すごいお話ですね。」
「余りに突拍子過ぎて理解に苦しむのも無理はない。とりあえず話を続けると、『覚醒』が行われると力が使えるという良い事だけが起こる訳ではない。力の大きさに耐え切れずおかしくなる者や、力が制御できず暴走する者もいる。なのでそうならない様に保護し、力の正しい使い方を教え、力を使える場所を提供する場所こそ、この会社『THC』なのだ。君にはその宿った力を活かし、この会社の為に働いて欲しいと思ったので、灼夜に君をスカウトしてきてもらったのだよ。」
「・・・なるほど、流れだけは理解できました。」
「あまり現実味のない話ではあるが、就職先のない君には良い話のはずだ。とりあえず此処で働いてみて自分に合わなかったり、嫌だと感じれば辞表一枚で辞めてもらって結構だ。どうだろう?この契約書にサインをしてみてくれないかね?」
そう言って風切部長は机に置いてあった契約書を睦月の前に出した。
しかし、「はい、わかりました。」と二言返事が出る訳もなく、睦月は悩んだ。
「先ほども言ったがこの会社で働けるのは力を持った者のみだ。しかもこの会社に働けるチャンスは今しかなく、今回を逃すと多分この会社で働く機会はもう二度と訪れない。そしてその場合、自分で自分に宿った力を制御しなければならない。それができないと回りの者を傷つけてしまったり、君自身にも死の危険が出てくる。そうならないためにも、どうか今ここでサインをしてほしい。」
「・・・(うーん)。」
睦月は困りきっていた。
別に再就職したくない訳ではない。しかし、本当に信じていいのか悩んでいた。
強制的に連れて来られたのだから戸惑うのは当然の反応である。
睦月が契約書を前に考え込んでいると、急に部長室のドアが勢いよく開いた。
バンッ!!!
「失礼します部長!!先程巡回中に、地上をうろついているD級霊を発見しましたので睦月君を連れてきます!!」
開くやいなや走ってきたのは跳膝蹴りをした女性、緋野 灼夜だった。
灼夜は睦月の手をつかむと、グッと引っ張り睦月を立ち上がらせた。
「えぇっ!!!!??」
「じゃっ行くわよ!私の手を離さないでね。」
焦る睦月の手を握り何かしようとする灼夜。
その姿を見て部長もびっくりしていた。
「お、おい、待て灼夜!その子はまだ契約が済んでな」
部長の話など聞こうともせず灼夜は「せーのっ」と手を強く握った。
その瞬間、目の前の景色はぐるりと回り、気がつけば睦月は外に立っていた。