第七話 冬雪
ようやく紅魔への旅路が開かれそうです…
巡洋艦「白沢」艦長室 昭和85年(第125期)12月26日5時45分
「総員起こし15分前ぇー!」
艦内のスピーカーより大声が発せられる。帝国海軍の朝の始まりである。
私は目をこすりながら、寝床から這い上がった。
「もう朝か…」
そう思いつつ舷窓にかかったカーテンを開ける。外はまだ暗く何も見えない。
暗闇を切り裂くかのように照らされる一筋の探照灯。光筋には雪がぼやっと浮かび上がっていた。
艦長室の電灯のスイッチを捻り、襦袢と袴下だけの服装からきちんとした軍服に着替える。
女になれども、寝るときの服装は変わらず襦袢と袴下だけだ。
「総員起こし5分前ぇー!」
再びスピーカーから発せられる声。
一種軍装に着替え襦袢と袴下を畳み寝床に乗せた。最後に再度、襟と袖口を正す。
「さて行くかっ!」
そう言い分厚い扉を開き艦橋へと向かった。
巡洋艦「白沢」ブリッジ 6時ちょうど
「総員起こし!吊床収めぇー!!」
信号ラッパの音と共に他の士官たちも艦橋に上がってくる。
「おはよう。」
「おはようございます。艦長。」
周りを見渡すと、ちらほら来ていない士官もいる。
まだ外は暗く白熱電球の明かりがあたりを薄暗く照らしている。
「なあ副長。」
少しの静寂の後口を開く。
「…どうしましたか?艦長。」
「そんな怖い声で言わなくてもいいじゃないか…いやさ、昨晩の飯を食いっぱぐれてしまったのだね…」
「と言われましてもねぇ…八時まで待ってくださいよ。」
「結局そうなってしまうか…」
腹がなっているのが聞こえる…
「…おはようございます艦長」
いつの間に、艦長以下副長や航海長・運用長などが艦橋に揃っていた。
「ああおはよう。ようやく全員揃ったようだな。本日の動きを説明する。」
そう言い、話を始める。
「私とほか一部は宣撫班を編制し、昨晩に博麗霊夢からもらったこの郷内の有力者リストを参考にして、宣撫工作を行うため各所を回ってくる。それに伴う人員は後ほど発表する。」
なぜか戸惑うような仕草をする士官がいる。
「それ以外はこの基地内の整理整備にあたって欲しい。以上だ。何か質問はあるか?」
一人航海長がすっと手を挙げた。
「なんだ?」
「宣撫工作とは何ですか?」
…この人達は艦隊勤務一筋か。
「宣撫工作とは、占領地に住む住民たちの人心を安定させ治安の維持を行う活動だ。主に陸軍が支那などの占領地で行なってきた。ここはあくまでも占領地ではないが、我々の存在と行うことを広く理解してもらうのを目的とする。これでいいか?」
「はい。ありがとうございました。」
「他には…ないようだな。これらは課業初めとともに始める。」
「はっ!」
「あと通信長。0630に他艦の艦長と副長・参謀たちを当艦司令部室に集合するよう連絡してくれ。」
「了解しました。」
「よし。じゃあ解散としてくれ。」
そう言うと一斉に礼をし各持ち場へと向かっていった。
ふと窓に向かい甲板を見下ろしたら、下士官と兵たちが毎朝恒例の海軍体操をしていた。
巡洋艦「白沢」司令部室 6時28分
高雄型重巡洋艦5番艦であるこの艦には、高雄や愛宕と同じように巨大な艦橋を持ち、そこに司令部設備を備えている。
その第六階層に司令部室(いわゆる作戦室)が設けられていた。
「では少々早いが全員集まったので、これから始める。」
一斉に10度の礼。全員制帽を脱いでいるので敬礼ではない。
帝国海軍の士官が揃う荘厳たる面々…のはずだが性転換した者がほとんどで、男性は二式大艇に搭乗していた参謀たちだけになっていた。
彼らもまた居心地を悪そうにしていた。ほとんどが女性なのだから。無理もない。
全員が椅子に腰掛け一段落着いてから本題に入る。
「今回の内容は本日及び今後の我々の行動に関することだ。」
一旦言葉を区切り全員の顔を眺める。
「過去にこの幻想郷には軍隊たるものは全く存在してなかったようで、軍隊その物を知らない者もいるようだ。そこで今回、陸軍が占領地で行なっていた宣撫活動というのを実施する。この写真はその現場を写したものだ。」
そう言い、黒板に貼りつけてあった数枚の写真を指差す。
「具体的には占領地に住む住民たちの人心を安定させ治安の維持を行うことである。これらの活動は海軍陸戦隊でも一部でしか実施しておらず、ノウハウも何もない。」
一瞬室内がざわめく。
「そこで提案だ。この地に居る有力者にまず我々軍隊の存在意義を説明し、協力体制を構築する。我々が存在していることを確実に示すためにだ。その後大きな催し物でその他の者にも存在をアピールする!」
「ここは内地なのではないのですか?何故そのようなことを。」
急に飾緒を引っさげた参謀が口走る。他の数人も上下に頷く動作をとるように見えた。
「…誰が言ったかわからんが。あくまでここは日本内地と扱うことは出来ない。なぜなら。外界と遮断されてからすでに百年以上経っているそうだ。我々のいた世界と同じ物を求めるのが間違いだろう。」
「何故全て信じられるのですかっ!それが全て妄言で陥れようとしているのではっ!」
さっきと同じ声の人間が立ち上がり言う。
「普通の人間が空を飛ぶと思うかね。ここにある建造物も我々の時代以下のものだぞ。人里の建物なんて徳川時代の建築物ばかりの上に、電気もないぞ!」
立ち上がった参謀に少し声を大きくして返答する。
その参謀は不満があるような顔をして椅子に座った。
「…現在我々は内地と言えて言えない場所にいる。ここは大変危険なのはわかりきった話だ。そこで敵を限りなく減らす策を取る。何かある時まではひたすら訓練と説明だ。何か質問異議あるか?」
異議なし…のようである。
「この活動に関しては私が指揮を執る。陸戦隊参謀の岡部参謀と数人にはこの部屋に残って具体的な動きを練る。私からは以上だ。」
そう言い言葉を一旦区切り、他の参謀士官の顔を見渡す。
「他に誰か何かあるか?」
岡部参謀の副官が手を挙げる。
「どうぞ」
「えー全く違う話で申し訳ありません。この基地に保管されていた兵器等を簡単ながらリストアップしました。一度目を通しておいてください。またこれは陸戦隊隊長にも報告済みなので合わせお願いします。」
彼はそう言い私に数枚綴りの書類を手渡した。ゴワゴワの質の悪い紙にはガリ版印刷で刷られたであろう文字が見える。
「了解した。岡部参謀と陸戦隊隊長ほか一部残ってあとは解散とする。」
他の士官たちは席から立ち、一礼とともに作戦室外へと辞していった。
重巡洋艦「白沢」艦尾 7時57分
帝国海軍の軍艦ではいつも通りに軍艦旗掲揚を行う。その時間は八時ちょうど。
どこにいても帝国軍人は八時ちょうどには一斉に立ち上がり国旗または皇居に向け敬礼する。
艦尾には士官や下士官・兵が集まってきていた。今日は作戦室にいた参謀たちも艦尾に飛び出していた。
私はようやく朝食を食べ、後の方に艦尾に向かう。全員が整列し右舷の方を向いていた。
「おはようございます!」
「おはようございますっ!!」
彼らの前に出てきた私はまず最初に挨拶をする。これもいつも通りだ。
それに応じ彼らもまた敬礼し挨拶を返す。
もう既に旗竿には紐がかかり根本にいた兵が軍艦旗をたたんで持っている。この艦が生きている証の旗だ。
「これだけはいつも通りだな…」
艦尾旗竿には艦の乗員たちが綺麗に並ぶ。
軍艦旗がかかる紐を持ち、横で旗自体を持っている兵の顔を見つめる。
十秒前の放送を待つ…
「十秒前ー!」
かかった!
「きをつけーっ!!」
それとほぼ同時に気を付けのラッパが吹奏される!
そして10秒を数える…
「かかれーっ!!」
軍艦旗を海に向け放たれた!配分を間違えないようにゆっくりと旗を引き上げる。
君が代のラッパがあたりに響く…
紐を引き上げつづけ…ラッパが終わるのとぴったりに旗竿のてっぺんに止めた。
「かかれっ!」
最後の号令だ。このラッパが吹奏し終わるとみな各々の場所へ解散する。
紐を兵に渡ししっかりと旗を固定させた。
「いつやっても緊張するな…」
「横で持っているだけでも緊張しますよ…」
横の航海科であろう兵長が答える。
今日は厳冬の微かな雪が降る日であった…
重巡洋艦「白沢」艦長私室 8時25分
岡部参謀たちと話し合った結果、いきなり今日から活動を行うこととなった。
参謀たちは基地に残り、駆逐艦霊夢の吉田艦長とその副長が人間の里に。私と福原副長がこの湾の向こう側にある館に赴くこととなった。
そして私は、略装がわりに使っている陸戦隊士官制服に着替えていた。ピストルベルトも締め、拳銃と太刀も携行する。
あちこちを綺麗に正し鏡を見る。
「よしっ。まともだな。」
今度は大きな事務机の上においてある、純銀弾と通常弾がともに装填された2つの拳銃弾倉を取り上げ、弾倉のうに詰める。
最後に89式小銃の弾倉も弾倉ポケットに突っ込み、もう一度鏡をみてこの部屋をあとにした。
重巡洋艦「白沢」舷門 8時37分
「艦長どちらかにいかれるのでしょうか?」
舷門当直に上陸札を渡す時に話しかけてきた。
「ああ。あそこにある…洋館に行ってくる。昨日に引き続き警備を厳としてくれ。」
「はっお気をつけていってらっしゃいませっ!」
当直の威勢のいい声に後押しされ舷梯を降りる。空は雲ひとつない快晴で、左舷に寒風が吹き抜ける。
だが、まだまだ雪は溶けず、深い雪に覆われている。長い冬の序曲でもあるようだった。
鉄板張りの舷梯を降りると…目の前に副長が待ち構えていた。
「何時まで待たせるのですかっ!」
「ただが15分ぐらいだろうがぁ!なんでそんな怒ってるんだ…」
「寒 い ん で す よ !」
──航海長曰く気温4度と…
「あ…ー申し訳ないな。とりあえず陸戦隊倉庫行くか。」
「とりあえずじゃないですよ…」
ふくれっ面の副長。
「それが数日前太平洋沖だったら殴ってたぞ…」
「女だったらいいんですか…」
「…まぁ元は女で数日前までは男だったがな。」
取留めのない雑談をしつつ陸戦隊倉庫に私たちは向かった…
幻想郷港 陸戦隊倉庫 8時43分
この港はただただだだっ広く、工場や船渠・滑走路などの施設が多数ある。
そんな基地の端の方に陸戦隊倉庫は建っていた。早く言えばただの車庫である。
「おーい誰か居るかーっ!!」
中で甲高い金属音が聞こえる…
「どちらさまでぇーっ!!」
「巡洋艦白沢艦長!東雲蒼中佐だっ!!車両を貸してほしいっ!」
…金物を落とすような硬い音とともに靴の音が同時に響く。
眼鏡をかけた事業服で猫背気味のおっさんが走ってきた。
「ごっご無礼申し訳ありませんっ!!」
「あ…いやそんなに丁寧にしなくていいぞ…車両を1両貸してほしい。」
「陸戦隊技術科森下特務少尉です!いま車両を回してきますので少々お待ち下さいませー!」
「おいっそんな急がなくてもいいぞ…あー」
森下特務少尉は走って倉庫の奥に走って行き私たちは取り残されてしまった。
寒風の空のもとである。
「…なあ副長。」
「…どうしましたか?なんとなく言いたいことはわかりますが…」
「…普通に三座水偵出したほうが良かったんじゃね…?」
「「…」」
陸戦隊倉庫 9時3分
我々は倉庫内に入って、整備場の端にある長椅子に腰掛けていた。
アーチ状の高い天井には水銀灯がぶら下がり、床上操作式のクレーンも備え付けられている。
陸戦隊の整備兵たちは、倉庫の奥で眠っていたであろう車両を次々と点検していっていた。
「あれは…陸軍の4式中戦車だよなぁ…」
「貸与でもされてるのですかね?」
「いや…四式中戦車は試作止まりだったはずなのだが…整備マニュアルも有るのだろうな。」
「ところで森下特務少尉はいつ戻ってくるのだろうかー…」
工場の中では検査ハンマーの甲高い音が聞こえ、エンジンの音が響きわたっていた。
さて。ようやく特務少尉がくろがね四起を準備してきたようだ。銃架には一式重機関銃が据え付けられている。
軽いエンジン音。僅かなブレーキ音。目の前にピタッと止まる。
「時間かかってすいません!検査済みの車両がまだ無くて…点検もしたので大丈夫ですよ!」
車から降りノブに手をかけ載るように彼は促した。
「一式重機関銃も整備済みか。」
「ええ。完璧な動作ですよ。銃弾だけは弾薬庫から持ってこないとダメですが。」
黒く光るその重機関銃は薄く青い光を放っている。
「そうか…ありがとう。」
そう言い車に乗り込み扉を思い切りよく閉める。
「お気をつけてっ!帰りは此処へ戻してくださいねっ!」
私は帽子を軽く振りアクセルを踏み込む。吹き上がるエンジン。すぅっと車は走り出した。
バックミラーに映るさっきの士官。帽振れで私達を見送っていてくれた…
一旦弾薬庫に車を横付けする。
「副長。保弾板付きの7.7ミリ実包10箱持って来てくれ」
14年式拳銃の南部弾や89式小銃の5.56ミリ弾はすでに自分で保管し携行していた。
「了解です」
副長も短く返し車を降りて弾薬庫に向かった…
それにしても寒い。時12月の26日。雪も降り続いている。
軍装の上にコートを羽織っているが寒い。
深々と振り続ける雪にあたりの静寂。遠くで雪かきの音が聞こえるだそれ以外は何も音が聞こえない。
視界も白くもやがかっており、降雪量が多いことだけはよくわかった。端の方に集まる靴の跡とタイヤ痕…
ボケっとただ雪積もる外を見ていた…
がちゃん
「ぬおっ!」
いきなりの物音で驚く。音の先には副長がきょとんとした顔でこっちを見ている。
「艦長どうかしましたか…?」
「いや…すこし居眠りしただけだ…さて…行くぞっ!」
「りょーかいです!」
副長は雪をかるく払って車に乗り、私はアクセルを踏み込む。
営門を抜け雪が降り積もり続ける湖畔の縁を走らせる。
深雪の路を切り開き走り去っていったのであった。
南方戦線で戦っていた人には寒すぎるようですよ。
次はようやく紅魔郷に殴りこみ