空の食卓
1日3食、一汁三菜というバランスの良い献立ばかりではなかったけれど、きちんと食べる物は用意してもらっていた。
物心がつく頃、という程幼い頃ではないけど、その時にはもう父はいなかった。いないことが自然だと思えるくらいには、私の中で存在の薄い人だった。
祖父母と暮らし、母は働き詰めだった。
昭和一桁代生まれの祖父母は、出戻りの娘と父親のいない私を憐れむような目で見ることがあった。
直接そういう類のことを言われたわけではないけれど、子ども心に何となく察することはあった。
母の帰りを待ち、夜遅くまで起きている私を憐憫の眼差しで見つめる祖父が痛々しく、苛立たしさを感じさせた。
可哀想だとは思われたくなかった。事実、寂しくも悲しくもなかった。
特別な感情は何もなかった。
周りの大人の目は私の感情に関係なく、いつも1つの答えを写しているようだった。
私が喜べば、「もっと幸せだったかもしれないのに」
私が悲しめば、「やっぱりね、かわいそうに」
どちらにせよ彼らには〝かわいそうな子〟にしか見えていなかった。
何を言っても、どう感じようとも変わらないのならば、と段々と感情を殺すようになった。
彼らの視線によって、私が傷つけられていると悟られないように。