烏桓征討 会戦
「張純殿、話が違うではないか」
烏桓の中で大勢力を持つ丘力居は自らをそそのかした男に詰め寄った。公孫瓚が西方の反乱討伐に赴いた話は先述したが、その際に従軍を希望して断られたため、その措置に恨みを持っていたのが張純である。
公孫瓚の留守に北平を襲撃することで彼の面目をつぶすことが目的であった。主力は遠征に参加しており、劉虞の援軍も望めない。公孫瓚の配下が劉虞の配下と対立したことがあり、彼らの関係は冷え切っていたのだ。
「だがあの陣容を見よ。先鋒で出てきた騎兵は確かに強かったが長駆して疲れ切った兵を討ったのみ。そして歩兵が中心だ。柵に閉じこもっているようだがあんなものは簡単に打ち破れよう」
「むむ、貴殿の言うことはもっともではあるが」
「うむ、貴公の精兵は中国の歩兵などに遅れは取るまい。かの始皇すら長城を築いて守りを固めたのだ」
「そうか、まあよい。では貴殿も攻撃に加わってもらうぞ?」
「無論だ。見るにどこの誰とも知れぬ旗印を掲げておるようであるが、あのような小童に負けることは無いぞ」
調子よく丘力居を持ち上げるが、援軍が来た時点で張純の策は破れている。今は何とか無事に離脱することだけを考えているようだった。
「ふむ、見事な馬であるな」
少数の兵と共に着陣した曹操は、先の初戦で奪った敵の軍馬を見て、ため息とともに言葉を漏らした。
「ですな、西方の汗血馬も見事と聞きますが」
「并州の丁原殿あたりならば伝手を持っているやもしれぬな……」
「仮に持っていたとしても我らにそれを使う義理はありませぬな」
「仲徳殿、それは言ってはいかん」
すでに出撃の前に軍議は成されており、その予測を外れることは大筋ではなかった。緒戦の攻防で手柄を上げた張郃は戦時による臨時措置で、校尉の位を与えられている。
「儁乂、手ごたえはどうであったか?」
「そうですな。駆け続けで息が切れていたので簡単に足を止めることができました。しかし、今は布陣したうえで十分に食べております。まともにぶつかっては厳しいかと」
「であるか。うむ、我も同意見だ」
敵を持ち上げる様なことを言えば過去の上官は声を荒げたものだった。しかし、曹操も夏侯淵も特に何を言うではなく、その言葉にうなずいている。
張郃の表情を見て察したのか、曹操が重ねて言葉をかけた。
「彼を知り己を知れば百戦して尚危からず。敵味方の力量を正確に把握し、希望的観測はさしはさまず、冷徹に現実を見つめるのだ。精強な騎兵とて弱点はある」
「はっ」
「攻勢が長く続かないことだ。故に城攻めなどには向かぬ。野戦では無類の強さを誇るがな」
「なるほど、故に……」
「うむ、此処は城だ。敵の攻勢を阻み足を止める。堀と土塁の高低差は騎馬で越えること能わぬ」
軍議がひと段落着いたところを見計らったわけではないのだろうが、万の馬蹄が地響きを立て、烏桓の騎兵が前進を開始した。
剽悍な騎馬民族は手足のように馬を操り、膝で馬の胴を挟んだ状態で弓を引き絞り、放つ。
草原では馬を駆けさせたまま矢を放ち、獲物をしとめる。天性の狩人たちが放つ矢は数は多くないが盾の隙間を射抜き、その背後の兵たちが苦悶の声を上げる。
射すくめられ、反撃ができないと見た騎兵は柵に近寄り……偽装されていた空堀に真っ逆さまに落ちた。
逆茂木に貫かれ、断末魔を上げる暇もなく息絶える烏桓の騎兵たちは数多く、速度を落とすこともできずに次々に堀に足を止められ背後から押し寄せる味方によって堀に押し込まれる。
先陣の混乱を見た丘力居はいったん突撃を止めるよう角笛で指示を送るが、混乱を立て直すには至らない。柵の合間から出撃した兵が手槍で身動きの取れなくなった騎兵を仕留めていく。
一部の兵は馬を降り、徒歩で堀を乗り越えようと迫るが、手元には剣しかなく、槍を持った相手には間合いを詰めることなく突き伏せられる。
下手に矢を射かければ味方に当たるので、射撃が途切れたことで盾持ちの兵の手が空いた。
「今だ、弓兵、放て!」
周倉の指揮で陣から無数の矢が放たれる。それは前が詰まって押し合いへし合いしているあたりに降り注ぎ、さらに混乱を助長させた。
尻に矢が突き立った馬が狂奔し、騎手を振り落として暴れ狂う。その嘶きを聞いたほかの馬も興奮し、騎手の制御を離れて暴れ出す。
身動きが取れなくなっている騎兵に対して無慈悲に矢が降り注ぐ。
何とか混乱を収めて、撤退に成功したあとで、倒れ伏す騎兵の数は千近くに上った。
「ふむ、ここまでは上手く策がはまったな」
「ですのう。次はおそらく夜襲でしょう」
「うむ、夕刻、日が傾いたころ合いで兵を陣の外に出す。中には我が残り、攻撃の合図を出す」
「孟徳殿、それは危険であろう」
「羽将軍、貴殿には敵を討ち砕いてもらわねばならぬ。その絶倫の武勇を今こそ奮うときだ」
「そうか、ならばお任せしよう」
あらかじめ目印を付けておいた位置に兵を伏せる。平原と言えどなだらかな起伏があり、陣構築の合間に程立があらかじめ目途をつけていた。
「ここだ」
関羽は自ら率いる精兵を陣の正面に向き合う位置で伏せた。周倉、廖化も別に部隊を率いて伏せている。
夏侯淵の騎兵も陣を出て陣を遠巻きにする形で待機した。
そして真夜中を過ぎ、わずかに日が差し始める払暁、喚声が上がった。
「かかれ、かかれ! 漢の兵どもを皆殺しにするのだ!」
馬を降りてひそかに近寄っていた歩兵が火矢を放つ。柵や陣幕に火が燃え移り陣の中を赤々と照らし出す。
しかし、予想に反して陣の中に人がいる気配がない。
「しまった! 嵌められたか!」
丘力居が怨嗟をこめて叫んだその時、曹操が手を振る。その合図はたちまちに率いる兵によって太鼓やドラが打ち鳴らされる。
「かかった!」
陣から火の手が上がると同時に関羽率いる兵が立ち上がって鬨を上げた。
同時に周倉、廖化の兵が無言で前進し、関羽の方に向いた注意を利用して静かに敵に斬りかかる。
背後を衝かれた格好になった烏桓の兵は完全に混乱した。
「突撃!」
夏侯淵の命令は簡潔だった。振りかざした槍先に向け、練りに練られた騎兵が駆けて行く。
その先頭を走る張郃は獰猛な笑みを浮かべて、最初に接敵した騎兵を槍で貫いた。
そこから先はもはや戦闘とすらいえない蹂躙であった。混乱し、逃げまどう烏桓の騎兵だったが、槍先をそろえて立ちふさがる重厚な陣を破れず馬が立ちすくむ。
「降伏すれば命までは取らぬ! 馬を降りて武器を捨てよ!」
烏桓は漢に服属して長く、ある程度の身分にあるものであれば言葉は通じる。
「ぬおおおお!」
決死の覚悟で関羽に斬りかかった騎兵は全霊の突きを関羽に避けられ、そのまま馬から叩き落とされた。
精強な騎兵の中でも名の知れた男だったのだろう。そんな勇者が子ども扱いされて馬から叩き落とされる姿に、剽悍な騎兵たちも戦意を根こそぎへし折られた。
短いが激烈な戦闘の後、丘力居が投降し、今回の反乱はあっけなく終結したのだった。




