#3 巨人は眠る
ブルグント騎士団国は、ほかのアーリア帝国加盟国とは少し違った。
ヒムラーを国家元首と定め、政府内が親衛隊で構成されたこの国は、フランス人、ユダヤ人、政治犯などを奴隷として使う奴隷経済を採用し、扱いは他のアーリア帝国加盟国とは一線を画しているほどの待遇である。
一日18時間労働は当たり前。残りの6時間で睡眠。休みは奴隷内の階級によって異なる。ユダヤ人は基本最低の階級(二等奴隷)、政治犯はその一つ上(一等奴隷)、フランス人は最も待遇がよく一日13時間労働だった。
また、神秘主義的傾向にあり、ヒュペルボレア民族とアーリア人の結び付け、最終戦争を自らの力で起こし、または起こると信じ、灰から新たな理想郷を作るというのが、指導者ヒムラーの目標であり、信念であったヒトラーからは、「アーリア人の楽園」と評された。
アーリア帝国の政治家からは、「気狂いの奴隷国家」と言われ軽蔑された。
ブルグントの奴隷からは、「人でなしの黒服」と言われ恐れられた。
シュペーア、ボルマン、アイヒマンは彼を軽蔑した。
ーーあの老人もついにぼけたか、と。
逆にヒトラーや一部親衛隊からはその神秘主義的傾向などを評価された。
ーーあの男、ヒムラーは簡単に言えば私の四肢の一つだ。動けといえば動くし、動くなと言ったら動かない。私は彼をとても信頼している。自分の息子のように思っている。
ヒトラーはそういう。
それほど総統からの信頼も厚く、忠実であったということだ。
ヒトラーについて、
ーー養鶏で失敗したときに閣下を見、新たな光を覚えた。私は閣下に一生ついていくことを決めた。たとえ、閣下に失望しようとも、閣下がどうやるのかを見たかった、欧州征服ってやつを。
ヒムラーはインタビューでそう語る。
ヒムラーはヒトラーに対して、あの老人め、死にぞこないめ。と思っていた。
理由は1950年のアラブ征服戦争にあった。
リヤド包囲時、包囲軍の大将、ブラントが前線で死亡した。
この報を受け取ったヒトラーは、前線の指揮をヒムラーに任せた。ヒムラーは拒否したが、しつこく迫られたのでOKを出してしまった。無論、秘密警察のヒムラーには戦争経験などなく、明らかに大将になれる器を持ってはいなかった。
結果、リヤドに立てこもるサウジアラビア軍の奇襲攻撃によって大敗北を期し、10000人の兵士を失った。ゲルマニアに帰ってくると、ヒムラーは明らかに怒りの表情を含め、ヒムラーを総統執務室に呼ぶ。
ーーこの間の敗北はなんてざまだ!
説教が30分ほど続き、ようやく執務室を出たころには彼の顔は青ざめていた。うげーーーっ。あの髭じじいめ。唾は飛ぶ、話は長いで最悪だ。ねちっこいし。そんな思いを含めながら自らの執務室へ戻った。
それからといいうもの、ヒトラーはヒムラーをあまり使わなくなったし、ヒムラーはヒトラーから距離を置くようになった。しかし、信頼はそこまで変わらず、次の日から相変わらず何千人の人々を収監する作業に戻った。
ヒムラーは総統の座を狙ってはいなかった。
総統の座など狙わずとも、時期にラグナロクがすべてを滅ぼし、カビの生えた玉座などなくなると考えていたからだ。
狙うには狙っていたが、それはつい15年前に生まれた子に座を渡したかった。
もちろん、ブルグントの傘下の玉座。
いうなれば、アーリア帝国に代わるヨーロッパ世界のアーリア人による統一を目指していた。
今日も地方の街から強制収容所に人々が送られる。
労働施設から鉄の音がする。カーン!カーン!朝から夜まで鳴りやまずに。
ヒムラーはそのころ、ドイツ本国にいた。
突如倒れたヒトラーの看病である。
ようやく死ぬのか、と彼は安堵した。薄汚いおいぼれが倒れる。それはヒムラーにとって権力拡大とブルグントの国家増強のチャンスであり、運が良ければ独立できる絶好の機会である。
独立した後は核兵器を製造し、ドイツ本国と対等な関係を持つことを計画していた。
そして、日本とドイツとローマの核戦争により、ラグナロクが始まる、と。
確かに終末の鐘の音は刻一刻と迫っている。しかし、ヒムラーがそこまで生きれるかはわからなかった。
もう65歳。あと10年生きれるかどうかみたいな歳である。
ヒムラーは死ぬのが怖かった。死ぬ、ということは自分にとって世界の終わりを示すからだ。
自分が死んだ後の世界なんて、自分には関係ない。
アーリア人の理想郷を見る、というヒムラーの野望は歳との戦いになるとヒムラー本人も知っていた。
ヒトラーはそばにいるヒムラーに話しかける。
「君は長年私の右腕として働いてくれた。君の名は私とともに永遠に語り継がれるだろう。ありがとう、忠実なる全国指導者よ。」
こんな奴の右腕だと!?腐った右腕になるほど私ももうろくしてない。ヒムラーは心の中で静かに怒った。彼に毒を盛って重体にしたのも私だし、その毒を調合したのも私だ。
自分を殺そうとしてるやつに感謝するだなんて。
ヒムラーはふと側近のゲーリングたちを見る。
ゲーリングも気づいてじろっとこちらを虎の目でにらむ。ここは戦場だ。ここでヒトラーに媚をどれだけうって死後成長するか。ここの場で総統代理が決まる。シュペーア、ボルマン、アイヒマンも真剣な表情だ。ハイドリヒはヒムラーに耳打ちする。「注意してくださいね。彼らはあなたの命を狙ってるのかもしれません。」
ハイドリヒの手元を見ると、ピストルを背中で隠して握っていた。万が一に備えてだろう。もしここでゲーリングやシュペーア、ボルマンたちが結託して私を襲ったら?私の人生は終わりだ。サイレンサーピストルで殺され、ヒトラーも一緒に地獄へ真っ逆さまだ。
緊張が走る。
「今日はもうこの辺にしよう。ハイル・ゲルマン。」ヒトラーはいう。
「ハイル・ヒトラー!ハイル・ゲルマン!」私は高らかに叫ぶ。ほかの一同も叫ぶ。
待機室で私はナチ党の要人たちとしゃべる。
「閣下も危なそうですな」シュペーアが言う。
「ああ、そうだな」適当なゲーリングの相槌。
「国防軍の様子は?」ヒムラーはゲーリングに聞く。
「あまりよろしくない。レジスタンス鎮圧は君の仕事だ。私たちは出番がないから厭戦気分が強まってね。」
「あと最近、いいスパイを手に入れて日本に派遣してるんだ。ゲオルゲってやつでな、使えるやつだ。」
ゲーリングはそう言ってゲオルゲの写真を見せる。
「ゲーリング殿は相変わらず運がいいですな、うらやましい。」アイヒマンが言う。
これは自分の殺気をかき消すための一種の戦争だ。
まるで友人であるかのような雰囲気を出し、チャンスをうかがう。
権力の争いにより生まれた新たな戦い方だ。穏やかな口調に明らかな殺意が含まれている。
「大変だ!閣下の様子が変だ!」一人の男が叫ぶ。
皆が一斉に走って手術室へ行く。
「あああああ!」ヒトラーは苦しそうにもだえる。
ゲホゲホ、と喀血も起こす。
「大丈夫ですか、閣下!」一同が心配の声をあげる。
ううう、とうなってヒトラーは生気を失った顔をする
ヒトラーの目にはいろいろなものが移っていた。
生まれ育った家。父親からの暴行、初めての学校。芸術家を目指す若き姿。第一次世界大戦の雄姿。
建設途中のゲルマニア。シュペーアと語り合い計画した大通り。そして、フォルクスハレでの第一回演説。
ふと、一人の顔が見える。誰だ?ぼんやりする。
徐々に霧が晴れる。
「・・・ママ。」
一人の男から涙が一筋流れる。
かつて一度も見せたことのない涙を、一筋垂らした。
「みて、ママ。こんなに偉く...」
横を向く。力がなくなった。
体が軽くなった。
「閣下!」一同は叫ぶ。しかし誰も返事をしない。
今ここに、一人の巨人が眠りについた。