抱えられるもの、抱えられないこと 2
初日のあれやこれやは忘れよう。
忘れよう。
(…………む、無理っ!)
鏡に向き合って、何度も心の中で言い聞かせる。
口に出せば聞こえちゃってるかもしれないから、口には出せない。
今日で何度目かわからない訓練だけど、どうしても初回の終わりのカルナークの表情が脳内から消えないんだ。
思い出すだけで顔が熱くなってしまう。
なるべく普通にと思っていても、顔がひきつっているのがわかる。
ただ、魔力感知とコントロールの段階になったら、頭からなくなってしまう。
カルナークの魔力も心地いい。
無色透明の魔力は、知らないうちにするりとあたしの中に入り込んではくすぐったりあったかくしたりする。
どう操作しているかを感じるのも訓練の一つ。
カルナークがあたしの魔力の中に入り、潜り込んで下から突き上げてこれが陽向のだよと体で示してくれる。
最初はわからなかった自分の魔力を、すこしずつ知っていく。感じていく。
訓練の中で知った、あたしの魔力の色。
これまでの聖女と同じだという、瞳と同じ淡いピンク。
淡すぎて、ものすごく深く感じようとしないとわからない。
しかもカルナークの魔力が透明だからか、比較しにくくて見づらい。
訓練を始めて一か月が経過したある夜、カルナークがいつものように風呂あがりに来ては帰っていった。
そこまではいつも通りだった。
スマホを手にして、お兄ちゃんたちにおやすみって心の中で呟いて。
明かりの魔石がジジジジ……と音を立てて、明かりが小さくなっていく。
どうしたらいいのかわからず、カルナークにもう一度来てもらうか悩んでいた。
そんな時だ。
控えめなノックの音が数回。
小さすぎて、うとうとしていたら気づけなかったんじゃないかな。
そっとドアへ向かって、ノブを回す。
ドアの隙間からのぞいた顔は、意外な顔。
「ナッ」
ナーヴくんと言いかけたところで、大きな手で口をふさがれてしまう。
ナーヴくんはあたしが聖女なのを疑っていたし、嫌がってもいた。それと、瘴気耐性がない。
その程度のことしか知らない関係だ。
相手が嫌がっているのを知っていて、無理には近づけない。
嫌われている相手に近づくのは、勇気がものすごくいる。
何か言われるのかされるのかとドキドキしすぎて、しゃっくりが出た。
「ひ…っく」
あたしのその反応に口をふさいでいた手を離して、ナーヴくんはベッドの方へ走って行ってしまう。
「ひ…っ、ひゃ…く」
思ったよりも早い間隔のひゃっくりに、呼吸がしにくくてたまらない。
よろよろしながらドアにもたれかかって、ズルズルと床に座り込む。
そんなあたしへと、ナーヴくんがグラスいっぱいの水をくれた。
何も言わず、飲めとジェスチャーをしてみせてきた。
受け取ったグラスに入った水を一気に飲み干しても、しゃっくりは止まってくれない。
間隔はさっきより空くようになったけれど、出ているままなので落ち着かない。
困ったなぁとうつむくと、トントンと肩が叩かれて、顔を上げればこの指先を見ろと示してくる。
人差し指を立てた右手を、左手の人差し指でコレ←という感じで指さして。
ナーヴくんのことは本当にわからない。
食事も一緒に食べたことがほとんどないし、一緒でも会話に参加してこないから。
ナーヴくんの人差し指をジー―ッと見つめる。
見つめて、見つめて……。
右手を左手のひらで隠して、3つ数えたくらいのタイミングで不思議なことが起きた。
指先に、円球の小さな光。
それをふわりと浮かせたかと思えば、両手のひらで支えるようにしてからまるでパン生地みたいにこね始める。
初めて見る光景に、目は釘づけ。しゃっくりも止まっていたのに、気づきもしない。
こねてこねてこねてこねて……小さな球体になって手のひらをパチンと合わせて。
光が一瞬なくなった気がして、すこし寂しくなった次の瞬間。
合わせた手のひらを開くと、光のクマっぽいものが浮かんでいた。
目や耳の部分的なところに、それらしい穴があり、とても可愛い。
「……うわぁ」
思わず声が出てしまうあたしに、人差し指で静かにと示してくるナーヴくん。
首をかしげると、ナーヴくんの指先から光が線のようにつながっていく。
「ん?」
何かに似ている。
『カルナーク、寝たかもしれないけど、一応』
声に出さないように、光の文字を浮かべてくれている。
(あれ? カルナークとのこと、ナーヴくんに話してあったのかな?)
情報共有がどこまでなのか不確かで、あいまいに笑ってみせる。
盗撮のことは知らないみたいだけど、カルナークが見ていたら飛んでくるのかな。
廊下から何も音がしないってことは、寝たか見ないふりしてくれているかの二択だよね。
(前者でありますように)
願うように手を合わせていると手を開くようにと、光の文字が示してくる。
開いた手のひらに、あたたかな光のクマ。
可愛い! 可愛い!
きっとあたしの頭には、ハートがめちゃくちゃ飛びまくっているに違いない。
ありがとうと口パクで伝えたら、いいよと文字で返してくれる。
どうしてこんな時間に部屋に来たんだろう。
それにジークたちに言われたように、本当だったら異性と部屋に二人きりはダメなんだよね。
「あの……」
耐えきれずに話しかけたあたしの唇を、ナーヴくんの指先が塞ぐ。
反対の手の指先が、光で文字をつづっていく。器用に、こっちから読めるように反転された文字だ。
『頭痛、ひどくなってないか?』
浮いているその文字を読み返す。どうして? と思ったことが聞かれたからだ。
『もしかして、自分でも気づいているのか? 髪のこと』
続けて書かれた文字に、すがるように光のクマを胸に抱く。
『知ってて、放置してるのか』
誰にも聞かれず、相談せずにいた秘密。
イヤイヤと、何度も首を左右に振って。
『わかってるのか? それを放置することの意味を』
そこまで書いた時、ナーヴくんが息苦しそうに咳を数回する。
(ダメだ、彼にあたしがいる場所は)
「お願い……、部屋に戻って。このまま一緒にいたら……」
彼に触れないようにして、ドアの方を指さす。反対の手でクマを差し出しながら。
ナーヴくんは眉間にしわを寄せ、険しい顔をして、光のクマをあたしに押し返し。
「死ぬぞ、お前」
吐き捨てるように言って、わずかに開けたドアの隙間を抜けるように出ていった。
ナーヴくんが伝えてきたことは、誰にも言えない。
ドアを閉めて、心の中でそっと呟く。
(このペースでいけば、あとわずかだよね。夢の中でも誰かに言われたし。この髪が黒くなってきたのは伸びたからじゃなくて)
見た目がどんどんプリン頭みたくなっている。
黒くなる部分は、真っ黒よりも少し薄め……“だった”のに。
鏡で確かめて、大きくため息をついて。
「誰だっけ。黒って何色もあるよって言ってたの」
徐々に黒さが増してきている現実に、いつまで抱えきれるかわからない悩みを胸に秘める。
泣きたいのに、泣けなくなった。
泣いたらきっと、死にたくないって言ってしまう。
へらりと笑って過ごし、緊張し続ける自分をごまかす日々。
最期の時まで気づかれたくなかったのに。
(決意が揺らいでしまいそう)
光のクマを胸に抱いたまま、ベッドへと戻る。
この光はあたたかい。あんなに冷たい言葉ばかりだったのに、不思議なほどに優しい光だ。
(ありがとう。ナーヴくん。もうすぐで、ナーヴくんを楽にしてあげられるから。きっと)
心の中でナーヴくんへと告げて、そっと目を閉じる。
どうか明日こそ、あの力が感じられますようにと、強く強く願いながら。




