絶望の始まり
この国に来てからもう一ヶ月が過ぎようとしていた。その中で一番親しくなったのがベルディ団長だろう。
「ミモリちゃーん、花を持ってきたよ。ダンジョンに生えているほのかに光る綿毛のタンポポ!」
こうやって毎日では無いが部屋まで何かお土産を持ってきてくれる。私は受け取ってお喋りしかしないけど、それだけで良いそうだ。ついでにメイドさんにもちょっかい出しているしね。
「ホントだ光ってる! きれい! ありがとうベルディさん」
私も気軽にベルディさんって呼んでいるし、良い友達ができたと思う。
「ミモリちゃんのためなら地の果て海の果て空の彼方でも! って言うのがうたい文句なんだけど、どう?」
「あんまり……」
「ナナールちゃん(メイド)は?」
「わ、私にも、ちょっとわからないですね」
口説き文句が通じないベルディさんであった。
「そうそう、そろそろ戦争が再開しそうなんだ。そうなると遠征がほぼだから国を開けることになる。悪いけど、ミモリちゃん、みんなのこと頼むわ」
戦争……私は怖くて絶対に行けない場所だ。その隣国のシークラックはどういう国かわからないけど、正直国同士の争いは嫌だなって思う。このままなぜ平和に暮らせないのだろう。そこの国に欲しい何かがあるのか、やはり領土をひろげたいのか……
「暗い顔しないでくれ、精鋭部隊が主に戦地に向かうんだ、大丈夫。帰ってきたら一緒に飲んでくれよ」
「ジュースなら」
「おっけ」
ベルディさんはにんまりと微笑んで部屋から出て行った。
それから数日後に開戦が発表され、精鋭部隊の騎士団が戦地に向かっていく。駐屯地でさみしくその背中を見送っていたが、魔物発生の知らせで私は現場へと急ぐのであった。
開戦がされてから三日、お互いの領土の境目で争っている両国軍の戦況は、飛行兵が知らせてくれる。優勢でも無いが劣勢でも無い、五分と五分らしい。だけど戦死者がいないわけでは無い。二万の兵数でもうすでに千人は死んだそうだ。それはほぼ相手も同じ。
そのことを聞きつつ、たまにやってくる魔物を消していく。空を飛ぶスピードもかなり速くなったので、現場に向かうのは速いほうだと思う。街での犠牲者は出ていない。
最近はやたらと強い魔物が多いために、最初にこの地に降り立ったあの高原も立ち入り禁止となった。
研究者が魔物の群れと強い魔物を片っ端から殺しているために、弱い魔物が危機を感知して近寄らなくなったのは良いが、強い魔物はそんなのお構いなしにやってくる。
数は少ないが、一体一体がでかくて強いってことになってきているそうだ。
最初の群れの魔物も虎くらいの大きさだったし、二つ首のトカゲもカバくらいの大きさだった。なのに今日来たのはバスくらいの大きさの真っ赤な熊みたいな二足歩行の魔物だった。全身が燃えていて、通ったところはすべて燃えているし、吐く息も炎だった。
「ジャイアントファイアベアだー!」
「逃げろー!」
ファイアベアは駐屯地の城壁に炎を吐き、城壁は真っ赤に染まってドロドロ溶けていく。石が溶けるって溶岩じゃんかよ、どんだけ熱いんだ! とにかくさっさと終わらせないと!
「ファイアベアよ、凍り付け!」
その瞬間ファイアベアの吐く炎すら凍り付き、きれいな氷のオブジェが誕生したのだった。
「おおおお! 瞬殺! さすが魔女!」
「すげー!」
兵達は大喜びだが、この巨体を砕く作業もしなければならない。
「兵隊さん達さがってください、砕きますので」
そして兵を下がらせて、ファイアベアよ砕け散れと言えば、ガラスのように散っていった。それから使えそうな素材を回収していくが、粉々になりすぎて使えるところが少ないと、ベルディさんみたいに怒られるのであった。
そんな日々を日常にしてきたのだが、今日は珍しく王様に呼び出された。城に居るけど、あんまり会うこともないし呼ばれることも無かったんだが、戦争に関してだったら拒否しないと……
今回私を案内しているのはいつものクワエプさんではなく、名も知らない大臣だ。わざわざ大臣が呼びに来るって何だろう……しかも、会議室でも無く行ったことの無い地下の部屋に案内されている。こわい。
中に入れば、そこは礼拝堂のような場所で、真ん中には円上の祭礼の場が設けられていて、その湧きには水が流れている。蝋燭と光る花が明かりの代わりになっていて、明らかにやばい匂いがした。
「魔女様、どうかなされましたか」
私を連れてきた大臣がそう聞いてきて、ここは神聖なる儀式の間だと言った。
「魔女殿は暗くていやなのかもしれない、天井を開けよ」
王の言葉に中に居た三人の大臣達が天井を開ける。すると部屋が日差しを受けて光り輝き、結婚式場みたいに明るくきれいになった。儀式の間の水回りも暗くて見えなかったけど、色とりどりの花が咲き誇っている。びびらせんなって。
「魔女様に大事なお話がありまして、実は魔女様の絵をこの国に残したいのです」
「え?」
「この国は千年の歴史がありますが、魔女が訪れたことがないのです。なので、絵にして後世に残していきたいと思い、この場を設けました。本当はおどろおどろしい感じで描きたくて暗いここを選んだのですが、お気に召さなかったでしょうか」
王様は申し訳なさそうにキャンバスを抱えてどうかと小さく頭を下げる。絵を描くだけで大臣呼ぶってどういうことだってばよ。
「……絵くらいでしたら」
私はそう言って中に入り、祭礼の場へと誘導させられ、座り心地の良い椅子を置かれて座らせられる。
「今回、絵を描かせていただく者でございます、よろしくお願いします」
少しハゲた頭のおじさんが一礼し、キャンバスに向かい合う、そして座っている私をじっと見てからさらさらと手を動かしていった。座っているのも暇だけど、時々見に行って良いか聞けば、良いと言われて見に行けば、私にそっくりな絵が殆ど出来上がっていた。何この人天才? あ、うん、そうじゃなきゃ城に来ないよね。
あまりのうまさに見入ってしまったが、そろそろ席に戻れと言われておとなしく戻るのだった。
絵は数日かけて描かれ、そしてようやく完成した。見せてもらったが、まるで写真で撮ったかのような質感にうっとりしてしまう。これ部屋に飾りたい。
「おお、なんと美しい。そういえば、魔女様。名を伺っていませんでしたね」
王は絵を眺めながらそう聞いてきて、ベルディさんともこんなやりとりしてその後も他の人に自己紹介しなかったなと反省した。
「ああすいません、名乗り遅れました、稲葉美森と申します」
「ありがとう、これで歴史に魔女の名を遺せるよ」
――刹那、私の身体が黒い雷のようなものに縛られて痛みに絶叫しながら膝をついた。全身が、しびれて、そして針に刺されているみたいに痛い……!
「なに、を! ぎゃああアアアアアアッッ!」
痛い! 痛い! なんなのこれ!
「あははははは! これは悪魔でさえも従えるアーティファクトだ! 描かれ名を刻まれた者は使用者の思うがままに動かせるのだ」
王は嬉しそうに微笑み、そして私を見下ろしてまずは、と指示を出す。
「魔女よ、この部屋にある席をすべて粉々に破壊しろ」
そう命じられたら、しびれながらもその言葉をオウム返しのように口にしてしまい、この部屋にあった椅子がすべて粉々に吹き飛んだ。それを見た王が天を仰ぎ狂ったように笑い出し、しばらくしたらこちらを向いた。
「このアーティファクトがこの国のダンジョンに眠っていようとはな。あはははは! 世界に三つしか無いと言われている操りの絵画! かつて神が悪魔を封じ込めんと古代の錬金術師に術式を授けたというこのアーティファクト! 間抜けな冒険者が布きれだと売り込んで来てくれて助かった。どうにかお前の力を手に入れたかったのだ! これで長きにわたるシークラックとの戦争……いや、世界をも手に入れられるだろう! 北の魔女すら恐るるに足らず!」
そしてまた大きく笑ってからニタリと笑みを浮かべ、ぞっとするような言葉を口にした。
「魔女よ! シークラック王国を永遠に消えない炎で包み込むのだ!」
いやだ、いやだ
「シークラック、王国を――アアアアッ! やめて! いやだッ!」
いやだいやだ! 誰も殺したくない、傷つけたくない、壊したくない!
痛みに耐えながら言葉を口にしないように唇をかみしめるが、かみしめるほど体中の痛みが激しくなって悲鳴を上げることになる。声にならない絶叫が木霊して、でもそれで抵抗できるなら――
「魔女! あがきおって! シークラックを燃やせ! すべてを炎で包み込めと唱えよッ!」
「ぎゃあああっうううあああッ! ぐあああアアアッ!!」
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ――
「いやだあっ!」
――刹那、私を縛っていた雷のようなものははじけ飛び、そして視界が真っ赤に染まる。……数秒、音が聞こえなくなり、視界が晴れたときには街を見下ろせる山の上に一人座り込んでいて、そしてクロバハール王国は三つの街それぞれに空につながるほどの炎の竜巻のような柱が立っていて、すべてを燃やし尽くしていた。
次第に音も聞こえはじめ、人々の悲鳴や絶叫が響き渡っていた。街の麓に目を落とせば、城壁より離れた場所に大勢の人々がいた。数え切れないほどの人間が街の外に出されているのか、私にはわからない。わかることは、この火柱は私がしてしまったことだと言うこと。この国を私が滅ぼしてしまったと言うことだけだった。
「魔女のせいだ! 魔女がやったんだ!」
「私の家が……!」
「魔女め! 許せねぇ!」
「お父さんお母さん! どこ! あああああ」
沢山の声が私を押しつぶすようにきこえてくる。心臓が止まりそうなくらい痛くて、胃の中のものを全部吐き出した。そして何もかもが怖くなった。
逃げないと、遠くへ、逃げないと。
私のせいじゃない。こんなことしたくなかったのに。ごめんなさい。ごめんなさい……
泣きじゃくりながら私はとにかく空を飛んだ。遠く遠く、誰も私を知らない場所へとあてもなく空を切った。