憂鬱な即売会①
「おとん。サークル入場、間に合う?」
「この時間なら余裕だろ」
キンと冷え切った真冬の空気。
娘と二人、街灯の光を頼りに歩く。
小型トランクケースから鳴る車輪の音が、キシキシと黎明の住宅街に鳴り響いた。
頭上には雲一つなく、白銀の月と煌めく満点の星々。
どうりで冷えるわけだ。
風がそよぐ度、剥き出しの耳が凍えて痛い。
もっとも雪が降らないだけ天に感謝すべきか。
数年前の即売会、見事に降り積もったからなぁ。
「春佳、ちょっとストップ」
先を行く娘に声を掛けると、立ち止まり両手を擦り合わせた。
「わたしの手袋、使う?」
「いや」
それを俺に渡したら、今度はお前が困るだろ。
気持ちだけ、ありがたく受け取った。
家から駅まで歩いて十分の筈が、今日はやたら遠く感じる。
背が低くなった分、歩幅が短いのだろう。
「お父さん。それ、わたしが引こうか?」
「ん…………頼む」
少し悩むも素直に甘える事にした。
背負ったリュックサックの重さで肩も痛い。
いつもなら平気なのに、つくづくこの体が恨めしい。
「春佳。この先、俺の事は由喜と呼んで欲しい。お父さんだと不自然だろ?」
「判った」
俺からトランクケースを引き継ぎながら、コクリと頷いた。
「じゃぁ行こうか、由喜ちゃん」
「うん。少し急ごう、春佳姉さん」
新しい呼称で互いを呼び合いながら、再び足を前へと踏み出した。
予定より数分遅れで駅に到着。
跨線橋からホームへ降りると同時に、電車が構内へと滑り込んだ。
ここまでは順調か。
安堵しながら車内へ。早朝にもかかわらず、それなりに人が乗っていた。
二人並んでシートに座る。発車合図。流れゆく車窓。いつの間にか東の空がオレンジ色に染まっていた。
「おと……じゃなくて、由喜ちゃん」
「春佳……姉さん。何でしょうか?」
娘に引きずられ、うっかり呼び捨てしそうになった。
「降りるのは終点だっけ?」
「その二つ手前で乗り換え」
今から約一時間の鉄道旅行。乗り換えや歩きも含めると約二時間。毎度、億劫な気分になるが、宿泊必須な地方参加者を思うと、あまり文句は言えない。
「わたしが起きているから、由喜ちゃんは寝てても良いよ?」
「いや、する事がある」
そう答えながら欠伸を一つ。
「昨日、何時に寝た?」
「二時過ぎかな」
値段表や看板の制作など、準備作業に思いのほか手間取った。
「まだ、サークルチェック、してないんだよ」
知人への挨拶周り。一般入場の開始前に済ませたく。会場入りの前に、大体の目星を付けておきたかった。
「その格好で行くの?」
怪訝そうに眉をひそめる娘。
「由喜ちゃん。どこのジャンルを回るつもり?」
「主に成人向け………」
口に出して、ようやく春佳の意図に気付いた。
どうやら睡眠不足で、思考が半分寝ているらしい。
「本当に行くの?」
「無理だな」
今の姿は、どっからみても未成年の女子中学生。
一般向けサークルにも知人はいるが、顔を合わせたところで相手が俺と気付くわけがなく。
「寝る。着いたら起こして」
「あいよ」
妻から借りた帽子で顔を覆い、仮設した暗闇の中で目蓋を閉じる。
車輪の軋む音を聞きながら、娘へ寄り添うに体重を預けた。
即売会の楽しみ、半分くらい減ったなと思いながら。