遅れた福音⑧
ベネットさんの仕事場。
華やかな浴衣を着たマネキンが部屋の中央に鎮座。
まるでデパートの和服売り場みたいだと思った。
「これ、買ったの?」
「買うた」
紙面にペンを走らせながら家主が声を上げた。
「デッサンするには便利なんや」
「なるほど」
自分で着ていたら、後ろ姿とか見えないしな。
「栗田さん、出来たで」
「感謝します先生っ!」
「先生は、やめぇ~や」
苦笑しながら、仕上げたばかりの色紙を俺に差し出した。
「名前もお願い」
「そやった。忘れとったわ」
再び仕事机へ座り直すと一筆加えた。
一枚は宇垣さん。もう一枚は木村さんへと。
「色紙は腐るほど画いて来たけど、ベティとしては初めてやな」
「この子、新作?」
薄く彩色された見憶えのないキャラを指差し尋ねた。
「せやで。次回作の主人公や。ベティ名義で発表しようかと思うてる」
「初出しですか」
ファンにとっては垂涎の逸品だろう。
「栗田さん。渡す子には、よろしゅう言っといてな♪ 全くゼロから始めた事やけど、そないに慕われとるとは知らへんかったわぁ~」
上機嫌の笑顔で、照れ隠しのようにパタパタと団扇で仰いだ。
中身はベネットさんなのだが。
あられもない少女の姿で言われると、つい可愛いと錯覚してしまう。
「来よったな」
仕事場に響く呼び鈴の音。
家主は椅子からヒョコリと降りた。
視線の高さ調整に重ねられた座布団がバサリと床へ崩れ落ちた。
「今、開けるでぇ~」
二つ目の鍵である、メール着信音。
パタパタと駆ける足音を追うように、俺は玄関の方へ視線を向けた。
「おつかれちゃ~ん♪」
やはり掘さんか。
黒のドレス。フリル付きの純白のエプロン。足下は皮の網ブーツ。
美少女生活を満喫中と言わんばかりの姿。
…………ちょっと良いかも。
などと思ってしまうのは、果たして良いのか悪いのか。つい自問自答してしまう。
「掘さんも『ベティちゃんねる』で呼ばれたの?」
「いや。別の理由」
声を上げながら、ブーツの靴紐を手早く解いた。
垂れ下がる前髪を耳の後ろへと流しながら。
「栗田さんが居てくれて助かったよ。超重要な事だから」
何だろう?
いつもなら事前連絡とかありそうだが、着信の類いは特になかった筈。
「掘さん。飲み物は何がえぇ?」
「それは後にして、米内さん。先に用件を伝えたい」
いつも明るく、おどけた雰囲気はどこへやら。今日の掘さんは珍しく生真面目だった。
「二人とも、スマホ手元にあるよね。起動してくれない?」
「ちょい待って」
俺は鞄に手を伸ばした。
「何か、するん?」
思っていた事を、ベネットさんが質問してくれた。
「いつも使ってる、SNSのアプリを立ち上げて。そして僕からのダイレクトメールを探して欲しい」
「えぇけど。いつ頃のヤツや?」
「去年の十二月下旬」
それって………。
「直リンのアドレス一行のヤツ?」
「うん。それ」
俺の記憶が確かであれば。
「そのアドレス。何度か踏んだけど、エラーだったよ?」
性別が反転した初期の頃に、その辺り記録は洗いざらい調査済みだった。
「栗田さん。それって、パソコンで実行したでしょ」
「うん。そうだけど」
まさか、スマホだと挙動が変わるのか?
「なんや、これっ!?」
ベネットさん目を丸くしながら叫んだ。
「こんなん、見た記憶がないで?」
「米内さんが忘れてるだけだよ。僕もだけど」
二人の反応。
横目で見ながら、ひたすらメールを遡る。
中々行き着かない。胸の鼓動がトクリと早まるのを感じながらスワイプを繰り返す。
「あった」
日付。時刻。
三人で飲んだネット宴会の最中に違いなく。
一呼吸置いた後、俺はリンク先をタップした。
「今、開いた」
パソコン上では跳ねられたページが、何事もなく普通に表示された。
「認証画面?」
記入欄は名前と生年月日。
「二人とも、とりあえず入力してくれる?」
「了解」
画面構成に変わった箇所は特になし。
これで………ん?
「掘さん。顔認証もあるの?」
「気にせず実行して」
では、ポチッとタップ。
シャッター音が同時に二つ鳴った。
認証時間が意外に長い。
「次の画面に………」
移ったと言おうとして、舌先が固まった。
液晶に表示された男性の顔写真。
それは紛れもなく、本来の俺の姿だった。
その下は文字情報が羅列。
先程記入した名字と名前。生年月日。
そして。
性別反転時の年齢。十四歳。
性別反転の日時。それは少女として目が覚めた日付だった。
「この画面、見憶えがある」
ハッキリと思い出せないのだが、日付を入力した記憶がうっすらと。
「俺んとこ、年齢が十一歳になっとるなぁ。何でや?」
ベネットさんの呟きに、脳裏の奥底にある記憶棚が突然ガタリと盛大に引っ繰り返った。
「それは………それは」
頭を掻き、掴んだ糸口を必至に手繰り寄せた。
「確か、俺と掘さんが中学生なら、小学生にするって………言ってた気がする」
お酒でグタグタに酩酊しながら。
「あと、変わるなら同人誌の即売会後やなって。そなら正月がえぇやろって、話していたような」
「ぁあああああああああっ! なんか、そないな事を言った気ぃするわぁ~っ!!」
二人で同時に頭を抱えた。
ずっと思い出せなかった、ネット飲み会の記憶。
ふつふつと水泡のように浮かび上がって来た。
「ほなら、これって何なん? ネットに登録したら性別反転するって、どないな仕組みなんよっ!?」
「僕も判らん。そもそも、この接続先をどこで知ったのか。そこだけは思い出せんのよ」
長々と数時間に及んだネット宴会。
たわいもない余興として入力した気がする。
ネットショップへ会員登録するようなノリで。
「多分だけど。仕組みを知ったとしても、理解出来ない気がする」
俺は皆に見えるよう、スマホを持ち上げた。
「この液晶画面にタップすると、メール送信やネット接続が可能だけど。どのような設計になって、どのようなプログラムが組まれているのか。説明されても判らないと思う」
数年間を掛けて勉強したら、大まかな仕組みくらい把握出来るかもしれんけど。
「今、大事なのは、コレをどう活用するかじゃない?」
誰が何を思って、こんなシステムを作り上げたのか。そっちも気になる所ではあるが。
「掘さん。この画面の一番下に、キャンセル項目があるんだけど。試してみた?」
「それな。僕もどうしようかと思ってさぁ~」
まぁ、普通は躊躇するか。
「なんか、変な事が書いてあらんへか?」
ベネットさんが首を捻った。スカート姿で胡座をかきながら。
「どの部分?」
「戻る際の注意書きがあるんやけど」
あ、これか。
一読して絶句した。
「妊娠中は不可ってマジか」
理屈は判る。判るのだが、いまいち釈然としない。
「僕はまだ処女だよ」
「お、おぅ」
そんな事をカミングアウトされても、困惑するだけで嬉しゅうない。
「栗田さん、どうするよ? 前から早く戻りたいと言ってたよね?」
「言ってたけどさぁ」
いきなり目の前で提示されてもだなぁ。
「タップした瞬間、男へ戻る可能性あるよね。着替えてとか持って来てないよ」
理屈が判らないから何が起きるのか予測がつかない。
「米内さんは、どうよ?」
「この後に『ベティちゃんねる』あるからなぁ。俺は特に急いで戻る理由がないし」
「掘さんこそ、どうなのよ?」
回って来たお鉢を俺は送り返した。
「実はさぁ。新しい服をオーダーメイドで注文したばっかなんよ。今はパスかな」
三人揃って腕組み状態。
じっとスマホの画面を見つめるばかり。
もしも。
一月か二月に気付いたならば。
迷う事なく男の姿へ戻っていただろう。
だが俺達は戸惑いを覚えるほど、この身体にスッカリ馴染み過ぎていた。




