遅れた福音⑤
「飲み物とか大丈夫?」
「はい。今のところは」
心配ご無用と、宇垣さんは小さな水筒を取り出した。
「必要なら言ってね」
今日は思っていたより蒸し暑い。
参加者が多いからな。
「栗田さん。アレって何ですか?」
友人が壁際に伸びる長い列を、不思議そうな顔で指差した。
「いわゆる大手サークル。人気があると、あんな感じになる」
翻って………我が身を省みるのは虚しくなるので止めた。
アッチは漫画。コッチは小説。手に取って貰えるだけでも御の字と思うべきか。
「宇垣さん。木村さんが来るの、お昼だっけ?」
「そう聞いてますけど」
委細は不明と首を傾げた。
「メール入れておくか」
急ぎの用件とか特にないのだが、あまりに暇な時は途中で帰るという選択肢もあり得るから。
売り子は宇垣さんに任せ、スマホを起動。
メールの着信は無い。
木村さんのネット書き込みを確認すると、最後に呟いたのは深夜の二時。まだ寝ている気がした。
「なんや。今日は可愛い売り子はんやなぁ~」
………ん?
耳に入った女性の声。
聞き覚えがあった。
「栗田はん。いてはる?」
漂う柑橘系の匂い。香水?
液晶から視線を外し、顔を上げた。
「誰やと思ったら、由喜ちゃんか♪」
すぐ目の前に人の顔。
知らぬ間に覗き込まれていた。
真っ赤な口紅。アイシャドウ。両耳のピアス。ソバージュのショートヘア。紺色のスーツにタイトスカート。
明らかに場違いな装いをした女性が、興味深げに俺の顔を見つめていた。
「ウチの事。誰か判る?」
「山本さん……ですよね?」
「頭えぇなぁ君。一度しか会うてないのに憶えてくれたんか。嬉しいわぁ~」
俺の頭に手を乗せ、子供をあやすように撫でた。
「昨年末。米内さんの宴席では、不肖の姉がお世話になりました」
深々と低頭平身。
即売会後に参加した、ベネットさんの打ち上げ宴会。
終わり間際、泥酔状態だった娘の春佳が消息不明に。
慌てて探すも見つからず。
トイレの個室で、イビキをかき寝ていたのを発見したのが山本さんだった。
「御礼なんて、せんでもえぇよ。ウチの下の娘より年下やのに、ほんま君は礼儀正しい子やなぁ~」
褒められるのはともかく、ずっと頭を撫でられるのは流石に恥ずかしい。
「申し訳ございませんが、父は今日も不在です」
「残念やなぁ。サークル出てはるから、いてるかなと思うたけど。まだ行方不明なん?」
仰せの通りですと、俺は深く頷いた。
「先週、井上はんと会うたけど。えらい心配してはったでぇ。帰って来たら折檻せんとアカンなぁ。裸にして、簀巻きにして、火ぃつけて、橋の上から川に投げ捨てよか♪」
ニコニコと物騒な事を楽しげに語る山本さん。
そういや、義弟の井上さんと仲が良かったなぁ。この人。
「出来たら、温情のある措置をお願いしたく」
身内の事情を宇垣さんに聞かれるのも、あまり嬉しくはない。
「由喜ちゃん、今日は新刊あるん?」
「はい。よろしければ、どうぞ」
一冊差し出すも、山本さんは首を左右に振りながら財布を取り出した。
「三百円やな」
「いえ、お金は……」
「かまへんて。タダで貰ろうたら、つまらんとか、面白ないとか、気兼ねなく酷評が出来へんやんか♪」
冗談なのか、マジなのか。俺は苦笑するしかなかった。
「でも、けったいな話やなぁ~」
新刊をパラパラ捲りながら、山本さんは一人言のように呟いた。
「本人おらへんのに、何で新刊が出るん?」
何気ないような一言。
一瞬で血の気が引いた。
そういや山本さん。
俺がアップしているネット小説、たまに読んでいると前に聞いた気がする。
「実は、私が……勝手に続きを書いています」
「ほんま?」
本を閉じながら、俺の瞳を正面から見据えた。
「はい。ほんまに」
「そうやったんかぁ~。ウチ全然気付かんかったわっ! 文章そっくりやん。由喜ちゃん文才あるって。ウチが太鼓判を押したるわっ!」
「お褒め預かり、恐縮です」
穴があったら入りたいとは、この事か。
「なぁ、由喜ちゃん。プロデビューせぇへん?」
「はい?」
「出版社に知り合いおるから、紹介しよか? 中学生なのに、めっちゃ面白い小説を書く子がおるって。話題性ばっちりやんっ!」
「いや、それは……」
嬉しいけど、全く嬉しくない。
「栗田さん。断るのですか? とても良い話だと思いますけど」
突然、隣の宇垣さんが興奮しながら口を挟んだ。
「わたし、栗田さんには才能があると、常々思っていましたからっ!」
「えぇ友達やん。これは覚悟決めんとアカンなぁ~?」
待った。
お願いだから、待って。
二人を制止するように俺は両手を上げた。
「お話しは嬉しいのですが。私、今は学生の身分なので」
「ダメなん?」
「本当に、すみません」
ごめんなさいと頭を下げ続けた。
「ほな、気ぃ向いたら連絡してや」
残念と言わんばかりの表情で、名刺を俺に差し出した。
「ウチは気長に待ってるさかい。メールでも、電話でも、遠慮なくしてぇ~や♪」
「気が向きましたら」
紙面に書かれている住所。このすぐ近くだった。それと代表の肩書き。
山本さん。ついに起業したのか。
彼女とは、そんなに長い付き合いではない。ベネットさんの宴会で、たまに顔を合わせる程度。
主婦業が飽きたと、以前に聞いてはいたけど。
ビジネススーツ姿で来場したのも、もしかしたら仕事絡みだろうか。
「なぁ、由喜ちゃん。君に一つ聞きたい事があるんやけど、えぇかな?」
聞きたい事?
何だろう。
「私に判る事であれば、お答えしますが」
「実はな。年明けから米内君と会えへんのや。メールで連絡は取れるんやけどな。顔を見せてくれへん」
ヤレヤレという表情で肩を竦めた。
「君、何か知らへん?」
口元に笑みを浮かべつつ、じっと俺の顔を見つめた。
注意深く観察するように。
それが何を意味するのか。
迂闊にも、気付くのが数秒遅れた。
「私は何も」
知らぬ存ぜぬと首を左右に振った。
「ほな。何か判ったら連絡して~や」
微笑みながら、山本さんは手を振り俺達に背を向けた。
さっきの質問。
目的は回答じゃない。
明らかに、コチラの反応を見ていた。
まさか。
ベネットさんの質問で、俺が戸惑うのを予見していた?
すると、ここへ来たのは………。
「とっても素適な女性でしたね」
宇垣さんが憧れの目で、去り行く後ろ姿を追っていた。
「知的で、颯爽として、仕事が出来る人って感じで。わたしも、あんな風になれたら良いなと思ってしまいます」
「格好良い人だと、私も思うよ」
化粧の上手さもあるだろうが、立ち振る舞いを見ていると三十代くらいに錯覚してしまう。
確か俺と似たような年齢の筈なのに。
「栗田さん。さっきの提案、どうして受けなかったのですか?」
「商業の件?」
「そうです。断るのは、もったいないと思いますっ!」
普通、そう考えるよなぁ。
「宇垣さん。朝にも言ったけどさ。人の言葉を全て真に受けるのは、あまり良くないよ」
「あれ、嘘なのですか?」
「その可能性も考慮すべきだと思う」
ベネットさんが以前ぼやいていたっけ。
山本さんの冗談は、いつも笑えないからタチが悪いと。
「でも、あの人は栗田さんに名刺を渡しましたよね? ダメ元でも試してみる価値はあると思いますっ!」
拳を握り締めながら力説する宇垣さん。
背中を押してくれるのは嬉しくもあるけれど。
「あの人さ。中学生なのに………と、言ってたよね」
「それ、何か問題でも?」
「私が成人女性だったら、ダメって事じゃない?」
営業的に話題性が重要なのは判る。
作品に筆者の近影を添えたら、広告も打ちやすいだろう。
「内容が面白いという理由なら、私はその場で首を縦に振ったよ」
「それは、そうかもしれませんが………」
友人はバツの悪い表情で、机に積まれ新刊へと視線を落とした。
「きっかけが年齢だとしても。たくさん売れたなら、面白いと評価された事になりませんか?」
「売れたら………ね」
ベストセラーとなり、書店の新刊コーナーで平積み状態。
長年、夢見た光景。
実現したら、どれだけ嬉しい事か。
しかし、今その願いが叶ってしまったら。
俺は『栗田由喜』として、この先も生きて行く事になるだろう。
それは果たして幸福な人生なのか?
三日三晩悩んでも、結論は出ない気がした。




