憂鬱な来訪者②
「君は今まで、どこにいたのですか?」
「初対面の人に話す気はありません」
「私は君の事を心配しているのですよ?」
「気持ちだけで結構です」
リビングへ場所を移しての家族会議。
義弟の話振りは、まるで校長先生のようだった。そういや以前、職務で教官をしていたと聞いた気がする。
「陽子さん。義兄上は今、一体どこにいるんです?」
「それが、私にも判らなくて」
返答に窮する妻。すまんなと心の中で詫びた。
「判らんじゃ、困るでしょう」
携帯を取り出し操作する義弟。
数秒後、廊下の奥にて呼び出し音が鳴り響いた。
「義兄上、スマホ置き去りですか?」
「財布も置き去りみたいですよ」
聞かれるであろう事を、先取りして答えた。
「お兄ちゃん、失踪、蒸発って事?」
「世俗を捨て、仏門にでも入ったのでは」
「あなた、難しい事を知っているのね」
「どうも」
妹に頭を下げながら内心で冷や汗をかいた。
そうだった。今は女子中学生、という事になっていた。うっかり地が出そうになる。
小説やシナリオを長年書いて来たが、役者や演技については一度も経験した事がなかった。
「これはもう義兄上が一番悪いっ! いわば諸悪の根源です。もともと責任感に薄い人でしたが、ここまで適当で人間的に劣るとはっ!」
好き放題言ってくれる。
舌打ちしそうになった。
「あの、ダメなのは判っていますが。実の父親をそこまで酷く言われるのは、嬉しくありません」
「これは失礼。私つい興奮してしまいました」
まぁ、義弟の反応は当然ではあるし、正論ではあるのだが。
「すみません。トイレに行ってきます」
一人逃げ出すように座を離れ、廊下へと抜け出した。
そこにいるのが嫌……というわけではなく、目覚めてから一度も用を足していなかった。
個室に入り、鍵を掛け、溜息一つ。
下着を下ろし便座へと腰掛けた。
「まいったな」
用を済ませながら頭を掻いた。
情に厚い人ではあるが、ここまで義弟がヒートアップするとは。
何となく理由は判る。元々、黒髪で、ロングで、儚い感じの………。
「……ん? えっとぉ。黒髪で、ロングで、背が低くて、知性的で、憂いを感じる儚い少女と。満貫確定か」
指折り数えて納得。
更にここへ、親に捨てられたを加えると、跳ねるなコレは。
「つまり、性癖に直撃したのか」
トイレットペーパーを取り寄せながら一人納得した。
いずれにせよ早く戻らねば。妻と娘がボロを出す前に。
トイレを流し服装を整えた。
「面倒だなぁ、もう」
最後に盛大な溜息を吐き出し鍵を開けた。
「あの……」
扉の外に、小さな待ち人あり。
姪の花美だった。
「ごめんね、待ってた?」
ふるふると、お下げの髪が左右に揺れた。
「ハナはね。アニメがみたいの」
「そか」
いつも遊びに来た時、姪に見せていた。
この子にとって、大人同士の会話がツマンナイという理由もあるだろう。
「良いよ。コッチへおいで」
自分の部屋へ案内した。
先ほど、この子が扉を開けたのは、コレが目的だったのかも。
そう思いながら、パソコンを立ち上げ動画サイトをクリック。
「花美ちゃんが見たいのは、この作品かな?」
「うんっ! これこれ。わたし、このつづきが、とってもみたかったの」
「そっかぁ」
「おねぇちゃん。どうして、わかったの?」
不思議とばかりに上目使い。
「それは………。この動画を見た跡が、あったからだよ」
普段おっとりしてるのに勘が鋭い。母親である妹にソックリだった。
「じゃぁ良い子にしててね」
「うんっ!」
もう子供の目は画面に釘付け。
では急いで部屋へ。
そう思った矢先に、コチラへと近付く足音。
「お父さん、叔父様が呼んでる」
娘が扉を開けるなり、そう言い放った。
「お前なぁ~」
「あ………」
やべぇと口元を抑える春佳。
「おとうさん?」
姪っ子が、耳に入った言葉をそのまま復唱した。
「春佳お姉ちゃんが、うっかり間違えただけだよ」
頭を撫で、膝を立てた。
部屋の扉を閉め、リビングへとって返した。肘で娘を小突きながら。
「私、一つ重要な事を聞き忘れておりました」
部屋に入るなり、義弟からの問い合わせ。
「お名前を教えて戴けますか?」
「名前?」
「陽子さんや春佳さんも知らないそうで」
そりゃ、そうだろうな。二人にとっては夫や父親のままだから。
「私の名前は、ゆき、です。名字は栗田です」
「え?」
途端、義弟は目を丸くした。
「あなたのお名前。漢字は、喜ぶ由来と書いて、由喜ですか?」
「はい。そうですけど」
「なるほど」
勢い良く義弟が膝を打った。
「義兄上が書かれる小説に、同じ名前のヒロインがいたもので。そうですか、実の娘がモデルでしたか」
感慨深く何度も頷いた。
つい、名前を考えるのが面倒で、過去に書き上げた作品から名前を流用したのだが。
まさか義弟がキャラ名を憶えていたとは。
幹部学校、上席で卒業していた事を、今更ながらに思い出した。
「しかし困りましたな。義兄上には幾つかお願いしていた事がありましたので」
「うちの主人に、ですか?」
もしよろしければと、妻が続きを促した。
「実は年末に同人誌即売会がありまして。そのサークルチケットを本日受け取る予定でした」
「チケット?」
ハッとするあまり、つい声が漏れた。
「はい。入場券代わりのチケットです」
おぅ………
そういや、そうだった。
渡すと言って、すっかり今まで忘れていた。
「サークル入場用のチケットですよね。それなら、父の部屋で見ましたよ」
「なんとっ! 由喜ちゃんは即売会をご存知で?」
「えぇ、まぁ。今お持ちしますね」
再びリビングから自室へ。本日、二往復目。
「お邪魔して、ごめんね」
部屋で動画を視聴中の姪に謝りながら、モニター横の書類束へと指を伸ばした。
この中に準備会の封筒が……あった。
抜き取り、ミシン線から一枚切り出した。
この際だ。
あの件も義弟に押し付けよう。
「花美ちゃん、ちょっと良いかな」
詫びながら再生中の動画を停止させ、ディスクトップ上のフォルダを叩いた。
「なにしてるの?」
「お仕事」
目当てのテキストファイルを開き、内容を今一度確認。うん、これで良し。
印刷ボタンを押し、プリンターの前へ。
「おねぇちゃん、すごいね。おじさんみたい」
目を輝かせる幼子の頭を撫でながら、元通り動画を再生。
二つの紙片を片手に、バタバタとリビングへ舞い戻った。
「必要なのは、このチケットですよね?」
先ずは青色のサークルチケットを義弟に。
「はい。これです。日付も間違いありません」
「あと、コレも父の部屋にありました」
出力したての用紙を、うやうやしく差し出した。
「日付から多分、大事な内容だと思ったので」
「あっ!? ベネットさんとこの宴会。今回は義兄上が幹事でしたか」
即売会後、サークル恒例の打ち上げ。
ベネットこと、米内さんから依頼されていた。
「恐らく父は、しばらく帰って来ないかと」
「ですね。今の状況では、不在を想定し動いた方が良いでしょう」
そう呟きつつ、指差しながら紙面を一巡。
「流石は義兄上。参加者名簿と、予約したお店の名前、時間、金額、電話番号………。これ、戴いてもよろしいでしょうか?」
俺、妻、娘、三人揃って首を縦に振った。
「では、ベネットさんには、私から連絡しておきます」
やれやれ。
これで一つ肩の荷が下りた。
今の姿では、どう考えても幹事役なんか出来っこないから。
「では皆さん。そろそろお腹も空いて来ましたので、一旦お開きとしましょうか」
義弟が一本締めよろしく、両手をパンと鳴らした。
お昼か。
いつの間にか時計の針は、正午を大きく越えていた。
「由喜ちゃんは、何がお好きですか?」
「へ?」
「こうして出会えたのも何かのご縁です。一緒に美味しい物を食べに行きましょうっ!」
ついでに話しを伺うパターンだ、これ。
「お誘いは嬉しいのですが、そんなに食欲がなくて」
ここは全力で逃げたい所存なのだが。
「あら、遠慮しなくても良いのよ? みんなで食べた方が美味しいし」
すかさず妹の美妙恵が、逃げ道を塞ぎに動いた。
「でも、人が多いのは少し苦手でして」
「由喜ちゃん。たまには外へお出掛けしても良いんじゃない?」
よもや、妻が声を上げた。
「私と春ちゃんだけだと………ほら、答えられない事もあるし」
そういう理由かよっ!
気持ちは判るけどさぁ。
「事情は察しました。人混みが苦手でしたら個室を予約しましょう。何でもリクエストしてくださいっ! 焼き肉ですか? お寿司ですか? 本日の支払いは全て私が持ちます。ボーナスが出たばかりなので、何も問題はございませんっ!!」
清々しい笑顔で義弟は宣言した。絶対に逃がしませんと意気込みを含めて。
「由喜ちゃん。諦めて行こ? わたし達も一緒だから」
ポンと娘が肩を叩いた。同情心に満ちた眼差しをコチラへ向けながら。
「じゃぁ、焼き肉で」
厳重な包囲網の中、俺は渋々白旗を掲げた。