憂鬱な学校生活の幕開け⑦
「みんな、おっはや~っ!」
教室の扉を開けるなり、木村さんは元気溌剌に声を上げた。
「ういっす」
「おはよぉ~」
皆が振り向き、お返しの挨拶。
男子、女子の区別なく。顔が広いというか、人望があるというべきか。
こういう子って、大人になっても皆に愛されるんだよなぁ。
別に羨ましくなんか、ないけどさ。
「じゃぁ、栗ちゃん。荷物を置いたら薬持って行くね♪」
「後でも良いよ」
今、手渡されても、残念ながら飲み水がない。教室抜け出そうにも、ホームルームの時間まで後数分だった。
賑わう人垣を避けながら自分の席へ。
教室内で俺が唯一、挨拶を交わす相手………の姿が見えない。
「あら、おはよう。今日は、ゆっくりなのね」
代わりに昨日、顔見知りになった伊藤さんが、俺を見るなり、ニコリと微笑んだ。
「おはよう。ちと頭痛が酷くてね」
口にしながら、この話しの切り出しは、あまりよろしくない気がして来た。
「宇垣さんは?」
机に鞄があるから、校内には居るのだろう。
「あの子なら、今、青春の大一番よ♪」
伊藤さんが指で差し示す先。
目を向けると、それらしき後ろ姿が、背の高い男子と向き合っていた。昨日会った、古村という男子と背丈は同じくらいか。
背中越しでも、ガチガチに緊張しているのが一目で判るほど挙動不審。
女性同士ですら、まともに会話が出来ないのに、まして異性が相手なら更に拍車が掛かるだろう。
きっと顔を真っ赤にしながら……。
「いらねぇよっ!」
男子の声が、教室に響いた。
「そんな物を渡されても、迷惑なんだよっ!!」
叩き付ける怒声。宇垣さんの背中が、ムチで打たれたようにビクリと震えた。
「まさか、オレに興味があんの? 付き合いたいとか、思ってんの?」
「ち、違いますっ! わ、わたしは………」
「ハッキリ言って、おめぇみたいに暗いヤツ、嫌いなんだよ。二度とオレに近付くな」
威圧に怯えながらの弁明を、その男子は正面から切り捨てた。
俯く頭部、震え出す両肩。
今、彼女がどんな顔をしているのか。どれほど心が打ちひしがれたのか。
そんなの、考える間でもない。
気付いたら。
俺は前に進んでいた。
両手を握り締めながら。
二人の間へ割り入るなり。
右手を、その男子の上顎めがけ振り抜いた。
「ぁがっ!!」
呻き声。
拳に伝わる打撃の感触。
不意打ちを受け仰け反る男子。
だが、倒すまでには至らず。
身長差からアッパーカットを狙い打ったが、女の筋力ではこれが限界か。
「なに、しやがるっ!」
しかも相手は即座に反撃態勢。
全く効いてないな、これ。
「謝れっ!」
俺は絶叫した。教室内に響き渡るような声で。
「ぁあっ!?」
「今すぐ、その子に謝れっ!!」
返答はなく。代わりに男子の右拳が、肘を引く予備動作なく俺の顔面へ。
コイツ何か、やっていやがる。
気付いた時には手遅れだった。
頬の痛撃。
首だけでなく、殴られた勢いで身体が後方へ。
「んっ!!」
受け身が取れず、後頭部を強打した。
薄れそうになる意識。辛うじて繋ぎとめた。
いくら体重が軽いとはいえ、派手に体が吹っ飛ばされるとは。腕力だけじゃない。さては脚と腰の捻りで殴ったな。
「オレに何を謝れって?」
その男子はご丁寧に、床に這いつくばる俺の体を強引に立たせた。セーラー服の襟首を力ませに掴み上げて。
最悪だ。
体格差。
鍛錬の度合い。
どう足掻いて勝てる相手じゃない。
それでも。
「宇垣さんに、今すぐ謝れっ!」
俺は負けじと再び叫んだ。
「その子がどんな気持ちで、どんな覚悟で、それを渡そうとしたのか。全く判ってないだろっ!!」
吊し上げられながら、上擦る声を上げ続けた。
「男なら黙って受け取れよっ! 恥ずかしくても、それを受け入れるのが、優しさってもんだろっ!」
「なんだとっ!?」
「お前は男として、最低な野郎だっ!!」
腹に力を込め、面と向かって罵倒した。
肩が動いた。
もう一発、来るな。
判ったところで服を掴まれている以上、避けようがなく。
少しでも勢いを緩和すべく体を捻った。
…………ん?
攻撃が、来ない?
「先生、そろそろ来るぞ」
男子の背後に、別の男子が、昨日の古村君が立っていた。今にも俺を殴ろうとする腕を掴み、制止しながら。
「ちっ!」
舌打ちと同時に解放される襟元。
糸が切れた操り人形のように、俺は床の上に崩れ落ちた。両膝を強打しながら。
「栗ちゃん、大丈夫っ!?」
大丈夫なわきゃ、ねぇだろ。
憎まれ口を喉元に止めながら、木村さんの声に首を縦に振った。
自分の席へ、戻るか。
そう思うも、笑ってしまうほど膝が言う事を聞かない。
「立てそう?」
伊藤さんの問い掛け。素直に頭を左右へ振った。
「悪いけど、肩を貸してくれる?」
差し出される手を掴み、よろけながら辛うじて立ち上がった。
「ご、ごめんさなさい。わたしが、わたしが………」
ボロボロと両眼から涙を流す宇垣さん。
俺はその頭へ手を伸ばし、気にするなと優しく撫でた。
「栗田さん。あなた、背の高い男子は苦手じゃなかったの?」
「苦手だよ。だって、ほら……」
体を支えてくれた伊藤さんへ、手の平を広げて見せた。
「その証拠に、指が、馬鹿みたいに震えてる」
手だけじゃない。全身が高熱に魘されたが如く、ブルブルと戦慄いていた。
心臓の脈が速い。息も。油断すると過呼吸で倒れるだろう。
忘れていたな。
この感触。
アドレナリン等の過剰分泌。火照る身体。
肉体が暴走気味に高揚していた。
「皆さん、おはようございます」
入り口付近から担任教師の声。解散とばかりに皆が各々《おのおの》の席へ。
「ありがとう。後は自分で歩くから」
周りに謝辞を述べ、足を踏み出した。
「痛っ!」
途端、ハンマーで叩かれたような激痛。
思わず頭に手を当てた。
興奮が冷めるのと反比例するように、痛みが増して行く。
朝からの頭痛。転倒した際に打ち付けた後頭部。両方が混ぜ合わさり区別が付かない。
殴打された頬も、オマケとばかりに疼き出した。
アイツめ、少しは手加減しろよ………。
「早く席に着いて下さい」
教壇から急かされるも、自分の席がやけに遠い。
周囲から投げられる視線。
奇異な目線。
折り重なる囁き声。
嘲笑。
…………………やって、らんねぇ。
俺は。
机に辿り着くなり。
放置していた鞄を引っ掴んだ。
「先生っ! 今日は頭痛が酷いので、早退しま~す」
一方的に告げると、その場を後にした。
クラスメイトからの注目を一身に浴びつつ、教室よサラバと、堂々と胸を張りながら逃げ出した。




