憂鬱な学校生活の幕開け⑤
「陽子。少しだけ良いかな?」
扉を開け妻の仕事部屋を覗く。
締め切りが重なり修羅場中と聞いているので、なるべく邪魔はしたくないのだが。
「どうしたの? 今なら大丈夫よ」
液晶テレビから流れる海外ドラマ。
集中力が途切れたのか休憩中らしい。
「頭痛薬、ある?」
「春ちゃんが持ってると思うけど」
「そっかぁ~」
すると数時間先だな。昨日の帰宅、日暮れ後だったし。
「頭が痛いの?」
「ちょっとね」
学校にいる間は、それほど酷くなかったのだが。
帰宅後に洗濯を始めたら、後頭部の辺りが急に疼き始めた。
「我慢出来ないようなら、私が買って来ようか?」
「いや、そこまでじゃないから」
今の痛みなら何とか耐えられる。出来れば薬に頼りたくもなし。
「あと、鋏を知らない?」
「料理用?」
「いや、髪を切るやつ」
「それ、切っちゃうの?」
聞き間違いじゃないよねと、妻は俺の顔を見返した。
「少し、短くしたいんだ」
「洗面所にあると思うけど」
「判った」
あの周辺は一度探したのだが。
礼を述べ踵を返す。
もしかして洗面台の下か?
扉を開けるも洗剤や柔軟剤など、薬品の容器ばかり。それらしき物は見当たらず。
「お父さん、あった?」
心配したのか、妻が廊下より様子見。
「………いや」
「端に袋がない?」
ん?
これかな?
「あった」
物陰に隠れて見えなかった。
透明な袋に入った長鋏と櫛。春佳が小さな頃は、これで前髪を切り揃えていた。
「あなた、自分で切るつもり」
「可能なら手伝って欲しい」
当初、娘にお願いしようと思っていたが。妻の手が借りられるのなら、それに越した事はない。
「良いけど。どの位の長さにするの?」
「それは……」
言葉で説明しても良いが。
立ち上がり、洗面台の鏡に自分の姿を映した。
「大体、この辺りかな」
他のクラスの女子は、肩の上くらいだった筈。
「耳は出すの?」
「どっちでも」
あまり深く考えていなかった。
「ねぇ。私が切るより、明日に美容へ行った方が良いんじゃないの?」
「出来れば、今日、切りたい」
「どうして?」
「それは………」
理由を口にしようとするも。
鏡の中の自分と、目と目があった。
瞬きする事、数度。
自分の顔を眺める事、数秒。
「………やっぱり、止めとく」
「切らないの?」
「あぁ。今回は切らない」
目立つから。
周囲より浮くから。
他人に合わせるため、己を変える。
バカだろ。
本気か?
鏡に映る少女が、そう訴えていた。
どうやら思っていた以上に、俺はこの髪がお気に入りらしい。
そのためなら。
それを守り通すためならば。
学校で一番目立とうと、一向に構わない………か。
なんだ。
そうか。
何十年の月日が経過しようと。
結局、俺は何も変わっていないらしい。
あの頃から、成長などする事もなく、餓鬼のままか。
全てが腑に落ちた時。
鏡の少女が俺に微笑んだ。
それで良いじゃないか、と。




