年の始めのためしとて
神社の拝殿に鳴り響く柏手の音。
お辞儀を二回し、手を合わせ祈る。
その間も頭上高く設置された真鍮の大鈴が、麻縄で揺すられる度にガラガラと、せわしなく参拝者を祓い清めた。
「先に行くよ」
娘に一声掛け階段を下ろうとするも、初詣客の雑踏に飲み込まれ遅々として歩めず。
非力な体格を嫌というほど思い知りながら、石畳の参道へ到達。
息を整えながら周囲を見渡すと、後ろにいた筈の春佳がすぐ目の前に立っていた。コンコンと咳き込みながら。
「大丈夫か?」
俺の言葉に娘はコクリと頷くも、やはり顔色はよろしくない。
「喉が……ね」
一言呟くと、再び小さく咳きをした。
年末の宴会後。
俺と娘は高熱で寝込んだ。
タチの悪い風邪を即売会にて貰ったらしい。春佳は二日酔いも上乗せで酷い有様。
正月を寝て過ごし、ようやく起き上がれる状態まで回復した。
俺の場合、病院へ行こうにも、いつもの保険証が使えるわけもなく。熱が引いた時は心の底から胸を撫で下ろした。
「由喜ちゃんは、何を神様へお祈りしたの?」
「そりゃ元へ戻る事。あと、お前の国家試験、合格祈願さ」
「祈ってくれたんだ♪」
気恥ずかしそうに帽子へ手を当て、はにかんだ。
「ちゃんと資格取って、就職してくれないと困る」
「学費のローン、たくさんあるしね」
「俺、新年から無職だしな」
「はい?」
マジですかと、娘は目を見開いた。
「そっか。あの件まだ話してなかったか」
「何があったの?」
「義弟が、俺の職場に電撃訪問した」
ヤレヤレと溜息を交えながら、顔を左右へ振った。
「俺は自宅でテレワーク……の筈が、所在不明という事になり、会社で大問題になった」
「それで、クビ?」
「業務用ノートパソコンを持ち出していたからさ。会社のデータ・サーバーに直接繋がるから」
情報セキュリティを考えたら、当然の結末ではあるが。
「出社して説明しろとメールが飛んで来たので、仕方なく業務パソコンと一緒に辞表を宅配で送りつけた」
「ありゃま」
せめて三月まではと目論んでいたのだが………。
「まぁ、遅かれ早かれ退職確定だったから、予定が早まっただけさ」
この件に関して義弟を責める気はない。俺の身や家族を案じての行動には違いないから。
ただし、恨みがましくは思う。
「春佳。お守り買って行くかい?」
参道の脇、臨時の社務所内には、巫女服姿の女性が華やかに詰めていた。
「いらない。お母さんから正月に貰ったもん」
「そっか」
妻の事だから学問系の神社まで足を伸ばしたのだろう。
「わたしとしては、おみくじが引きたいかな」
腕を引き、せがむような上目使い。
「俺は、やめとく」
「どうして? 一緒に引こうよぉ」
娘はあからさまに口を尖らせた。
年の始めの、ためしとて………か。
毎年、妻と二人で一喜一憂していたからな。
出掛ける時、今年も三人でと陽子を誘ってみたが、正月に参拝したからと素っ気なく袖にされた。
多分、この人混みを嫌ったのだろう。
「なぁ春佳。今おみくじを引いて、大吉とか出ると思うか?」
前途多難か女難の相か、読むだけで気分が滅入る内容だろう。
「判んないよ? 良いのが出るかもしれないじゃん」
「その時は金輪際、おみくじを信じないよ」
天気予報の方がよほど当てになる。
それほど信仰深い方ではないが、神仏の御加護を疑うような状況を招きたくはなかった。
いざという時に祈る対象がないと困るから。
「これで二人分、引いて来い」
財布を取り出し、ションボリとする春佳にお札を一枚手渡した。
「お前と、お母さんの分だ。お釣りはいらない」
「判った♪」
にぱっと笑うなり、玉砂利を踏み鳴らしながらお使いへ。
小学生の頃から何も変わっていないというか。本当に今年、成人式なのか?
それが良いのか悪いのか判断に迷う。
娘が帰るまで温かい飲み物をと考えるも、目の前には立ちはだかる人の壁。
正月は過ぎたとはいえ、まだ三箇日。表参道の列は門の先まで伸びていた。
多数の参拝客に混じる艶やかな振り袖の数々。
どうせこのような見目姿、一度くらいは羽織ってみようかと考えもする。
実際に着たとしても、数分で飽きそうではあるが。
「買って来たよ」
「へ?」
いつの間にか隣に娘が立っていた。
「早かったな」
列が見えたから軽く十分くらい掛かると踏んでいたのだが。
「おみくじだけ並ぶ所が違ってた」
「それは新年早々、縁起の良い事で」
昼間とはいえ寒空の下で待つ身としても僥倖ではある。
「春佳。何か食べて行くかい?」
先ほどから出店の甘酒が気になっていた。
「ん~……。今日は、いいや。調子あんまり良くないし」
そう言い終えるなり、ホラねと咳きを二回。
「じゃ、帰るか」
あまり遅くなると妻が心配するだろう。
二人手を繋ぎ家路についた。仲の良い姉妹のように。
「由喜ちゃんは、どこか寄り道したいの?」
「一旦、家に帰るよ」
途中で別れるのは心配だから、とは敢えて口にしなかった。
「その後は?」
「新年会へ行く」
そう口にした途端、娘から笑顔消失。
「マジで行くの?」
露骨に嫌そうな声を上げた。絶対拒否とばかりに。
「お前は来なくても良いよ。一人で行くから」
義弟から届いた新年会のお誘い。是非ご参加くださいと丁寧な文面のメールが昨日着信。
「四時始まりの夕方六時締めだから、時間的には問題なかろう」
その後に続く二次会、三次会まで付き合う義理はない。
「別に無理しなくても良いんじゃない?」
再考を促すという事は、娘にとってあの宴会はトラウマ案件になったらしい。
あれだけ騒いで、あれだけトイレに籠もっていたら、そうなるわな。
「あの二人が参加する。今回は少人数だから色々と話す機会もあるさ」
「前回、聞かなかったの?」
「始める前から出来上がっていた。今回は昼間の開始。流石に素面だろう」
正月三箇日なので、朝から飲んでいる可能性も否定しきれないが。
「元に戻らないと、再就職も難しいだろ?」
夢の作家生活というのもアリではあるが、三人分の食い扶持となると些か自信がなかった。




