第9話 裏・データ・一転攻勢
「ふ、ふざけないで! 勝手に録音しないで、すぐに消して!!」
沈黙で満ちた室内で、1人の女子が悲鳴を上げた。
彼女は蛇に睨まれた蛙のように、血の気が引いた顔に涙を浮かべ、体を震わせている。
私に怒りの矛先を向けているのは、彼女唯1人。
その他数人は叫んでいる彼女に目もくれず、その場に立ち尽くしている。
もしかすると彼女は、この狭い教室内において、最も勇気のある人物なのかもしれない。怯えつつも毅然とした態度で、私に立ち向かうのだから。
……まぁ、それがどうしたというか……。
彼らはこれまで、散々私を罵倒した。しかし、百歩譲ってそれはまだ良い。
本人への侮辱ならば、私は許そう――だが、許せない物もある。
彼らは、私の家族を、貶めた。
安全圏から、無関係な他人の家族を攻撃する――そんな卑怯者からの要求を、私が素直に呑むわけもない。
「この角度かな? はい、チーズ…………って、こんなものかな。これでよし、と」
——私は彼女の言い分を完璧に無視した上で、机上の惨劇を、スマホのカメラに収めた。
画像には、花と水がぶちまけられた学習机が、高画質で鮮明に写っている。
私は、撮影した画像の出来に満足すると、顔を上げ——そこで初めて、周辺を複数の男女に囲まれていることに気が付いた。
取り囲んでいる数人は、私のクラスメイト。先程まで、私を罵倒し、罵ってくれた張本人達だった。
彼らの様相は先刻までとは異なっていた。複雑な表情を浮かべ、スマホを弄っている私の傍に、いつの間にか陳列していたのだ。
そして、全員が何か物言いたげに、口をもごもごと動かしていた。
自身を取り囲む彼らを見た私は、指の動きを止める。スマホの代わりに、右の耳たぶを触り始めた。
そして、教室の天井を仰ぎ、思う――困ったことになった――と。
何に困るか、彼らの言いたいことが分からないのではない。
むしろ逆だ。分かりやすいことが問題なのだ。
私が危惧しているのは、彼らが証拠品を隠したがるという可能性だ。彼らの吐いた暴言や汚した机の写真——つまりは、私におこなった行動の証拠品になる。
私が彼らの立場なら、同じことを考えてもおかしくない……。
証拠の隠滅はしたいが、直接的な暴力には訴えたくない。可能な限り穏便に、私が所有しているデータを消去したい。
できる事なら、私自身に消去して欲しい。自分達は安全圏から一方的に殴り続けたいから——弱いもの苛めが大好きなクラスメイト、もといクズの考える内容など、この程度だろう。
今、彼らはそのための方法を考えるのに夢中になっているはずだ。
だが、こんなクズ共に対しても――否クズだからこそ、なるべく、彼らを刺激してはならない。
彼らは最初から、私を糾弾することはあっても、暴力を振るう気配は無かった。
人を殴らない、これは倫理的に正しい行為である。私とて、痛いことは嫌いだ。
誰だって、平和が一番に違いない。
しかし、追いつめられた人間に、それは当てはまらない。
彼らが今、私に何もしてこないのは、まだ心に余裕があるからだ。
……いや、余裕があると言うよりは、展開に付いていけず、軽いパニック状態に陥っているのかもしれない。
言わば、今の彼らは、破裂寸前の風船のような存在なのだ。
ここで、私が彼らを突き放したら、その途端、彼らは自暴自棄になるかもしれない。そうなったら、多勢に無勢……私1人では手に負えない。
最悪の光景を想像するだけで、胃がキリキリ痛む……。
これからは、彼らを憤慨させないように、言葉を選ぶ必要がある。
細心の注意を払って、私は口を開いた。
「えっと……貴方たちが私を追い詰めた証拠の、写真や録音データなんですがね。本当に伝えづらいことなのですが、その……」
先程まで私を苛めていた人たちは、今や、その本人に縋るような目線を向けていた。
四方八方を包囲しているグループだけではなく、彼らの背後から事の成り行きを見物している数人も——この教室に集う私以外の全員が、瞳を不安げに揺らしていたのだ。
大勢から浴びせられた視線に、一瞬言葉に詰まりつつも、私は続きを話す。
「たった今、自宅のパソコンにデータを送信したので……私のスマホを破壊しても、無駄ですからね?」
瞬間、空気が凍り付いた——私はそれを確信してから、誰かが余計な口を挟む前に、次の言葉を発した。
「……まぁ、データを破棄してあげないことも…………なくはないんですけど……」
「「「……え?」」」
その時の彼らの表情は、私に強く印象づけられた。
鳩が豆鉄砲を食らったように、誰もが間抜けな顔を晒していた――後から振り返ってみればの話だが、この後の台詞も、よくぞ噛まずにに言い切ったものだ。
……正直なところ、笑いを堪えるのに必死だった。
私はこれ見よがしにため息を吐き――あくまでも条件付きですからね、と前置きしてから語った。
「私の提示する条件とは――」