第4話 表・夢・川
休日が明けると、誰もが憂鬱な月曜日がやって来る。
無論、憂鬱に感じるのは僕にも言えることだ。
気分が滅入る理由は人それぞれ。人間関係や試験結果、受験勉強の疲れ等と多岐にわたるはずだ。
僕の気分が滅入ってしまった原因は、正にその筆頭。人間関係が原因である。
悩みのタネは、未だに根を生やしている。
連絡先を交換していたため、いつでも話ができる状態にあったが、彼女からの返信が帰って来なかったのだ。
勿論、心当たりが無いことはない。
脳裏によぎるのは、先日の一幕。草部さんと一緒に帰った放課後、ダッシュで直帰した彼女に対して、僕はその訳を聞かなかった。誰にでも聞かれたくないことの1つや2つあるだろうな——なんて、呑気に構えていたからだ。
その結果、あの放課後以来、彼女と連絡が付かなくなった。
……やはりあの日の放課後、僕は草部さんに対して、どこかのタイミングで失礼を働いた。それが原因で、彼女を怒らせてしまったのだろう。
しかし、その場合、1つの問題が生じる。
それは、彼女を怒らせた原因について、全く見当がつかないことだ。自分が謝罪したい内容が明確でなければ、彼女に何を伝えたいかが曖昧になってしまう。
その結論に至った僕は、テスト勉強が終了して有り余った時間を利用して、己の言動を振り返ってみることにした。
とは言え、自分の欠点を全て把握する者は、この世にいない。それを理解するのは賢者だろうが困難だ、という話をどこかで聞いたことがある。
まして、学校の中間試験に一喜一憂する様な僕は、賢者ですらない。
つまり、何が言いたいかというと——僕が1日2日と頭を捻った程度では、全く見当もつかなかったということだ。
休日を全部使って、自分の発言を振り返ろうが、草部さんが怒った理由は分からなかった。
世の中には、どれだけ考えても意味不明なことがあることを思い知った。
このままでは、次に彼女と会った時にも、同じ理由で傷つけてしまうかもしれない。そう考えると、学校に行く気が失せてしまう。
もっとも、落ち込んでいる僕の精神とは裏腹に、身体はいつの間にか、慣れ親しんだ登校ルートを進んでいたのだが。
自分自身の反省会は今日の朝まで続いていたためか、非常に眠い。
登校したくないのは、それも理由の1つかもしれない。教室に着いたら、すぐに仮眠を取ろう。
睡眠不足でフラフラする体に鞭を打って歩き続けると、いつの間にか自分の教室に到着していた。
自分の席を探して座り、足元に学生鞄を置いて、僕は机に突っ伏した。
「……おやすみなさーい」
誰に言うでもなく、小さな声で1人ぼやいた僕は、そのまま夢の世界へと旅立った。
目を開けると、雲1つない晴天の中、僕は見覚えのない河原に立っていた。
「…………」
周囲を見回してみたが、僕の他には誰もいない。
今はまだ5月だ。川で遊ぶには早い時期だし、まだ水も冷たいだろう。泳ぎに来ている客がいないのは当然だ。
しかし、僕が川に訪れているのは不自然だ。
自慢じゃあないが、僕はカナヅチなんだ。それも、腰までの深さの水で溺れる程の。
人間は何もしなければ浮くと言うが、その感覚が僕には理解できない。
故に、自分から川や海に行くことはない。他人からの誘いも断ると思う。
そんな僕が今、河原にいる理由なんて1つしか考えられない。
「なんだ、夢か……」
僕が自分の意思で川に来るとは思えない。これは明晰夢だ。今すぐに目が覚めて欲しい……。
僕が河原を訪れている理由に、納得できる答えが見つかった時だった。
その少女と僕が出会ったのは。
いや、出会ったという表現は正確じゃあない。僕が一方的に少女を見つけただけだ。
少女は僕より数メートル離れた先に座っていた。
僕に気付く様子はなく、河原で屈みながら何らかの作業をしているようで、両手を慌ただしく動かしている。
背を向けていて、僕の方からは顔が見えない。白のワンピースを着ていて、髪はボブ程度の長さだ。女子の服装どころか、自分の服にさえ頓着がない僕には、なんとなく涼しそうだな、という感想しか出てこないのが、とても残念だった。
それはそれとして、ついさっきまで、少女の姿はどこにもなかったはずだ。それがどうして、突然僕の目の前に現れたのか?
少しだけ、不思議に思った。
話を繰り替えすようだが、僕は川が嫌いだ。人間なら誰だって好きな僕だけど、川だけはどうしても嫌いだ。
ある程度の深さの川に来る夢を見ているのに、学生服のままなのだ。
死んでも水中に潜ったりするものか、という僕の思想が反映された結果だろう。
一方、少女はワンピースを着ている。世の中には、ワンピース型の水着というものがあるらしいが、少女が着用しているのは、水着タイプのそれではない。以前、街中や何処かで見たことがあるのかもしれない。既視感を感じる。
もしかすると、少女は泳ぐ気がないのかもしれない。
それに、目の前の少女は屈んでいるとは言え、かなり小さい。僕の腰より少し高いくらいの背丈で、大体中学生くらいに見える。
しかし、少女は1人だ。この河原には、僕と少女以外の姿はない。
年端もいかない女の子がたった1人で、川の近くにいる。あまりにも不自然だ。
誰かと遊びに来たのではないのなら、少女は何のために来たのだろう?
努めて、明るい声音を意識しながら、僕は少女に声をかけた。
「やあ、こんにちは。白い服の君、君はいつからここにいるんだい?」
「……」
返事は無い。
僕の声が聞こえていないのか、少女は手を動かし続けている。
「君に話しかけているんだよ、白ワンピの少女。この場には、君と僕の2人しかいないだろう?」
1歩近づいて、もう一度質問する。
「…………」
だが、またしても反応は帰ってこない。
少女が何をしているかは知らないが、それほど集中しているんだろう。僕にも、集中しすぎて周りが見えなくなる経験はあるため、気持ちは分かる。
謎の少女に親近感を覚えた僕は、少女の元へと歩き出す。
声が聞こえていないなら、肩をゆすることで、少女に気づいてもらえるかも……。そう思っての些細な行動だった。
その瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
「…………は?」
ぐるり、と音を立てるかの速さで少女が僕の方を振り向いたのは、正にその時だった。
フィギュアの首から上がぐるぐると回転するみたいに、少女の首は180度曲がっている。手は先程と同じように、何らかの作業をしたまま、僕と目を合わせている。
否、目が合っているわけではない。ただ、少女と僕の視線は交差している。それは事実だ。どちらの視線も逸れることがないため、お互いが見つめ合う状況になっている。
現に、僕は少女からの視線を肌に鋭く感じている。
しかし同じように、僕の視線が少女の眼を貫いているかと問われれば、そうではない。
それは少女の両目が無かったからだ。物理的に、節穴だった。
スプーンで掬ったみたいに眼球が抉れていて、中の肉がむき出しになっていた。抉られてから結構経つのか、出血はしていない。
普段の僕なら、ほぼ確実に冷静さを欠いている案件だが、何故だかひどく落ち着いていた。これを夢だと認識しているから、安心しているのだろう。
眼球が無いのに視線を感じるとはおかしな話だが、夢ならあり得る、と思ってしまった。
「…………」
呆然としている僕から視線を逸らすことなく、少女は沈黙を守っていた。口を開かず、無表情のままだったが、少女の持つ静けさは、僕からの質問を待っている証に見えた。
作業が一段落したのかもしれない、質問するなら今だ。
僕じゃなくても、そう思ったかもしれない。当然僕だって、少女に尋ねるチャンスだと感じた。
しかし、僕は口を開くことができなかった。まるで金縛りにでもあったかの様に、僕の時間だけが止まってしまったかの様に、指一本動かせなかった。
それでも、頭と目だけはしっかりと動いていた。体の動きが止まってから、体感で10分くらい経った後、少女は僕から目を離した。
首の向きを元の方向に戻してから、少女は口を開いた。
「私はずーっと……ここにいるよ……銀介」