第1話 表・デリカシー・愛
「何点だったよ」
「まあまあかな、弥生こそどうなのさ」
「……補習」
「……」
5月某日、夕方。
僕こと氷川銀介は友人である菊井弥生と共に、家路を辿っている。
その道中で、2人は今日返却されたばかりのテストの結果を報告し合っていた。
弥生は眼鏡を掛け、休み時間は常に本を読んでいる男だ。現在も本を片手に持ちながら歩いている。
そんな彼だが、本は漫画やラノベがほとんどで、教科書や参考書を読んでいる姿なんか滅多に見ない。視力が落ちて眼鏡を着用しているのも、それが原因らしい。
彼は世間で言う所の、オタクという人種である。
本人曰く、今回のテストにはゲームを2徹して挑んだらしい。結果はお察しの通りだが。
ショックを受けることが分かっているなら、何で勉強して来ないのだろう。
僕がそう訝しんでいると、弥生は頭を搔きむしり始めた。彼はそんなことより、と前置きして、僕に質問した。
「昨日お前に告ってきた女とはどうなったんだ? ……名前何だっけ、ほら、あの3人組の」
「急に何だよ、君は僕の父親かよ」
「良いじゃないか、どうせ断ったんだろう。いつものことだ」
「まあ断ったけどさ」
「俺だったら断らないだろうになー、3人だよ3人!! ハーレムなんて男の夢じゃないかー」
「いや、男の夢とやらはよく分からないけど……」
僕が昨日告白されたことは本当だ。昼休みに弥生と飯を食っていた時、呼び出されて、無人の教室で告白された。
しかし、弥生は現場を直接見たわけではない。呼び出された教室に、弥生は訪れていない。あくまでも、告白があったという事実しか知らない。
そのため弥生の言ってることは、少しだけ外れている。
「1人だけだよ」
「え、何がだ?」
「告白してきた人数の話。プライバシーもあるから名前までは言わないけど……他の2人はその子の友だちで、告白が成功するか不安で付いてきたみたいなんだよ」
呼び出したのは3人、でも告白したのは1人、残りの2人は付き添い。
告白してきた子が心配で付いてきたらしい2人は、終始険しい顔をしていた。特に、告白を断った後なんか、告白してくれた女の子はめそめそと泣いてたし、付き添い2人は般若みたいな形相でこちらを睨んでいた。
……こんな事を考えるのは失礼かもしれないけど、尋問されてるみたいで気が気じゃなかったっけ。あの時はすぐにでも背を向けて帰りたかった程だ。
そこまで話して、やけに弥生が静かだなと思ったので、隣を見ると、彼は訝しむ様な目で僕を凝視していた。
そのまま眉間に皺を寄せて、指で顎をかく。そして、数秒その状態が続いた後、大きく目を開き、納得した様に唸った。
「佐野静香とその取り巻き達か、そいつら。」
「え、何で分かるの。名前言ってないよね、僕は」
「ああ、彼女が特別有名なだけだよ。常に取り巻きを従えている女王様ってな。告白現場にまで取り巻きを連れてく変人なんて、内の学校の生徒なら誰でも察しが付くよ……お前噂とか興味ないもんな」
一言多いな、こいつ。
確かに僕は、流行りの服や時事ネタに疎いところがあるけれど……。
「興味が無いって訳じゃない。僕は、人を噂だけで判断する行為を下らないと考えているってだけで——」
「それなら、何で付き合わなかったんだ? 噂通りの性悪女だったって訳か?」
「性悪って……」
誰かに聞かれてたらどうするんだと、僕はキョロキョロと周囲を見回す。
幸い、目に見える範囲に人はいなかったため、僕はホッと息を吐くが、知ってか知らずか、弥生は僕に向けて話を続ける。
「入学1ヶ月にしてクラス内どころか、学年での立ち位置は最上位。敵対する女は容赦なく排斥して、彼女に靡かない男全員は奴隷扱い。校内を半ば私物化しているとの噂だ。支配されているのは今でこそ1年生だけだが、いずれは俺達2, 3年生にもその手が及ぶと言われている……、ってな。正に、学園の女王様だ」
「その噂なら僕だって知ってるよ、わざわざ解説ありがとう。」
「どういたしまして。それで、どうして告白をオーケーしなかったんだよ?」
「よくぞ聞いてくれたね!!」
僕が発した皮肉を物ともせず、弥生は再び同じ質問を投げかけた。
僕がこの質問を弥生にされるのは、今日が初めてではない。前回質問された時は……何ヶ月前だったか。
時期はあまり覚えていないが、何と答えたかは確かに覚えている。今も、あの時と同じ答えを告げよう。
「僕は、この世の全人類を愛しているんだ! 謳う愛に男女の性差、重ねた年月、その他諸々関係無し!! ただそこに在るというだけで、人には皆、価値がある!!」
両手をサムズアップして破顔する僕を見て、弥生は口を一文字に引き結ぶと。
「ほんっっとに、何でこれがモテるんだろうなぁ……」
溜息を1つ吐いて、僕の脛を蹴飛ばした。
彼女と出会ったのは1週間前、休日にテスト勉強をしていた時のことだ。
その日は雲一つない快晴で、肌に心地よいふんわりとした風が吹いていたのを覚えている。
僕は昔から勉強が苦手で、椅子に座って机に向かうよりも、体を動かすことの方が好きな性分で。
特に苦手なのは、暗記する単語の多い英語。単語帳を開いていられる時間は、10秒が限界だ。
弥生はオタク活動が原因で勉強が不得手だが、僕はじっと勉学に励むことが苦手なタイプだった。
この日、僕は近場を散歩していた。
朝から教科書や単語帳と格闘していた僕は、勉強のストレス解消兼昼食を買うために、外出してコンビニへと向かっていた。
両親は朝から仕事に行ってしまい、家には誰もいない。1人分のおにぎりとお茶を買って、コンビニを出た後、気分転換に寄り道することにした。
そして、自宅へと帰宅ルートとは矢先、僕はすれ違った彼女に話しかけられたんだ。
「あ、あの! すみません、ちょっとお時間よろしいですか……?」
「?」
このお姉さん、おどつきすぎじゃないか?
僕は彼女に対して、そういう感想を持った。
彼女は癖の付いた長い黒髪を腰まで伸ばしていて、僕よりも頭1つ分以上は大きかった。男でも滅多に見ない様な高身長だったため、僕はてっきり大学生くらいのお姉さんだと思ってしまったほどだ。
また、前髪は目にかかる程の長さで、表情が良く分からない。しかし、僅かに見える口元はごにょごにょしていて、不安を感じていることが伝わって来た。
「…………」
「すみません、ちょっとお時間よろしいですか……? 道を尋ねたいのですが……」
僕が黙っていると、先程と同じことを繰り返し尋ねた。彼女はどうやら、自分の声が僕にはよく聞こえなかったと思ったようだ。
それが原因で、僕が大人しくしていると考えたらしい。
「ああ、すみません。少し考え事をしていたものでして。それで、どこに行きたいのでしょうか、この辺りの地図なら完璧に頭に入ってますよ!」
努めて明るく話すと、彼女は安心した様に息を吐いて。
「ありがとうございます。私、最近この辺りに引っ越してきたばかりでして、市役所の位置が分からなくて……。地図を読むのも苦手で、途方に暮れていたところなんです」
「なるほど。市役所なら10分も歩けば直ぐですよ、案内します」
市役所への道のりを先導しようとする僕に、彼女は慌てて首を横に振る。
「いえいえ、市役所への行き方さえ教えていただければ十分ですので……。悪いです、貴方にも用事があるでしょうに」
「用事なんてありません。気分転換に散歩していただけですし、気にする必要ありませんよ。それに——」
「それに?」
「あ、いえ。……こ、この辺りの道は入り組んでいて迷いやすいので、口で説明するよりも、自分自身で案内する方が楽なんですよ! ……それだけです、はい!!」
「は、はぁ……」
——それに、地図を見ることが苦手な方向音痴に、口頭で教えるなんて無謀だと思ったからです。……なんて、直接言える訳がない。
不思議そうな顔をしている彼女から目を離しつつ、僕はそんなことを思っていた。
「まぁ、そういう事ですから、早く行きましょう。時は金なりとも言いますしね、はぐれない様にしてください。お姉さん」
「はい、よろしくお願いします。……ん? お姉さん?」
何か、失言でもしただろうか。
僕が頭に疑問符を浮かべ、首を傾げていると。ふと、彼女が真剣な目でこちらを見ているのに気が付いた。
「失礼ですが、年齢を聞いてもいいでしょうか」
「……良いですけど」
失礼だとは思わないが、初対面の人に聞くことでは無くないか、と思った。
しかし、質問の意図は分からないが、隠すものでもない。
僕は正直に答えた。
「16です、それがどうか」
「私は15です」
しましたか、と言う直前、僕の台詞に被せる様に、彼女も告げた。さっきよりも、声のトーンが低くなっている。
「もう1つ、お尋ねしてよろしいでしょうか」
彼女の言葉からは、有無を言わせぬ圧が生じていた。この圧に、懐かしさを感じるのは気のせいだろうか。
「……ど、どうぞ」
嘘ですよろしくないです、と拒否したい気分だったが、それは叶わず。
「ご厚意に感謝します。では……」
そう言えば以前、無神経に女性の年齢を聞くものではない、と母が言っていた。
彼女の圧は、あの時母が纏っていたそれと、全く同質のものだ。他者を糾弾する時に、母がよく使っていたものだ。
「さっきまで私の年齢、一体いくつだと思ってたんですか?」
「…………」
僕は、無言で土下座した。
年齢を聞いたのは彼女が先だとか、年を勘違いしただけで怒られる筋合いなんてないだとか、色々思うところはあったが、それを今ここで言ってはいけない理由だけは、なんとなく理解していたつもりだ。