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第7版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
3/16

1ー3.旅立ちの日に

 夢のなかでは、リナはまだ幼い少女のままであった。

 目を開けているつもりでも決して見えることのない闇──〝無〟を一枚の絵に表せたならきっとそうに違いない。そのような暗黒のただなかを、リナの意識はうつらうつらとさまよっていた。


 何も見えない。聞こえない。にもかかわらず、歩みを止めない自分の足の裏の感覚だけが研ぎ澄まされていて、生々しい。


 それを自覚したとたん、急に全身に鳥肌が立つような悪寒に囚われた。ぶわと風が足元から吹き上げたかと思うと、暗幕がめくり上がるかのように景色ががらりと一変する。


 まさに一面の花、花、花──


 どこまでも透明な青空へと白い花片(はなびら)が飛び散っていく。それを目の当たりにしながら、リナはこの風景を何度か見たことがあるのを思い出した。

 しかしなぜ、どうしてなのか。あるいはどこのどんな場所だったのかは、記憶の底から(よみがえ)ってくることはない。


〝……ナ、リナ〟


 どこか遠くで、自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 とても懐かしくて、泣きたくなるほど嬉しい気持ちが込み上げる。そんな声だ。


 頭ではわかってる。これは夢だ。錯覚だ。


 だから目を開けることさえできれば、きっとこんな景色は砂の上に描いた落書きのようにあっけなく消え去る。そして二度と同じものは戻ってこない。そのはずだった。

 しかし直感はそうではなかった。リナの意識はまさにその声のありかに向かって、足を踏み込む。一歩、一歩のその感触が、夢のなかでありながらまさに現実でもあることを裏付けようとする。


 少女はいつしか走っていた。


 花が散る。白いかけらが舞い上がる。雪のように、綿毛のように、ふわりふわりと少女の周囲を夢見心地に柔らかく取り囲む。

 一度走り出すと止まらない。()(たお)す花々が増えれば増えるほど甘美(かんび)な香りがそこかしこから立ち昇って、少女の心をとりこにした。


 そのままゆっくり沈むかのように──


 やがてたどり着いたのは、青空を貫いてなお抜きん出ようとするほどの巨大な一本の樹だった。高みを臨めば青空に溶けて消えてしまいそうなほどで、その根元は塔の礎石(そせき)のようにどっかりと存在感がある。さながら根の一本一本がひとつの幹だったのだ。

 声の主はその太い根の一端に腰掛けるようにたたずんでいた。


 女である。


 黒くて美しい髪が風にたなびく。ほのかに垣間見える、力強い光を湛えた青いまなざしを目の当たりにすると、身が引き締まる思いがする。けれどもそれは嫌な気分ではなかった。むしろ暖かく、懐かしく、(ほこ)らしい気持ちにすらなるものであった。

 ところがここまで近くに迫ってもなお、少女にとってその人物がなにものであるかを思い出すことができなかった。


〝憶えてなくてもいいのよ〟


 女はさえずるように言葉を発した。


〝あなたはまだ、知らなくていい。わからなくたっていい。けれども、どうかこれだけは忘れないでほしい。《鍵》はあなたのなかにある。だから、その時が来たら──〟


 風が、強く吹いた。

 少女はとっさに()き返す。しかし女は構わず話し続けた。


〝──どうかその時が来ないことを祈っています。しかし近いうちに来るでしょう。だから、その時は決して迷わないで〟


 さらに風が強くなる。そして花片の波しぶきとともに少女を押し飛ばした。

 尻もちをつくかと思った。ゆっくりと背中から落ちていくその感覚は、しかし足の裏が離れたとたんにどこまでも際限なく続いた。


 まるで果てしない水底(みなそこ)へと沈んでいるようだった。

 ゆっくりと落ちてゆくなか、少女は無数の泡沫(うたかた)のような白い花片と、その向こう側にある、十字架にも似た樹の枝の影を見た。


 りいん、とベルの音がする。そして──


 目が、覚めた。


「あ、れ……?」


 寝ぼけまなこをこすって見えるのは、天地が逆さまになった我が家の光景だった。

 どうやらベッドから落ちたらしい。よっ、とひと息で上体を起こす。彼女はふたごの弟がいつのまにかいなくなっていることに気が付いた。もう一度目をこする。しかしこれは現実のようだった。思わず頭を掻く。


 食卓に向かう。しかし朝日が差し込み、誰もいないことがはっきりわかるだけだ。

 かまどの火も落ちている。灰も冷たい。納屋も見たが気配すら感じない。仕方がないので裏手に回って汲み置きの水で顔を洗う。


 そして、ぱしゃっと顔がぬれた瞬間、何かが弾けたように思い出が戻ってきた。

 ところがそのひとつひとつは火打ち石の、火花のなかに映る壁画のようなものだった。振りかざした木剣と打ちのめされた体験。泥と砂を噛んだざらざらした感触。そして見上げたところにいる金髪碧眼(へきがん)の男──かれは片腕で、リナのことを無感動なまなざしで見つめている。「どうして」と彼女自身が口にしたような気がした。しかし男は答えてくれなかった。ただ二、三、小さく口が動いた以外に彼女の記憶には何も残ってなかった。


 この一連の回想は、あまりにも取り留めがなく、見たとさえ言えるか危ういほどにおぼろげなものでしかないのだ。


 リナは目を何度も(しばたた)かせる。

 それからグッと強くまぶたを閉じると、もう二度と戻ってこないものを思い出そうとして、虚しい想いを噛み締めた。


「ちきしょう、なんだってんだよ」


 もう一度顔をぬらす。最後にもうひとすくいすると、そのまま口元に持っていき、寝起きののどを潤した。

 ごくりと気持ちの良い音を立てる。そしたら先ほどの不愉快な追想のことなんか、もはやどうでも良くなっていた。


 と、そこに、足音がやって来る。

 見れば、ルゥが戻ってきていた。


「おはよぉ、メシは──」

「もう。さては寝ぼけてるね?」


 腰に手を当てる。ほおをふくらませて呆れ果てている様子は、懐かしい面影があった。


「なんだっけ」

「昨日のことは憶えてる? ボクたちこれからお母さんのお墓参りに行くんでしょ」

「あー、そうだった」

「早いうちに出ないと、そうでなくても今日は忙しいのに」

「メシは」

「あとで」

「えーっ!」


 げんなりするリナに、ふたごの弟は容赦がない。


「ボクはもう準備できてるから。あとはリナだけだよ。早くしてよ」



     †



 母の墓参りは、予想に反してあっけなく終わった。


 村のはずれにある鍛冶師ラストフの家屋(おもや)は、図らずも村の共同墓地に近い。寺院の裏手に位置する細い道をたどると、里山の陰にひっそり隠れるようにしてそれはあった。白い岩石を磨いて作られた、台形の(いしぶみ)が等間隔に並んでいる。その周囲ではタケダカソウやクチヒゲヤナギの樹々が、そよ風に揺られながら寂しい音を奏でていた。

 ふたごの母エスタルーレの墓は、この片隅にひっそりと立っている。通り一遍の墓石と同様、台形に削り取られた白い岩石に()られた墓碑銘。〝ラストフの妻エスタルーレ、ここに眠る〟と、それだけ書かれていた。


 叙事詩圏では墓石の手前に献花台があるのがふつうだ。それもただの献花台ではなく、川を渡る舟のような形状をしている。

 それというのも、聖なる伝承(いいつたえ)にいわく──


 死者の日に〈忘れじの花〉を流れに乗せよ。水面(みなも)がその白き花片(はなびら)にて(うず)もれ、〈沈黙(もだし)の地〉へ続く飛び石となるように。さすれば()の地に旅立つ霊魂(みたま)たちが、ふるさとを(おも)い出すだろう。花は〈忘れの河〉に架ける橋に他ならない。その水にくるぶしを浸すことなく、彼らが河を渡らんがため。

 

 教導会の名のある神学者は、〈忘れの河〉が人間の輪廻転生(うまれかわり)をうながすための場所である、と考察していた。

 一説によると前世のけがれを落とすため、またある説に基づくと来世への渇望がその水を欲すると言われている。しかしこの河の水は、死者のたましいが生者の世界を(おとな)うことを例外なく妨げた。生きているものしかこの河を渡ることができないというのが、この伝承の残す肝要なのである。


 花は、この死者のたましいと生きている人間とを結びつける、かすかな絆なのだった。


「やあ。こんなところにいたのか」


 ふたごがエスタルーレの墓で、祈りを捧げ終えたところを、ガーランドが声をかけた。まるでそれが終わるのを見計らったかのように、ちょうど良い頃合いだった。かれはそのままひとり勝手に、リナの具合が良くなったことを見て微笑んでいた。

 ルゥは驚きのあまり目を丸くしていた。


「ガーランドさん、いままでどこに行ってたんですか?」

「タリムだよ。ほんとうはもっと早くに戻りたかったんだけどね」


 言われてみれば、彼の赤いコートは土ぼこりに塗れて若干くすんだ色を放っていた。夜通し(シシ)を走らせていたのだろうか。そこかしこにくたびれたようなシワが目立った。

 捜査網はタリムの街道のほうにも拡がっていた。ガーランドの話を聞くかぎり、そういうことになっていた。ラストフは城市タリムに出かけたわけでもないらしいことは、すぐにわかった。昨日は晴れていたとはいえ、それまで天気に恵まれず、まだ地面が固まらない箇所が目立っていたのだ。そこに特徴的な足跡もなければ、道ゆく旅商人からの目撃証言もない。タリムの市壁の門にいたっては、言わずもがなだった。


「市壁の門を通らずに城市(まち)に入るなんてありえない。だとすると、考え方はふたつだ。ひとつはタリムに入らずに、さらにどこかに向かったということ。もうひとつはそもそも探すあてが間違っていた、ということ──」

「でもこの村からタリムじゃなかったら、どこに行くんですか?」


 リナが割り込む。


「さてね。〝世界のはての壁〟かもしれないね。なんの用があるのかはわからないけど」

「…………」

「雲海山脈に探しもの、という可能性もある。そうなると里山からさらに向こう側に範囲を広げなければならない。それこそあてがないと難しいな」


 ガーランドはそんなことを言って、まるで自分の役割は果たしたと思っているかのように背を向けようとした。ところがそれは途中で止まった。横顔だけをチラとふたごに向けて、さらに付け加えた。


「そうだ。リナが受ける従士試験の件だけど、念のためわたしも()いていくことになったよ。ヘルマン司祭も昨日のことが心配なんだろう。具合はどうかい?」

「全ッ然、大丈夫」

「心強いね。薬は飲んだのかな」

「あ、いえ。呑ませてないです」と、ルゥ。「もうすっかり元気だったんで」


 ガーランドは一瞬言葉に詰まったみたいだった。


「そうか。じゃあ、リナを迎えにいくついでに回収しておこうか」

「よろしくお願いします」


 ルゥはぺこぺこ頭を下げた。ガーランドが先に行くのを見送ってから、ふたごは名残惜しそうに共同墓地を見渡して、それから村へと戻っていった。

 道すがら、リナが急に口を開いた。


「雲海山脈ってさ、なつかしいな」

「うん?」

「ホラ。けっこう前、無茶して山に入って遭難したじゃんか。あのときノイスのおっさんが血相変えて、壁のほうから騎士まで呼んできて大変だったらしいけど」

「あー、そういえばそうだったね」


 いまとなっては過ぎた話、そして笑って話せるようなことだ。


 もともとリナはじっとしていられない子供だった。農作業の手伝いどころか、里山の草むしりひとつ、ろくにしない。途中で飽きて、畑の耕運をさせている(シシ)にちょっかいを出しては楽しんでいる。そんな子供だった。

 そんな彼女がふと、思い立って里山の向こうの世界を冒険しようと試みた。四、五年前のやはり秋のことだった。あまりに無謀なことだったので、最初はみなホラだと思い無視していた。しかし彼女は本気だった。あまりに危なっかしいのでルゥも仕方なく()いていくことにしたのだった。


 もちろん危険だった。あとからヘルマン司祭にこっぴどく叱られ、「ルゥ、お前がついていながらなんということか」とたいそう嘆かれたのも記憶に鮮明だった。しかしルゥとしては、当時はまだ好奇心も強く、雲海山脈の向こう側にあると言う荒野が果たしてどういったものなのかを見てみたい気持ちもあったのだ。

 寺院の奥殿にある書架から、無数の印刷写本を手に取って読んだ世界──特に『地誌』に始まり、多くの冒険家が目指し、神学者が夢見た〈約束の地〉をめぐる探求は、ひとりの少年の心をくすぐるには十分だった。


 しかし結果は、山を越えるどころか、五合目にも達しない程度の標高で立ち往生してしまったのだった。


 そこに道はなく、オドロハリマツの樹々がさむざむしい黒を基調にゆくてを阻んだ。湿った土塊(つちくれ)()き出しになった地面は、どんなに身軽な旅人でもその足を()る。おまけに冷えた。それもそのはずで、雲海山脈の頂きは、常に白い冠をかぶっていた。もしふたごが健脚で、さらに冒険を進めていたら樹一本生えない岩山の、背筋が凍るほどの無の景色を目の当たりにしたに違いなかった。

 ところが結局、ルゥがくたびれた。リナは持ち前の体力と根性でルゥを助けつつ、洞穴を見つけて身を温め合った。直後に雨が降り、雪に変わった。それから一晩、身も心も凍えるような夜を明かしたのだった。


 翌朝ふたごは、村が組んだ捜索隊に発見された。雪にまみれた斜面を下っていくところと、鉢合わせたのだ。さいわいにしてふたごは凍傷にはならなかった。からだは冷えていたが、五体満足でその後も過ごしている。

 村長ノイスからは怒鳴られ、ヘルマン司祭もくどくどと説教をされた。しかし肝心の、ふたごの身を最も案ずるべき父親のすがたは影かかたちか、うすぼんやりとしたままだ。


「あのときから、ルゥは外に出なくなったな。そうとう怖かったと見える」


 リナが意地悪げに笑んだ。

 ルゥも負けてはいない。


「そういうリナは、ぜんぜん()りずにお山を遊び回ってるわけだね」

「かわいくないな」

「べつにかわいくなくていいですよーだ」

「ふんだ」

「へんだ」


 そしてふたごは家に戻って、いまさらのように朝食の支度に入ったのだった。


 クロムギのパンと丸ネギのスープを、いつも通りに食すと、リナはリナでひもじそうにナツナの葉を茎ごと噛んでいる。もともと香り付けの草でしかないので、匂いがつく以外に大した食べ物ではない。だが、リナは食べ足りないとなると、これを口に含んで口淋しさをまぎらわすのだ。

 とはいえリナはひまではなかった。頃良くヘルマン司祭がやってくると、ふたごの住む家屋(おもや)はスープをひっくり返したような大騒動っぷりを発揮した。やれ正装がどうだとか、礼儀作法と聖典の暗唱ができているかとか、教導会一流の身の修め方を、片っ端からしるしをつけて記録に残すように徹底的に叩き込まれた。


 剣術がちゃんとしてる? そんなことは二の次だった。とにかくリナはメリッサ村の代表として、数年に一度、あるかないかの騎士候補生として最低限の態度というものを憶えなければならなかった。忘れたくても忘れられないような剣幕でまくしたてられると、もうこれ以上は勘弁と、両手をあげるところまでやり通した。そして、やっとのことでヘルマン司祭の赤ら顔が怒りの色を退かせると、ほっとため息を吐いた。


 ヘルマン司祭がひたいに手を当てて言う。


「気をつけるんじゃぞ、リナ。こんな事態だから気楽に行けとは言わん。それでもお前さんはこの村の小憎い、立派な子供だ。成功を願わないわけがないじゃろ」

「はン。だったらな、アタシに隠れてこっそり推薦なんかすんじゃねえっての」

「生意気を言うな! どうせこの村ではわしにしか推挙の権限がないのだからな!」

「よく言うよ! ひとの気持ちにもなってみろ! アタシにだって心の準備ってもんがあるんだぜ!」

「それが親のまごころにも代わって身を案じた洗礼親に、いうことか!」


 ルゥはこの調子で飛び交う罵声(ばせい)反駁(はんばく)のあいだで、もうすでに一刻近く辛抱していた。が、そろそろ限界だった。眉のあたりをけいれんさせつつ、彼はふたりに近づく。


「あのさあ。もういいかな? おふたりとも?」


 全身の毛が逆立つ、その気迫は、老人と少女のぶざまな言い合いをやめるには充分すぎるほどだった。

 結局それからも通り一遍の準備に時間をかけてしまった。おかげでせっかく早朝に目覚めたというのに、出かける段になってはお昼前になろうとしていた。


 ただ、乗り物の心配は不要だった。あらかじめ打ち合わせていたとおり、村長ノイスが遠出用に蹄鉄を履かせたケヅノシシが二頭、先頭に引いた車を用意していたからだった。幌つきの獣車だった。

 ガーランドが家まで迎えに来ると、そのまま連れられて村の出口に待ち構えるノイスの獣車を目の当たりにした。それまでふてくされていたリナだったが、あらためてこの場に来るとふしぎな感動を覚えずにはいられなかった。それは決して、いままでないがしろにされてきたり、ののしられてきたりした過去とは無縁ではなかった。まるで密かに準備が進んでいたみずからの誕生祝いを見るかのような、笑いたくなるほど無邪気で幼稚な感動だったのだ。


 思わずむず痒くなって、目の奥に熱いものが込み上げるのを、堪えた。


「ちきしょう、なんだってんだよ」


 鼻をすする。我ながらみっともない、と思った。それでもいまここで思うのは、もっと最初からすなおにしておけばよかった、という後悔であった。

 リナと歳が近いけんか仲間や、ルゥが面倒を見る年少の子供たちもやってきた。彼らは今まで遠巻きに見るようにリナと接してきたが、いまようやく口を開くことを許されたかのように、彼女に話しかけ、応援のことばを繰り返した。月並みなことばだった。「がんばれよ」とか、「やってくれよな」とか。もう少しましなことばはないのかと(わら)ってしまいたくなるような、ありきたりな声かけだ。


 それでも、少女は初めて、自分がなりたかったものの重さを、両の肩に背負ったのだった。


 最後に、ルゥが来た。おずおずと、まるでいまのいままで気兼ねなく接してきた過去が無くなったかのような、恥ずかしげな身ぶりだった。


「なんだよ、いまさらそんな水くさい態度はねーぜ」

「それがね。リナ、今日の見送りの件、最初からボクは知ってたんだよね」


 リナが寝てるとき、リナが里山をほっつき歩いているとき、そしてリナがよそに気を向けてひとりの時間を堪能していたとき、ルゥはいまのいままで、盛大に見送ってやろうとするメリッサの村人たちと()()だった。

 そういうわけなのだった。リナは、さすがにそこまでとは思わなかったが、べつに驚くほどのことじゃないと鼻で笑った。


「知ってたよ。どうせそんなことじゃねーかと、そろそろ思ってたさ」


 うそだった。強がりでもあった。

 でも、真実は隠された。だれもほんとうのことは知らなかった。それでよかった。


 ルゥはリナの手を握った。農作業に打ちひしがれたことのない、寺院勤めの学童にしかゆるされないやわらかな手のひら。その感触が、いままで過ごしてきたふたごの時間の違いをしびれるほど激しく伝達した。


城市(まち)でへんなもの食べちゃだめだよ」

「大丈夫だって」

「おみやげは要らないからね」

「はいはい……」

「はみがきはちゃんと──」

「るっせーな! てめえはアタシの(かかあ)じゃねえだろ!」


 このひと言で、一同は大爆笑だった。このひとびとの明るいさざめきは、リナの記憶の底にいつまでも焼きつくことになったのだ。


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