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第7版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
2/16

1ー2.失踪した父親

「ラストフが、お父さん?」

「そんな名前だったか?」


 ふたごは顔を見合わせた。

 司祭の慌てようは尋常ではない。


「いや、待て。待ってくれ。ふたりとも何も知らんのか? 親の名前もわからなくなってしまったのかね?」

「ええ、あの……」


 ルゥが首をかしげて、


「そんな人、初めて知りました」

「ああ、〈聖なる乙女〉よ。これが悪い夢ならどうか醒めてください……」


 血の気も引いて、ヘルマン司祭はいまにも卒倒しかねない勢いだった。

 しかし実際に倒れたのはリナだった。急に糸が切れたようにひざを付き、ゆっくりと地にひれ伏した。一連の動作があまりにも静かに進んだため、ルゥは振り返ってもすぐにその異変に気づけなかったくらいだ。


「……リナ?」


 目をこする。もう一度見る。


「リナ!」

「どうした?」


 ひざを突いてリナを抱きおこすルゥ、それを見てヘルマン司祭は落ち着きなく左右に助けを探し求めた。

 さいわい、救いの手はすぐそばから差し出された。


「どうかしたんですか」


 ガーランドだ。


 大学都市を出た医術師、白魔術の徒、村の頼りな訪問医、物好きな好青年──彼を巡っては、無数の箔のついた呼び名が飛び交う。ギルドの決まりを受けてこの村に赴任しているこの男は、メリッサの生活にすっかり馴染んで、欠かすことのできない存在だった。

 特に単眼鏡(モノクル)を掛けたその顔は、彼の代名詞と言っていい。


 そのガーランドは、ついさきほど村のはなれに住むユリア婆さんの往診を終えてきたばかりだった。

 普段通りであれば、日に二度──朝早くと日暮れ前に往復する乗り合い獣車に乗って、城市(まち)のギルド宿舎に戻るだけだった。ところがその帰路、事態に出くわしたのである。


 急患は彼にとって任務だった。


 ガーランドは事情を聴くなりすぐにリナのからだを抱きかかえて、最寄りの家屋(おもや)に入った。背をややかがめ、扉をくぐると、すかさずベッドの位置を認める。そこへリナを横にすると、手をかざして熱を測った。同時にのどや脈を()て、風邪ではないことは理解した。


「どうも、強いショックを受けて気絶してるような感じだね」

「実は……」


 ルゥは、リナが倒れる直前に起きたことを順序立てて説明した。


「ふうん……?」

「ガーランドさん、わたしはこのようなことは初めてなのだが、何か症例として心当たりはないのかね」


 ヘルマン司祭がおどおどと訊ねる。

 ガーランドは首を振った。


「もの忘れを治す術についてなら、聞かなかったわけではありません。しかし記憶に働きかけるような魔術は……」

「でも、お父さんと一緒にいた記憶はあったはずなのに──」


 言いかけてルゥは、自分の父親のことを何ひとつ思い出せないと気づいた。どんな見た目なのか、どんな声で話したのか、それすらも、まったく思いつかない。


「そんな、なんにもわからない」

「どうやら急患はもうひとりいるようだ」


 ルゥはいつしか涙ぐんでいた。目がしらが熱くなり、頭の奥がじんじんと痛む。

 ガーランドはかがんで、ルゥと目と合わせた。青いチャーミングな眼差しが、深くルゥの瞳をのぞき込む。ルゥの青が深い湖の底を連想するような色に対して、ガーランドのそれは川のせせらぎで遊ぶかのようだった。


 急に、ルゥは軽いめまいを覚えた。足の力が抜けて、高いところから落ちた時のような不安を知った。

 だが、強く踏みとどまった。足の指先から力が甦って、()()と顔を上げる。


 ガーランドは微笑んだ。


「よし。良い子だ」

「何を……」

()()()みたいなものだよ。ちょっと緊急なので、術を使わせてもらった。きみのからだに負荷を掛けてしまったのは謝る」

「白魔術、ですか?」

「ああ、そうだよ」


 かつて女神が世界を見守りし頃──数限りない草木を、そして獣たちを産み出した天地創造の力は、神々の時代とともに去った。しかしその名残は〝魔法〟として人の記憶に強く焼き付けられている。

 その多くは幾星霜(せいそう)の時を経て、いにしえの()えある時代に失われてしまった。ところが近年進んだ研究が過去を掘り起こし、専門的な技術として蘇らせた。


 これが、魔術──魔法技術だった。


「リナには止しておこう。こういうのはからだに強く負担をかけるから、本来あるべき回復を遅らせてしまうんだ」


 ガーランドはそう言うと、簡単な薬を処方して、ルゥに手渡す。

 起きたら呑ませてね、と付け加え、彼は心配そうにしている司祭とともに家を出た。


「なるべく早く、ラストフを探し出すさ。それまで心ぼそいかもしれないけど、どうか耐えてくれ」


 彼はそう言うと、バタンと扉を閉めてしまった。

 ぽつん、と訪れた沈黙。

 冬が来たわけでもないのに、急に背筋が冷えた。ぶるっと身体を(ふる)わせて、ルゥがつぶやいた。


「また、ふたりだけになっちゃったね」


 リナは無言だった。

 まだ気を失っているのだろうか。


 ルゥはそれ以上は何も言わず、(さび)しそうな顔をして、リナの寝顔を眺めていた。前にもこんなことがあった。それはそんなに遠くもない日のことだった。しかしそれを思い返すには、心が落ち着かない。


 なぜこんなときに父はいないのだろう。

 どうしてリナが気を失ったんだろう。

 そして、なによりもボク自身が何も思い出せないでいるのだろう──

 ルゥがうんと考え込んでいたそのとき、リナが目覚めた。彼女はまるで何もなかったかのように、うんと背伸びをする。


「むにゃ。あ、おはよう」

「……何も憶えてないの?」

「ほへ?」

「いや、なんでもない」


 気まずい思いがして、素早くうつむく。リナは眉をひそめるものの、あんまり気兼ねせずにベッドから降りた。


「もう身体は平気なの?」

「うん。それがもう、ばっちりでさ」


 と、言いながら腕をブンブン振り回す。しかしすぐに間の抜けた音が、お腹のあたりから鳴り出した。

 つかの間の沈黙。ルゥは目を点にしていたが、それが空腹の音だと理解するに到って笑い出した。失礼なほど、大声で笑った。


「な、なんだよ」

「いやあ、リナの腹時計は正確なんだなぁ、て」

「ふざけてんのか!」

「まじめもまじめ、大まじめー」


 なんだか、リナと一緒にいればどんな最悪な事態も笑い飛ばせてしまいそうだ。ルゥはかまどのほうに足を向けながら、そんなことを思っていた。

 一方リナは、弟の気など知らず、むすっとしている。その間にも腹の虫がごうごうと喚き立てているものだから、いつしかこれが空腹によるものなのか、不満を代弁しているのかが自分でもわからなくなっていた。


 そしてとうとう、こう言い出した。


「早くメシ出せ! 怒るぞ!」

「はいはい、言われなくてもやってるてば」


 やがて繰り返し文句を言われながらも、ルゥはクロムギのパンと、丸ネギやコゼニマメの煮込み汁を持ってきた。

 木椀に容れられた煮込み汁には、腸詰めの肉や、裏の菜園から採ったナツナの葉も入っており、彩り豊かだった。リナは飛びかかるように食べ物を手に取ると、猛烈な勢いでほおばり始めた。


 その下品すれすれの食べ方に、ルゥは眉をしかめる。


「ちょっと、もう少し落ち着いて食べてよ」

「いいらんはよ、べふに……」

「食べながら喋らないで!」


 とは言いつつも、ふたりは淡々と食事を進めていった。

 素朴で(ふすま)の多いパンの、独特な噛みごたえを味わいながら、煮込み汁と一緒に食べていく。パンを木椀に入れて、十分に汁を吸わせてから口に運ぶのだ。リナはとうとう、パンそのものを(さじ)のように自在に使いこなして、具のひとかけらも残さないよう、そそくさと食べ尽くしてしまう。


 そんな姉を見ながら、ルゥはゆっくりとパンを咀嚼(そしゃく)し、飲み込んだ。


「そういえばそろそろ粉が無くなるかも」

「うん」

「また水車小屋に行かなきゃいけないよ」

「うんうん」

「お肉ももらって来ないと」

「たしかにそうだなー」

「……こんな大事な時期に、お父さんはどこに行っちゃったんだろうね」


 リナは顔を上げた。まだ食べ物をほおばったまま、口をモゴモゴさせている。

 ルゥはと言えば、ろくに顔も見合わせることができず、うつむいていた。食べ物もようやくのどを通るぐらいだったのだ。


 ぎゅっ、とローブのすそを握る。


「やっぱり何か、おかしいよ。このまま何も無かったかのように過ごすのは、できない」


 リナはごくりと音を鳴らし、飲み込んだ。それから空の食器を静かに積み重ねてから、ようやく口を開いた。


「ルゥのやりたいことなんてわかってるよ」


 よっこいしょ、と椅子の上にあぐらを掻くと、リナは不敵に笑った。


「父さんの手がかり、探そう」



     †



 晩ご飯を片付けると、ふたごはさっそく家捜しを始めた。


「まずリナはあっちの物置きから調べてよ。ボクはこっちの長持ちを探してみる。何かそれっぽいものがあったらテーブルの上に並べること。いい?」

「よし任せろ!」


 そしておよそ半刻が過ぎた頃──

 ふたごはテーブルを挟んで座りなおした。


 卓上にはその成果がずらりと並んでいた。

 さまざまな鍛治道具。

 つぎはぎだらけの大きな上衣。

 そして、極彩色の不気味な箱。

 端的に言ってこれだけだった。しかしふたこが思っていたよりも充実した成果だった。


「まあこの辺はいいとして、最後のこれだ。この箱は一体なんなのか、ていうことだね」


 ルゥが指差したのは、極彩色の紋様を施された小箱だった。

 これこそは長持ちの上げ底の下に隠されていた品物だった。


 しかしその蓋は鎖のついた錠で閉じられており、固く沈黙を守っている。


「ルゥでも知らないことってあるんだな」

「そりゃそうだよ。ガーランドさんみたいに大学都市に行ってるわけじゃないんだし」

「別に大学行ってる人がなんでも知ってるわけじゃねーと思うけど」

「それは……まあいいや。いったんそれは傍に置いておこう」


 ルゥは改めて箱を持ち上げる。二、三回振ってみると、重たい感触を得た。

 金属音も混じっている。複数個、重なって鳴っているのがわかった。


「金貨っぽいな。五枚ぐらいはありそう」とリナ。

「へそくりだったりするのかな」

「ありそう」

「それにしてはやけに重いね」

「金塊でも入ってるんじゃないのか?」

「ううん、そういう感じでもないんだけど」

「なら、ちょっと貸せよ」


 リナはふたごの弟から箱を奪い取ると、いささか乱暴に箱を振った。

 ジャラジャラと金属音が、確かにある。しかしそれは妙にくぐもっていた。


 リナは眉をひそめた。


「わけわかんねえな」

「でしょ?」


 片眉を上げて応答するルゥだったが、いよいよ真剣に困った顔をする。


「こんな箱の鍵、うちにあったかな?」

「納屋の鍵は?」

「全部試した。ダメだった」

「じゃあ、あれだ、家の鍵」

「冗談で言ってる?」

「いや、他にないのかよ」

「ないよ。だから困ってるんじゃないか」

「ちきしょう、なんだってんだよ」


 リナはくしゃくしゃと頭を掻いた。


「だったら方法はひとつしかないだろ」

「なに」

「ぶっ壊す!」


 持っていた箱を、そのまま床に叩きつける。

 ルゥが立ち上がるより前に、リナは動いていた。


 床に転がった箱に、足で追い討ちを掛ける。力の限り踏み抜こうとするが、全く壊れる気配を感じなかった。

 そこで、とうとう我慢できなくなったリナは、母屋の裏手に走り出す。戻ってきたその右の手には、薪割り用のナタがあった。


 もはやルゥには、止められない。


「あー、もうボク知らないっと」


 そう言って耳をふさぐ。


 リナは構わず、ナタで箱を木っ端微塵に破壊してみせたのだった。


「開いたぞ」と彼女は言った。


 ルゥが見たのは、見るも無残な光景だ。


 彩色が施された木材の破片。

 鎖が未練がましく付いた箱の残骸。

 重たそうな麻布の袋。

 そして、黒い表紙の本が一冊。


 散らかっているのはともかく、ふたごの姉が、いちおう中身が傷つかないよう工夫していたのはわかった。


「でもさ、これは『開いた』ではないよね」

「いいんだよ、終わり良ければ全て良し!」

「暴論なんですけど」

「気にしすぎ、気にしすぎ!」


 彼女はナタを片付ける。とは言っても、壁に立てかけただけだったが。

 ルゥはそのあいだに、本を手に取った。

 本の表紙は黒い革でできており、表紙には白い線で十字と複雑な記号が刻み込まれていた。見慣れない紋様だった。歴代の〈聖なる乙女〉が受け継ぐ原罪のしるしのようにも見えたものの、全くの別物である。


 むしろ魔女宗派の刻む異端の五芒星のほうが近いかもしれない。

 しかしこれとも異なるものだ。

 全体としては線が交差し合った星形の六角形で、均一感はない。さながら一筆書きでスッと描き切ったような鋭さすら感じる。


 その六角形の中央に、原罪のしるしを暗示する十字があるのだった。

 このように刻まれた記号を、ルゥは知らない。


「なんだ、この本」とリナ。

「わからない。けど、すごく不気味だ」

「不気味どころじゃねえぞ」


 ごくり、とルゥはつばを呑み込む。


 恐る恐る、本に手を掛ける。漆黒の扉を連想するその表紙は、底知れぬ異界への入り口にも見えた。

 本読みだからこそよくわかる。書物は知識が詰め込まれた宝箱のようなものなのだ。


 教導会が広める聖典『神聖叙事(じょじ)()』をはじめ、世界の多くの知識が、本のかたちに閉じ込められている。

 書物をひもとくことは、その閉ざされた世界の知識を開くことだった。ゆえにルゥはまだ見ぬ世界を想い、あこがれとよろこびを胸に抱え、読書にいそしんできた。


 ところが、今回はそうではなかった。


 この本は開かないほうがいいかもしれない。そう、直感が叫んでいる。多くの読書体験を経たからこそ、無意識にその本を読むことを拒絶している自分に気がついた。


 じわりと手に汗が浮かぶ。


 まるで本の表紙が重い鉄門扉になったかのように、ぴくとも動かない。

 それを察したのか、リナが不機嫌そうに手を出した。ルゥの視界をさえぎるように、ひらひらと注意を外に向けさせる。


「おーい。もしかして父さんや母さんが魔女宗派だった、なんて思ってないよな?」

「そ、ソンナコトナイヨ」

「……図星か」


 はあ、とため息を吐く。


「誤魔化したってムダだぞ。ルゥの考えてることは、わかりやすいから」


 ルゥはうなだれる。リナはそっと、本の表紙に手を伸ばした。


「大丈夫だって。変なこと書いてたって、アタシたちの父さん母さんが知らない人になるってわけじゃない……と思う」

「最後ぼかさなければカッコ良かったよ」

「う、うるさい! さっさと読もう!」


 乱暴に留め金を外し、本を開いた。

 しかし彼女の期待は裏切られることになる。


 なぜなら開いた最初の一ページ目──扉絵の部分から、未知の文字がていねいに書き込まれていたからだった。


 リナは決して文字が読めないわけではない。

 青の日に執り行われる礼拝の折、つねに聖典の読み聞かせがある。そのときにルゥが持ち込んだ手写本を読み合わせ、簡単な読み書きができる程度には物を知っていた。


 ところがこの本には彼女の知らない文字が一面にびっしりと詰まっていた。

 さながら茨の茂みに出くわしたかのような心地だった。実際に文字そのものも、茨のように(とげ)があり、複雑に絡まり合って解きがたい様相を示している。


 こうして写本に取り組んでいるときのことだった。

 リナは、ふと隣りで異変が起こりつつあるのを目の当たりにした。


「……ルゥ?」


 彼女が見ているのは、ふたごの弟の目から、次第に光が失われている光景だった。

 その青藍石(ラピスラズリ)のような瞳が、だんだんと色あせている。


 おまけに彼の(くち)から、ぼそぼそと知らない言葉が漏れている。まるで小声で音読しているようでもあったが、リナにはそれがどこの言語なのか、わからない。


 とにかく直感で理解したのは、このままではまずい、ということだった。


「ルゥ!!」


 大きな声でその名を呼ぶ。しかし、反応はない。

 あわてて肩を揺さぶる。それでも意識が戻る様子はなかった。


 こうなったら、と最後の手段に出た。


 とっさに手を振り上げ、ルゥの顔をはたく。乾いた音が、張り詰めた空気を破裂させたかのように響いた。


「……あれ?」とルゥ。


 赤くなった顔の左半分に、手を当てる。

 その目はろうそく灯りを受け、輝きを取り戻していた。


「しっかりしろよ。まるで本に吸い込まれてるみたいだったぞ」


 ルゥはしばらく(ほう)けた顔だったものの、やがて状況を理解した。

 ほおをさすって、眉をひそめる。


「痛いよ。リナ」

「仕方ねえだろ、こうでもしなきゃ、戻ってこなかったんだから」

「まあ、そこはありがとう」


 だが文句は言い足りないらしい。ルゥはしばらくぶつくさと口ごもっていた。


 と、そのとき。

 村の寺院の鐘が鳴った。


 ひとつ、ふたつ、みっつ……

 音がすべて鐘の音に吸い込まれた。


 よっつ、いつつ、むっつ……

 ふたりは黙って虚空を見つめていた。


 ななつ、やっつ、ここのつ……

 鐘の残響が、引いた潮のように静けさを運び込んだ。


「もう夜なのか」とリナ。

「なのに全然進展なし」

「誰かさんが本に熱中してたからな」

「それは、だってさ……」


 ルゥは名残惜しそうに、黒い装丁の写本を見やった。それはまだ床の上でページを開きっぱなしになっていた。

 しかし、リナがそれを閉じた。


「ダメだ」

「でも」

「ダメって言ったらダメ」

「……はい」


 しょんぼり落ち込む。その横顔から、黒くて長い髪が、こぼれるように垂れ下がった。

 リナは頭をくしゃくしゃと掻いた。


「とにかく! こういう本をよく知らないまま、アタシたちで扱うのは危険だと思う」

「そんなことない。聖典の『箴言(しんげん)集』にも〝茨の秘密はおのれの手を血で染めねば決して開かれ得ぬ〟ってあるじゃないか。危険に手を伸ばせない人には何もつかむことができないって意味だよ」

「屁理屈ばっかり言いやがって。手掛かりが欲しいならこっちの袋を調べてみれば──」


 そう言って袋を手に取ったとたん、袋の口から小金貨が五枚、こぼれ落ちた。

 これは城市(まち)で半年は暮らせるほどの大金である。そのためふたりは一瞬、何が起きたのか理解できなかった。


「やっぱりへそくり?」とリナ。

「……みたいだね」


 と言いつつも、ルゥは最後に落ちた獣皮紙片を拾い上げた。

 先ほどのこともあったため、少し警戒はしたものの、好奇心は抑えきれない。

 開く。予想に反し、ごく普通のつづりで、次のように書かれていた。


〝来るべき日に備えて。

 運命(さだめ)に打ち剋つために。

 そして子供たちの未来のために。


   追伸:母さんの墓参りを頼む〟


「どゆこと?」とリナがのぞき込む。

「さあ」


 ルゥは首をかしげた。


 その時リナの脳裏に、あることがはたと閃いた。

 火打ち石を打ち付けたときのような、束の間の光がほとばしる。しかしそれは燃える対象を見つけられず、ただ虚しく目の端によぎった幻のように残像だけを映している。


 わしゃわしゃと頭を掻きむしる。


「よし、寝よう」

「へ?」

「考えるの、疲れた」

「そんなめちゃくちゃな」


 ぼやくルゥを尻目に、彼女はベッドに潜り込んだ。


「書き置きがあるんだったら、その通りに母さんの墓参りに行けば良いんじゃないか? その方が手っ取り早そうだし、なにより眠い時に無駄に頑張るのは止そうぜ。アタシはあした忙しいしさ」

「リナ……」

「なに?」

「いや、なんでもない」


 ルゥは苦笑で誤魔化した。ほんとうは、リナの正論にすっかり舌を巻いていたのだった。散らかった木片やら、小物の整理やら、〈忘れじの花〉の手入れやらを行なってから、遅れてベッドに入る。


 そばで寝息を立てているふたごの姉のことを考えながら、そういえば司祭さまとガーランドさんはお父さんを見つけられたのかな、といまさらのようにルゥは思った。

 しかしそれは考えても答えがない。そう割り切って、そのまま眠りに落ちていった。

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