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第7版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
1/16

1ー1.忘れじの花を、忘れられたあなたに

 ふたごの父が行方知れずとなったのは、ある秋の晴れた日のことであった。


 ここのところ(くも)りがちだった空もすっかり青く()み渡っていた。その日は朝から温かい光が差し込んでおり、風も穏やかで、よほど強い意志でも持っていなければ、どんな人でも木陰で昼寝をしたくなっただろう。

 領国(りょうごく)の街道が細々とのびた、その末端に位置するメリッサの村では、この空模様はてきめん猛威を振るった。早起きの農夫もあくびをかみ殺しながら鎌と(くわ)を担ぎ、気だるげに作業をしている。その妻子も面倒くさそうに水()みやら、菜園の手入れやらをしていて、夢とうつつの境がはっきりしない。サトムギの畑で(すき)を引く獣たちすらも、目覚めたばかりのようなのっそりした動きだった。


 そんな日の昼下がり、人ひとりの影が、すばやく動いた。村の背面に位置する里山の、街道を見下ろす高台でのことだった。タケダカソウの草根をかき分け、影は人目を気にするように、音もなく息を潜めている。

 影は男であった。金色のくせ毛で、片目片腕の大男だった。彼の眉間(みけん)にはしわが寄っていて、ふだんは穏やかであろう青色のひとみが険しく細くねめつけていた。


 視線の先──高台のふもとには、ふたりの男がいた。

 ヘルマン司祭と村長である。男は耳をそばだててふたりの立ち話を聞き取っていた。


「では、リナの件は頼みましたぞ」

「問題ねえですよ、司祭さま。きちんと(シシ)たちも支度万全ですから」


 ケヅノシシの尻を叩く音がする。ぶるるる、と獣のくすぶった鳴き声があった。村長ノイスは無精ひげをさすって、笑った。


「我が郷里(さと)から騎士の候補生を出すんだから、丁重に扱わなくっちゃねえ」

「まあまず試験に通れば良いんですがね。それはそれとして晴れ舞台ですから、余裕を持って送ってやってください」

「わかってますよ。しかし出発はあしたって決めてんだから、そう焦らんと」


 それからふたりは、気ままに話題を変えていった。今年の夏の作物の出来から、街道沿いの治安、(つじ)で立った引き出物の市の店ならびなどを、笑い交じりで語り合った。

 盗み聞きをしていた男は、それ以上は聞かなかった。ただ去り際に足音ひとつ、一切立てずに行ってしまった。里山から逸れ、雲海(うんかい)山脈の切り立った絶壁に向かって、道なき道をひとり旅立ったのであった。


 風が強く吹いた。


 そのひと吹きは、男のすがたをかき消すと同時に、タケダカソウの野原で昼寝していたひとりの少女の眠りを妨げた。


「ぶえっくしょい」


 盛大なくしゃみで、リナは目覚める。青いひとみが空をぼんやりと見つめ、それから手が髪に触れた。金髪のくせ毛だ。おかげで少女は髪を伸ばしたことがない。短く切って、少年まがいの風貌(ふうぼう)に身を包んでいた。


 気持ちも男まさりだった。


 擦りむけたひざ小僧、骨ばってすらっと伸びた手脚、泥をぬぐった(ほほ)。そして短く切ったくしゃくしゃの金色のくせ毛──メリッサ村のアデリナと言えば、いつまで経ってもわんぱく小僧で悪名高かった。

 なにせ木剣を持たせれば、その辺の悪ガキのなかでは一番の腕っぷしなのである。すばしっこくて、ねらいが正確。おまけに力だって並の男の子に負けてなかった。


 最初は女の子らしくないということで、一部の大人たちからは将来を危ぶまれたものだった。しかし村を教区とするヘルマン司祭が彼女を騎士の学舎(まなびや)へと推挙したことで、その問題はいっきに明るい話題になった。

 当の本人は、いつのまにか仕組まれたこの祝いごとの空気が、ちっとも面白くない。


「ちきしょう、なんだってんだよ」


 まるでみんなよってたかってリナをお払い箱にしようとしているみたいだ。口には出さないが、そんな不満を抱いていた。

 騎士に対してのあこがれはある。だからこそ複雑な気持ちであった。


 村をほっつき歩くと、このあるごとに「よっ、がんばれよ」とか「騎士候補生どの」と茶化される。言う側に悪気はないのかもしれないが、気分は落ち着かない。そのうちリナは、里山にふらっと出て行っては、誰にも気づかれずに戻るといった生活を繰り返していた。もはや農作業を手伝わなくてもどうとも言われない。まるでリナのことは、街道沿いに立てられた一里塚のほこらのように、有り難がれ、見過ごされているみたいだった。


 だが、そんなリナにも対等に、そして遠慮なく付き合う人間がいる。


「こんなところにいた」


 タケダカソウの茂みをかき分けて、やってきたのはルゥだった。メリッサ村のルートと言えば、少なくとも村一番の秀才、しっかりものとして知られている。だがそれ以上に、あのリナのふたごの弟であることが独特な注目を集めていた。

 まず似ていない。黒くてあでやかな髪がすらりと降りて、瓜実(うりざね)顔にやわらかい頬を(たた)えている。もしふたりが並んで立ったとしたら、ひょっとすると男と女を間違えて覚えてしまうかもしれない。それほどの美貌が、いま眉間にしわを寄せて、けわしい面持ちをつくっていた。ふだんは静かな湖の底のような深い青のひとみが、ふたごの姉をとがめるように見つめている。


 この()に見つめられると、リナもさすがにばつが悪い。


「……なんだよ」そっぽを向く。

「ずいぶん探したんだよ。あしたのことで、司祭さまが用があるって」


 リナはゆっくりと、反動をつけずに上体を起こした。


「また?」

「またって。リナはいちおう村の代表として行くわけじゃない。司祭さまとしては心配ごとが多いんだろうね」

「いちおう、てなんだよ。いちおうって」

「そういうのと関係ないでしょ。リナが騎士になりたいのって」


 こういうとき、ルゥは鋭い。


「そりゃ、そうだけど」リナはたじろぐ。

「大丈夫だよ。入り口がちょっと気に入らなくても、騎士になれればこっちのものなんだから、ね?」

「はー、ルゥには敵わないな」


 リナは立ち上がった。普段衣にまとわりついた土と枯葉を手で払う。

 そうなのだ。リナは別に立派になりたくて騎士になりたいわけではないのだった。


「領国の掟にいわく、〝国境をまたぐものは戦士と竪琴弾きに限るべし〟だもんね」


 ルゥが悪戯(いたずら)っぽく微笑む。

 リナは頭を掻いた。


「わかってるって。わかってる」

「じゃあ、そうなれば決まりだ。行こうよ」


 鼻歌まじりで手を差し伸べる。その手を受け取ろうとして、ふとリナはためらった。絹地のようにきめ細かな肌と、握りだこができてゴツゴツしている手のひらが、一瞬すれ違った。リナは握手をするように、ルゥの手首を取って、それから勢いよく引っ張った。

 わっ、という声が尾を引いて、ついでに片手で持っていたひこばえのかごがひっくり返った。中から白い花片(はなびら)がミルクのように、はでに飛び散った。タケダカソウの茂みにからだを突っ込んだルゥは、たちまちにして花片の溜まりに埋もれてしまった。


「もう」ルゥはまたしかめっ面をする。「なんでこんなことするのさ」

「仕返しさ」

「えー?」

「ははっ、いい気味」


 どうもうな笑みを浮かべると、リナはいまさらのように自分が散らかしたものの正体に目を見開いた。一個手に取り、花の(かお)りでその名を理解した。


「これって」

「そう。〈忘れじの花〉だよ。リナがあした城市(まち)に行くから、お母さんに報告しようと思って」


 ふたごの母は、物心がつくかつかないかのうちに流行り病で亡くなった。そう聞いている。だから、少なくともリナは母親のことをよく憶えていない。

 しかしルゥは単にまじめなだけなのか、ことあるごとに母の墓参りを欠かさない。


「けっ、余計なお世話だよ」リナは心底うんざりしていた。


 ルゥはまたとがめるような眼差しを向けたが、何も言わなかった。それからだしぬけに緊張を解いたような笑顔をつくると、藍染めのローブのすそを払い、立ち上がった。長年古着としても使い回されたためか、すっかり色落ちし、()()がある。そこからすらっとした手が伸びて、花を拾い集めた。

 リナはその一連の身のこなしに、イライラして仕方がない。


「先、戻るからな」

「はいはい」


 タケダカソウを掻き分けて、すたすた歩く。ところが歩いても歩いてもルゥが追いかけてくる気配がない。足が止まった。振り返ると、彼は相変わらず花をかごに戻している。はーっとため息をつく。きびすを返して、行ったときと同じ速度で戻った。


「ほら手伝うから、さっさとしろよ」


 結局ふたりで片付けて、ふたりで村への帰路をたどったのだった。



     †



 ふたごが住むメリッサの村は、東部辺境領国の道の終点に位置する。女神の教えを奉じる叙事(じょじ)()(けん)としては最も周縁に当たるその場所は、文字通りの辺境で、サトムギやクロムギ、コゼニマメを育てる畑として(ひら)かれた平野部を除くと、ほとんどが森と山に囲まれている。そこでは人が住むというよりも、山林の片隅に人間が住まわせてもらっているといったような(おもむ)きがあった。

 厳密には本道のさいはては雲海山脈の最も低いところを通る(とうげ)のとりでとなっていて、それは〝世界のはての壁〟と呼ばれる。この関門は文字通りの人間世界のはてを意味していた。もしその先に向かおうとするなら、草花一本生えぬ荒野を歩き、さむざむとした道なき湿地帯を進まなければならない。一説によると、その先には女神に祝福された〈約束の地〉があるらしいが、それを見て帰ってきたものはひとりとしていなかった。


 それよりも〝はての壁〟が意識していたのは、周辺世界から攻め寄せる〈まつろわぬ支族〉や北方の異教徒の帝国が送ってくる斥候(せっこう)部隊だった。そのため領国の軍団が絶えず配備され、ときおり騎士が遣わされてきた。街道はその行き来でそれなりに賑わい、なかでも大きい恩恵を受けたのは、メリッサから見て一番近い城市タリムなのである。

 メリッサは、しかしながらこの緊張や喧騒(けんそう)とは無縁だった。本道から逸れて山あいの小径(こみち)をひたすらにたどっていくため、辺境のなかでもすっかりひなびた土地として知られていた。教導(きょうどう)(かい)付属の地理学者が記した『地誌』においても、「さながら暗黒時代の再来ともいうべきほどの、文明から隔絶された村落」とまで酷評されており、領国の主からも大した注意を払われていなかった。


 そんな土地にも、寺院があり、水車小屋が建てられていた。


 すでに時代は〈女神の平和〉がうたわれてから四百年が過ぎている。おざなりとは言え、叙事詩圏では最低限と言われる程度の設備には恵まれていた。

 森を背に、斜面から精いっぱいの平らな土地を寄せ集めるがごとく家屋(おもや)が並ぶ。それでも足りないと言わんばかりに、畑が階段状に降りていた。冬に向けてサトムギの種が()かれ、夏のクロムギが倉に仕舞(しま)い込まれた。休耕地を除いては、おのおの菜園でコゼニマメや丸ネギ、ナツナといった野菜類を育んでいる。それらが石塀(いしべい)によって細かく区切られているのだった。


 里山から降りたふたごが、村の裏木戸を開けると、こうした光景が一面に広がった。


 石塀づたいに村を縦断(じゅうだん)すると、そのうち開けた場所に出る。寺院が向かいに立つ、大きな広場だ。しかしルゥはいったん家に戻ろうと言った。花を片付けたいのだ。リナを先頭にふたりは広場の傍道に逸れた。川沿いの水車小屋を横目に小さい橋を渡ると、その先にふたりの住む家──鍛冶(かじ)師である父と暮らす工房付きの小屋がある。彼らの目指す場所はそこだった。

 ところが広場から小径(こみち)に入ったとたん、ルゥははたと足を止める。彼の目線につられてリナが見やると、その先にはヘルマン司祭がいた。いつものあごひげ、いつもの赤ら顔。しかし今日はなんだか雰囲気がちがった。目を細め、困り果てた様子で首をかしげているのだった。


「ラストフはどうした」


 司祭の質問に、ふたごはきょとんとしていた。


「ラストフ?」とルゥ。

「誰それ」とリナ。


 司祭は目を見ひらいていた。口をポカンと開け、なにを言われたのか、まるで理解できないようだった。


「お前たち、本当に知らんのか」

「いえ、べつに」

「そもそも名前も初めて聞きましたよ」

「そんなバカな……」


 (ふる)える手で、伸ばしたあごひげをさする。

 落ち着きのない仕草が、何かとんでもないことが起こったことを示している。不安になったルゥは、おそるおそる尋ねた。


「もし良ければ、お手伝いしましょうか?」

「ああ、そうだな。きみたちにはちゃんと手伝ってもらわなきゃならん。なぜなら──」


 と、しばらく目を閉じてから、おもむろに口を開いた。


「ラストフは、お前たちの父親だからな」

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