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本棚に挟まれた物陰は意外と人気を感じない。エドモンドと二人きりで、彼の体温を感じるかのような距離感に、めまいを覚えた。伸ばしていた手を引き下げる際に、つま先立ちしていた体がふらっとした。
エドモンドがはっとして、私の背にそっともう片方の手を添える。彼の腕に触れて、軽く支えられると、両足が地面についた。
視線が彼から外せない。
エドモンドは、ちょっと焦った表情を浮かべる。
「大丈夫」
そう告げた彼は、片腕で私の背を支え、もう片方の手を本棚上段から抜き取った本を手にしていた。見上げるほど大きな男の子がいる。
「大丈夫」
彼はもう一度私に問うた。
私は、耳まで熱くなりながら、うんうんと頭を上下に振った。そのまま、気恥ずかしくて、俯いてしまう。
エドモンドが手にした本を私の胸に差し出した。
「これだよね」
私は受け取り、タイトルを見つめる。下を向いたままで不自然じゃない行動がとれてほっとした。
「うん、そう。この本よ」
声はいつもの調子で出せて、ほっとした。
「マリア」
安心した私は、呼ばれて、顔をあげた。
まじめな顔のエドモンドがいる。ぼっと急に顔がまた火照る。
「もどろうか」
彼の手が離れる。
離れちゃうんだ……。おしい気持ちがふわっと胸をよぎって、なんてことを思っているんだろうと、私は受け取った本を抱きしめて、一人いたたまれなくなった。
「どうしたの」
エドモンドが振り向く。
「今いく」
私は彼を追いかけた。
図書館の勉強はその後、ちっとも頭に入らなかった。
家に帰っても、ぼうっとする。寝る前に、思い出しても、頬が熱くなった。両手で頬を包んで、明日からまたちゃんとした顔で会えるだろうかと不安になる。
エドモンドの優しさが、日に日に直視することが難しくなっていく。
「おはよう」
彼にいつものように声をかけられても、前のように目を見て挨拶するのはつらい。ちょっとだけ、視線を左下に落としてしまう。
「……おはよう」
歯切れの悪い声しかでない。嫌われないかと心配になるけど、彼はいたって変わらなかった。
「教室まで行こうか」
プラプラと泳ぐ手があって、じっと見入ってしまう。ふと彼が止まる。
「どうしたの?」
エドモンドは不思議そうに首をかしぐ。
なにを見てたとも言えず、私はどっちを向いていいかわらない。ちょっと赤くなってないだろうかと心配になりながら、視線が空を泳ぐ。下を向いて、上を向いて、「なんでもないわ」と蚊の鳴くような声で答えていた。
「そうだ。今日、試験終わったらさ。一緒に出掛けない?」
「出かける?」
「一年生御用達のカフェ。僕行ったことないんだ」
あの店だと私はピンとくる。一度、女の子の人数合わせのために無理やり滑り込んだ。あのおかげで、誤解が解け、私は教室で過ごしやすくなったんだ。
「知っているわ。一度だけ行ったことあるの」
「そうなんだ。僕は教室に行くようになってから、すぐにマリアと親しくなったから行ったことないんだよ」
そう言って、彼はまた廊下を歩き始めようとする。
「どうして……」
んっ……、と彼は立ち止まる。
まだちゃんとつき合ってはいないような気がしていた私は素直に聞いてしまった。
「えっ、だって……」
エドモンドが天井を見つめて、床を見つめる。少し顔を斜めにして、私をみてはにかんだ。
「好きな子がいて、参加してたら……不誠実じゃない?」
ぼんと私は頭から湯気が立ち上る錯覚に襲われた。
カバンを取り落として、頬を両手で押さえて、真っ赤になったまま、動けなくなった。
今日一日、授業もまともに頭に入ってこなかった。屋敷に戻ったら、一人で予習復習しないとやばいかもしれない。かろうじてとっているノートだけが頼みの綱だわ。
店の場所を知っている私が案内する形で、彼とカフェへ訪れた。二人掛けの窓辺近くのテーブル席に座った。
紅茶二つ頼む。エドモンドはゆったりする。私だけが緊張している。私は私をどう扱っていいか分からない。
店員が運んできたかぐわしい香りに救われる。ほうっと息を吐いた。
まっすぐエドモンドを見つめれば、彼はいつもニコニコしている。どうしてこんなにも余裕があるのだろう。私の方が余裕なく、どぎまぎしてばかりだ。
女性の兄弟に挟まれているから、余裕があるのだろうか。
ヒューイや弟とかかわっていても、私には余裕がどんどんなくなっていく。
「どうしたの」
問われて、ふっと斜め上に視線を飛ばしてしまう。このままだと、嫌っているなどと誤解されてしまうかもしれない。
私は恥ずかしさを押して声を絞り出す。
「ごめんなさい」
「えっ……」
「私、一人だけ、いつも……恥ずかしくて……」
「あっ……」
「最近、どうしても……気恥ずかしくて、あなたをよく見れないのよ」
「……」
きゅっとカップを両手で握ってしまう。暖かいカップにそそがれている薄茶色の液体に視線を落とす。
言葉も交わせず、二人だんまり沈黙が続く。
私はおずおずと目線をあげる。エドモンドの顔へと視線を恐る恐る向けていく。
彼もまた視線を下に落としていた。
「エドモンド……」
私は小さな声で名を呼んだ。
彼もまた、奥ゆかしく落としていた視線をあげる。
視線がぱっと絡むと、互いに、耐えられなくて、また視線を下へ落してしまった。