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放課後、私はヒューイの教室に訪ねて行った。
教室の出入り口に立ち、彼の同級生に訪ねてきた旨を告げ、廊下に呼び出してもらう。
「ランチを一緒に食べたい同級生が現われました」
開口一番、要件を端的にぶつける。
ヒューイは涼しい顔だ。
「おめでとう。では次に会う時は、紹介してね」
「あなたがいると誰もが気後れするの。少しは控えていただけないかしら」
ため息交じりに本心を告げた。そろそろ引いてほしい。
「僕が行くと迷惑なんだね」
「前々から言っての通りよ」
憮然と私は言い放つ。入学したての新入生に上級生がどのように見えるか、無頓着すぎると本来は言いたい。
「君はそれでいいのかい」
「もちろんよ」
「僕は少し寂しいかな」
ヒューイが少し沈んだ表情を見せる。歪んだ眉をそのままに口元だけ笑むと、普段はうかがい知れない彼の表情がとたんに寂しげに見えた。
「ごめんなさい」
思わず私は謝っていた。
「私には、私の人生があり、あなたにはあなたの生き方があるでしょう。私たちは元々、ちゃんと距離をとるべきなのよ。他者が誤解する距離はふさわしくないわ」
やっとはっきり言えた。胸が透く。彼を傷つけない言葉を選び、悶々としていたことを言葉にできて安堵する。
「君の選んだ人を、近いうちに紹介してくれることを楽しみにしているよ」
これがヒューイとの決別となった。私はやっと彼から解放され自由になり、ランチの同席者はエドモンドに変わった。
「マリア」
「エドモンド」
私たちは、それから程なくして、敬称を捨て名前で呼び合うようになった。
「おはよう。マリア、今日は放課後どうする」
「来週の試験に向けて図書室で勉強をしようかと思っているわ」
「それはいいね。僕も一緒でもかまわない」
「かまわないわ。エドモンド」
互いに目が合うと、ふっと笑う。エドモンドは気安い。こんなに緊張しない関係はないと思った。
ヒューイがこなくなり、教室は静かになった。
同級生たちは廊下ですれ違えば、彼と挨拶する。中庭や道すがら会えば立ち話する。教室で培われた関係は、ほど良い距離が保たれ継続しているようであった。
私とヒューイだけが、挨拶するだけとなり、物静かな関係性へと変わっていた。
私の隣にはエドモンドが立ち、ヒューイには将来につながる人間関係が残る。結果として悪いことはなかった。
授業が終わった。
「ごきげんよう、また明日」
以前と比べると私の周囲はにぎやかになった。
連れ立って教室を出ていく女子達と他愛無い挨拶も日常となる。少しだけ出遅れたけど、私はちゃんと馴染むことができた。
教科書などの荷物をまとめてカバンにしまっていると、エドモンドが寄ってきた。
「図書室に行こうか」
「ああ、ちょっと待って……」
私は、残した道具がないか点検する。
「急がなくていいよ。待っているから」
エドモンドは、にこやかに笑む。
「女の子の準備は長いものだよね」
準備を終えて、図書室へと向かう途中、
「エドモンドはどなたかとお付き合いしたことがあるんですか」
私が投げた問いにエドモンドは目を丸くした。
「どうして、そう思うの……」
「いえ、女の子の準備は長いなんて、さらっとおっしゃるものですから」
ああ、と彼は一人納得する。
「僕は、女兄弟が上と下にいて、挟まれているのです。ただ、慣れているだけだよ」
「お姉様と、妹様。三人兄弟なんですか」
「そうです。結局、女兄弟は強くてね。僕は姉にも妹にも頭が上がらないんだ」
そう言って苦笑する。
「マリアは、兄弟はいないの」
「私は……、弟が一人ですね……」
「言いにくかった」
エドモンドがはっとする。
「そんなことはないです」
私は両手を振った。
「弟とは、仲良しですよ。ああ、でも、実は、エドモンドと同じように、弟から見たら、姉は怖いものかもしれません」
エドモンドがふっと笑った。
「そうかもしれないね。姉も、僕が姉を怖がっているとは気づいていないもの」
「弟の心、姉知らずって、あるものなんですね」
「そうそう」
額をよせるように、互いに少し笑った。
図書室には、まばらに人がいた。一人で勉強している人も多い。連れ立って来てても、静かに会話するのみである。私とエドモンドは、大きな六人がけのテーブル席の端に並んで座った。
教科書を開いて、問題集を見ながら、ノートをとっている。教科書の記述に疑問を持てば、図書室は便利だ。
「私、ちょっと本を探してきます」
「どうしたの」
教科書の一ページを示す。
「ここの記述について、詳しい本を探してみたいと思います」
エドモンドが乗り出してくる。
図書館は大きな声も出せないし、席も隣同士で座る。いつも平静を装うけど、ひそひそと話すため、余計に距離が縮まり、私は少しドキドキする。
「わかります。僕もそこ気になってました。一緒に探しますか」
「私一人でも探せますよ」
「一人より二人の方がきっと早いですよ」
エドモンドはにっこりと笑う。
「そうです、ね」
私は最近、彼の笑顔に弱くなってきた。
静かに立ち上がって、小目あたの本がありそうな本棚を探す。大きな数個分該当する本棚があった。本としては数百冊はあるだろう。
「マリアが壁の端から探して、僕が反対から順に探して行こうか」
「そうね」
エドモンドは端から本を探し始めた。彼が言うように二人の方が能率良いわ。私は軽い足取りで壁際の奥へと進む。
奥の本棚までたどりつくと、上段の端から一冊ずつタイトルをチェックする。下段までざっと見ても見当たらない。次の本棚の上段へと目をやる。数冊眺めて、私は視線をとめた。
「見つけた」
私は、目いっぱい手を伸ばす。上段なので、なかなか手が届かない。
無理そうかも、とあきらめかけた時、真横に気配を感じた。
「あったの」
エドモンドがいた。
「女の子には高いよね」
彼が手を伸ばして、背表紙に手をかける。
背伸びをしている私のすぐ横に彼が悠々と手を伸ばす。
横を見ると、背の高い男の子がいて、まっすぐに本棚上段を見つめていた。
手をかけた本を本棚から引き抜くと、嬉しそうに笑った。
視線がふっと降りて、目が合うと、彼と私の近さに目がくらんで、途端に私はまた恥ずかしくなった。




