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「マリア」
私こと伯爵家の長女マリア・フォスターは、名を呼ぶ声の主を確認し、うんざりする。
視線の先にいる侯爵令息のヒューイ・ヒスコックは苦笑しながら、私の座席前に寄ってくる。あからさまな表情を浮かべる私など彼は気にもしない。飄々としながらも面だけ眉を寄せ、困っている風を装っているが、本心は違うだろう。
「嫌な顔しないでよ」
「頻繁に上級生にお声がけされていると、同級生が声をかけにくくなって、迷惑なのよ」
「僕と君の仲じゃないか」
私は嫌悪の表情を隠す気はない。
「迷惑な仲よね」
授業が終わった教室でトントンと教科書を整えた私が重い腰をあげる。授業の緊張を解くように、ほうっと息を吐く。わらわらと先んじて勉強道具を片づけた同級生たちが、カフェテリアへむかい、我先にと教室を後にする。
目の前にるヒューイは、母と縁故ある血縁者であり、亜麻色の髪、翡翠色の瞳は一緒。小柄な私とは違い長身な彼は私を見下ろすように腕を組み、体格良く麗しい姿を惜しげもなく堂々と示す。
「どうして、一緒にランチを食べたがるのかしらね」
仕方ない人にしか、私には見えない。
「私の邪魔をしないでもらえないかしら、ヒューイ様」
くくっとヒューイは喉を鳴らす。嫌味はふっと彼方へ吹きとばされる。
「僕ぐらいの邪魔を乗り越えない男に、用はないだろう」
二度目の私のため息は重々しい。
「私は、あなたを恐れて引き下がるぐらいの臆病者で十分なのです」
ヒューイと二人並んでカフェテリアに向かう。
「わかってまして、私がここに通う意味を……」
「もちろん」
「分かっていて、このように声をかけるあなたは意地悪としか思えないわ」
貴族学園は十四歳になった貴族の子弟が通う四年制の学校だ。二年間は教養のため男女共学であり、二年目からそれぞれの専門性に分かれて学ぶ。
私は今年入学したばかりで、ヒューイは三年生。彼は文官候補の専門へと道を進めている。目指すは難関試験と名高い最高位文官を目指すエリートだ。
女子の進路は二つ。一つは花嫁修業を目的とする家庭科、もう一つは王宮などの侍女や宮女として働く職業婦人を目指す家政科である。
この際、どちらへ進むかは大きな違いはない。最も重要なことは、最初の二年間で将来の配偶者を見染められるかどうかなのだ。
貴族として生まれれば、親の意向で配偶者が決められることが今でも慣習として残っている。むしろ、そのルートが表向きは主流。しかし、この学園の最初の二年間で恋仲となり、その子息や令嬢の意向が反映されて、表向き家同士のお約束をなしていることが多いのだ。
自由恋愛が許された二年間。その間に、未来を添い遂げる相手を自分で選べるというチャンスを与えられる。
時には、身分を超えたつながりが生まれることをいとわなくなり、柔軟に家をまたいだ養子縁組を介するケースもある。
私は恋をしたい。
そのためにこの学園にいるというのに、この男はその希望を知ってなお私のそばにくるのだ。
悪い虫が寄らないようにと言うものの、私はもう少し悪い虫が寄ってきてほしいと言うのが本心である。
「この二年間は大事なの。あなたにとって最初の二年間がどのような時間であったかは知らないわ。でもね、私の邪魔はしてほしくはないのよ」
「一緒にランチをするだけじゃないか。それに、僕を押しのけてでも話しかける男には、ちゃんと譲るに決まっているだろう」
それが迷惑なのよ、と言っても通じないことが悩ましい。
「あんたはただでさえ目立つの。あなたに連れられているだけで、私が誰かと仲良くなるチャンスがなくなっていくのよ。
二年間は短いわ。時間があると思って悠長にしていたら、恋する機会一つ得れないで終わる。正直、そんな時間を過ごしたくはないのよ」
カフェテリアの扉を開いた瞬間、ざわっっとする。ひそひそっと人の声が漂う。
ほら見なさい。ヒューイが入るだけで、どれだけ目立つのかこの人には自覚がないのだ。目立つことが当たり前すぎるために、空気を感じても、違和感もないのかもしれない。
「ヒューイ様こそ私なんて誘ってないで、ちゃんとしたお相手を探されてはいかがなの」
彼は、カフェテリアのメニューにふらふらと近づき、私の声など聞いちゃいない。ヒューイは恋愛対象にはならない。いつまでも、近寄られても、迷惑なだけなのよ。
☆
「最悪だったわ」
憮然と肘をつき、授業の終わりにふてくされる。
ヒューイが声をかけてくるために、カフェテリアで過ごす時間をずっと彼の笑顔を見て過ごすだけで終わった。
学園に通うようになり初日から挨拶してくるようになるなり、毎食ランチを一緒されたら、女子からも男子からも距離を置かれてしまった。遠巻きから眺められる距離感は、不本意だ。
「ねえ、今日の夕方行けそう」
「大丈夫。予約できた。先輩の言ったとおりだったわ」
後ろから届いた声に耳をそばだてる。
「あのカフェでも、例年恒例だから慣れたものよね」
「ありがたいわよね。貴族クラスも平民クラスも同じ制服って……」
「そうそう、ちょっとだけ平民のふりさせてもらうのよね」
平民のふり、カフェ……、私の耳は一回り大きくなる。
「貴族は不便よね」
「一緒にお茶するだけでも、家に呼ぶとなると大事になるじゃない。その辺は、学生服で大通りの店を利用した方が効率良いもの」
「二年の時間は短いわ」
うんうんと、心の中で大いに同意する。
「人数は、男子が五人で女子が四人なのよ」
「あと一人かあ。そこんとこ、人数合わせないとねえ」
「やっぱり同じじゃないと不公平よね」
「あ~、あとは女の子一人かあ……」
私はがばっと振り向いた。
女の子二人、大いに驚き、目を丸くする。
「その最後の一人、私ではいけないかしら」
勇気を出して、私は声を振り絞った。
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全七話完結、予約投稿済みです。
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