55.【ナギ視点 5】_冒険者パーティー白翼のリーダー
本日投稿5話めです。
セイ君の手を握った瞬間、俺の中で劇的な変化が起きた。
……なんだ、コレは?
体中を爽やかな風が吹き抜けていったかのようだった。
魔瘴気に左腕を侵されてから、絶えず付き纏っていた鈍痛と倦怠感が一気に消えた。
なんだ、この優しくも温かい、清浄な神気は。
春の風のようでもあり、夏の冷たい水のようでもある。そんな心地の良い神気によって、俺の中に重く凝っていた汚泥が綺麗に流されていく爽快感に、涙が出そうになった。思わずセイ君の手を強く握り締める。
信じられない、こんなにも美しい光りを持った神気がこの世に存在したのか。
無意識に左手でも握ってしまっていたらしい。気が付くと、セイ君の顔色が悪くなっていた。──しまった!
俺の左手に黒く蔓延っている魔瘴気は、おそらく神気を吸い取る。今までに生き物から吸い取った事は無かったが、こんなにも悪影響があるなどと……! 自分を殴り飛ばしたい。
急いで手を離し、看病の為に部屋へ連れて行こうとしたら、キリィと、ヴァンまでもが、俺がいかがわしい目的で連れ込みをしようとしているかのように言い出した。
ふざけるなお前ら。セイ君に誤解されたらどうしてくれる!!!
◇ ◇ ◇
宿屋ではそれぞれ個室を取ってあるが、“お話し合い”の為に一旦一部屋に集まった。そして俺はさっきのアレは何だと猛然と抗議した。体調不良につけ込むだの、個人の趣味嗜好だのと。俺は純粋に心配してたんだぞ! セイ君に変に誤解されてこれから避けられるようになったら、どうしてくれるんだ!
ところが、「隊長のほうがひどい」と二人から逆に責められた。何故だ。
「俺たちが冗談にして流さなかったら、隊長マジでセイくんを部屋に連れてってたでしょうが」
「当たり前だ」
二人は同時に、うわー……と言った。
「初対面の、長剣を持ったデカイ冒険者の男に抱き上げられて部屋へ連れて行かれる時の少年の心境を述べよ」
「はい、恐怖一択です」
「なんだと……」
看病目的だぞ、と言えば「怖くて治るもんも治らねぇッスわ」と冷たい目で見られた。隊長を止めた俺たちに感謝して欲しいくれぇッスわとまで言われた。しかし、ならばもっと他に言いようは無かったのか……? キリィのしらーっとした顔を恨みがましく見つめる。
「っつーか俺は下に情報収集に行って来るッス。誰かさんが邪魔してくれたおかげで名前しか聞き出せなかったんでねぇえ。──ヴァン、隊長がセイくんの部屋に行かないよう見張っててくれ」
「了解です」
「駄目なのか?」
キリィが「眠り薬ぶち込んでやろうか、この野郎……」と低く呟いた。本気だな、こいつ。冒険者になってそこそこ長いせいでだいぶ騎士時代の上下意識が薄れてきたようだ。
分かった分かった、大人しく武器の手入れでもしているさ。頼んだぞ。
ヴァンに数回ほど止められつつ待っていると、キリィが酒の匂いをさせながらようやく帰ってきた。ここが村唯一の食堂であり宿屋だからな。陽が完全に沈めば健全なお食事処が、薄着の女性の酌で酒を飲む店に変わる。ちょうど夜番と交代してやって来た門番に酒をおごりつつ色々と聞き出してきたようだ。
だがその報告を始めてすぐに、「セイくんに付けた【印】が外へ移動を始めた」などと言い出した。深く考えるよりも先に窓から飛び出そうとしては止められ、少し話しをしては止められなどはあったが、今は落ち着いている。ああ、俺は落ち着いているとも。所在教会が判明したからな、多少は余裕も生まれた。
冷静な頭で考えてみれば、セイ少年はあまりにも、不自然な点が多い。
あの子の背後には何かがいる、それだけは確実だ。しかし意図は全く分からない。
そしてあの子の豊潤かつ瑞々しい神気──あれをどう判断すればいいのか、考えれば考えるほど分からなくなる。
常識で考えるならば、神気を帯びた物を持っていた、それしか無いはずなんだ。
だが、あの子の神気の量……。一度に発している量は少ないが、ずっと放出し続けていられるなどと、どれだけの量の植物や鉱石を所持していても無理だ。
そうなるとやはり、本人から発生していた、としか考えられない。しかしそれは人間には不可能な事だと断言できる。
神気を外へ向かって出せるのは、幻獣が能力を使った時のみ。
だから、キリィの「そんなに強い神気だったのか」という質問に対して咄嗟に「セイ君は人の姿をした幻獣なのかも知れん」と推測を答えた。
“セイ君が幻獣で、ずっと何かの力を使い続けていたから”。可能性としてはそれが一番高い。
……どこかしっくりこないのは、もう一つの疑念があるからだ。
あの神気の、質。新しく作り出されているかのような、あの動き、流れ。
──セイ君は、【神樹】なのか……?
などと、さすがにこの二人にも言えんな。正気を疑われる。
何にせよ、セイ君と知り合えたのは僥倖というより他ない。
手首の上まで魔瘴気で真っ黒の左手を見る。セイ君との握手で一時的におさまった痛みも又じわじわとぶり返してきている。治ったわけではないんだ。
だがあの子の存在は、治せる手段が見つかるかもしれない、という希望を与えてくれた。
今まで徒労に終わる事の多かった神気探し。見つかったところで長持ちせず、俺もいつまで山へ入って魔獣と戦えるか分からない、こんな非効率な事をいつまで続けなければならないのか、と。このままでは、“アリスがいつまで元気で居てくれるか分からない”そんな焦りと心労で潰されそうだった俺の闇に、やっと差し込んだ光明だ。
出来ればアリスに会わせたい。
だが……それはまだ危険だ。
セイ君自身については、信用できる、と判断した。食事中の受け答えも良識があり、奢りだと言っても遠慮がちで卑しいところは一つも無い。真面目で素直、だが馬鹿正直というわけでもなさそう、という認識だ。
問題は、あの子に繋がってる組織だか人だかだ。正体がはっきりしない内は、力の弱まっている幻獣のアリスの事を知られるわけには絶対にいかない。
違法な組織の線は捨てて良い気がするが、かと言って教会と繋がっていてもまずい。……いや、教会ならあの神気の持ち主を一人で歩かせるわけがないか。じゃあ何なんだ。
全く予測がつかない。どんな奴らなんだ、一体……。
セイ君が幻獣である可能性について考えていたキリィが頭をガリガリかいて唸り始めた。
「あの子が幻獣っつーのは無理があると思うんスけどね、でも繋がる可能性があるんなら、跡をつけるより交流を深めるやり方に絞るべきだったッスかねぇ」
「俺が好感度を上げようとしていたのを、ことごとく邪魔したのはお前だろう」
「なに言ってんスか、全部逆効果だったじゃねぇッスか……。それより、あの白い玉を渡したのはマズったな。俺も反対しなかったんで今更ッスけど」
「どうしてだ」
「あの子の目的って、俺たちじゃなくてあの玉っぽかったッスよ、多分スけど」
「……、なんだと?」
ではこの先、セイ君が連絡をして来ない可能性がある、ということか……?
衝撃を受け固まる俺を、真剣な表情で見つめていたキリィはしばらくして、ス……と顔を背けた。そして、ブフォッと勢いよく吹き出した。呼吸困難になりそうなほど笑い転げている。この男は……!!
「待っ……、その顔はヤベェ、ひっひっ、死ぬ……! わっ、笑い事じゃねぇんスけど、む、り……っ」
「おいっ、本当に笑い事じゃないぞ!」
「って、俺は、合図してました、よ……! あの子が神虹珠って言葉に反応した時も、白い玉を隠そうとしてた、時も……!」
「もっとはっきり言え!」
「普段の隊長なら気付いてたでしょーがよ!」
俺たちの言い合いを完全に無視して、ヴァンが高らかに主張した。
「セイ君が幻獣ならば、夜間に一人で外に出ている今の状況は大変危険です。可及的速やかに捕獲……保護すべきです!」
お前今捕獲って言ったな? 「あの時、部屋に連れ込んでおくべきだったんですよ」と凄まじい手のひら返しまで始めた。
状況が混沌としてきた中で、床に突っ伏して笑っていたキリィが突然顔色を変えた。
今までどこかあった余裕が完全に無くなり、「はぁ!?」と大声を上げ、窓を開け外へ身を乗り出した。
「うっそだろ、何が起きてそんな……うわ、ありえねぇ!」
「──おい、どうした、まさか」
キリィが真っ青になっている。嫌な予感がする。とても、恐ろしいことが……。
「……隊長、申し訳ありません、セイくんに付けていた【印】ですが……。外へ出てから今まで西門付近に停止状態にありましたが、突如北西の方向へ向かって常軌を逸した速度で移動を始め、瞬く間にトガディナ山を越え……」
「まさか」
「範囲外となり、【印】を見失いました」
俺は窓枠に足を掛け、夜の村へ向かって勢いよく飛び出した。




