39.トイレと庭_白い生き物
『セイくん、セイ少年くーん! 綺麗になったわよぉ!』
キラキラさんに声をかけられてシマくんとの会話は一旦止める。
あの量が洗い終わったのか、すごいな。あんな大きいカゴいっぱいに入った綿みたいな毛を人間の手で洗おうとしたらどれだけ時間がかかるか分からないよ、本当にありがとう。
さすがに巣に戻って休むというキラキラさんにお礼を言って、次にロウサンくんにカゴを玄関前まで運んで乾かせてもらうようお願いした。
シマくんと僕はロウサンくんのジャマにならない場所へ移動しようね。
さて、それじゃさっきの話しの続きをしようか。いくらなんでもあの内容は後回しにできない……。
普通は人間、というか動物は、神気を出せないよね?
『ンピ? 神樹は神気を出せるっすよ』
「でも僕は神樹じゃないから。人間だからね?」
小首を傾げて、黒い小さな瞳で僕を見つめるシマくん。木と人間は違うという説明から始めなきゃいけないのかな。
シマくんの首の角度がさらに深まった。
『なにか問題あるっすか?』
「えーとね、急に神気が出るようになったわけだよね。僕の体調とか……体に影響ないかな?」
『なるほど、それを心配したっすか! それなら大丈夫っすよ。神気冠の神力を与えると神樹はさらにたくさん神気を出すようになるんすけど、他の生き物に与えた場合は、神気を出すようになるんす。神力が馴染まないと出ないんすけどねー。でもセイ兄さんは見事に馴染んだっすから、息をするだけで勝手に神気が出るっす、変わるのはそれだけっすよ!』
シマくんは、神気って結局空気っすからねーと軽く笑い飛ばしてくれた。ということは、そんなに気にしなくてもいいのか……? いやでも、気になることはちゃんと聞いたほうがいいよね。
「僕が神気を出すと、周りにどういう影響があるのかな?」
『オレが元気になるっす!』
「……ということは、周りにも僕にも大きく変化があるわけじゃない、って思っていい?」
『そっすねー、神気冠を与えると樹の育ちが少し良くなるっす。だからセイ兄さんも少し大きくなるんじゃないっすかね!』
「……そうなんだー」
思わずニッコリ笑ってしまった。育ちが良くなるならいいんじゃないかな、うん。
僕、ミウナより背が低いからね……。
それに、“魔瘴気が出るようになった”っていうんなら困るけど、神気ならみんなに悪影響無いからいいや。どうせ僕が出すのなんて大した量じゃないだろうし。
ほっとしたら、急にトイレに行きたくなってきた。
今日はシマくんに会ってから色んなことがあり過ぎて、神浄水を少し飲んだだけで食事もとってなかったな。
トイレはどこだろ、聞かないと分からない。さっきまで蒼雲白天毛だと大騒ぎしてた子たちは、今は静かだ。コテンくんはカゴの毛に両手を入れた姿勢で半分寝てる。
アズキくんとキナコくんは白天毛をつまんで上にかざして、「陽に透かすと水色に見えるな」「しかも微妙にラメってますよね」「ぎょうさんあるし、カゴひとつぶんくらい実験にまわしたらあかんかなー」「まずは溶かしたいですよね」「それな」などと、さっきまでのはしゃぎようはなんだったんだと思うような会話をしていた。あんなに貴重だって言ってたのに、溶かすのか……。
「ごめんアズキくんキナコくん、トイレ貸して欲しいんだけど」
「…………“トイレ”?」
「え? うん」
アズキくんが真剣な顔で聞き返してきた。まさかトイレ無いの?
「便所でもレストルームでもトイレットでも無く、《《トイレ》》、なんか?」
「えーと?」
「アズキくん。ぼくらの言語チートは、お互いが自分らの知ってる単語に良い感じに置き換わって聞こえてるっていう謎仕様ですから……」
「あー、そやったな。そのせいでたまに解釈違い起こしてたな」
「ぼくたちの言ってるネットスラングだの仏教用語だのがこの世界の人にはどんな風に翻訳されてるのか、確かめてみたい時がありますけどね」
「自動で変換されるんやから確かめようが無いわな。……せやのに、なんで俺“トイレ”いう単語には反応したんやろ」
アズキくんが考え込み始めてしまった。
知ってる言葉に置き換わって聞こえてる、って僕がシマくんやロウサンくんの話してる内容が分かるのも同じ仕組みだ、多分。僕も謎だと思うけど、今はそれよりもトイレの場所を教えて欲しい……。そこまで危機的状況じゃないけど、長引くのはちょっと。
困ってたらキナコくんが「セイくんごめんなさい。トイレは家の中なんです、着いてきてください」と案内するために歩き始めてくれた。あ、待って、その前に。
半分眠ってるコテンくんをカゴの中に寝させて、服の中にいたミーくんも横に並べようとした。トイレにまで連れて行きたくないよ、すぐ戻るからここで待ってて。爪立てないで、すぐ戻るから。ここで寝てて。シマくんも待っててね。うん、すぐ戻るから、お願いだから。
なんとか振り切ってキナコくんについて行く。そして到着したトイレは、──すごかった。
広い、明るい、綺麗、なにより、“おかしい”。え、ここトイレだよね?
広さは僕の教会の個人部屋くらいある。明るさは、壁と天井に百合の花の型に細かい飾りの付いた広灯具がいくつもあって、柔らかいひかりで照らしてた。そしてその壁と天井は白を基調として所々綺麗な四角い石が埋め込んである。
そして“おかしい”のは、床。
床が、川だった。ええええ……。入り口からトイレ器までは道のように明るい色の木の板と四角い石が並べてあるけど、それ以外は全部川を流れる水と、それにそよぐ水草がむき出し。……あれ、もしかして落ちないよう上全面に透明な板が敷いてある? うーん、でもやっぱり怖くて踏めないな。
あとトイレ器そのものが、真っ白ツルツルで異常に綺麗なんだけど、ここで用を足しても本当にいいのか……?
キナコくんがトイレ器の蓋を開けて「良かった、ちゃんと水が流れてます、使えますよー」と言うので僕も見てみた。どういう仕組みなのか、トイレ器の内部の壁に沿ってまんべんなく水が流れ落ち続けてた。なにこれ。
「見ての通りずっと水が流れてるので、あえてレバーを引く必要はないです。紙はこれを使ってください。使用後は中に落としてもらったら水に流れていきます。手はそっちの洗面台で洗ってくださいね。でもタオルは古くてダメかも……」
「ハンカチ持ってるからそれは大丈夫、だけど」
「良かった。また新しいのを探しておきますね。じゃぼくは戻ります」
「うん、ありがとう……」
キナコくんを見送って、改めて“トイレ”を見てみる。
僕の知ってるトイレ器っていうのは木製の椅子型で、中はこんな壁のようものは無く、もちろん水なんて流れてない。下は【浄濾土】だ。泥状の土ですぐに吸収されて、そのまま分解されて濾過される、らしい。でもここは水に流れてくのか……なんだか心配になるよ。
紙……紙? 【水露樹】の葉っぱじゃなくて、紙? ……うお、なんだこの柔らかい……これ紙なのか? こんな高価そうなの使ってもいいのかなぁ。
こんなに落ち着かないトイレは初めてだよ。
戸惑いながらも用を足して、洗面台へ。あ、水樹の枝だ! やっと知ってる物があって嬉しくなってしまった。ポキっと折って枝から水を出し手を洗った。
庭に戻るために家の中を歩きながら、考えてみる。トイレの違い、あの暖炉とかいう変わった壁。他にも見慣れないものがチラホラある。
もしかしてここ、外国なのかな?
アズキくんたちが言葉が通じるからドゴナル国だと決めつけてたけど、勝手に翻訳されてるなら外国の可能性が……。
ふと、視線を感じて周りを見渡した。
どこだろ。こっちかな。
みんながいるのは玄関側だけど、談話室っぽい部屋の向こうの庭から何かの気配を感じる。
呼ばれるように近付いて、外へ。白くて小さな花がたくさん咲いてる大きな木が、枝を揺らした。
その枝をスルリと滑るように、白い生き物が顔を覗かせた。蛇……? いや、違うな。スルスルと伸びてきた胴体にちっちゃいけど前足が付いてる。トカゲ? じゃない、全身に白い短い毛が生えてる。
変な生き物だけど、キラキラさんに比べたらちゃんと生き物の形をしてるから動揺しない。慣れってすごいね。
あ、目の色が違う。片目が白色、かな? もう片方がやや濃いめの黄色で、強めに光ってる。うーん、何かに似てるような。
それにしてもこの家へ来る生き物は妙に光りがちだ。
「あのー、はじめまして……?」
言葉通じるかな。雲熊さんたちみたいに神泉樹の気配に惹かれてここへやってきた生き物だろうか。みんなのいるところへ連れていくべきなんだろうけど。
でも、どう言えばいいのかな、この生き物はみんなと違う空気感だ。──威圧、もしくは……畏怖?
白い生き物は、僕を見つめてゆっくり目を細めた。
『 まだ 弱い 』
「……うわっ」
何重にも響いて聞こえる不思議な声がしたと同時に、僕の身体の中を風が吹き抜けていくような、奇妙な感覚に襲われた。そして庭の木の花から凄まじい量の白い光の粒子が飛んで、空を旋回してから僕に降り注いできた。かくん、と力が抜けて地面に座り込む。ええええ?
『 ほんの僅か な 手助けだ 。 過信せず 励め 』
白い変わった生き物は言うだけ言って、スルスルと木を登って、消えた。
「……えー……」
なんなんだ、今の。“手助け、励め”って、何に対してなんだよー。
ロウサンくんだったらきっと、今からこういう理由でこういうことをするけど良いかい? って聞いてから何かをして、終わった後も大丈夫だったか確認してくれるはずだ。ロウサンくんを見習って欲しい。
さっきの何だったんだろ。頭や体をパタパタ叩いたけど、もちろん分かるはずもなく……。体調は、大丈夫。でも正体がはっきりしないのは気持ちが悪い。失敗したなぁ。次からは知らない生き物に迂闊に近づくのはやめておこう。
ため息をつきながら空を見上げると、陽はだいぶ西の方角へ進んでいた。夕沈み時まではまだ時間あるにしても、地の神様の祠にいた時からは気付かないうちに随分時間が経ってたみたいだ。
銀陽の色は薄く、金陽は色を濃く、どちらも輝いている。
──あ、あれだ。
さっきの白い生き物の目、何かに似てると思ったら、銀陽と金陽にそっくりなんだ。
光りの強さはさすがに本物ほどじゃないけど。
それにしたって目の光り方じゃないよ、あんなにビカビカしてて自分は眩しくないのかなぁ。




