31.庭_誓い
僕はみんなのしゃべってる内容が聞こえるから怖くないけど、見た目だけだとロウサンくんと親熊は危険な大型猛獣だし、キラキラさんは得体の知れない不気味な生き物だもんなぁ。
支部長が教会の授業でよく言ってたっけ。“知らないということそのものが、恐怖の対象になる。そしてそれは、生き物にとって必要な警戒心なんだ”って。
えーと、確か……──。
「ハイ、じゃあみんなよく聞いてくださいねー。例えば、畑に見知らぬ魔獣が出た、と想像してくださーい。
この魔獣はどういう攻撃をしてくるのか、さっぱり分かりません。走るのか飛ぶのか、毒はあるのか、仲間がいるのか。何も分かりません。こっちから攻撃しようにも、うかつに近付くのは危ないですよ、だって毒を飛ばしてくるかもしれないんですから。それに、叩くと腹から子をばら撒いて、かえって状況が悪化する魔獣も世の中にはいますからねぇ。
だから、得体の知れない魔獣を怖がって警戒することは、生き物としてとても大事な心の動きです。
でも、その魔獣は知らない魔獣じゃくて、実はグアチュラでした。──ハイ、グアチュラを知ってる子は安心した顔になりましたね。なんだアイツか、だったら大丈夫だ、そう思ったでしょう? 小さい子はまだ見たことないでしょうけど、グアチュラは蜘蛛型の小型魔獣で、頭を潰せばすぐ倒せます。
このようにですねー、知識があると楽になる、ということは沢山あります。逆に、知らないものに対しては、無駄に不安と恐怖心を煽られるものなんですねー。だからみんな、頑張ってお勉強しましょうねー」
こんな感じで、例えの内容は色々だったけど締めの言葉はいつも「頑張ってお勉強しましょうねー、今日はみっちり座学ですよ」だったから、そこでみんなで「えーっ」と嫌そうな声をあげて笑う、というのがお決まりのパターンだったんだ。座学って眠くなるんだよね……。錬金術とか外国語の授業は特に意味分かんないから眠くて眠くて。
そういえば、畑に関すること以外の授業なんぞいらんという村長と、スキルの内容次第で畑以外の仕事に就く子もいるんですからという支部長でよく言い争いしてたなぁ。って、余計なことまで思い出してるな。
──でも、そうだよね。言葉の通じる人間同士で付き合いの長い間柄でも、心から信頼し合うのは難しいんだから、ここにいるみんなにすぐに仲良くなって欲しいなんて言えないな。
とりあえず攻撃し合わない程度に打ち解けてもらえたら……。突然殺し合いを始めそうな怖さがあるんだよ、特にロウサンくんとキラキラさん。
みんながどういう生き物なのかを伝えられるのは、ここでは僕だけなんだからちゃんと伝えないと。森にいる時にも考えてたのに、うやむやになっちゃってたからなぁ。
あ、みんなに伝えるならコテンくんも呼んでこよう。ずっと部屋に一人にしてたよ、可哀想なことしたな。
「親熊さんたちの毛を切りながらでいいので、みんなに聞いて欲しいことがあります。その前にコテンくん連れてくるね、ちょっと待ってて」
部屋に入ると、ほっこり暖かった。あれ、ここから出すほうが可哀想か? 一瞬迷ったけど、コテンくんが外に出るって言ってくれたから抱っこしていく。日当たりの良いところにタオル敷くから、その上で寝転んでてね。
うつ伏せで、ぺしょっと寝そべるコテンくん可愛いな。小さい頭を撫でると、長い耳が横に倒れて僕の手に沿ってきたから、耳も軽く揉むようにして撫でる。
「セイくんは撫でるの上手いよねぇ。もうちょっと強くてもいいよー……」
「そう? これくらい?」
「うん、さいこう……」
コテンくんを撫でてると、子熊くんが一匹走り寄ってきた。しゃがんでる僕の膝の上によじ登ってきたから、子熊くんが座りやすいように足の角度を変える。この子は、最初にロウサンくんが連れて来た子っぽい。どうしたの?
『にーたん、ぼくも』
撫でて欲しいのかな。空いてる片方の手で、もっふぁもっふぁした頭の毛に指を埋めるようにして撫でると、嬉しそうに『えへへ』と笑い声を上げたから、これで正解みたいだ。撫でてるこっちもフワッフワでめちゃくちゃ気持ちいいよ、すごいなこの子の毛。
子熊くんの毛を堪能してると、ロウサンくんが顔をウロウロと動かしてることに気付いた。もしかして、子熊くんの可愛さに挙動不審になってる? 近付きたいけど迷ってる感じかなー。
「子熊くん、あそこにいる大きい犬……えーと天狼っていう生き物で、ロウサンくんっていうんだけど、近くに来ても大丈夫かな?」
『んー? あのおおきいの、たしゅけてくれた。しゅき』
「そうだね、子熊くん賢いね。ロウサンくん、こっちおいでよ」
『……いいのかな』
「助けてくれて好きって言ってるよ。大丈夫」
ロウサンくんの耳がピンっと立って、尻尾がすごい勢いで振られた。でもロウサンくんは急がずにゆっくり歩いてきて、コテンくんがいる場所とは僕を挟んで反対側の地面に、静かに伏せをした。ロウサンくんは気遣いの達人だもんねぇ。腕を伸ばして眉間のところを撫でる。よしよし、大きいけど可愛いなぁ。
『天狼をまるで犬のようにしてしまうとは……流石だ』
『お腹を見せてもおかしくない懐きようですね。天狼の気位の高さは凄まじいと言いますのにねぇ』
あ、お待たせしました。毛を切りながら……それは無理? じゃあ話しのほうから先にやっちゃおう。
「えー、じゃあちょっとお話しさせてもらいますね。みんなはお互いの喋ってる内容が分からないから、相手がどんな生き物か分からずに警戒してるんじゃないかな、と思います。心を許してとまでは言わないけど、一緒にいる相手をずっと警戒するのもしんどいと思います。なので簡単に紹介していきますね。ここにいるロウサンくんは、体が大きくて怖く見えるけど、実は可愛い……小さい生き物に優しい、気遣い上手な紳士です。コワクナイヨー」
「まぁ、優しいんやろな、いうのは伝わっとるけど。そんでも博愛精神溢れる温厚タイプには見えんなー」
「怒らせたら容赦無さそうですよね」
アズキくんとキナコくんが鋭いところを突いてきた。でも、要は怒らせなきゃいいんだよ。ロウサンくんは怒りっぽいわけでも無いし……いや、どうだろう……。
「ロウサンくん、ロウサンくんってどういうことをされたら怒るのかな?」
『怒ることはあんまりないかな。俺が攻撃するのは、可愛い生き物に危険がある時だね』
「ロウサンくんは、小動物に優しくしてたら無害です、よろしくお願いします。じゃ次、あちらの親熊さんたちね、普通の熊より大きいから見た目は怖いけど、話してる内容はいつも賢くて礼儀正しい紳士だよ。お母さん熊もお父さん熊には厳しい時があるけど、おっとりと優しい熊さんです。コワクナイヨー」
『少年くん、雲熊は普段どっしりしてるけど、怒らせるとエゲツないのよ。蒼樹が敵の動きを止めて、岩をも砕く重い一撃をお見舞いするらしいの。衝撃で生き物が液体になるそうよ』
え、えぐい。いや、怒らせたら誰だって攻撃的になるよ、うん。怒らせなきゃいいんだよ。
「親熊さんたちが怒るのって、どんな時ですか?」
『家族や仲間に危害が加えられそうな時だな。特に魔獣と人間は危害しか加えてこないからな、見かけ次第始末するようにして……アイタァッ』
『私たちは食事も木の実だから、攻撃されない限り私たちからここにいる動物を襲うことは無いわ、安心してね』
父熊が鼻を押さえて震えてるんだけど、母熊さんなにしたの……。全然見えなかったよ。
「親熊さんたちは、相手から攻撃されない限りは自分たちから襲うことは無いそうです、たまに夫婦喧嘩はします、よろしくお願いします。えーと次はキラキラさんかな。そこに浮いてるキラキラさんは生き物っぽくないというか、脳みそ無さそうに見えるけど実はとても愉快な性格で、物知りで賢いよ。コワクナイコワクナイ!」
『アイタタ……。セイ殿、虹泡月は私たちよりよほど攻撃的だぞ。今は人成神の前だから大人しくしているに過ぎん』
涙目になってるよ、父熊さん。キラキラさんが攻撃的なのはちょっと分かる。でも理由もなく襲ってくるとは思えないんだよね。目をやると、そのキラキラさんはゆったり回転してた。
『アタシも雲熊と同じで、攻撃されない限りこちらからは何もしない……と言いたいところだケド。基本的にアタシは攻撃される前に、他の種族を見た瞬間に仕留めるクセがついてるわね』
「キラキラさん、それはヤバイよ」
『今は攻撃してないからいいじゃない。でも、少年くんが居なくなったら分からないわ。コイツらだって、少年くんの前だから今は大人しくしてるだけだもの。本性はどいつもこいつも獣よ』
父熊と同じようなことを言ってる。でもなんで僕の前だと大人しくなるんだろ? この中で僕が一番弱いよ。
キラキラさんは一度クルリと回って『でも……』と言って、細い紐のような足でロウサンくんを指差すような動きをした。
『そんなぐでんぐでんになった天狼を見せられたら、警戒してる方がバカみたいに思えてきたわ』
話してる間も撫でてたから、ロウサンくんは今、地面に寝転がって半分お腹を見せている。残った片手で撫でていた子熊くんは、僕の足の上でバンザイして完全にお腹を見せてる。丸くぽこんとしたお腹が可愛い。
『そうねぇ、“相手が攻撃してこない限り襲わない”、その言葉を信じるわ。だからちゃんと約束してちょうだい。アタシも勿論約束するわ』
「分かった。言ってみるね」
『そこの小さい二匹もよ。ソイツら雲熊並みに強いでしょ』
アズキくんとキナコくんだね。確かに見た目からは想像できない強さだよね……。その二匹はコテンくんのとなりに座ってくつろいでた。
「こういうやり取りは新鮮ですねぇ。お師様の村づくりの時は来る者拒まずでしたもんね」
「それはそうなんやけどな。今から考えると、あれはどんな奴が来ても俺とキナコのほうが絶対に強いっていう自信があったからやったんやなって。当時は何が起きてもなんとか出来る自信があったから、受け入れることを躊躇わんかった。でも今はな……」
「アズキくんは今でも十分強いですよ」
「天狼、親熊、クラゲ。どいつもこいつも瞬殺は無理や」
「できますよ。少し練習は必要かもしれないですけど」
──うん、この子たちにも約束してもらおう。なんて物騒な会話してるんだ君たちは。
少しは渋られるかなと思ったけど、キラキラさんのお願いを伝えたら、みんなあっさりと賛成してくれた。あー、良かった。
「俺らから攻撃する理由あらへんしな。ええで」
「口約束だけでいいんですか? 何かに誓いましょうか」
「ボクも約束するよ。ボクはシュリ様に誓うよー。コホン……、“【身の危険がない限り、今ここにいる生き物を攻撃しない】。この言の葉を神の風に乗せ、神使コテンの名で龍神シュリに誓う。【結】”。……うん、成った。これでボクはもうここにいる生き物には攻撃できないよ」
『アラ、今のはなにかしら?』
「コテンくんが、自分の仕える神様にさっきの約束を誓ったみたいだね。ここにいるみんなに攻撃できなくなったって言ってる」
『あらぁん、それいいじゃない。アタシのもお願いするわ。そうねぇ……アタシは少年くん、セイくんに誓うわ』
『なるほど。さっきのは強制力のある誓言か。俺も誓おう。そうだな……俺は流浪の身だからね、セイくんに誓うよ』
『先ほどの誓言は見事だったな。ふむ、では私たちも神に……と言いたいところだが、山を捨てた私たちには誓う神が今は居ないな』
『なに言ってるんですか、目の前にいらっしゃるでしょう。私たちは人成神様、セイ様に誓います』
『そうだな、それでは樹たちの分も私がセイ様に誓いを立てよう』
『頼むっちゅー』
『ぼくもにーたんにちかう!』
『おれも!』
『ぼきゅも……』
『みんな手を上げて、誓う流れっすか? じゃオレもセイ兄さんに誓うっす!』
「待って、待って、おかしい」
なんで僕? 僕に誓ってもなんの効力もないよ、ちゃんと神様に誓ってください。子熊三兄弟も意味も分からずに乗っかろうとしない! お腹のあたりから眠そうな声で『ちかうー』って聞こえた。ミーくん、寝てたんじゃないのか。
「神さんに誓ってもええけど、俺らはアレやからな……」
「僕たちは差し障りがあるかもですね……。それに、動物たちの誓いですからこの国の神に誓っても通じない可能性もありますね」
「それよな。じゃあ、みんなの言葉が通じるセイに誓うか。ちょうどええやろ」
「そうですね、神力もお持ちですし、器としても問題無いと思います」
「人間やのにな。……ほんま、娑婆はおもろいわ。──なぁ、コテン、さっきの俺らのもやってくれ!」
「いいよー、セイに誓うのー?」
「待ってコテンくん、僕に誓うのに、僕の許可は?」
「心配しなくても、誓った側に言葉通りの制約ができるだけでセイにはなんの負担もないよー。いくよー、目をつぶってセイに祈ってねー」
「ちょ……」
「“【身の危険がない限り、今ここにいる生き物を攻撃しない】。この言の葉は神の風に乗り、神の水を流れ、神の地に積もり、神の火で光り、周り、巡り、集い【セイ】に戻り、【セイ】に誓う。──【結】”」
「あああああ」
風が大きく吹き抜けて、神泉樹から虹色の光の粒子が一斉に青空に舞い散った。そしてそれが細かい雨のように僕たちに降り注ぐ。……えええ、これ偶然だよね……?
ただ、コテンくんの言葉が分からないはずのみんなもちゃっかり目を瞑ってたし、コテンくん以外の全員分の誓いが僕にきたのは間違いない。
大丈夫なのかなぁ、もう……。




