#2 ティは燃えているか
【登場人物】
僕:主人公。日本人男性、元サラリーマン。特にブラック企業でも社畜というわけでもなかったが、自分なりに生き方を模索していたら何故か異世界転移。<指揮>のパーソナルスキルを発現した。ゲーム脳。
ウル:賢者。遠距離から回復魔法を使う。西アジア系の風貌で小柄、痩身、赤銅色の短髪。機嫌と関係なく、いつも神経質そうに眉根を寄せている。
ダナエ:重騎士。大盾で敵を3体ブロックできる。身長170cm前後で、メンバーの中では明確に大柄。短刀で雑に切っただけの金髪。近衛騎士だったが前線経験も豊富で、面倒見がいい。
ティ:正騎士。槍で1マス先の敵を突く、現状の最大火力。獣人。狼と少女の画像をモーフィングさせた78%少女よりの容姿。上官であるダナエを崇拝している。勝ち気で活発で、主人公にも遠慮がない。
エッダ:森の狩人。遠距離から弓攻撃をする。ぼさぼさの黒髪と泥だらけの顔で、いつもへらーっとしている。野生児。森の中で静かに光る双子を最初に発見した。
神子さま(双子):6歳くらいのキキララ。世界を救う女神の使徒。護衛対象。無口。
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#02 -Setup- 見えない要因
真昼。川沿いの岩場。
浅瀬を渡ってゴブリンが群れ来たる。
「ごめん! 外した!」
一段高い岩の上から、野性味を童顔に宿す射手、エッダが叫ぶ。ゴブリンの投石に額を打たれ、流血で視野が妨げられたようだ。
「引き受けた!」
大盾をふるって構えるのは高潔なる騎士、ダナエ。
「たあっ!」
その背後に控え、元気に叫んで槍を突き込む獣人の騎士、ティ。
ゴブリンの断末魔。
岩かげから、怜悧なる面持ちの寡黙な賢者、ウルが、エッダの負傷を癒す回復魔法を放つ。
この世界にとばされて7日。
ゴブリンの襲撃は、僕が参加してから4回目だ。
初戦に僕が敷いたこの布陣は、あまりにも完璧だった。
射手エッダが射程を生かして先制し、
ダナエが最前線で盾となり、
その背後からティが槍を突き、
賢者ウルは主にダナエの回復に集中する。
これでゴブリンたちは、自動ミートミンサーにベルトコンベヤで流し込まれる食用肉のように、次々とひしゃげつぶれて土に散らばっていく。
あまりの安定感に、脳が死ぬんじゃないかと不安になるほどだ。
そもそも、騎士の二人については戦闘のプロだ。
二人に任せておけば、そこそこ地力だけで大抵のことはできていたわけで、ぼくがドヤ顔で「指揮」なんていうほどのことは全くない。
ただ、ウルはだいぶ違う文化圏の文人だし、エッダは天然野生児だ。
普通にあの四人ならダナエが戦闘指揮をとっていただろう。
それはそれで大きな問題はなかったろうけど、彼女は軍人の使命感から、ティ以外の二人を後陣に遠ざけて、ティと二人だけでなんとかしようとしていただろう。
それは、戦果の問題だけではなく、チームの結束とか遠ざけられる二人の気持ちの問題とか、なんかどこかでうまくない感じがする。
女神召喚で寄せ集められた人たちが、ある程度バランスをとって連携するのに、誰かがルーターになる、そういう役職に、僕のようなわかりやすい異質なヤツが適していたのかな、なんて思う。
ともあれ連戦連勝、おかげで皆ともうまくやれている。
無論、個々のシチュエーションで多少の修正は要したし、トラブルが皆無というわけでもなかったけれど、あくまでも許容範囲の内だった。
しかし実際には、見えない負の何かが進行していたのだ。
僕は素人だ、先にそれがわかったわけはない。
でも、だからこそ、気を抜くには早すぎた。
そう、順調さに浮かれて油断していたのだ、僕は。
3体のゴブリンが2組、立て続けにダナエに近づいていた。
ダナエのブロック数とティの攻撃の回転力からすれば、2組目がダナエの盾に到達するまでに計4体にまで減らせているはずだ。だから、二人にそのまま任せておけば処理の手は足りる。
これまでの3戦で同じ状況はなかったが、その間に見せた二人のパフォーマンスなら十分にそう見込めると、僕には思えた。
数に焦ったのだろうか。
優先すべき目標を選ぶのに、迷いが生じたか。
ティの動きがにわかに精彩を欠き、
討つべき敵を仕留め損ね、
あろうことか、ダナエの盾とティの槍とが結構激しく接触する事故が起きた。
ダナエにとっても虚を突かれた一撃だったのだろう。
あのダナエが、僕が知る中では初めて、衝撃によろめいたほどだ。
それでもダナエはさすがの百戦錬磨、冷静そのもので立て直したが、ティはだめだった。
彼女にとって、ダナエは崇拝の対象ですらある先輩で、上官である。
その邪魔をした。
その大切な盾、高貴な盾、神聖な盾にぶつけた。傷をつけた。
彼女の傍らで、役割を果たせなかった。
ティは快活で腕っぷしは随一、軍人として鍛えられてもいて、ここまで一番の活躍をしてきたといってもいい。
だが、やはりまだ若いのか。
ほんの一瞬ではあった。
だがはっきりと、彼女の意識に空白は舞い降りた。
そしてその取り返しのつかない一瞬は、直後、我に返ったティをさらにパニックに陥れた。
「ティ、これだ!」
ダナエがゴブリンの1体を盾でノックバックし、ティの眼前に押し出した。
力強い指令にただ反応した身体が、その一体を的確に仕留める。
これで、ティは少なくとも乱戦時なりの平常心に返ることができた。
次のゴブリンが迫っている。今はダナエと二人、それに対処するほかない。
それはそれでよし。
しかし。
ゴブリンが2体、ティのパニックの隙にラインをすり抜けて、今、僕らのいる方に迫り来ている。ギリギリ、エッダの矢が一本だけ片方の腕を射たが、倒すには至らない。もう射程を過ぎたようだ。
ここにはぼくと、神子さま二人。
前線の騎士二人をここまで下げるのは無理だ、間に合わない。
あの時、初めての戦いの夜、同じシチュエーションで覚悟を決めた、その想いがよみがえる。
今度こそ、ぼくがやるしかない。
エッダの矢をうけた方のヤツが先だ。
殺せなくても、脚さえ壊せば神子さまには近づけまい。
膝頭に前蹴りだ。空手など知らんが、なんかで見た。
そういえば、急所攻撃は有効なのだろうか?
唾をのむ。
息を吐く。
全身が、緊張と恐怖でアホみたいにガクガクふるえた。
人体がこんなにわかりやすくふるえるものかと、脳の裏側で奇妙にさめて感心していたりする。
記憶がよみがえる。
就活で、はじめて面接を受けたとき。あれはひどかった。
緊張、という言葉の意味を、生まれて初めて思い知らされた。
僕がそれまでに「あー緊張するわー」とか言ってたのは、全部「想像上の緊張」だった。
ああ、これが「実物の緊張」なのだと、あの時、脊髄が理解した。
自分という人間が、この宇宙にいないかのようにさえ感じた。遠い遠いテレビ画面を眺めているような気分で、試験官の眼光にただ無防備にさらされていた。
もちろん結果は言うまでもない。
今となってはもう昔のこと、と言えるはずなのに、いまだに時々、不意に思い出しては心が真っ黒になる。
だがあの時でさえ、ふるえていたのは両ひざと両ひじと顔面だけだった。
突発的に一瞬だけ、靴音が響くほど震えた瞬間はあったけれども。
それに比べると今はもう、とうとう、脊髄までがふるえている。
全身の神経がもれなく死を恐れてこわばっている。
これはひどい。
だが、あの時とは違うぼくもいる。
何をすればいいかわからず半泣きになった青二才じゃない。
やるべきだとわかっていることを、やるか、やらないか、それだけだ。
やるしかない。
しょうがないじゃないか。
大成功なんて望むな。無理なんだから。
ただ、やれよ。
脳の裏側にいた自分が、業務命令を放ってくれる。
大丈夫、いや全然大丈夫ではないけれど、ああ、やるよ。
仕事だからね。
もしここを生き延びたら、
あるいはせめて、外見六歳児の神子さま二人を守れたら。
あの面接の日の悪夢も、僕の人生の「たし」だったのかな、なんて思っていいだろう。
と、ぼくの両脇で赤と青の光がぼんやりとふくれ始めた。
双子の神子さまが、ぼくのベルトを両側からつかんで引き留めるようにしたまま、女神の力をその身にまとっているのだ。
光は明るく濃く大きくなり、双子から解き放たれて、迫りくる2体のゴブリンめがけて飛んでいく。そしてそれぞれがゴブリンの体をすっぽりと包み込むと、どこかの闇にのみこむかのようにして、そのまま消えてしまった。
え?
なんだ、そのあっけないの?
不思議さよりも安堵がまさって、ぼくは尻から地面にへたり込んだ。
汗と呼吸が異常だった。だが、そのことに気づける程度に、今は落ち着いた。
神子さまにこんなことができるなら、そう無茶をして戦わなくてもいいんじゃないの?
なんて、ちょっと考えたりもした。
だがそれは、魔物を倒す戦いを通して蓄積してきた、例の女神様パワーを消耗して起こす奇跡だったのだ。
新しい戦士を召喚するために、みんなが戦って、その戦果として勝ち得てきた奇跡の力を、今、失敗の始末のために犠牲にしたのだった。
戦闘はその後、大きな事故なく終息した。
この戦闘でも女神のパワーは天から降ってきたが、明らかにかぼそかった。
そして、ゴブリン2体を消しとばすために失ったパワーは、そのささやかな戦果を明らかに上回った。
つまり、収支は、アカ。
ゴブリンを退けはした。
幸い、ウルの魔法で癒せないほどの深刻なけがは誰にもなかった。
そういう意味では、被害なし。
だが、ぼくがこの世界で戦いに加わって、これは最初の敗戦。
苦い敗北となった。
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ティは取り乱してはいなかった。
謝罪し、戦友をいたわり、武具を手入れして。
ただ彼女持ち前の活発さは失われていた。
何しろ、しおらしく僕にさえ謝罪してきたのだ。
僕もダナエも誰も、彼女個人を責める気などない。むしろ指揮官である僕や、教官役でもあるダナエの方が負うところが大きいわけで、その自覚もある。だがそこで、どっちがどうだという議論をしても意味はないだろう。
ティの顔に見てとれたもの。
疲れ。
悲しみ、焦り。
ギリギリこぼれないほどの涙。
罪悪感。
緊張。
失望。
青ざめた頬。
かわいた唇。
反省と悔恨。
そして、恥。
若い彼女の表情から読みとれるどれもが、僕の中にもある僕自身のものだった。
僕の中に、愛情が灯りふくれるのを感じる。
ああ、かつてあのとき。
あるいは、あのときに。
僕が味わってきた多くの失敗や敗北、自責の思い、自らへの失望、消えてしまいたいほどの恥。
彼女の方では、そんな僕の共感などは心外だろう、迷惑だろう。
だからことさらに、例えばハグしたり、慰めてみたり、そういうことはしない。
それはダナエで足りるだろう。
ただ僕は、この子のために何ができるのか、考えてみることにした
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#02 -intermission- 正騎士ティ①
日が傾くまで行軍し、見晴らしのいい川近くの手ごろな場所を見定めて、野営の準備に入る。
歩きながら、ふと気が付くと、エッダの姿が消えていることがある。
戻ってきたとき、彼女はたいてい、ウサギや鳥をもってきて、ついでになんかの葉や実も持ってきていて、それが皆の食糧になる。
エッダと一緒なら、森に沿って進む限り、少なくとも食に困ることはないらしい。
野営グッズは、ダナエとティが背負う軍用品ボックスにあらかた詰まっている。
ちょっと、聖闘士の聖衣が入ってそうな箱だ。
さしずめティは狼だけに那智、ダナエは……アルデバラン……かな……。
閑話休題。
簡易のタープのようなものに、毛織の分厚い敷物と、毛布、小さな飯盒のような器、たき火で簡単な調理をするための串やら支柱やら食器やら。
中にひとつ、ちょっと他の品の「実用重視ぶり」には不釣り合いな、工芸品めいた装飾つきの木箱がある。これはほくち箱で、火打石やらなんやら、火おこしに必要な道具、資材がひとまとめに入っているのだ。
タープを張って寝所をこしらえるのはエッダとウル、火まわりをセッティングするのは軍人の二人、そして僕は、火おこしを担当している。
もちろん、やったことなどなかったよ。
でも、みんな普通にできるみたいだったから、志願して、習得することにしたのだ。
火おこしは、誰にとってもあたりまえの、子供のころから覚えさせられる人生の基礎技術らしい。
僕らの現代の生活で言ったら何だろう。箸を使えるとか、自転車に乗れるとか、九九が言えるとか、そんな感じだろうか。
それでも、それができなきゃ生きていけないわけじゃない。
せいぜいが、状況によってはからかわれるぐらいだ。
僕が火起こしを知らないと申し出たとき、僕も、笑われたりからかわれたり、ティあたりが嬉々としていじってきたりするだろうとは思っていた。
だが違った。
すごく引かれた。
哀れみ、呆れ、心配。
そういったものが複雑に混ざり合って、彼女ら自身さえ不安に襲われたようだった。
「え、この人、大丈夫なの?」みたいな感じ。
自転車どころじゃない。
パンツのはき方がわからない人くらいの引かれ方だった。
だから、火起こしのことになると皆、僕に対して普段以上にていねいで優しくなる。
正直ツライ。
さあ、君のために準備は整えたぞ、今日もガンバッテやってみよう!
みたいな空気。
いや、ツラがっててもしょうがない。やるともさ。
ダナエのほくち箱は三段組で、一番上がふた、中断と下段は引き出しになっている。
大きさは、正月におせちを食べる重箱の三段重ねとだいたい同じくらいかな。
木工ということもあって、なんとなく、江戸の職人が作ったような風格を感じて、僕は別に工芸好きでも美術マニアでもないのに、なんだかうれしくなった。
いろいろ入っているけれど、メインはやっぱり火打石と、火打ち金(鉄かな?)だ。
ほかのみんなは、小さな腰袋にそれぞれ愛用のものを携帯している。だが、ダナエのこれは見た目立派だし、きれいに形のそろった道具が数セットそろっているし、他にもいろいろ入っているし、ティはなんだかやたらと恭しくそれらを扱うしで、ほんとに僕が触らせてもらうのがもったいないくらいだ。
ウルによると、品質もそうとうにイイものだそうで、少なくとも、ウルのいた地域で見つかる一番の高級品でもこれには及ばないというほどのものらしい。
それでもウル自身は、使い慣れたものがしっくりくるのだそうで、それはよく分かる気がする。
僕がそんな、人もうらやむ最高級品で練習させてもらえるということだけで、皆の憐みのほどがわかろうというものだ……(なにしろ、ティもダナエも、自分が普通に火をつけるときにはこの箱を使ってなかったのだ!)
さて、僕の教官役は日替わりで、この日はティだった。
彼女の個性なのか、軍人の特性なのか、昼のことでひどく落ち込んでいるという振る舞いはほとんど見せない。今、必要なことに意識を切り替え、集中している。そんな感じだ。
それでも普段よりテンションが低いのは明らかだけれど、それで気遣われる方が彼女には嫌なのだろうと思った。
「力じゃない、角度。火花をたくさん出すことにむきになってる。火花は一個でもいい」
もう何度も皆に言われてるアドバイス。
言われていることは分かる。分かってる。
だが火花を出すこと自体にやっきになっているんじゃない。
それが火種シート(なんかカピカピした2cm平方の粗い布か紙みたいなもの。名称はないというから僕が勝手にそう呼んでいる)に上手に落ちないから、イラっとして「数うちゃあたれ」みたいにやっちゃうんだな。
毎回、悪戦苦闘しながら、なんだかんだで最終的には火が付いたり、つかなかったり。
技術を習得するというのは、難しいものだね。
「これ、石の上で持った方がつけやすいって人もいるんだ。石をこう持ってね、指のここにこれをはさんで……」
ティがぐいっと身を寄せてきて、石持つ僕の手指を手に取り、別の持ち方を指導してくれる。
その親切にかかわらず、僕は思わず、本当に反射的に、身じろぎする。
理由は二つ。
一つは例の体臭、もう一つは、彼女が上半身むき出しの半裸姿なので、目のやり場に困るというか、そうも接近されるとやっぱりちょっと平静を装い難いというか、そういうことだ。
正直、体臭のほうはほぼ完全に慣れた。
もはや普段は感じないと言っていいほどに。
それでもある程度近づいたときに「あ、これこれ」という感じではにおうし、やっぱり不快は不快なので、それを彼女たちに悟られないように気を遣う。でもだんだん気にならなくなってきているのは、きっと、僕自身も同じにおいをまとい始めているからなのだろう。いっそ早く、僕もみんなと同じになれればいいのに、とさえ思う。
胸部の問題についてだが、これはティだけでなく、彼女ら全員が、裸、少なくとも上半身については露出することにほぼ無頓着で、こうしたリラックス時には割と当たり前にしているのである。
僕の方ではもちろん戸惑うし、やはりどうしてもドキドキはしてしまうのだが、いわゆる性的な興味で見るという気分は、自分で本当に意外なほど湧いてこない。おかしいね、オレもちゃんとそれなりにはスケベな男であるはずなのだが。
彼女たちは全員、男といえば幼い日の父の面影くらいにしか知らない。
ここは少なくとも数百年の間、女性が構成する女性中心の社会生活を、女性が動かし、女性が管理している世界なのだろう。
「男がいない代わりに、女"も"男のしていた仕事をしよう」
というのではない。
そもそもが、女性によって作られた社会なのだ。
そこに、マイノリティとして男性が加わっている。
だから、まるで仕事終わりの肉体労働者が汗だくのシャツをかなぐり捨てるように、平気で上半身を大気にさらして談笑する彼女たちの脇で、僕一人が目のやり場に困ってもじもじしていたとしても、それは僕が変なのではない。まして彼女たちに「つつしみ」がないのではない。この社会がそういうふうなのであって、図らずもそこに組み入れられた僕は、そういうふうにならざるを得ないというだけのことだ。
僕の知っている「あるところ」では、いわゆる、男女平等、女性の社会進出、自立、活躍ということが(少なくともタテマエとして)声高に叫ばれていた。だがそれは、本当の意味で男と女が共に対等に社会生活を営み動かそうというものには足りないように、僕には思えていた。
男が作ってきた場所に、女も入れるようにしよう、という発想なのだ。
その国は、千年かけて、男だけで、男の手で、男を中心にしてシステムや枠組みを作ってきてしまっているから、ただその枠組みの中に女性をはめ込もうとしたって、それだけでは平等とはならないのじゃないか。こわすところはぶっこわして、ゼロから、対等という前提まで戻ったところから組みなおすべきシステムや枠組みが、たぶん、たくさんあると思う。通勤形態とか勤務時間とか、町のつくりにいたるまで、全部だ。
必要なたとえかどうかわからないが、例えば、ある男子校が共学化して、仮にだが男子トイレしかなかったとして、女子もそこに入って使っていい、とするだけでは足りないだろう? 別に女子トイレを作ったり、音ヒメを入れたり、生理用品の扱いだったり、清掃だったり、ひっくるめて総合的に考えて変えていかないと、その学校は本当に共学化に取り組んでいるとは、評価できないだろう? 女性をVIP扱いしろというんじゃない。こっちを基準に同質化しようとするんじゃなくて、異質を認めて、そこまでもどって再構築すべきだってこと。
ぼくの知ってるその社会の「男女平等」は、もちろん、全く全然、ではないけれども、まだまだそういうところの手前だと思うところがある。
もっとも、それは正直めんどくさくてカネもかかる。
参加する全員が(つまり社会生活を共にするすべての人間が)「自分の損得を後回しにしてでも理想のためにいっしょにやろう!」と一致団結し続けて、百年くらいかければできるだろうか、というような話なのかもしれない。
残念だけど、ぼくの思ってる限りでは、ニンゲンはそこまで上等なイキモノではない。
きっと僕たちの「男女平等」はずっとこの先も、男子トイレに女子を慣れさせるかのような方向性で進むだろう。
もちろん、そうだったとしても、何もしないよりはずっとずっとずっと、いいに違いないのだけれど。
「おい、ボーっとするな」
狼少女にとがめられ、僕は我に返る。
考えに落ちた僕は、手が止まってしまっていたようだ。
「そういえば、肌をさらす風習がないから見るのも照れ臭いとか言ってたな」
そういうことにしている。
「そんなにめずらしいものか?」
言って、自分の胸をポリポリ掻く。
それはまあ、そうまちがっていない。
なるほど僕は(断じてそんなつもりじゃなかったのだが!)彼女の乳房を凝視して停止していたような態勢にあったようだ。あくまでも客観的な状況の描写としてな。
即座に謝罪する。
彼女の方では、仕事をなまけたことへの謝罪と受け取ったようで、軽く流してくれる。
「疲れているのはお互い様だよ、気にしないで。でも、早く夕食にしようよ」
ドキッとした。
ああっ、て思った。
今日、一番しんどいのは、彼女なんだ。
気遣いがどうのと言いながら、彼女の授業に集中しなかったのは失礼だった。
ざっとしたところで、ウルとダナエがオトナ、ティとエッダがコドモ(ほぼサル)という認識でいたせいもあって、このやさしい気遣いの言葉はダイレクトに胸に来た。
ゴメン。
彼女のやさしさに応えるためにも、早くやりとげよう。
意識を切り替える。
実際、叩けば火花は出るのだ。
モノが良いせいもあるかもしれないが、それは間違いない。
問題は、その火花を火種シートに着実に落とすことだ。
上手にやろうとすればするほど、角度を意識すればするほど石と鉄とがうまくカチ合わない。力任せにすれば火種シートを外れてしまう。今のは乗ったかと思っても着いていない。
ついついイラ立ってしまって、どうしてもカチカチと乱暴に扱ってしまう。
「雑になるのがいちばんよくない。そういうときは絶対うまくいかない」
ティが少し厳しい口調でとがめ、しかし言いながら、だんだん言葉じりが下がっていった。
おや?
「……今日の、私がそうだ」
ありゃりゃ、良くない方に飛び火した。
なんとなく空気が沈んでしまって、僕はひとまず手を止めた。
ティを見る。
育ってきた環境も、社会の背景も違うけれど、若い彼女の心の負担に、僕は共感する。
だれだってこんな時は落ち込むものだよね、と思うと、むしろ安心する。言い方は悪いけどね。
実を言うと、昼の戦闘での「事故」があってから、僕には陣形調整の腹案があった。
たいしたことではない。
ただ、ティが失敗したから、ティのために、それまでうまくいっていたやり方を直しましょうという形になるのはうまくないと思って、きっかけをさぐっている。
「私はもっとダナエ様と声を交わすべきだった。声を出せと、訓練ではよく言われる」
「うん」
確かに、ティをかばいたいダナエと、ダナエの負担を減らして彼女に認められたいティとの接触は、要するに連携のミスだ。ティの反省は正しい。
ただそれは、指揮をとる僕の立場から予測すべきだったことでもある。
彼女らがお互いを思う心、という要素は、僕のタスクリストにすでに書き込まれていたはずなのだから。
「けれど、多分、私は、ダナエ様とはもう息がピッタリで、何も言わなくてもわかり合っていると、か、勝手に、信じ込んで、いる」
あ、やばい。
ちょっと涙声になってきた。
どうしよう。
肩でも抱いてなぐめてあげるシーンか?
否。
なんだかわからんがそうじゃない気がする。
それこそ僕の勝手な思い込みだろうけれど、ティがそうして欲しいと思う人なのかどうか、僕なりに考える。選択肢の事前セーブはできないぞ。
というか、そもそも僕のガラじゃない。
「あんなことをしてしまった今でも、信じてるんだ。
でも、その私の心が、訓練の基本を怠る種だった」
「立派だね、ティ、それだけ自分で言えれば、僕は何も心配しない」
チン、と、火打ちを軽く打って火花を飛ばす。
「あ、ついた」
「え、ほんとに?」
間をつなぐ景気づけに、軽い気持ちで打っただけだったから焦ったけれど、意識して落ち着いてみる。
たしかに、小さな火種シートの片隅に、ほんの小さな赤い点が、じんわりと灯っている。
ティが少し多めに取り分けた麻糸のかたまりみたいなものを成形して、待ち受けてくれている。そこへ火種を包み込む。受け取って、息を吹きこむ。
ボハン!、と糸玉全体に引火。
消えないうちに、ティが組んでおいてくれた焚き付けに火を移していく。
いつも、このあたりの過程でも手間取るのだ。せっかくの火種を大きくしていくときに、大抵は急ぎすぎるせいで、消してしまう。
毛玉のパスも、焚き付けのスタンバイもティ任せだから、完全におんぶにだっこなわけだけれど、正直、ありがたく甘えさせてもらっている。ティの方針は、とにかく過程を理解して、できるようになってから、やれることを増やしていくということらしい。
二人で息を殺して(実際には息を吹きかけたりして)、焚き付けの具合を見守る。
ティがこちらを見てうなずく。
僕は恐る恐る、焚き付け用の細枝やら、杉の葉(みたいに見える何か)やら、小枝やらを足していく。
ここまでくると、キャンプでたき火をするのと同じ話。「マッチ」や「ライター」がなければできなかった部分はクリアしたと言える。
だがもう一度はじめからできるかどうかはわからん。はっきり言って自信はない。だからまだ緊張は解けない。
でも、なんだろう、火を見ていると、無性ににわくわくしてくるね。
「ぼくの国でも、集団で連携して敵を攻略する際に、声を出せー!って、よく教官が指導してるよ。だから正しいってわけじゃないかもしれないけど、間違いってこともないと思う」
「うん」
サッカーのコーチのことだけどね。余計なことまで説明するのは、いまはよそう。
「それで、それはそれとして、なんだけど」
一段階大きめの枝を手に取って、ティに示し、目で問う。
お許しが出る。
僕はそれを火にくべ、さらにいくつか足し、恐る恐る、だがある程度は確信をもって、息を吹きこむ。火は音を立てて揺らめき、戻ると、力を増す。
「ゴブリンが無傷のままでティたちのところまで来たときにさ、ティが一撃で倒すときと、そうじゃないときがあるよね。たぶん、3回に1回的中するくらいかな」
「そうかも」
パチン、と何かが炎の中で爆ぜた。ティが選別してくれた薪を、教わった形に入れていく。
「迷いが出たり、苦手な角度だったりするせいだと思う」
「僕もそう思う。力が足りないとか、武器が悪いとかじゃない、集中力とか、構えのちょっとしたクセとか、そういう差かなと思って見てた」
拾ってきて手で折っただけの枝たち。どれも形も大きさも違う。次々と二人で選び取ってはくべ、選び取ってはくべ。
「クセか……」
思うところあるような顔で、ティがつぶやいた。
「もし、それをね、3回に1回から、3回に2回にできたら、それくらいまで確実になったら、試してみたい配置があるんだ」
「陣形を変えちゃうのか?」
やっぱり、私のせいで、というカオ。
それとも僕の気にしすぎかな?
敏感すぎる彼女の鼻に、煙が入ったせいだろうか。
「今日のこととは関係ないよ。ティの精度が、半分より多いか少ないかが心配で、前くらいから僕の中で迷ってたんだ」
本当のことを言うと、それ自体はそれほど深刻で厳密なことではない。ただ問題のポイントをずらしたいための方便だ。僕は、彼女には自信マンマンで元気に戦ってほしいから。
「たぶんだけど、それがうまくいけば、もっとダナエの負担を減らせると思うんだ」
メラッ、と、熱気が揺らめいた。
こいつ、本当にダナエのためになりたいんだな……。
「任せて、ぜったいやる」
「すぐに、なんて思うなよ。本当にやれると思ったときに、教えて。
そのとき、ティが無理して背伸びしてるんじゃなくて、本当にやれるって僕にも納得できたら、指示を出すよ」
ティは黙ってうなずいた。
目がキラキラしていた。
そういうレトリックは昔からあるけれど、今、ティの目は本当にそう見える。
ギラギラじゃなくて、キラキラなところが、なんだかうれしい。
火はついた。
あとは見守るだけで、燃えつづけるだろう。
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一行は今、基本的に女神の祠を探して旅をしている。
これは各集落(あるいはその跡)周辺に残された小さな遺跡で、ここに神子さまを連れて行くと、例の女神パワーを注いで新しい戦士を召喚することができるそうだ。
一つの祠から呼び出せる数には限りがあるし、神子さまがストックしておけるパワーのキャパにも限界がある。祠にたどり着いても神子さまのパワーが切れていたり、逆に、パワーが充実しているのに祠が壊れて機能しなかったりと、色々らしい。
現状戦力は、ティ、ダナエ、エッダ、ウル、そして、僕。
ゴブリンの群れを掃討するだけならいいが、やはりこの先に向けて戦力を増強していきたいところだ。
祠の場所は、ひどく大まかには神子さまが預言で示してくれる。後は手探りだ。ただ、僕のいた日本で言うとお地蔵さんみたいなもののようで、そもそもが人の営みの中にあったはずのものだから、ある程度、場所のパターンは見えるのだそうだ。
ティと約束をした夜から三日過ぎた。
あの日から、彼女は時間をみつけては熱心に槍を振るっている。
その様子を見て、ダナエがもの問いたげな視線をこちらに向けることが二、三度あったが、無理をさせているというほどでなし、あえて口をはさまないつもりのようだ。
僕の火起こし教官は日替わりだ。
ウルは理屈でくる。
火花は下に落ちるのだから火種シートは石の下側で持つのが良いとか、万事そういう話が延々と展開する。
人によっては退屈だろう。
僕はといえば、日本の学校教育という壺の中にどっぷり漬け込まれて熟成しきった(なんなら腐敗しかねない)この身であるから、割合に相性はいい。
彼女の話はやや冗漫なところがあり、観念的な内容になるとほとんど意味が分からなかったが、目の前の道具を使って火をつけるという実際的な内容を扱う限りは、実に明確で的確で、分かりやすかった。目先の結果よりも本質を伝えようとするから回り道が多いが、少なくとも僕は聞いていて嫌な気持ちがしなかった。
ウルの方でもそういう聞き手は珍しいのだろうか、心なしか普段よりも上機嫌で講釈を続ける。その結果、実習が進まず、待ちきれない誰かがさっさと火をつけて料理を始めてしまうというのがパターンになってしまった。
小学生の時に通わされていた塾の先生が言ってたっけ。
「わかる」と「できる」は違うってね。
ただ明確な収穫はあった。
僕が使わせてもらっている、ダナエの軍用火口セット付属の(通称)火種シートだが、これはかなり上等なシロモノらしい。なんかのキノコの繊維を編み込んで乾燥させてさらにいろいろ加工されているだかで、火花がうつりやすいだけでなく、とにかく消えにくい。ウルに言わせるとむしろそこがこのアイテムの優れたポイントらしく、余程の悪条件が重ならない限り、シートに移った火花は赤い光点のままじっくりと、ゆっくりと、シートの端から端まで漂い続ける。
ウルが自分で火花をシートに落とし、僕に手渡して、なにもせずにただ見ていろと指示したことがある。ほんとうにそうだった。
ウルをはじめ、慣れているみんなは、その辺の枯葉とか、結構適当なもので火種を作ってしまう。この時、火花が移ったと見るや、サッと手で覆ったり息を吹きかけたり、とにかく非常に素早く処置して焚き付けに移してしまうのだ。
僕は、あの手際ができないといけないというイメージに囚われて、できもしないのに、火花を飛ばした後にわちゃわちゃして、どうしても焦って、慌てて、ふわふわしてしまっていた。ティもダナエも、焦らなくていい落ち着いてやれ、と言ってくれてはいたが、言葉で言われても心と体が馴染まなかった。
これについては、ウルが素材の違いを説明して、この特別な加工品の真価を納得させてくれたことが、僕には助けになったのだった。
一方、ダナエはあまりに対照的だ。
左手はこう持って、この指にシートをはさんで、右手はこう構えて、こう!……と、型をはっきり身につけさせようとする。一分のオリジナリティも認めない。道具の持ち方、構え、ひじの角度、目線、呼吸、全て、ダナエの手本と同じになるまで厳しくひたすらひたすら反復させられる。
現代っ子どまん中の僕はどうしても反発したくなる。戦前的な、体育会系的な、没個性的な教練……!
曰く。これで私は火がつく、他の何百人もついた、ティもできる、だがあなたはつかない。同じにしていると思っている状態と何が違うか、あなたは自分で分からねばならない。そのために、まずはこのやり方で火をつけられねばならない。というわけ。
色々と言い返したいが、おいらもオトナだ。ただの反発心と、必要な反論とを混同はすまい。彼女だって、100%ただの親切でわざわざ教えてくれているのだから。
なぜあのやり方を強要されるのか、なぜ、それでもつかないのか、その事実の差、その理由を、わが身をもって理解すべき。うん、なるほどもっともやもしれん。
これでも彼女なりに、軍隊で軍人に教えるよりはずっと優しく気づかってくれているのだろう。それはわかる。一応わかる。だがつらい!
正直、ティに教わってうまくいった時の感触がなんとなく残っている。
また、ウルに教わった理屈から、自分なりに考えるところもある。
だから、一番しんどいのは、ダナエがそれを許してくれない、認めてくれないことだ。まずは、彼女のやり方ができないと、僕の立場で何を言っても通らない。そんな壁を感じる。
「あなたの言い分はどれも間違いではない」
大人気なくも、ふてくされたそぶりが表に出てしまったようだ。ダナエが僕の肩に手を触れて、励ますようにささいた。
「だが、これは基本なんだ。これで正しく火がつくことの意味が分かれば、他のことも分かってくる。こうでなければいけないと、私が厳しくする意味も、あなたは必ず気づく。そうすれば、他のいろいろな技術や要素がそれに結びついていると感じられるはずだ。それは、今、さしあたり火がつきさえすればそれで良いとして、ただ火をつけて終わりにするよりも、大事なことなんだ。
それさえ分かれば、あとはあなたの自由にすればいい。
その時、本当に、あなたは技術をひとつ身につけたといえるのだ」
真正面からこんなことを言われて、僕は不覚にも感動してしまった。
力のみなぎる嘘のない目に射すくめられたせいもあるだろう。
厳しい厳しいダナエ先生が急に見せた優しさとのギャップのせいもあるだろう。
だが僕の心が揺れた一番のポイントは、いつか本で読んだ、伝統芸能の守破離の教えを、不意に思い出したことだった。
もちろん僕は伝統芸能には全く詳しくないよ。あんまり興味もない。
ただ偶然読んだ文章がなんとなく自分の理解として心に残っていただけ。
でもなんだかこの異世界で、自分の文化に通じる何かに触れた(かも?)という驚きが、僕の心の隙をついたのだった。
ダナエに教わって良かったと思ったのはこの時だった。
ただ、結果として。
彼女のやり方の通りに火をつけることは、どうしても最後までできなかった。
エッダ先生にいたってはめちゃくちゃだ(笑)。
そもそもこの森の狩人は(よく言えば)ある種の天才であり、人にものを説明するという習慣をほぼ持たない。
とりあえずスタンダードに火打石と火打金とで火を起こす。
僕はそれを真似てみるが、つかない。
すると少し構え方を変えて、火を起こしてみせる。
僕はそれを真似てみるが、つかない。
石と鉄を逆の手に持ち替えて火を起こしてみせる。
僕はそれを真似てみるが、つかない。
石の方を足ではさんでやってみせたり、火打ち金を口にくわえてキツツキみたいにしてみせたりする。それでも彼女はちゃんと火をつける。
僕はそれを真似てみるが、つかない。
寝そべってやってみたり、エビぞりになったり、仰向けのまま反り返って(首ブリッジ)やったりする。火はつく。
僕はそれを真似てみるが、つかない。
木の枝に膝でぶら下がって、逆さ吊りになって火をつける。
僕はそれを真似てみるが、つかない。
彼女の奇抜さはどんどんエスカレートして、それでももちろん毎回火はつく。
僕はさすがにもう無理だと泣き笑いの気持ちで真似てみるが、つかない。
とうとう火打ち石を使わなくなり、火打ち金も使わなくなり、
木片を擦り合わせたり、
落ち葉の中で回転して全身を擦り合わせたり、
太陽に向かって叫びながら不思議な踊りを踊ったりと、
エッダは火付けのありとあらゆる極意を披露してくれる。
とにかく毎回、火はつく。
その事実がある限り、僕は文句が言えない。実際に火がつくという自然の事実が目の前にある。プロセスは未解明だが現象は事実だ。
これを否定するのは科学ではない。
僕は寺田、中谷両先生への思いを胸に(?)、エッダの技芸に挑み続けた。
僕は愚直に追随し、彼女は新技を編み出し続ける。
もはや火付けの教練とは思えない、謎の大道芸が延々続く。
遠目に、ウルもダナエも呆れている。
ティはキャッキャと手を叩いて喜んでいる。馬鹿にしてからかっているのではない。心から喜び楽しんでいる。
切ない。
エッダは、なぜ自分のやり方で火が付くのか僕に説明できないし、真似をしている僕がなぜできないのか理解出来ない。
もちろん僕にも分からない。
ただ次々と試す。色々と試す。諦めずに試す。
もちろん、と言ってはエッダに申し訳ないけれど、成果は上がらなかった。
ただ、「常識にとらわれるな、可能性は宇宙の中で無限に広がっているのだ」という謎の勇気のような何かはもらえた。
エッダの方でも、一向にうまくいかないのに諦めず食らいつく僕の姿勢を喜び、満足を得たようだ。楽しそうに笑ってくれる笑顔が何よりの収穫だった 。
そんなこんなで、結局、意外なことだが、ティが一番いい先生役だった気がする。
柔軟で、バランスが良かった。
ああ見えて結構真面目で、人を見るのだ。いい意味で。
小学生の頃に通っていた塾の先生達を思い出す。
べらぼうに講義の上手い、おもしろいベテランの先生や、授業後も熱心にとことん質問対応してくれる優しい先生は人気だったけれど、生徒の方では、その人気の先生の近くにいる自分、というポジションに満足してしまって、案外、伸びないということがあった。結構、ちょっと頼りない新人とか、よく間違う人とか、嫌いな先生とかの授業の方が、こっちも集中して危機感もって頭を使うので、かえって結果につながったりもした。なにがいい、悪いというのは、わからないものだ。
四人とも、僕にはいい先生だし、どのやり方もそれぞれなりに僕のためになった。ほんとにそう思う。ただやっぱり、一番上達できたのは、今回はティの手ほどきのおかげだっただろう。
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#02 -mission- ソウル・リンク
さらに数日が廻った。
その晩は、本来エッダ教官の当番だったが、「ツノのあるヤツが獲れた」(シカ?)とのことで、解体するためにダナエとティを伴って川辺へ降りて行ってしまった。
ウルはその分、一人で野営のセッティングをしなければならないので、僕は一人で火おこしに挑戦する運びとなった。ダメならウルを手伝って、今日のところは彼女に火おこしをやってもらえばいいだろう。
いや、はじめからそうすべきじゃないだろうか?
考えながらもほくち箱を取り上げていると、下の方からエッダの声が響いてきた。
「ゴブリン来た! 群れがみっつ! 中、中、大!!」
僕とウルは目を見合わせてうなずき合い、神子さま二人の手を手にとって、戦士たちと合流すべく、川の方へと下りて行った。
夕日に映える川辺。対岸は森。こちらがやや広い川原になっていて、ゴブリンたちは森の奥からやってくるようだ。
なんでエッダはそんなことが、群れの数やら規模やらがわかるのだろう。僕の<指揮>スキルのような特殊能力だろうか。いつか聞いてみたいものだ。
「川際で迎え撃てば楽そうだな」
ダナエが、僕の意思をうかがうような口調で話しかけてきた。
確かに。
流れは深くも速くもないが、楽に渡れそうな橋も飛び石もない。ゴブリンたちは川をジャブジャブ突っ切ってこちらへ来るしかあるまい。
動きが鈍ればエッダのいい的になるし、騎士の二人が同時に相手取る数も抑えられる。
少なくともこちらから川に入る利はない。
魔物の狙いは神子さまであるから、僕らがその本営をずらせば、ある程度動線も誘導できるというもの、地の利としては、悪くない。
「エッダの配置を先に決めよう」
「ここー!」
やや上流、川の中ほどに背の高い岩がそそり立っていて、エッダはさっさとその上に移動していた。確かにそこしかなさそうだ。僕は<指揮>スキル越しに見える地形をさっさと検討して、彼女を起点に全員を配置する。
「ダナエはもう少しエッダに近い上流の、あの、ちょっと川が湾曲している岸辺のマスについて。ティはその1マスうしろね」
二人が黙ってうなずき、動き出す。
一瞬、ティがこちらに眼差しを投げた。
僕の勝手なイメージの中にあるティ(的なキャラ)だと、こんな時、こっちをビシィッと指差して、
「この時のために特訓したんだから!
アンタ、しっかり見てなさいよね!」
みたいなことを言いそうだ。
実物のティはしない。
目と背で語るのみ。
うん、伝わったよ、ティ。
「エッダの位置を考えると、私はあの岩陰でしょうね」
ウルがささやく。
「そうだね。ごめん、君だけぬれちゃうな」
言われてウルはこっちをひとにらみ。
「あなたが火をつけてくれるのでしょ?」
そっと言い放って、彼女は配置へ向かった。
……?
うぇ?
なんだ、いまの?
なんかわからんが不意を突かれた気がする。
ただ単に文句を言われただけかもしれないが。
その公算は非常に高いが。
だがあるいは何か、ちょっとした意味深な軽口だったのかも。
表情がいつものままだから全くわからない。
場違いにも、僕の方で勝手に、意味もなく動揺してしまった 。
さて。
魔物は待ってくれない。
気持ちを切り替えて、戦闘開始だ。
まずはこちらの作戦通り。
水に足を取られるゴブリンたちを、エッダの矢が快調に射貫く。
文字通り水際で待ち受ける騎士たちが、的確に処理していく。
中には投石などでエッダを狙うゴブリンもいるので、三人をすべてカバーできる位置についたウルが、随時、回復魔法を行使する。
僕らが出会った日、はじめての戦いで、僕はダナエとティを同じマスに横並びにした(マスというのは僕の<指揮>スキルによって僕だけに見えている便宜上の位置感覚だ。なぜか戦士たちに都合よく共有されている)。
しかしそれだと、敵の攻撃が二人に分散し、ウルの回復魔法の回転が間に合わなくなるために、耐久と防衛に優れた重騎士のダナエを前に、槍でレンジの長い正騎士のティをその背後にと、縦列で配置することで分担を明確にし、安定を図った。
以来、数戦にわたり、これが僕らの「定型」になった。
前回、ちょっとした「事故」があったけれども、僕から特に新しい指示はなし。
皆、心得て、定位置での役割についた。
「いち!」
「に!」
「に!」
「さん!」
「いち!」
「に!」
「いち!」
気合の入りまくったかけ声が、夕焼けまばゆい川面に響き渡る。
ティとダナエが、互いの狙うゴブリンを互いに知らせるために、声をかけ合っているのだ。
これは、ティ自身が僕に言っていたこと。
ダナエとも話をしたのだろう。改めて申し合わせるまでもなく、二人はしっかりかみ合っている。
叫んでいる数字は、彼女らの属した王国軍流の符丁だろうか。参考に、一度教わっておくべきかもしれない。
エッダの矢でダメージを負っている敵をダナエが引き受けて、一つ一つ止めを刺す。
ほぼノーダメージで来た元気そうなのをティが優先して狙い討つ。
ドラクエ4のAIにヤキモキした当時の歯痒さが脳裏をかすめ、僕は束の間、爽快感に酔った。
もともと息の合った二人だ。「本気」で連携すれば、それは見事なものである。
ティの集中は素晴らしかった。
もちろんいつでも皆、ちゃんと集中して戦っている。当然だ。命のやり取りなのだし、気を抜くわけもない。だがそれは、例えば、獲物を狩るとき、脅威と相対するときに、あらゆる生き物たちが当然に備える、いわば本能としての集中の、延長のものでもある。
だが。
修練に基づくさらなる集中。
人間として、知性あるからこそ到達できる、さらに磨かれた集中。
これが備わることは、こんな乱戦下では必ずしも容易ではない。
ピアニストが、沸き立つ情熱とあふれかえる興奮に心身を狂わせながらも決して運指を外さないような、そんな研ぎ澄まされた集中感覚。
今、ティは身の毛もよだつほど「目覚め」ていた。
次々と、ゴブリンの屍が川面を埋め、流れてゆく。
夕日に赤々と照らされているのでなければ、その血塗られた情景はもっと凄惨に見えただろうか。
川辺で戦闘になったのは、やはり基本的にはこちらに利した。
魔物たちの標的は神子さまたちなので、とにかく奴らはこっちへ向かってくる。
知能は高くないようだ。とにかく川を、浅かろうが深かろうがざぶざぶジャブジャブ、水かき分けてやってくるのである。
当然、速度は落ちるからエッダの矢を浴びる時間は長い。
当然、足腰を取られるから回避はままならず、まんまとティの槍の餌食となる。
ティの気合いと頑張りを、状況が後押ししてくれていると感じる。
女神様ってやつが結局なんなのか、日本育ちの僕には分からないけれど。
ちょっとだけ、その「ご加護」ってのを信じてもいいかな、って気分になった。
先日の接触事故以来、僕が考えたことの一つに、戦闘中、ちゃんと「見て」いなかったという反省があった。
僕に備わった<指揮>スキルとやらは、視界全体がモノトーンのマス目に区切られ、味方ユニットのパラメーターが数値で認識できるという、ゲーム小説らしい例の感じのやつだ。しかし、何度か安定の戦いをくり返す中で、開戦直後の配置時以外には、特に改めてそれを確認しようとしていなかった。
流していた。
それで特に問題なかったし、なんとなく大丈夫だったのだ。
大丈夫だったのだから、それ自体は悔いてもしょうがない。
だがやはり、それはいい仕事とは言えない。
結果オーライだけが仕事の成果ではない。
実戦の最中にこそ、彼女らをよく知り、次に繋げなければ。
こんな急な状況で、素人の僕にそこまでは……という自己弁護は、出来る。
でも、みんなに守られ面倒を見てもらって、そのおかげで一緒に生きていられるこの身として、それだけでは、僕は僕を認めてやれない。不甲斐ないじゃないか。
エッダが伝えてくれた「中、中、大」の最初の「中」、第一波が、そろそろ半ばを過ぎたかと思うころ、僕は<指揮>スキルを再度発動した。
ティが、真っ赤だった。
足元からオーラの火柱が噴出し、彼女の頭のてっぺんを越えて赤く赤くそびえ立っている。
一目でわかる。あれは。士気とか、気合、集中力、モチベーション、そういうやつだ。
ティの赤があまりにもまばゆいので、それに目を取られたが、エッダもウルもぼんやりそれなりにオーラが出ていて、ともに暖色系だ。ダナエはティの火に当てられたみたいに、他の二人よりやや高めでキープされている感じ。
ティだけが突き抜けてあんなにみなぎっているのは、もしかしたら、先日のコミュニケーションがグッドだったせいかもしれない。それがすべてではないにしろ、関連はある気がする。なるほど。それも、僕の仕事というわけか。
ティの赤い炎とダナエのそれとの間に、赤いラインが一本、繋がっている。
士気が充実した状態で二人を隣接させたことで、コンビネーションスキル<連携>が発動している……ゲーム脳的にはそういう解釈になるかな。
僕が「見た」のが初めてなだけで、これまでのどの戦闘でも、多かれ少なかれ、何かこういうことが進行していたのだろう。
知っているべきだった。ティの「事故」のおかげで気付かせてもらえた。
ティ、君がダメだったんじゃない。
僕に必要なことを、僕が知らなかったために、それを僕が知るために、君が犠牲になったんだ。
ごめんな。ありがとう。
そしてもうひとつ、当然気づくこと。
ティのそのまばゆいキャンプファイヤーは、急速というわけではないにしろ、はっきりそうと分かるほど着実に、小さく薄く暗く弱くなり続けている。
疲労のせいもあるだろうか。
だがダナエの方は、ほとんど変化がない。なんならちょっとずつ上がっているようにさえ見える。
おそらく、ティの士気の炎がこのまま枯れたとき、<連携>スキルも途絶えるのだろう。そして先日のあの「事故」は、きっと、そうやって起きたのだ。
放っておいてもひとまずは大丈夫だろう。
絶好調の二人が中心になって、このまま押さえ込んでくれるはずだ。
そう思っているうち、間もなく第一波は片付いた。
ティ、僕らはなんて言ったっけ。1/3を2/3にしたらって、言ってたっけ。
第一波で、ティが「仕留めるべき」だった無傷状態のゴブリンは計18体。
そのうち一撃で屠った数、16。
僕は、次の波に備え、今こそ動く必要を自覚した
「ティ、1マス前へ!」
第一波の最後のゴブリンが死んで、場に束の間の静寂が舞い降りた。
その時間を使って、僕は、あれ以来初めての配置換えを発令する。
ブルブルっと、ティの全身がわなないた。
初めて見た。あれ、きっと、武者震いってやつだ。
「元に戻すのか?」
ダナエがちょっと不審げにつぶやく。つぶやいただけだが、僕のスキルが発動しているせいか、隣にいるみたいに僕の耳に届いた。
「ダナエ、1マス後ろへ。ティと入れ替わりだ」
「……!」
何かを言いそうになって、危うく自制した。そんなダナエの様子が伝わってくる。
ティの保護者を自認する彼女にとって、隣ならまだしも、自分の前に出すというのは抵抗があるだろう。そこは申し訳ない。
ティが、颯爽と進み出る。
ダナエはしぶしぶそれとすれ違いつつ、もう一度だけ僕に、真意を問うように、そこそこ圧の高い視線を投げる。正直、ちょっとこわい。
「ダナエ様」
ティが、静かに燃える声で囁きかけた。
そして、
「私の槍を、信じなさい!」
吠える!
「……御意」
おお。
今のはアレだ。
はじめての戦いのとき、ダナエがティをさとしたときのセリフを、お返しした形だね。
あのとき僕は反対に、ティがダナエの背後へ下がよう指示した。抵抗を示したティを、ダナエは今のと同じ(もう少し洗練された)言い回しで従わせたのだ。
やるじゃない。
ダナエは、ここで僕と口論して状況を乱すような人じゃない。僕としてはそれがわかってて、そこに甘えた形になる。けれどもティとの絆が、結局は二人を良い方向へ引っ張っているように思う。
ちょっとだけ。
今、ちょっとだけ、何か引っかかったのだけれど。
まあ、そんなことを気にかけている暇はなし。
そして第二波は現れた。
ティを前に出したのは、敵勢が彼女の「手に負える」ゴブリンばかりなら、それもアリだろうと思えたからだ。まして今回は、敵が川に動きを取られて鈍化しているというボーナス付きだ。
ゴブリンを陸に上げないうちに、より早く槍をブチ込むことができる。
槍の射程限界で一撃。
ティの一歩手前で一撃。
ティと接触した直後に一撃。
ティの攻撃回転が上がっているせいもあって、3体同時に襲ってきたはずのゴブリン達が、何もできずに崩れ去った。
こうなると、ティ自身のブロック数が1だろうと0だろうと、100だろうと関係ない。
回復すらいらない。
何者も彼女のところまでたどり着けないのだ。
そして万一、取りこぼしたとしても、背後には絶対拾ってくれる盾、守護神ダナエが、でんと構えているのだ。
正直言うと、川のペナルティがない状態でフラットに考えた場合、ダナエが前衛のバージョンと比べて、どっちが効率的か……?
よくわからない。
ゴブリン相手である以上、どっちでもいいとも思う。
今回は川のおかげで、ティの優位が確かに際立ったけれど。
しかし、僕がこの形にした真の理由は、効率の問題ではない。
再び<指揮>スキルを発動。
どうだい、枯れかけていたティの士気ゲージが、ぐんぐん高まっている。
それに伴って、彼女の槍はより強く、早く、精密になっていく。
背後のダナエは反対に、ちょっとずつだが冷えていく。
さっき上げていた貯金があるから、まだもつとは思うけれど。
やはり人間、暇になると、余計なことをついつい考えて、知らぬ間ににネガティブになったりするものだ。あの堂々たる武人ダナエが、ちょっとすねちゃってる感じを勝手に想像して、失礼ながら、なんだかかわいらしく思えてしまった。
この二人は互いを強く想いあっている。
守る側は気合が入り、守られる側は歯がゆくなる。
二人並べば共によく戦うが、それぞれの真価、突出した長所は目立たなくなる。
めんどくせえといえばめんどくせえ。
でも、臨機応変の選択肢があることを、僕はポジティブにとらえていくべきだろう。
またたく間に第二波は殲滅された。
今までのゴブリンには、"素手ゴブリン"、"棍棒ゴブリン"、"石投げゴブリン"の、だいたい三種がいたが、この第二波では、鋤や鍬を持った、"農具ゴブリン"が初登場した。ティの槍の前では、全く何の違いもなかったけれどね。
ゴブリンたちが農耕をしているとは思えないから、どこかの村を襲って入手したものだろう。近くに集落(あるいはその跡)があるということなのかもしれない。
夕日は完全に没し、宵の濃紺が空を支配した。
獣人のティだけでなく、なぜかエッダも夜目が効くそうで、ひとまずここは灯り対策を慌てなくても何とか乗り切れそうだ。その点でも、ティを前に出して軸にする作戦は有効なのかもしれない。
と、森の向こうが、うっすら赤く明るみを帯びるのがわかった。
「わあ、火、火を持ってるよ!」
エッダが、珍しい生き物を見つけた子供のように、場違いな明るい声で叫んだ。
なんと"松明ゴブリン"登場だ。
「これはいい。今夜はあの火をもらおうじゃないか」
ダナエも愉快そうに朗らかな声を響かせる。
……。
あれ?
今の、もしかして、ちょっとだけ皮肉入ってた?
ゴブリンでさえ、オレより火を能く扱うのか……。
いや、よそう。
ダナエはそんな人じゃないよ!
勝手にヒクツになるな、オレ!
どうも、日本に長く暮らしすぎた弊害だ。
強く生きろ、オレ。
しかしともあれ、なんとなくみんなの心に、そんなことを言い合うだけの余裕があるのは確かだ。
ここまでほとんど無傷の完封勝利だもの。それは喜んでいいことだ。
だから、その一団が森の黒から姿を現したとき、戦慄は二倍に感じられた。
「大きい……」
ウルが思わず、そのままを口にした。彼女にしては珍しいことだ。
"松明ゴブリン"をはじめとした群れのほとんどは、今までと同じ、せいぜい身長130cmくらいまでかな。小柄な女戦士達よりさらに小さいやつらばかりだ。
その中に、ひときわでかいのが3体。
松明の灯りを下から浴びて、威容をひけらかすように突っ立っている。
3mはないか。2.5mはありそうだ。
頭の中に、バスケのゴールがチラつく。ヤツなら直立ダンク確定だ。
一瞬、オークとかオウガとか、別種の大型の亜人を想像したけれど、オークは豚の顔をしているし、オウガは「鬼」の訳語になるくらいだから、ツノがあるだろう(もちろんそれは単なる僕のゲーム知識であって、この世界にどんな奴がいてどう呼ばれているかなんて本当はわからない)。
とにかく、あれは、ただのでかいゴブリンだ。
ホブゴブリンってとこかな(もっとも、ホブゴブリンをでかいゴブリンと定義づけたのはたしかトールキンあたりで、おとぎ話では靴屋の小人みたいなやつをそう呼ぶんだよね。もちろんそれは僕の側の知識であって以下略)。
「ティ、ダナエ、もう一度前後交代だ。でかいのはダナエが受け止めて、ティが仕留めろ!」
「「任された!」」
今度は完全に納得した二人の応答が、心地よく唱和する。
ティが信じるダナエの盾は、どんな重い打撃をも受け止めるだろう。
ダナエが信ずるティの槍は、どんな巨大な敵をも貫くだろう。
ダナエは前に出るや、気合が膨張、抑えていた力が時を得たとばかりにあふれ出ている。
ティの方も、第二波でため込んだ気合がすぐに消失することはない。
再び、二人を赤い糸が結ぶ。
それは、勝利を約束する、熱い絆の証だった。
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#02 -report- 台風一過
「話がある」
戦い終わって一息ついて、皆がめいめい、自分のやることを見つけて動き出したのを見計らって、ダナエが僕を捕まえた。
ちょっと緊張感がある。
怒ってはいないようだが、不満を言いたいはずだ。ティのことだろう。
僕はうなずいて、二人でたき火を囲んだ。
ゴブリンの死体の山から、ダナエが松明を確保してきて作ったものだ。
防御に劣るティを前に出した今回の作戦。いわゆる結果オーライではあったが、本人たちの納得なく「無茶ぶり」をして驚かせたのは事実だ。ダナエは真面目で責任感が強く、またティの危険には特に敏感なのも、僕は分かっている。
僕の方でも、話した方がいいと思っていた。
言い訳はある。僕は戦闘は不慣れで、そう先まで見通せないし、考えてるうちにゴブリンが来ちゃったのだ。事前の相談やブリーフイングに時間を割く頭が回らなかった。
だけどまずは、前線に立つ彼女に敬意を払って、謝罪と説明をし、不満を聞くべきだろう。
ダナエの方から来てくれた機会を大事にしなければいけない。
バイトで言うと、エリアマネージャーと店長の関係みたいになるのかな。
しかも実務経験では店長の方が上。
僕としては、自分の采配に一応の自信があったし、結果も出したつもり。
でも、だから説明は不要、とはしたくない。
僕たちは仲間だ。
彼女たちとの関係は僕の生命線だが、それだけでもなく、大切にしたい。
わだかまりを解消するために話し合うのは、必要なことだ。
しばし沈黙。
促そうかと何度か考えたけれど、待つ。
話しかけてきたのはダナエの方だから。
この緊張感。これ、異世界とか関係ないよね。
たぶんだけど、彼女の方でも、僕にどこまで言うべきかここへ来て考えちゃってる。
勝ったのに不満を言うべきか、とか、言うにしてもどういう言い方をすべきか、とか、いざとなると迷うものだ。軍人として長いダナエには、良くも悪くも上意下達を重んずるところが強い。明らかに素人の僕に対してすら、ひとたび指揮官と定めたからには秩序を乱さず、と、尊重してくれている。
今回はティのことで感情が出たものの、やはり葛藤があるのかもしれない。
感情に任せてわめき立てるタイプじゃないのは、本当に助かる。
感情でくる相手には説明が通用しない。なだめる事しかできない。そうなるとこっちの選択肢は、相手を肯定してやり過ごすか、否定して切り捨てるかに絞られがちになる。生産的な前進が望みにくい。なんならそれを武器にして自分を通そうとする人もいる。
ダナエはそういう人じゃないみたいだ。
だからこその沈黙、だからこその緊迫感、圧迫感ではあるけれど、僕にはこの方がありがたい。
緊張しながらも、待つ。
「今日の」
「あ、ダナエさまー!」
やっとダナエが顔を上げて何か言いかけたとき、夜闇の向こうから陽気な声が響き渡った。ティだ。
返り血まみれの武具をざっと洗い終えて、川辺から戻ってきたようだ。
両脇にダナエの大盾と剣と、自分の槍とを抱えて、のっしのっしと歩いてくる。
やっぱり力あるんだな……。
「ダナエ様!」
なんかキラッキラしている。
「ああ、ティ、ありがとう。ご苦労さま」
「はい!」
武具は血のりを落としただけなので、びしょ濡れで、僕の目にも何か脂っこくいい状態には見えないが、ここからの手入れは各々が自分でやるのだろうか。
「見ててくれましたか? 今日、わたし!」
ティは終始笑顔だ。
こちらの空気がちょっと重めだったことなど、まったく意にも介さない。
「あ、ああ、もちろんだ。素晴らしかった」
ティの放つ光のオーラに引きずられるように、ダナエも戸惑いながら微笑む。
へへへ、と、喜び照れるティ。
「あの、わたし、むかしダナエ様に言われたクセを直してみたんです。
"右へ払って右へ突く"のときに、踏み足が重心を外れるっていうやつ」
「そうだな、私も思ったよ、驚いた」
「あの、できてましたか?」
「ああ、美しかった。よくできたな」
「練習したんです。できてるからいいや、じゃなくて、もっとちゃんとやろうと思ったら、そのことを思い出して、そしたら、すっごい、前とぜんぜん違うって分かりました。ありがとうございました!」
ティの全てのセリフが遠くの山にこだまして、夜空にわんわんなっている。
僕もダナエも、ほほえましいやら、ちょっとおかしいやらで、でも笑うのも悪いしで、ティの勢いに気圧されながら、変な顔になってしまっていた。
「基本の価値がわかるのは大事だ」
「はい、ダナエ様の言ってた通りでした、わたし、わたし、わかりました!」
「これからも見てるよ」
「はい、見ててください、見ててください、
ダナエ様、わたし、まだもっと強くなれるって、今日、ホントに思いました。
あ、今日のぶんまだやってないんで、稽古してきます!」
言うや一礼し、槍を担いで走り去った。
台風みたいだった。
「今日のぶんって、さっきもうさんざん振っただろうに」
ティの走り去った背へ向けて、僕が苦笑交じりにつぶやくと、ダナエもおかしそうにクックッと喉を鳴らした。
静寂。
たき火が爆ぜる。
やさしい夜風が炎をなでる。
なんとなく二人、目があって、どちらともなく咳払いなどして。
毒気が抜かれるってのは、こういう感じかな。
さっきまで何を考えてたんだっけ。
ティの笑顔が頭にいっぱいで、僕まで胸があったかい。
おかげでダナエと相対するのも、ずっと気が楽になった。
今度は、僕から口を切る。
「ええと、それで?」
うかがうようにダナエの目を見る。
紫がかった暗い色の瞳が、炎に照らされて穏やかに輝いて見える。
小さなため息。微笑み。
「あなたを信じる。それだけだ」
言ってゆっくり立ち上がり、水濡れの武具をとって、去る。
僕は黙って、その背を見送った。
やれやれ。
なんというか、どうもティには救われっぱなしじゃないか。
本人には何の自覚もないだろうけれど。
生意気な小娘。足を向けて寝られないな。
「ここ、干しますね」
背後からウルの声。
彼女だけが、戦闘中に水に浸かっていたから、ずぶ濡れになったついでに衣服を洗ってきたようだ。
僕がつけた火じゃなくてわるいね、なんて。
僕は、いつにも増してやさしいほんわかした気持ちで振り返り、
「ふわあっ!!」
と、思わず奇声をあげてしまった。
目の前に、腰巻ひとつのウルの痩身。
褐色の濡れた裸体が、炎に照らされ揺らめいている。
驚いただけ、驚いただけだ。
もうさすがに、彼女らが半裸で振る舞うのには慣れてきたはずだ。
見慣れた、なんて言うと語弊があるかもしれないが、僕の中に心構えがそこそこきちんとできるようになっているはずなのだ。
だが今は、完全に不意を突かれた。
ティとダナエのことで心が緩んでいたからな。
それだけ、それだけなんだ。
だから思わずぼうぜん自失して、ウルの体に見とれて、ちょっとだけ胸とかをそういう目で見てしまって、顔と体が熱くなったとしても、それは本当に、僕にとっては本意ではないというか、その、つまり、結局、僕は僕の中で何のためにこんなに言い訳を重ねているのだろう?
「変ですか?」
僕の大声に逆に驚いたウルが、訝しげに問う。
その声がなんだか普段より冷たく思えるのは、僕の中に勝手な負い目があるせいだろう。
「いや、ぜんぜん」
僕はしぼり出す。
やましさを秘めた胸の内を隠したくて、目を合わせられない。
「不意だったから、驚いちゃって、その、ゴメン」
本気で謝った。
いつものことだが、彼女は冷静そのもの。それ以上気にする様子もない。
たき火の前に腰かけて、体を温める。
「ご、ゴメン、ぼく、ねる」
「そう」
言語中枢がイカれた僕は立ち上がり、よそよそしくその場を辞した。
ウルがおやすみを言わなかったのは、僕が言わなかったからかな。
彼女をたき火に残し、僕はタープの下で毛布にくるまった。
瞳を閉じて、ひたすら念じる。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中……
当分、眠れる気がしない。
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to be continued
(Defense Corps ; Complex)
次回、「センス・オブ・エッダー」
ご期待ください。