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「お嬢様……、お止め下さい。これでは私が旦那様に怒られてしまいます」
「じゃあ、この場はこれでおしまいね」
顔を上げてバルタに笑顔を送ると、ぱちんと胸の前で手を叩き、終いの合図にする。しょうがない上司でも見るように呆れ顔をしていたバルタだったが、キリリとしたいつもの顔に戻ると周りにいた使用人たちを次々睨みつけていく。彼女に怒られまいと、使用人たちは自分たちの仕事へそそくさと戻っていった。
それは私がぶつかった彼女も同じだった。
「あ! ねぇあなた!」
彼女を逃すまいと慌てて声を掛けて呼び止める。後ろを向いて立ち去ろうとしていた彼女はピタリと歩みを止めると、ふわりとこちらに振り向いた。
「はい、何でしょうか」
なんというか。これが彼女の平常運転なのだろうけど、あまりに感情の籠っていない声だから、少しだけ声を掛けたことに後ろめたさを感じてしまう。一人でに少し落ち込んだものの、気を取り直して彼女に問いかけた。
「さっきのって魔法、よね? あなたが使ったの?」
ピクリと表情が固まった。正式には全く表情は変化しているようには見えなかったけれど、彼女の纏う空気が変わったのを感じたのだ。どこかピリついたものに。
「私が魔法を使えるのだとしたら、どうするのですか?」
「え?」
予想もしない答え、というか問いかけに驚いてしまう。
(どうするも何も……)
一体彼女は何を聞きたいのだろう。その真意がわからず黙り込んでしまう。すると何かを察したように彼女は目を逸らした。
「使用人が魔法を使うのが、貴族さまは本当にお嫌いなのですね」
その冷たい眼差しは、いままで彼女が負ってきた傷を感じさせるものだった。ゾクリと背筋が震える反面、彼女にこのまま誤解されたくないと強く思った。
私がどうしようか悩んでいると、その様子からもう用はないと思ったのか彼女はまた背を向けると歩き出してしまった。
「待って!」
どうしてもこのまま別れるわけにはいかない。思わず彼女に駆け寄り、手を掴む。顔を見ることができず目を瞑って勢いのまま彼女に本音をぶつける。
「私、魔法が全く使えないの。だから、もしあなたがよければ私に魔法を教えてくれないかしら」
これはきっと彼女にしか頼めないものだ。ベルフェリト公爵家の中で魔法を全く使えないのは私だけ。両親と兄はもちろんのこと、3つ下の妹までもが多少なりとも魔法を使えている。
しかし私は全く使えないのだ。もう本当に。これっぽちも、魔法のまの字もないほどに。だが、父はそのことを逆に良しとしてしまっている。その理由はただひとえに私の前世がリヴェリオだから。
私は魔法を使えないまま大人になりたくなかった。私は女だし、力もないから剣を振るう事はできない。護身術を習ってはいるものの、それだって大して役に立つかどうかわからない。女性が力の差がある相手に対して身を守る術を持つためには、どうしたって魔法しかない。いつか一人になったときに身を守る術がどうしてもほしいのだ。
一瞬言葉を詰まった彼女だったが、どうしても言いたかったのだろう。使用人とは思えないほど辛辣な言葉を投げた。
「それ、普通使用人に頼みます?」
痛いところを付かれ、グサリとその言葉が胸を貫く。思ったよりダメージがでかい。しかし、私には今彼女にしか頼めないのだ。
「でも、だって、あなたしか頼めないんだもの……」
語尾になるにしたがい声が小さくなってしまう。口をとがらせながら、次第に視線は下にいってしまう。
「ふっ」
そんな貴族らしからぬ私の様子がおかしかったのか、彼女が微かに噴き出すのが聞こえた。パッと顔を上げる。握った手を口元に持っていき、堪えているようだったが、すぐに無表情に戻ってしまった。
ゴホンと咳払いをする。
「わかりました。私で宜しければ教えてさしあげます。でも使えるようになるかは保証できませんよ」
「いいわそれでも、ありがとう!」
どういう風の吹きわましなのだろう。しかし、彼女がまさか承諾してくれるとは思わず、自然と笑顔が零れる。
「そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわね」
「ミリアです。ただのミリア」
「そうミリア! よろしくね。私の事はエスティって呼んで」
「それは無理です」
相変わらず感情の籠っていない声だったけれど、もうそんなことは気にならなかった。ただ魔法を使えるようになるかもしれないという期待で、今は胸がいっぱいだった。
これが私の初めての友達。
ミリアとの出会いだった。
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