1-13
「殿下は御自分の前世が嫌いですか?」
なるべく優しく伝わるように問いかけた。今の彼はきっと前世に対してあまり良い思いをしていない。それでも生まれ変わった自分を否定してほしくなかった。
私は生まれ変われてよかったと思う。
だってあのまま死んでしまっていては、あまりにも私の前世が可哀そうだった。たとえそれで私の価値観や生き方が大きく変わってしまったとしても。たとえもう人並みの幸せを望めなくなっても。
きっと私は私の前世が好きなのだ。私になる前の私だけど、彼も私だから、好きなのだ。
「わかりません。すごい人なのだと思うけど、あまりにも私は彼じゃないから」
恐らく彼はまだそこまで前世の記憶を思い出していない。そんな未熟な状態で自分を嫌悪していたらきっと苦しい。
私も昔、苦しかった。自分の一部を嫌い続けながら生きていくのはきっとずっと苦しい。だから彼にはそんな風に生き続けてほしくない。
私の目的は彼に嫌われること。
でもそれは彼が嫌いだからじゃない。
救えるなら救いたい。だって私と同じ苦しみを抱えるかもしれない人をどうしても放ってなんて置けないから。きっとこれは私じゃなくて、リヴェリオとしての感情なのだろう。
彼は本当にやさしい人だったから。
それが原因で殺されてしまったのだけれど。
でも私は彼に起因したこの感情を否定したくないし、背きたいとも思わない。反対に従いたいと思う。
それは彼も私だと受け入れたから。そうしたほうがきっと私も、そして私の中の彼も楽に生きられると思ったから。まあ前世は死んでいるから生きるもなにもないのだけど。
「殿下、誰かを嫌いになるのと好きになるの。どちらが楽ですか?」
「え?」
「私は嫌いになる方が楽だと思います。だって人の粗を探すのはとっても簡単ですもの。では殿下、自分を好きになるのと、嫌いになるのどちらが楽ですか?」
「自分、ですか?」
「はい」
私の的を射ない問いに不審気味に問いかける。きっと彼の話を置いてけぼりにしたから、まともに取り合ってくれないと思われたのだろう。それでも彼はどうにか答えを出そうと考えてくれていた。
(優しい方なのね)
賢い方だから、きっと私のような者の言葉など相手にせず適当に答えてしまえるだろう。ましてや今、彼は前世について相当悩んでいる。しかし、そうせずに真剣に私と向き合ってくれているのは、彼の根本に優しさがあるからなのだと思う。
「私は自分を好きになるほうが楽だと思います。確かに自分自身の事ですから、他の方よりもっと悪い部分を見つけるのは簡単でしょう。でも私は他人じゃありません、いつだって私は私に付き纏う。そんな四六時中一緒にいる相手を嫌いになってしまっては、生きづらくて仕方なくなると思いませんか?」
できるだけ彼に伝わるように、できれば前世を受け入れてくれるようになってほしかった。前世を思い出して、受け入れられるようになるまで間、私は本当に苦しい毎日を送っていた。
いつか前世が私に変わって、私がいなくなってしまうのではないかという恐怖。それは味わったものにしかわからない感覚だろう。しかし、前世の記憶をある程度思い出した今、結局私は私のままだった。前世に乗っ取られるなんてこと、全くなかった。
だから、恐れなくてもいい。嫌わなくてもいいということを知ってほしかった。
「前世も同じです。いつか前世の記憶をいっぱい思い出して、前世が殿下の一部になったとき、きっと前世を嫌いになってしまっていてはすごく苦しいと思います」
たとえ周りの人がなんと言おうとも、結局前世は私なのだ。ならばそれを受け入れて、好きになって生きていくほうがずっと楽だから。
「それに前世を好きでいなくちゃ、前世の自分が可哀そうです」
今の時代に前世の私を好きでいてくれる人物なんていない。いるとしたらそれは自分だけだ。
ずっと幸せになりたかった私。でもなれなかった私。
ならば今世の私が叶えたってそれは許されることでしょう?
私はそんな自分を、幸せになりたかった私を否定なんてさせたくなかった。本当は彼を説得しているのだって、ただその持論を否定したくないだけなのかもしれない。それでも、それが私にとって大切なことで、きっと彼にとっても今必要な言葉だと思ったからこうして伝えているのだ。
(もしかしたらこのお節介が、前世の死の原因かもしれないわね)
もしそうなら、きっと私も死んでしまっても良かったと思えたかもしれない。けど、そんな理想はきっとあの世界には存在していない。
とはいえ持論をここまで並べ立てたのは今まで無かったから、少し恥ずかしい。そう思うと彼の反応が怖くて顔を見れなかった。
しかし、しばらくったっても彼からなにも反応が返ってこず、少し不安になる。もしかしたら結構怒ってしまったのかも。
思い返せば王子を諭すような話し方をしてしまったし。あまりに無礼すぎて声も出さず怒っているんじゃ……。
その恐ろしいが現実になってやしないかと、恐る恐る顔を上げて彼を見た。
どうやら彼は怒ってはいないようだ。ただ、感情もなくただただ真顔で私を見ていた。
しかし、次の瞬間つうっと彼の頬に1滴の涙が伝ったのが見えた。
「殿下⁈」
気づけば両目からぽろぽろと涙がとめどなく零れている。茫然とした顔をしているから一見泣いていると気づかなかっただけだった。
やっぽりまずいことを言ってしまったのか?
泣くほど怒っているのか?それともなにか彼を傷つけることを言ってしまったのかも。
慌てて椅子から立ち上がり、とりあえず謝ろうと頭をおもいきり下げようとしたとき、彼の口から微かに何か呟く声が聞こえた。
「そう、だったのか……」
「え? で、殿下?」
あまりに小さな声で小さなテーブルを挟んだ距離なのに、聞き取れなかった。思わず聞き返す。
すると彼は、いまだ涙を流す瞳を瞑り下を向いた。瞑った瞬間には大粒の涙が頬を伝っていた。
もう一度目を開けると、彼は私をまっすぐに見つめた。とてもやさしい眼差しで。
「僕はずっと苦しかった。皆が言う私に応えられるかどうか。だから前世なんて無ければ良かったと、思っていた。でもそう思えば思うほど苦しくなって。それがどうしてかわからなかったんだ。でもあなたの言葉でわかった。自分を嫌いになろうとしていたから、こんなに苦しかったんだって。そんな簡単なことにも気づかなかったなんて」
僕は莫迦だな。そう続けて笑った。今までにない綺麗な笑顔だった。
気を抜くとどうやら一人称が「僕」になるみたいだ。しかし、それが彼の本心から言葉だと伝わる。
(良かった、私の思いは彼にちゃんと届いた)
それがとてもうれしかった。私もつられていつの間にか笑顔になっていた。