世界の果てに、君がいるから
私の世界には、色が無い。
友達はいないわけじゃない。
いじめられてるわけじゃない。
多分いじめもやってない。
それを決めるのは自分ではないから断言はできないけど。
勉強はそれなりに出来る。
行きたいと望めば、その進学先にはきっと受かるだろう。
でも。
この世界には光がない。
雨雲のような、影のような灰色。
いつからかは覚えていない。
子供の頃の記憶には色があるから、きっと私はそれを失ってしまったんだろう。
もちろんそんなこと、友達には言えない。
普通じゃない人間なんてあの輪の中にはいらないのだから。
その代わり、担任に言った。
なぜもっと上を目指さないのか。
始まりは二者面談での、担任のそんな言葉だった。
辛いんです、と私が言うと、担任は真顔で聞いてきた。
何が辛いんだ?
何が大変なんだ?
何が不満なんだ?
その矢継ぎ早の質問に、一言も答えられなかった。
私は本当に駄目な人間なんだろう。
***
この色の無い世界で、私が唯一好きなもの。
それは月だ。
月の出る夜はいつも、部屋の窓から月を見つめる。
明かりを消して、スマホから小さく流す「月光」。
そう、有名なベートーベンの月光だ。
彼は本当は月のことなど考えていないと、いつかどこかで読んだけれど。
そんなことはどうでもよかった。
太陽は眩し過ぎて見るのが辛い。
どんなに足掻いても、あんなに自分を輝かすことなどできない。
月はただその光を受けるだけだ。
それであんなに美しく輝いている。
誰にも知られずに、夜が明けるまでずっと静かに。
月になれたらいいのに。
そうして死ねたら、どんなに幸せだろう。
***
その夜も私は月を見ていた。
助けて欲しい。
そう月に願って、そして思う。
誰に?
どうすれば、私は助かるのだろうか。
このまま流されて生きていくのがいいのだろうか。
それとも-。
「死にたい」
ぽつりと漏れた声に、耳を疑う。
確かに今動いたのは自分の口だ。
でも、そんなこと言ってない。
第一、聞こえたのは自分の声じゃない。
聞いたことの無い、男の人の声だ。
「死にたい」
「・・・違う、私、そんなこと」
「・・・!」
自分の声が、どこか遠くで聞こえた。
そして、誰かが息を呑む様子も。
「・・・なんだ、これ」
自分の口から出てくる男の人の声が、ひどく狼狽えている。
だからだろうか。
少しだけ、怖さや気味の悪さが薄らいだ。
「・・・あの、もしもし」
「・・・もう死んでるのか?・・・自分から女子の声とか」
「あなたの声、私の口から聞こえてますよ」
「・・・君、誰?・・・なんでこんなことするの?」
「私じゃない。私だって全然分からないし。・・・あなた、誰ですか?」
「そっちこそ誰なの??・・・俺が死ぬの、邪魔しないでよ」
互いに質問ばかりで埒が明かない。
見上げれば、月は先程と変わらず優しい輝きを放っている。
私は大きく深呼吸して、一歩引いた。
「私は、月を見てたの。それ以外は何もしてない。別に、死のうともしてない」
長い沈黙があった。
そして、私の口元が小さくため息をついた。
もちろん、私自身じゃない。
「・・・俺も月を見てた。死のうとは・・・いつも思ってるけど、死ねないでいる」
「そうなんだ、偉いね」
「・・・は?何、言って」
「死のうと思えるのが、偉いと思うから言っただけ。私にはそう思うこともできないから」
そこでふと、自殺した子供のニュースを取り上げたテレビ番組のことを思い出した。
そこでは、死ぬ勇気があるならその勇気を生きるために使ってほしい、と涙ながらに語っていた。
果たして死ぬ勇気と生きる勇気は一緒のものだろうか。
そもそも自ら死ぬことは勇気なのだろうか。
それならば私は、何の勇気も持っていない。
生きる勇気も、死ぬ勇気も。
「・・・泣いてるの?」
少し心配そうな声。
何度か聞いているうちに思う。
きっと自分と大して変わらない年頃の子だろう。
「・・・泣いてない」
「そっか、ならいいけど・・・元気、だしなよ」
その言葉に、思わず笑ってしまう。
「なんだよ、せっかく人が」
「死のうとしてた人に元気づけられちゃったと思って」
「・・・確かに」
「それなら私だって言うよ。・・・元気は・・・無理なら出さなくてもいい」
「・・・うん」
「ただ、少しだけ、話しませんか?」
「・・・いいよ」
不思議な気分だった。
でもきっと、朝になれば戻ってしまうんだろう。
月が繋げてくれたのかもしれない。
絶望して、地上から見上げた私の願いを。
「あ、ちょっと待って。じゃあ、スマホの音消そうかな」
「あ、俺も」
ふと気になって尋ねた。
「何か聞いてたの?」
「・・・月光って、クラシックの分かる?イマドキの曲じゃなくて恥ずかしいけど」
「消さないで!」
スマホに近づけた自分の指を寸前で抑えて、叫んだ。
「何、どうした?」
「私も聞いてたの、月光。だからかも・・・だからあなたに会えたのかも」
「・・・・・分かった、消さない」
***
それからその声の主は、ぽつりぽつりと彼のことを語った。
彼は高校2年で、私と同じ歳だった。
傍から見れば何も悩むことの無いようなこれまでの人生、それも同じ。
「将来はこれになりたいですって宣言して、目の前に出来上がった道を進む。そんなの絶望でしかない。でも、それを振り切って、全てから逃げ出して自由に生きる根性も無いんだ、俺には」
「・・・私にも無いよ」
「俺の目に見える大人の世界は、どれも汚くて夢が無い。そこに溶け込んでいくのが堪らなく怖い」
「・・・うん。・・・私にはね、色が見えないの。別に病気とかじゃないけど、全部が色褪せて見える」
「・・・本当に?・・・俺もだよ。何なんだろうな、これ。・・・月の魔法みたいな、あ、ごめん、引いた?」
「ううん、引かない。私もそう思ったから」
いつの間にか空は白み始め、月はその輝きを失いつつあった。
反対側の街並みの間から、眩し過ぎる光が迫ってくる。
「日が昇れば魔法は解けるんだろうな、多分」
「また、会えるかな・・・会いたいな」
「・・・俺も。話を聞いてくれてありがとう。全然寝ないで平気?」
「学校で寝ちゃうかもね」
「同じく」
そう言って互いに笑う。
その声が、自分の口から出ているはずなのに段々と遠ざかっていく。
「そういえば、名前も聞いてなかったね」
「本当だな。・・・俺は、ヒロ」
「私は、レイ。あの、ラインとか交換する?」
「・・・どうかな。しない方がいい気がする。俺のことをもっと知って、レイに呆れられるのが怖い」
冗談めかしているけれど、その恐怖心は私の内にもある。
見えないから、会えないから、思いを伝えられる。
だからこそ、周りの友達には言えないのだ。
「君に聞いてもらえて、俺はもう少し前に進めそうな気がしてる」
「うん、私もだよ」
「レイ、もうすぐ夜が明ける」
「・・・うん」
「もし、二度と会えなくても、俺は君がこの世界のどこかにいることを知ってる。同じように、君の世界にも俺がいる。だから、俺たちは一人じゃない」
「・・・うん」
ヒロの言葉を聞いているうちに、涙が頬を伝った。
「・・・もう、声が遠いな。・・・レイ、いつか、本当に会えたら」
声はそこで途切れた。
「ヒロ・・・」
そう呟いた自分の声は、正真正銘自分の口から出た言葉だ。
魔法は解けてしまった。
でも、と夜明けの方向を改めて見つめる。
昨日より少し、世界は色を取り戻したように見えた。
***
あれから。
月夜の晩に幾度も試してみたけれど、ヒロと繋がることは二度となかった。
ヒロは一体どこにいるのだろうか。
その答えが分かることは永遠にないのかもしれない。
自分の生活も、何かが大きく変わった訳じゃ無い。
でも、私には生きる意味が出来た。
いつかヒロに会えたら、会えなかった間の話をしよう。
そう思う度に、世界は少しずつ鮮やかになっていった。
ヒロ、もう少し頑張ってみるよ。
この世界の果てに、きっと君がいるから。