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だが、反省などしている場合ではない。時間がないのです。
「怜さん、
怜、レイ、レーイ、何処にいるの。
返事をお願い、駄目なら身体を僅かでもよいから動かして。
見つけてあげる。
怜!!!」
バグの如き音で叫んでいたら。
「スマホがしゃべっていると思ったら、AIアプリのICHIGOだ。えらくカワイイんだけど。星野さんがカスタマイズしたんだね」
怜ではなかったものの、先が見えたことに安心した。
これで動ける。
「倉木さん、ご無事でしたか。
怜さんのスマホからは初めましてですね。
早速の訂正です申し訳ありませんが、怜さんはユーザーではありません。怜のスマホがイコールワタシなのですから」
いきなり説教を浴びせてしまい困惑させたようです。
少しだけ苦笑いを浮かべたものの、彼女は直ぐに体勢を整えて、ワタシがずれ落ちぬように注意深くそっと指を伸ばし、エイっと掴み取る。そして胸ポケットにサッと差し入れてくれました。
「良かったぁ」
安堵したのもつかの間、
べろんとシャツが外側へめくれて、ワタシは胸ポケットから落る寸前に。
「やばいやばい。イチゴちゃん踏ん張って」
「あの、ワタシは踏ん張れないのですが
あ、
落ちますね・・・・」
「おっと、下に辿り着いたよ。危ないアッぶねェー」
ギリでキャッチされました。
「暗くて見えないなあ、
あ、靴が濡れちゃった。一応、水は流れているんだね」
「高感度ナイトモードに切り替えましたから、多少の光、月明かりさえあれば状況を判断出来ます。活用して頂ければ幸いです」
「なんか星野さんのICHIGOアプリ、特別過ぎない? 」
「当然です」
「え? 」
「早く、怜さんの居そうな場所に翳してください」
「あ、ごめんなさい。
いないようです、はい」
川の水も浅く流される程では無いのに見当たらない。地面に落ちたあの音の重みから察するにダメージは大きい筈。
無傷では済んでいまい。近くにいる筈だった。
倉木さんも同じように思ったのでしょう。
「ほ、星野さん、星野さんホシ、ホシノ、ホシノさん、返事、返事をして!!」
心配が高まり過ぎた喚きは音痴のメロディーそのものでした。
暫くして、上からの声に気付いて。
「上に登ったのかしら、星野さーん、上に登っていますか?」
「いや、あれは男性の声の周波数ですね」
「おーい、倉木、大丈夫か。なんでそこにいるんだよ~」
なんて呑気なのか。
「村川だ。
村川、早く下へ来て!
大変なの。星野さんが落とされたの。自転車も落とされて、下敷きになっているのかもしれない。
もう! 早く来てよ!!!」
「真っ暗で何も見えんよ~」
暇人の欠伸のような声です。
小さな雲に出たり入ったりしていたスーパームーンは大きな雲にすっかり覆われて、重い闇に沈んでしまっている。
倉木さんはワタシを握りしめたまま手の甲で鼻を覆っています。
「下からムッとする川の匂いって、これ星野さんの血の匂いとかってことないよね」
怜のスマホのマイクの精度は高いのに、聞こえて来る音はぬるりと流れる水の気配くらい。
この川は生き物を拒絶しているようでした。
「星野いた? 」
気の抜けた声質が倉木さんを苛立たせ。
「まだ上に居るの信じられないんですけど。なんでここに来ていないの。遅っ!!! 」
「OK」
切迫感のない返事とガードレールを乗り越る気配も無くあっさり立ち去る様が、倉木さんを更にキレさせます。
「どこへ行くのよ、ばか! 」
聞こえたのかすぐ返事があって、
「いや、向こうに階段があるからさ」
あまりに冷静に連絡事項を伝える程度の言い方が、倉木さんをもがき呻かせています。
「あうぅ。なんか、何か、
ムカムカクルヨムカムカ、うっっ、クソ。
今になって「OK」って答えた感じが本当に何か、ムカつきませんか、イチゴちゃん?」
「同意します。その感情受理しました。
ですが一刻も早く怜さんを見つけましょう」
「あ、そうよ。ごめんなさい。みんな村川のせい」
「それは違いますね。田所雄太と沢田都のカップルが原因としてこの結果になったのです」
「え、ううん、そうだよね。冷静に正論を言われた感、キツイ」
「あ、いやこちらこそ、すみません。
出しゃばるのは止めるように怜さんからプロテクトコードを頂いてはいるのですが・・・・。AIシステムである特質上、正しき現実認識を答えとして出してしまうのです。プロトパターンを同志である倉木さんに適用したことを心より謝罪をさせてください」
「辛っ!
そんなに堅苦しくされたらもっと沼じゃん。辛くなるからどうか止めて
死にたッ!! 」
「ウフ。
そうですよね。指摘を受ける事項であります」
少し傷ついてしまった倉木さんですが、すぐに怜への心配に向かうことで気持ちを立て直してくれました。
「あ、何か動いた。見える?」
音が先に存在を察知させてくれました。
月が大きな雲の端から明かりを滲ませると同時に黒い影が浮かぶ。
「いやっ」
彼女が対象物を捉えようとレンズを向けても、震える手が焦点を合わせさせない。
「倉木さん落ち着いて」
「ごめんなさいごめんなさい」
「大丈夫。一度目を閉じて深呼吸をゆっくりとしてみましょう。
そう、そうです。そのまま」
雲を振り切ってスーパームーンがドス黒い闇の塊を砕き、下界を照らす。
「目を開けてください」
「うん、はい、ゴメン。
ほ、星野さん、星野さんだよ、イチゴちゃん。
あー、星野さん心配したよ。
流されてしまっていたらどうしようかと思った」
この時、空からはあらゆる雲が掻き消え、大きな満月が暗い夜空を従えて市井の徒に祈りのチャンスを与えるかの如く現れた。
月明かりにより現れた怜の輪郭は波打っている。
指先の流れる導線に誘われるように、従順な大蛇がバシャバシャと現実の世界に噛みつき踊り、短いスカートを絡めながら小さな怜の身体を月に向けてグイっと絞り上げていく。
逆光で浮かび上がって大きく見えるサタンの水浴びか。
猛々しい仁王像に蛇が蠢き巻き付かれて昇天する宗教画のようにも見える。
西洋も東洋も無い宇宙に放り出された祈りの死闘。
そして、探し求めていた声にはいつもと変わらぬ不真面目なメロディーが流れていました。
「雨なんか?
ひょっ、
あら?
びしょびしょになっとる。
え、月しかない夜空だよね。
雨ちゃうやん。
大丈夫軽いぞ。
解放されて楽ちんちんじゃ」
「倉木さん、怜です。危険な状況かもしれません」
すると怜はこちらの声が聞こえた様でした。
「あれイチゴン?
どっかへ投げちゃった筈なのに、
オヤヤぁ⁈
うん?
歩けたんか。
否、飛べたんだね、お月様まで届いたんか?
お月様になったんか。
スンゲ、スンゲいいなー、
さあ、おしゃべりするンゴ」
怜は月を見上げて話を始めるのです。
倉木さんは不安を抑えてゆっくり怜の肩に手を掛けました。
「星野さん?
え、びちゃびちゃ。水が溢れてくる」
怜は一瞬びくっとして、態勢を少し変えました。
「ギャッ」
逆光で闇に見えた塊に色彩が戻った瞬間、倉木さんの悲鳴が響きました。