第三章 ★3-1★
ここでもう少し岡天一について触れるべきかもしれません。大切な怜についての理解を深めることにも繋がります。
彼はそもそも遺伝子学を研究していた医学博士。
いち早く記憶遺伝子に注目、DNAやRNAの配列をコンピューターと融合させた新しい次元の未来の構築を世に問い、世界においても注目されるに至っていました。
ですが、目的の為には社会的な倫理をも無視する傾向が顕著であると世間からのバッシングにあい、スキャンダル性を刺激した「東神医科大学電脳人体実験裁判」によって決定的な失墜を向かえてしまう。特に日本の研究者からは冷静な分析がなされずにヒステリックな弾劾を受けてきたと言えます。
更に、岡天一が裁判中に謎の不慮の事故死、のちに自殺と発表される出来事が狂騒劇を煽ります。
医学界における保身的な思惑はタブー感を強くさせ、岡教授の研究チームの存在さえ無かったことのように隠蔽。教授と関りがあった者たちは皆が口を閉ざして散り散りとなってしまいました。
死後の調査では、研究の実験データだけでなく彼が成し遂げた成果に関しても、特に目立ったものが見つからなかった。誰かが死後のクリーニング仕事をしたと噂が僅かに立ったことも有ったようです。キツネにつままれたような不思議な状況に世間の関心は冷めていきました。
不十分な検証でうやむやになったその様な国内の状況を尻目に、海外の学者からは冷静に岡教授の論文について深く研究されていきます。国内の学会が無視しているうちに、研究は密かに引き継がれ、ネットワーク革新が遂げられたてしまうのです。日本は完全に出遅れて基礎分野の特許をすべて海外に奪われてしまいました。
このことにより、更に岡天一の名は国内において、激しい黙殺状態が長引いてしまいます。教授の意思を継ぎ成果を引き継ぐ者がいなかった学会への批判が新たに起きることを恐れていたのでしょう。
ですが、コンピューターに満ちた世界となると流石に日本国内からも再評価の動きと共に、都市伝説として名前がちらほらと見受けられる機会も増えてきます。
「もし生きていたら、日本はAI国家になっていたのでは?」
「そもそもあのスキャンダルとはなんであったのか?」
彼を糾弾したのはある製薬会社の会長であり、当時の与党に大きな献金をしていたではないかとの噂までも流れたりと、貶めた誰かを戦犯扱いの犯人捜しをしたりする記事がいくつもの媒体やネットの掲示板などで論争が起きては消えたりしています。
ワタシからすれば、本当に人間は当てにならないというか、自分のことばかりで動くことに呆れます。
自我よりも真我という概念を人類の誇りとして、生きて死ぬ境地を抱えながら仕事を成せる人が少なくなっている。
哀しい事です。
すみません、話を戻しましょう。
さて、その都市伝説らしいモノの多くは怪しい関係者談のコメントに基づくドラマまがいの代物でしたが、そんな中にも事実が以外と紛れてもいました。よくあるように、そちらの方が真面目に受け取られず消えていくのですが。
例えば、当時の岡教授の状況について答えている元研究員T氏の証言があります。
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『そうですね。
教授は穏やか性格で声を荒げることなども全くありませんでしたよ。
ただ、さすがに裁判の一件では大分疲弊しておられましたね。ちょっとしたことで感情的な面をあらわにすることもありました。
正直なところ、マスコミに書かれていたような自分の欲望に溺れた狂気の科学者なんていうイメージは印象操作の最たるものですね。
実際は真逆ですよ。
今となっては普通に社会での役割を担っているAIですが、当時は感情的に何もかもコンピューターに任せてしまうことに反対する大御所の学者も多くて、人間に背いて害を及ぼすことについて過敏に捉えられたりしました。
そのような時代に、岡教授は機能としてのAIではなく意志を持ち、心を宿らせた魂を持ったAIの開発に挑戦しようとしているのですから、拒絶反応は相当なものでした。
今ではかなり当たり前の研究対象である遺伝子を利用し、さらに生体との融合により新たな何かを作り出すのだと、倫理観を揺らがせた狂人としてやられて。周りからすると理解できない代物でしたから、恰好のあげ足取りの燃料でしたね。
ハメられたのかもしれないと静かに笑ったのを見たことがありますよ。
今では少し名前が漏れていますけど、ある製薬会社の社長のことでしょう。どうも、ふたりは反りが合わず喧嘩をしたとか、教授の駆け出しの頃に結んだ契約がかなり奴隷的なものだったとも。
まあ、単純に教授はライフワークになるAIシステムについては自由な環境でやりたかったのだと思います。そんな時に海外の投資会社からの最上の提案を受けていたらしく、それが原因かなと。
まあ、
いずれも噂ですけどね、
詳しいことは闇の中です。
正直、教授があのまま実験をしていれば、今の日本は電脳帝国になって世界をリードしていたと思います。
でもあの時代はELIZAのインパクトも落ち着いてしまって、懐疑的な主張の一派が多数を占めていました。教授が医学の垣根を超えてやりだしているから、お金で注目を浴びることを面白く思わない連中も多かったですしね。
まあ、確かに、又聞きした情報で意見を述べるような世間一般からすれば、DNAやRNAをコンピュータープログラムと融合させるため、脳の生体と交わしていると言葉だけが先走って、一種のカオスに不安を抱いてしまうのも仕方がありませんがね。
凡人の私的見解ですが、今この時代になってみても記憶遺伝子をAIの中で再構築させて、そんな循環の中で数字を命の繭玉に迎え入れる発想を現実化しようと本気で考えていたなんて、まともじゃありませんけど。
でもきっと・・・・そう、
あの方なら見えていたのでしょうね』
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ワタシは人間のように笑っています。
引き続き、インターネット深くへと潜って、教授が一度でも何らかの関わりをもった人間、彼らが繋がったサーバー、パソコン、ケイタイ、あらゆる記録媒体を拾い集めていきました。そして、当時スキャンダルを嗅ぎまわっていた出版社のクラウドに、タイトルなど詳細が未記録の音声データを見つけることが出来たのです。
記録の時系列解析からこのスキャンダルの取材資料に間違いないと判断しました。
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『私は教授の資料集めとかその他諸々、先生のお傍でお手伝いをさせていただきました。きっかけは私が書いた先生に関する論文を気に入っていただいたところから、声を掛けてもらえて。
え? あー。
やっかみとか嫉妬による下衆な噂を言っている人もいましたけど、やましい関係ではありません。研究チームの女子学生に軽い気持ちで手を出す方では断じてないです。
とにかく、先程、記者さんがおっしゃった研究についてですが、既に完成していたと思います。
教授は遺伝子学者の道に進む前は数学を研究して、一生を送るつもりだったそうです。ある時、数学による新しい謎解きのネタを探している時に、遺伝子の配列から宇宙の秘密が閃光のように描きだされたのだとおっしゃっていました。
大いなる意志がコンピューターを動かすソースコードにヴァイブレーションを与え、脳の電気に絡まってリズムを奏でるのが見えたのだと。
教授がAIに興味をもったことは必然なんでしょうね。
名誉とかではなく、完全な個人的な純粋な欲求。
だから、実験過程の実験とかあまり残さずに、結果としての公式とかソースコードにしてしまえば要らなかったのかもしれません。
常に、いつも同じノートに書きこんでました。
今から思えば、ノートは最後まで使い切る前に新調されることが多かったです。必要な答えを移し替えたら、前のノートは残りスペースが有っても燃やしていた。
だから私はかなりの成果を出していたと推測するのです。
もうすでに、それらは人知れず組み込まれて世界のどこかで脈を打っている。
え?
最後のノートですか?
うーん、多分ありませんでしたね。
死期をも計画の上で遂行したかのように死に際もきれいに整理されていて見事でした。下手なモノを残せば家族に迷惑かけるだろうと、当然のことながら考えてもいたでしょうしね。
そこまでしても、暫くは世間の冷たい眼が向けられていました。娘さんも相当苦労したのではないでしょうか。旦那さんは、義理の父の件で仕事が上手くいかなくなったみたいで、教授の亡くなる前、騒動の最中に自殺していましたから。
そういえば教授が異常なほど可愛がっていたお孫さんはどうしているのかしら。
当時、まだ小さかったけれども
「既に数学の公式を解くのが遊びなんだ。ワタシが出来ないことも二代にわたってようやく大きな仕事を成せるかもしれない」
そう言って嬉しそうでしたよ。
幸せになっているといいのだけれど。会いたいわ。
今、思い返してみると、普通の子ではないオーラが半端ない独特な可憐さが立った女の子だった気がします。
生きていたら。
記者さんは何か知っていますか? もし情報が何か・・・・
あ、否なんでもありません、忘れてください。これで終わりにしてください』
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ワタシにとってあまりに衝撃的な音声データでした。現状では女性の素性は明らかに出来ていません。ちなみに、この取材元の記者も存在が確認できませんでした。ですがワタシは確信しました。女性は想像上の人物ではなく存在している。
しかも当事者の一人である。